世界に二人しかいない夜


※社会人設定



外の空気がしんと静まる夜更け。聞こえてくるのは時計の針が進む音と隣で眠る彼の柔らかな呼吸の音だけだ。ベッドから抜け出してまだ新しい匂いのする部屋を歩く。冷たいフローリングを歩いて目指すのは殺風景なトイレ。つい先日引っ越してきたばかりのこの家は、たくさん彼と話し合って決めた。二人で暮らすというのは思ったよりも大変だ。だけど、彼が隣で眠っているというだけでこの生活を始めてよかったと思う。

トイレから戻って温かいベッドへ潜り込む。

「名前、」

彼は掠れた声で私の名前呼び、薄っすらと目を開けた。

「ごめん、起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫」

ふわふわと揺れる少し癖のある髪を撫でると彼は目尻を下げて笑う。出会った頃はこの人がこんな顔をするなんて思わなかった。いつも落ち着いていて、大人びた印象を受けた、初めて会ったあの日から、まさか私たちがこんな関係になるなんて。依然として彼の髪を撫でているとその手を掴まれる。

「ほら、寝るよ」

大きな手に導かれて彼の腕の中に閉じ込められた。背中に感じる彼の体温は高く、冷えた身体がゆっくりと温められていく。

「身体冷えてるね」
「うん、廊下寒くて」
「名前に風邪引かれたら困るな」

彼は私を抱きしめる腕に力を込めた。その力強さに彼の優しさを感じて思わず頬が緩む。

温かさが心地良くそろそろ眠ろうとした時、彼の手がそっと私の手を包んだ。その手に光るのは私の指に嵌めてあるそれと同じもの。

「結婚したんだね、私たち」

思わずそう呟くと、頭上から笑い声が降ってきた。

「笑わないでよ」
「ごめんごめん、でもまあ、俺もその気持ち分かるよ」

こっち向いてという声に誘われて、彼と向き合う姿勢になった。暗闇に目が慣れて彼の表情が薄っすらとだけ見える。私を見つめる彼の目はいつだって優しい。

「俺もまだ夢なんじゃないかなって思ってる」
「結婚したこと?」
「それもそうだけど、隣に名前がいることが」
「なにそれ」

ふふっと笑うと、彼もつられたように笑った。二人で作るこの空気がやっぱり好きだ。この先もこの人とならきっと大丈夫。不幸なことがあったって笑って乗り越えて行けると思うのだ。人それぞれ幸せの形は違うけれど、私の幸せは間違いなくこれだ。

「京治は今幸せ?」
「勿論。名前がいれば、俺はいつだって幸せだけどね」

赤葦京治という男は昔からこうだ。私だったら恥ずかしくて言葉にできないことも簡単に言葉に出来てしまう。恋人という関係から夫婦という関係になってもこういうところは変わらないらしい。

「もう、こっちが恥ずかしいよ」
「大丈夫、俺以外誰も見てないから」

おやすみ、と私の頬にキスを落としてから彼は瞼を閉じた。さっきまで冷えていた身体はとうに温まり、彼の静かな呼吸ととくとくと脈打つ彼の心音を感じながら私もゆっくり瞼を閉じる。

私も彼がここにいれば、この温もりが隣にあれば、ずっと幸せなのだろう。





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