甘い熱をちょうだい


※社会人設定




仕事で失敗をした。朝から晩までその対応に追われて、今日はまともにご飯を食べていない。帰ったら布団に飛び込もうと決めた。よりによって今日は金曜日。12時も近い電車の中はお酒を楽しんできた人ばかりで益々気が滅入る。沈んだ気持ちと疲れた身体を引き連れて重い玄関の扉を開けた。

玄関では大きな靴がバラバラの方向を向いていて、奥の大して広くもないリビングからは微かにテレビの音が聞こえてきた。そういえば今日は彼が来る日だった。昨日の夜からまともにメッセージのチェックもしていないことに気が付いてポケットの携帯を開くと彼からのメッセージと電話が数件入っていた。今日来ると約束をしていたのに家主と連絡がつかないなんて不安だっただろう。悪いことをしてしまったなと思うと同時に彼に合鍵を渡していてよかったとも思った。

「名前!」

玄関でヒールの磨り減ったパンプスを脱ぐとリビングにいた彼が駆け寄ってきた。

「光太郎、ごめんね」
「携帯見ろよ!心配したぞ!でも、ちゃんと帰ってきたから許す!」

彼に尻尾が生えていたらきっとブンブン振っているんだろうな、と思うくらいの笑顔で出迎えられた。いつもならここで彼に抱き着いて癒してもらうところだけど、今日は何故かそんな気分にもなれない。

「どうした?何かあったか?」

そんな私の気持ちを知ってか知らでか、190センチ近い身体を小さく丸めて私の顔を覗き込む。大きな金色の瞳が私を捉えて、じっと見つめるが私は何も答えないまま時間が過ぎていく。

「シャワー浴びてきていい?」

先に沈黙に耐えられなくなったのは私の方。彼は背筋を伸ばして、おう、とだけ言った。きっと何も話さない私に不満だったのだろう。さっきまでブンブン振っていた尻尾はきっと垂れている。とぼとぼとリビングに戻って行く彼の背中はいつもみたいに大きくは感じなかった。

着ていたものを全て脱ぎ捨て風呂場の扉を開けると、そこは蒸気で満ちていた。シャワーだけで済ませようと思っていたのに温かいお風呂が用意されていたことに何より驚いた。それと同時にさっきの彼への態度をひどく後悔した。丸一日連絡を返さないことはこれまでも何度かあった。その度に彼は心配したぞと怒ってくれて、私の言い訳をうんうんと頷きながら聞いてくれた。今回だってそうすれば良かった。きっといつもみたいに私のくだらない言い訳を聞いた後に「おつかれ!」って笑い飛ばしてくれたのに。

仕事の失敗は自分のせいなのに、それを優しい光太郎にぶつけてしまった。いつも前向きで明るい光太郎にこんな自分は相応しくないんじゃないかとすら思えてくる。そんなマイナスな思考を洗い流すようにいつもより少し高めの温度のシャワーを浴びた。


ちゃぽん、と彼が用意してくれたお湯に浸かる。設定温度はいつも通りなのに少しだけお湯が緩いのは、彼が私の帰りを待っていてくれたからだろう。ごめんね、と心の中で呟くと風呂場の扉が開いた。

「俺も入る!」

そのままの勢いでシャワーを浴びる彼に私の視線は釘付けだった。私の家の狭いお風呂には普段彼は入ってこない。だけど今日だけ違うのは、きっと、いや確実に私の為だろう。ちなみにお互い何も身に纏っていないけど、そこは長い付き合いなので今更どうということはない。
今、謝らなくては。

「光太郎、あの」
「お湯緩くね?ごめんな、ちょっと入れるタイミング間違った!」

私と同じシャンプーで髪を豪快に洗いながらそんなことを言う。ごめんねを言わなくちゃいけないのは私なのに。彼の優しさが疲れ果てた心に染み渡る。今日一日中溜め込んでいたものが徐々に迫り上がってきた。

「俺も入れるかなー」

気付けば彼は身体も髪も洗い終わって湯船へ片足を沈めていた。

「無理じゃない?私出るよ」
「いーや!いける!!」

少しでも彼のスペースを確保しようと膝を抱えて小さくなると彼は私を後ろから包むようにして入ってきた。同時に大量のお湯が溢れ出す。

「ほら!入れた!狭いけど!」
「ほんとだ」

後ろから聞こえる彼の笑い声につられて笑った筈なのに何故か涙が溢れてきた。

「光太郎、ごめんね」
「んー?なにが?」

少しだけ震えた声できっと彼は今私がどんな顔をしているのか分かったのだろう。後ろから優しく抱き締められた。光太郎の肌と私の肌がぴったりくっついて、彼の熱を感じる。まるでお湯の中で一つになったみたいだった。それが私を安心させて、止まることなく涙は流れ落ちる。

「嫌なことあったか?」
「仕事で、失敗した」
「でも頑張ったんだろ?」
「がんばった、けど」
「じゃあ大丈夫だ。ちょっと休んだらまた頑張れる」

まるで子どもをあやすような優しい口調。耳元で紡がれた彼の言葉全てが私を癒す薬になる。私は何度この人に救われただろうか。いつも素直で前向きで、だけど傷付きやすい彼の言葉に嘘や偽りはなくて。だからこそ私の心に真っ直ぐ届く。どれだけ泣いたか分からないけれど、私が落ち着くまで彼は私を離さなかった。



「もう大丈夫か?」
「うん。ごめんね、ありがと」
「よし!じゃあそろそろ出るぞ!もう風呂も温かくねーし!」

狭い浴槽の中で身体をくるりと反転させて彼と向き合う姿勢に変えた。いつもの髪を立ち上げている彼も格好いいけれど、濡れた髪を無造作にかきあげている彼はどんな俳優やタレントよりも色っぽい。その金色の瞳に私以外は映さないで欲しいと思うくらいだ。

「名前?出ねーの?」
「もうちょっと」

彼の胸板に身体を預けると当然のように腕が回ってきた。

「今日は甘えん坊だな!」
「光太郎にだけだよ、甘えるの」
「当たり前だろ」

私を抱く腕に力が入ったのは気のせいではないと思う。彼の独占欲と触れている箇所全てから感じる彼の体温が心地いい。

「光太郎あったかいね」
「名前は熱いな」

目を見合わせて笑い合う。どちらからともなく触れ合うだけのキスをして、互いの体温を奪い合う。隣に貴方がいてくれたら、それだけで生きていけるのだろう。


- 12 -
←前 次→