手のひらのスピカ


ぼんやりとした光を放ちながら等間隔に並ぶ街灯の下を一歩ずつ進む。時折吹く冷たい風が頬を撫でる。数え切れないほど歩いた家から駅までの道だけど、今日は少しだけ景色が違う気がした。

「夜は寒いなぁ」

彼は着ているコートのポケットに両手を突っ込みながら私と歩幅を合わせて歩く。
そうやね、と答えると二人の間にはまた静寂が訪れた。一歩、また一歩と目的地の私の家まで歩みを進める。

「明日からおらんねんな」

突然降ってきた言葉に思わず肩を揺らして笑ってしまう。

「今日卒業したからなぁ。寂しいん?」
「当たり前や」

私たちは所謂、幼馴染というやつだ。一人っ子の私は治と侑の姉のようなポジションで、いつも一緒に遊んでいた。それと同じくらい二人の喧嘩の仲裁をしたり、勉強を教えたりすることが多かったけど。長い時間を一緒に過ごす中で、私はいつの間にか治のことを意識するようになった。だけど、それを伝える気は無い。
17年間幼馴染として過ごしてきたのに、今更それを壊すのが怖いのだ。今のままの関係でいれば治は私から離れていくことはないだろう。そう思うと、伝えるなんて出来ない。

「寂しいから迎えに来てくれたん?」
「やかましい」
「図星やん」

今日は卒業式だった。その後クラスメイトたちとご飯を食べに行って、カラオケをして、帰る時間が遅くなるから親に連絡をしようと思ったところで、治から「迎えにいく」と連絡が来た。一度は断ったものの、頑固な治は迎えに行くの一点張り。最寄駅の到着時間を伝えると、改札の前で私を迎えてくれた。そして今日貰った卒業証書や部活の後輩がくれた花束や色紙を一緒くたに入れた紙袋を「持つ」と言って奪われた。こういうところが狡いのだ。それにしても今日の治はやけに素直な気がしてならない。

「どないしたんよ、今日なんか違うやん」
「俺はいつも通りや」
「ほんならいいけど」

真っ直ぐに前を見据えたままそう言う。こう言うときは大体何か隠していると分かっているけど、敢えて追及しない。

「なんか紙袋めっちゃ震えんねんけど」
「あ、携帯入れっぱなしやったかも」
「あったわ」

治の手から差し出された携帯は依然としてバイブレーションを続けていた。画面を開くとクラスメイトたちから今日の写真が止めどなく送られてきていた。

「今日の写真や」
「卒業式の?」
「それもあるけど、打ち上げのも。北くんも来てくれたんやで」
「え、北さんそういうとこ行くんや」
「最後やもん」

治からしたら北くんは部活の主将だろうけど、私からしたらクラスメイトで友達だ。次から次へと来る写真を一つ開いて治に見せる。

「ほら、北くん」

見せた写真はドリンクバーのジュースを啜る私と笑顔の北くん。

「わろてはる…」
「そら笑うよ、北くんのことなんやと思ってんの」

彼だって普通の高校生だ。確かに周りの男子に比べたら落ち着いているけど、ちゃんと笑うし、友達と冗談を言い合ったりもしていた。

「そういえば帰りに北くんに帰り大丈夫かって聞かれてん」
「おん」
「治が迎えに来るから大丈夫やでって答えたら、えらい番犬手懐けてんねんなって言われた」
「なんで言うねん」
「え?あかんかった?」

北くんは私と宮兄弟が幼馴染だと言うことも知っているし、隠すようなことでもないと思って素直に答えたのだが、隣にいる治が大きく溜息をついたので、あの対応は間違いだったのだろう。

「ごめん、北くんやったしええかなと思って」
「ええよ、バレてるしな」
「何が?」

私の問いに答えることなく彼はまた歩き出した。未だ手の中で震え続ける携帯は帰ってから確認することにして彼の背中を追いかけたが、古い自動販売機の前で彼はぴたりと立ち止まった。

「北さんのこと好きなん?」

予想もしない質問が降ってきて頭が真っ白になる。侑とは何度かこういう話をしたけれど、治とはしたことがなかった。聞くのが怖かったから。好きな人がいる、なんて言われたら立ち直れないと思ったからだ。

「なんか言うてや」

さっきまで私に背中を向けていたはずなのに、顔を上げたら目の前には真っ直ぐ私を見つめる彼がいた。
突然治らしくない質問をしてきたのは、きっと私が北くんの話ばかりするからだろう。でも私と治の共通の知人が彼くらいしかいないので、ただ単に話題にしていただけで、好きだからとかそんな理由ではない。
好きなのは治だよ、と言えたらいいのにそんな勇気もない私は下手くそな笑顔で否定することしかできなかった。

「北くんはそんなんちゃうよ」

「北さんは、ってことは他におるんか」

間違えた、と思った時にはもう遅かった。今すぐこの場から逃げ出したい、これ以上踏み込まないで欲しい。目の前にいる人はいつもの治じゃない。思わず一歩後ずさりをすると
手首を強く掴まれた。

「頼むから、逃げんといて」

彼の大きな手は少し冷たくて、でも力強くて、男性なんだと言うことを意識せざるを得なかった。そんなこと、治を好きだと自覚して時から分かっていた筈なのに。掴まれた手首が熱くて、まるで身体中の熱がそこに集まっているようだった。

「答えてくれるまで離さへん」

繋がる手は解ける様子もないし、治の目は私を捉えたままだ。これは冗談なんかじゃないと、混乱した頭でようやく理解した。

「好きな人はおるよ」

真横を通り過ぎた車のエンジン音にかき消されそうなくらい小さな声だったが、彼の耳には届いたらしい。さっきまで私を捉えていた瞳が揺れていた。

「なんやねん、早よ言ってや」
「治、別に聞いてこんかったやん」
「聞かんでも言うてくれたってええやろ」
「じゃあ治は好きな人おらんの?」
「おるわ」

頭をガツンと殴られたような衝撃だった。卒業式で散々流した筈の涙がもうすぐそこまで込み上げていて、鼻の奥がツンとする。

「なんで、教えてくれへんのよ」
「言えるわけないやろ」

私の手首を掴んでいた彼の大きな手はするりと解け、代わりに冷えた私の掌を包み込んだ。

「相変わらず冷たい手やな」

暖かい彼の手で包み込まれて私の小さくて冷えたは体温を取り戻す。最後に手を繋いだのはいつだろう。幼稚園か、小学生か。だけど覚えている。昔からずっと治の手は暖かくて、私はその手が好きだった。

「好きな子にしか、こんなことしたらあかんよ」

彼の手を振り払いながら、自分が傷付くと分かっている台詞を吐いた。

「俺そんな軽い男ちゃうで」

そう言って彼は再び私の手を握る。思わず「そうなんや」と返事をしたけれど、さっきからずっと頭の中がぐちゃぐちゃな私は彼の言葉を理解するのに時間がかかってしまい、顔を上げた時には遅かった。

「俺が好きな奴、誰か分かったやろ?次は名前の番や」

返事の代わりに彼の手を強く握り返すと、彼は小さい頃と変わらない顔で笑ってくれた。

繋がった手はもうとっくに暖かいのに、それは手を離す理由にはならなくて。街灯が続く一本道を二人手を繋いで歩く。ようやく手に入ったこの温もりを私はきっと離さない。


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