春の先で待つ


なんとなく、なんとなくだけど、黒尾の気持ちは分かっている。露骨に出してくることはないが、さり気なく優しくされること。少しだけ特別扱いされること。その全てが私の心臓を鷲掴みにして離さない。
そしてきっと黒尾自身も分かっている、自分の一挙手一投足が私の気持ちを掻き乱していることを。

明日から冬休みが始まる。受験生に休みなんてあるようでないものだ。机に向かって1日が終わるだけ。あと2か月で各大学の入試も始まるということもあって、ピリピリとした雰囲気を纏いながら問題集に向かっている人も多い。そんな中、黒尾たちバレー部男子はまた違う雰囲気を纏っていた。理由は明確、年明けから始まる春の高校バレー全国大会への出場が決まっているから。

空き時間、黒尾の周りは男女問わず人で溢れかえる。みんな口々に「がんばれよ」や「絶対見に行くからね」などを好き放題言って去っていく。それが彼にとってプレッシャーになっているのか励ましになっているのか私には想像もできないが、「俺の雄姿見たら惚れるぞ」なんて軽口を言っているので、きっとどちらでもないのだと思う。

今日はあと担任の長ったらしい話が終われば終了となる。どうせすぐには終わらないだろうから、今のうちにトイレに行っておこうと思い席を立つ。残念ながら黒尾の席は一番廊下側の為、どうしても群衆の近くを通らなければならない。

「ごめん、通るね」

教室の出入り口近くに集まる名前も知らない男子にそう声をかけたが、どうやら私の小さい声なんて聞こえてないらしく、退いてくれる気配はまるでない。強引だが仕方ない、押し退けてしまおうかな、と思ったところだった。

「おい、後ろ。名前ちゃんが通るから退いてやってよ」

黒尾の一言で目の前の男子は「ごめんな」と言って退いてくれた。こういうところが狡いのだ、黒尾鉄朗という男は。

「ありがとう」

とお礼だけ言って群衆を通り抜ける。ちらりと横目にみた黒尾は胡散臭い笑顔でにっこりと笑っていた。

温かい空気が充満した教室を抜け、冷たい空気が通る廊下を歩く。暖房の入った場所にいたせいで少しぼうっとしていた頭は冷気によって冴える。
あと数か月でこの学校を卒業すること、大学受験のこと、そして黒尾のこと。高校3年生、嫌でも自分の将来を考えないといけない時期。志望校は夏に決めた。そしてその志望校が黒尾とは違うということを秋に本人の口から聞いた。そして冬、私たちの関係性は変わることなく12月の下旬となった。どうせ離れるならこのままでいよう、何も言わずにお別れしようそう決めた私は黒尾に対して何かアクションをすることもなく毎日を過ごしていた。あっちも特に何も言ってくることはなく、ただ私に優しくする、それだけだった。

「苗字」
「あ、夜久」
「もうすぐ先生来るぞ」

寒い寒いと言いながら正面からやってくるのは同じクラスで黒尾と同じバレー部の夜久。その言葉通り、夜久の数十メートル後ろから先生が歩いてくるのが見えたので、踵を返して夜久と並んで歩く。

「言いそびれてたけど、全国出場おめでとう」
「おー、ありがとな!」

嬉しそうに笑う夜久。最後の試合で軽いケガをしたと聞いていたけどこの表情を見ると、きっともう大丈夫なのだと思う。

「言うの遅くなってごめん」
「いいって、そんなの。そんなことよりお前も試合見に来いよ!」

な!と言いながら、彼は一足先に教室へ入って行く。その後を続いて教室に入ろうとすると廊下側の窓から顔を出していた黒尾と目が合った。

「やっくんに先越されちゃったな」
「何が?」
「俺が名前ちゃんに言うはずだったのによー」

だから何が、と聞こうとしたけれど、真後ろに立っていた先生に教室に入るよう促されたので黒尾との会話は強制終了となった。

長い先生の話が終わり、クラスメイトたちが「よいお年を」と言い合いながら教室を出ていく。私はというと、さっき強制終了となった黒尾との会話の続きがしたくて自分の席から動かずにじっと機会を伺っていた。きっと今日もバレー部は部活なのだろう、黒尾は教室を出ていくクラスメイトたちに声をかけて談笑しており、帰る様子が見られなかった。この調子だと話しかけるのは難しいかもしれないと思いながらも、諦めのつかない私は荷物を机の上に置いたままさっき行きそびれたトイレへと足を運んだ。

トイレから出るとさっきまでの教室の喧騒はなくなっており、廊下から見る限りは誰の気配も誰の声もしなかった。きっともう黒尾はあそこにいない。全国前だ、きっとさぞ気合を入れて練習をしているのだろう。仕方ない、これは仕方のないこと。頭の中で自分にそう言い聞かせながら教室へ戻ると私の席に座っている大男がいた。

「まだいたの」
「だって名前ちゃん俺と話したそうにしてたし」

その一言にカッと顔が赤くなる。なんでいつもこいつに見透かされているのだろう、と悔しくなる。

「黒尾も私に話したいことあるんでしょ?」

負けじとそう言い返すが、黒尾は余裕そうな笑みを浮かべるだけだった。

「そうそう、俺も話したかったからさ。ちょっとここ座りなさいよ」

私の前の席にある椅子を引き手招きされるので大人しく従って席に座る。席に座ると黒尾との距離が想像より近くにあり、心拍数がまた上がったが、悟られまいと平静を装う。もしかしたら、これも見透かされているのかもしれないけれど。

「で、なに?」
「やっくんに言われてたと思うから内容カブっちゃうんだけどさ」
「うん」
「試合、見に来てよ」

真っすぐに私の目を見てそう言う黒尾は今まで見たどの表情よりも真剣な表情で、これはいつもの冗談ではないなと分かった。同時にその目に射抜かれて、また私の心臓は彼に鷲掴みにされたのだ。

「、なんで、私なの」

絞り出すように出した声で尋ねたことは、自分でもとっくに答えが分かっていること。だけどどうしても、ちゃんと聞きたかった。明確なものが欲しかった。欲張りだと言われても、我儘だと言われても、それほどまでに私はずっとこの男が欲しかったのだ。例えこれから先、離れることになっても。

「好きな子にいいとこ見せたいって理由でオッケー?」

いつもみたいな軽口だけど、これが冗談じゃないことは赤く染まった彼の耳が教えてくれた。
返事は大会で優勝してから下さいね、と言いながらひらひらと手を振って教室を出ていく彼の後ろ姿に向かって、私は大きな声で頑張れと叫んだ。



(春の先で待つ)


振り返って「おー」と返事をする彼は今日一番の笑顔だった。

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