ワンルームの楽園



※大学生設定


彼とはもうすぐ付き合って1年になる。学部が違うので学内で偶然会うことは少ないが、時間が合えば一緒に学食でランチを食べる。学校で会えなくても私も彼も一人暮らしなので、お互いに家によく行き来しているし、付き合って半年の記念日にお互いの合鍵を交換した。キーケースに実家の鍵と自分の家の鍵、そして彼の家の鍵が3本並んだのを見るたびに彼が心を許してくれていることを実感して頬が緩むのだ。

つい数時間前、珍しく学内で見かけた彼氏は知らない女の子と一緒にいた。同じ学部の子だろうか、いつもなら声をかけるのにそれが出来なかったのは女の子が彼の髪を触っているのを見たから。
トレードマークのかき上げられた赤い髪。その髪に知らない女の子の手が触れていた。何を話していたかは聞こえなかったけれど、女の子の笑顔を見た瞬間にその場にいられなくなって立ち去った。次の講義の途中彼からの「今日名前ちゃんの家行っていい?」というメッセージにOKというスタンプだけ返した。「バイト終わったらいくね」という返信を通知画面だけで確認してスマホをポケットに押し込んだ。

夜11時。玄関からキーを捻る音と扉を開く音がほぼ同時にする。

「ただいま」

お邪魔します、ではなくただいまという言葉を選ぶ彼に少し安心した。帰る場所はここだと思ってくれている、そう思うだけでさっきまでのもやもやが少し晴れるのだから私の中で彼の存在がどれだけ大きいか。きっと彼は気付いてないだろうけど。

「おかえり」
「疲れちゃったよー」

キッチンに立つ私を後ろから抱きしめ、会いたかったよなんて言う。私は彼に一度会ったけど、彼は私がいたことに気が付いていない。だから、触れ合うのも顔を見るのもこれが今日初めて。

「ご飯食べる?」
「うん、今日はなに?」
「ハヤシライスだよ、外寒かったでしょ」
「ヤッタ、写真撮って若利君に送っちゃおー」

若利君、というのは彼の高校時代のマブダチらしい。彼はよく高校時代の話を私にしてくれる。バレーボールの強豪校で、メンバーにとても恵まれていたこと。監督がいい人だったということ。3年間すごく楽しくバレーボールが出来た、といつも幸せそうな顔をしながら話してくれる。私はその話を聞くのが好きだったし、話している時の彼の顔を見るのも好きだ。どうか私以外にその顔を見せないでと思うくらい。

「どうぞ」

ローテーブルにハヤシライスを置くと彼は小さな子どものように喜んだ。私は先に食べてしまったので、彼が背にしているベッドに横になる。すると私の視界には赤い髪がいっぱいに広がった。嫌でも今日の出来事を思い出してしまう。気が付くと彼の髪に手を伸ばして触れていた。

「ん、どしたの名前ちゃん」
「ううん、何でもないよ」
「そーお?」

きっと私がいつもと様子が違うことに彼は気付いている。1年間付き合って知った。彼はとても鋭い人だ。ちょっとでも落ち込んでいたり、怒っていたり、私の気持ちに波が立つとすぐにそれに気付く。そしてあらゆる方法で穏やかにしてくれる。最初は彼の真っすぐな目と言葉に怖気づいたこともあったけど、1年も一緒にいると慣れるもので今では彼に真っ直ぐぶつかるようになった。だけど今回のような事例は初めてなので、どうしたらいいか分からない。こんな醜い気持ちぶつけていい筈がない。ざわざわと波立つ心を見て見ぬ振りをして、髪の赤い髪にふわふわと触れながらそっと目を閉じた。


「名前ちゃん」

彼の声に導かれてゆっくりと目を開ける。どのくらい時間が経ったのだろう。部屋は真っ暗でカーテンの隙間からは月が覗いていた。

「こっち向いて」

言われるがままに彼に視線を向ける。いつの間にか彼に組み敷かれていて、彼の大きな目をじっと見つめると、にっこりと笑ってくれた。上半身は何も着ていないのを見るとこれから何が始まるのかは容易に想像できる。が、彼に動く気配はない。

「覚?」
「俺に話したいことあるんデショ?」

ほら、やっぱりお見通し。きっとこれからも彼に隠し事なんて出来ないのだろう。観念して、自分の中のどろどろとしたものを吐き出す。

「今日ね、見ちゃった」
「何を?」
「覚が女の子と喋ってるの」

ん?と一瞬きょとんとした顔をする。忘れたというのだろうか、あの衝撃的なシーンを。まあ、厳密に言えば喋っているところではなく髪触れたところが嫌だったのだけど。もしかして彼にとってあれは日常茶飯事で、取るに足らないものだろうか。そうだったらどうしよう、もっと嫌だな。どろどろの塊はどんどん大きくなる。

「もしかして3コマ目の前?」
「うん」

部屋が暗くてよかった。きっと今の私、とても醜い顔をしている。

「喋ってるのが嫌だった?」

あくまでも優しい口調。彼は怒っても呆れてもいない。真っ直ぐ私に向き合ってくれている。彼のやさしさがゆっくりと私のどろどろの塊を溶かしていくのが分かる。

「違う、喋ってるのじゃなくて、覚の髪に触ってたでしょう、女の子」
「あー、そっちね」

彼はくすりと笑ったあと、ゆっくりと顔を近づけてくる。キスされると思い咄嗟に目をつぶるが予想に反して彼は何もしてこない。恐る恐る目をあけるとさっきよりもずっと近くに彼の顔があった。ふわりと香る私と同じシャンプーの匂いとぽたりと落ちる水滴を引き連れて、いつもかき上げられている彼の前髪が私の頬を撫でる。

「俺のこの髪も、顔も、身体も、ぜーんぶ名前ちゃんの」
「うん」
「不安にさせてゴメンネ」

ちゅ、という軽いリップ音とともに私の頬に優しくキスをする。彼の前髪が私の顔を撫でるのがくすぐったい。いつの間にか私の中にあったどろどろはなくなっていた。

「もう触らせないでね」
「勿論、名前ちゃんも俺以外の男に触らせないでね」

そんなとこ見たら俺相手の男殺しちゃうかも、そう言ってにやりと笑う彼。冗談だと分かっているけれど、彼ならやりそうだなと思えて少し笑った。次の瞬間首筋に降ってくるのはキスの嵐。いつの間にかするりと下着をはぎ取られ、これから始まる情事にぎゅっと目を瞑る。ワンルームのベッドで、二人沈んでいく。



(ワンルームの楽園)




Title by エナメル

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