一瞬の煌めきに惑う

苗字さんに促されて隣に座ったのはいいが、近すぎて全然顔を見ることが出来ない。どのくらい近付いたらいいか分からなくて、少し間をあけて座ったはいいが、逆にその距離が「意識しています」と言っているようで恥ずかしい。ああ、もう。心臓がうるさい。

「赤葦が聞きたいことの前に、私の言いたいこといっていい?」

なかなか話し出さない俺を気遣ってか、そう切り出してくれた。一瞬ほっとしたものの、言いたいことがどんな内容か想像できなくて少し怖い。

「どうぞ」
「紅白戦見てて思ったんだけどさ」

成程、そういうことか。そういうことなら全然問題ない。いつも通りの俺でいられる。どうせならメモを持ってきたいくらいだ。苗字さんの観察眼は凄い。選手それぞれ何が足りないかを的確にアドバイスしてくれるから。かく言う俺も、夏合宿の最中に「パワー不足」という指摘を受けた。食事や筋トレを見直して、少しはマシになったと思うのだが。

「木葉はもうちょっとスタミナつけた方がいい。後半ジャンプが低い」
「ハイ、言っておきます」
「猿杙はレシーブ強化するように言っておいてほしいかな」
「ハイ」

そんな調子で今日紅白戦に出ていたメンバーほぼ全員のアドバイスをしてくれた。本当に有難い。コートの中ではこんなに広い視野で見ることは不可能だ。勿論気付いたことは言葉にするようにしているが、それでも全員のフォローというのは難しい。

「こんなとこかな、覚えた?」
「大体は覚えました。木兎さんはなしでいいですか?」
「大丈夫、もう本人に言ったから!」

ほら、と苗字さんが指をさす方に目をやると汗だくになりながらジャンプサーブに取り組む木兎さんがいた。

「今日サーブの決定率そんなに良くなかったですからね」
「正解」

ふふっと笑う苗字さん。やっぱりこの人は凄い人だ。そこで気付いた。木兎さんだけじゃなく、自分も何も言われていないことに。

「苗字さん、俺にもアドバイス下さい」
「えー?赤葦かー」

うーんと呻りながら空を見上げてしばらく経ったが何も応答はない。

「苗字さん?」
「今日の赤葦凄かったよね。セッティングが安定してた」
「本当ですか」
「本当本当、最後の木兎のストレート。あれいいセットだったよ」
「ありがとうございます」

自分でも今日は調子がいい方だと感じていたが、こうもストレートに褒められるとは。先輩に、しかも好きな人に褒められるということはこんなにも嬉しいことなのか。

「パワー不足も解消されつつあるしね」
「それは現在進行形で努力中です」
「覚えてた?」

忘れる訳ないでしょう、と言いたいくらいだ。あの頃の俺はまだ苗字さんとの接し方が分からなかったし、苗字さんの中では俺なんてたくさんいる1年生の中の一人という認識をされていると思っていたのに、休憩中に突然俺の目の前に来て

「赤葦はもうちょっとパワーつけた方がいいよ」

と言われたあの日は忘れがたい一日になった。


「来年は強くなるね」

さっきまで俺の隣に座っていた苗字さんは立ち上がって自主練をしている部員たちを見ながらそう言った。その目はどこか寂しそうで、何と返すのが正解なのか今の俺には分からない。

「そういえば赤葦の聞きたいことって何?」
「忘れました」
「えー?なにそれっ」

忘れたのではなく、聞きたいことなんてあの時浮かんでなかった。ただ二人で話す時間が欲しかっただけだったから。
すいません、と言うと彼女は声を出して笑った。その表情はさっきまでの寂しそうな表情ではなく、いつも通りの笑顔で。ああ、よかった。俺はこの人のこの顔が見たかったんだ。

「赤葦―!トス上げて!」

木兎さんの呼ぶ声がする。もう外も暗くなる直前だ。駅までこの人を送っていきたいけれど、今はまだそんな関係じゃないから。

「聞きたいこと、思い出したら連絡します」
「うん、分かった」
「帰り道、気を付けてください」
「ふふ、大丈夫。まだ明るいし」
「油断禁物です」
「赤葦お父さんみたいだね」

みんなじゃあね、と全員に向かって大きく手を振って彼女は帰って行った。俺たちに背を向けた時、揺れる髪の隙間から覗く小さな耳にキラリと光るものが見えた。

「ピアス開けたのか」

自分で開けたのか、それとも友達か、もしかして彼氏だったりするのだろうか。あんな小さな煌めきに心揺さぶられる俺はまだまだ16歳だ。


(一瞬の煌めきに惑う)


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