夜に溶ける優しい声

母校からの帰り道。一人でこの道を歩くのは久しぶりだった。思えば、いつも誰かと一緒だった。ほとんどがバレー部の同輩たちだったけど、学年が上がるにつれて後輩たちと帰ることも多かった。雪絵の買い食いにかおりと一緒に付き合ったり、木兎や木葉たちとバレーの話をして帰ったり、このただの一本道にもたくさんの思い出が詰まっている。もちろんその思い出の中にはさっきまで話していた一年生セッターもいる訳だけど、あんな顔をする子だとは思ってもいなかった。

「帰り道、気を付けてください」

赤葦がそう言ってくれた時、お父さんみたいだなんて茶化したけれど、本当にそう思った訳じゃない。まさかバレー部の後輩にあんなこと言われるなんて思ってもみなかったから、口から滑り落ちてしまっただけ。ありがとう、と素直に言えたらよかった。

電車に乗り込んで数駅向こうの最寄り駅に着くころにはもう辺りは暗くなっていた。
駅前に咲く桜は満開まではいかないけれど日に日に色付いてきて、4月がもう目の前まで来ていることを感じる。来週には私はもう大学生だ。同じ大学にいる友人は何人かいるのですごく不安という訳ではないけれど、新しい環境に飛び込むのはやっぱり不安ではある。早く馴染めますように。友達たくさん作るぞ、とか、彼氏作るぞ、とかそんなことは一旦置いておいて、穏やかな毎日を過ごせればそれでいい。あわよくば、何か夢中になれるものを見つけたい。バレーボールぐらい夢中になれるものがあるなんて、今のところ想像できないけれど。

駅を出て歩き出すと時折冷たい風が吹く。思わず両手をポケットに入れると、携帯が震えていることに気が付いた。画面を見ると赤葦からのメッセージだった。

「話したいこと思い出したのかな」

なんて思って開く。だけど内容は話したいこととかではなくて、「家着きましたか?」というまたまた私を心配するものだった。いよいよ本当にお父さんみたいだ。まだ家には着いていないし、返信は後ですることにして、再度携帯をポケットに押し込む。その道中、なんとなく思い出したのは次の主将と副主将を決めたあのミーティングのこと。

今の二年生には手のかかるメンバーが多い。しっかりしていると思ったのは鷲尾くらいだ。でも、鷲尾も口数が多い方ではないのでメンバーの世話を焼く、というよりはストッパーのような役割。そんな二年生たちを甲斐甲斐しく世話しているのが赤葦という一年生で。真面目な彼のことだ、きっと副主将を任されてプレッシャーを感じているだろう。だけど赤葦なら大丈夫だと思えたから、私は彼を副主将に推した。1年生に副主将を任せるなんて、と同輩に言われたりもしたけど、彼の視野の広さと冷静さ。年上に指摘できる度量に、的確な判断力も備わっている。それに、木兎も他の二年生も赤葦を信頼しているのを知っていたから。学年が下だろうと、相応しい人間が副主将を務めるべきだ。そんなことをミーティングで話したから、あのミーティングに出席していた皆には「苗字は赤葦推し」なんて言われるようになった。
今日の紅白戦でも彼は凄い集中力だった。指示も的確、トスも正確。強いて言えばネット際で感じるパワー不足くらい。他のメンバーたちの調子もあまり悪くなかったし、今度のインターハイ予選は期待できそうだ。

「あ。言い忘れてた」

今日の紅白戦を1つずつ思い出しているうちに、さっき彼に1つだけ言い忘れたことがあったと気付いた。急いで携帯を取り出し赤葦に電話をかける。後から思えばメッセージでも良かったのだけれど、この時は何故か今すぐに伝えなきゃと思ったのだ。

「もしもし赤葦?」
「ハイ。家着いたんですか?」
「またそれ!まだ着いてないよ!」

どれだけ心配性なんだ、この子は。思わずふふっと笑うと、電話の向こう側から小さい声ですいません、と聞こえてきた。

「今話して大丈夫?」
「大丈夫です、周りが騒がしいかもしれませんけど」

どういうことだろうと考えたのは一瞬だけで、奥の方から「電話誰?」「名前ちゃんだってさ」なんていう聞き慣れた声が聞こえてきた。きっとみんなで帰っているところなのだろう。

「仲良いね」
「いい人たちですよね、本当恵まれてます」

さっきよりも声が小さいのでこれはきっと彼の本心。周りに聞こえないようにという彼のちょっとした照れ隠しが不覚にも可愛いと思えてしまった。

「えっと、さっき言いそびれたことがあって」
「誰宛ですか?なんなら代わりますよ」
「ううん、赤葦が聞いてくれれば大丈夫」
「分かりました」

インターハイ予選に向けての練習メニューの話について、なるべく分かりやすく丁寧に。ただの一年生として練習をこなしていた去年とは違うのだから。

「メニューはそんな感じだから。宜しくね、副主将」
「ハイ。あと、俺も聞きたいこと思い出したんです」
「ん、なに?」
「後でまた電話してもいいですか?ここだとちょっと」

未だ赤葦の周りからは木兎や小見の話し声が聞こえてくる。二年生たちには聞かれたくない話なのだろう。どんな話なのかはまるで見当がつかないけれど、私を頼ってくれるという事実が純粋に嬉しかった。

「じゃあ、赤葦が帰ったらね!」
「苗字さんもちゃんと帰ってくださいよ」
「大丈夫、もう家の目の前だから」
「じゃあいいです」
「ありがと、また後でね」
「はい、また後で」

ぷちっと切れた電話。聞き慣れた赤葦の声だった筈なのに、電話越しの声というのはいつもとは少し違って聞こえるあの現象は何なのだろう。あんなにいい声だったっけ。しかも最後の最後まで私がちゃんと家に帰ったかどうかを気にするあの優しさ。ここ最近恋愛なんてしていなかったからだ。電話をかける前より体温が高いのは。

「赤葦って絶対モテる」

家の前で大きく深呼吸をしてから玄関の扉を開けた。


(夜に溶ける優しい声)

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