「何だかいけない事をしてしまっている気がします・・・」
「そうだな、確かにいけない事だ」





「そういえば最近パーシヴァルとは上手くやれてるのか?」
「へっ」
突然の質問に素っ頓狂な声を上げるナマエに、ランスロットはほくそ笑みそうになる口元を微笑みで誤魔化す。ナマエを見ると大きく何度も瞬きをしながらランスロットを見つめており、兵法書の文字を辿る手は宙に浮いてしまっている。
おかしい、今はランスロットにフェードラッヘの兵法書を借り、教わっているはずだ。定期的にフェードラッヘとウェールズ領に在る兵法をお互い勉強しようと所謂「勉強会」をいつもと変わらずやっていたのではないか。
そもそもフェードラッヘとウェールズ領二つの兵法ならまあ、パーシヴァルが適任なのだろうが、兵法に関してはランスロットと共有する方がお互いの、というよりランスロットの為の方が大きいが、その為になる上に彼の方が些か熱心である、とパーシヴァルの口から出たのだ。蓋を開けば全くその通りで、優しく分かりやすい教え方であったし、熱心に学ぼうとするものだからお互い実のある事だとランスロットもナマエも感じている。
そんな事は程々に置いておいて、ナマエがこんなにも驚きを隠せない理由は明確だ。ランスロットは彼女にパーシヴァルとの現状を直接ここまではっきりと問いかける事が今までなかった。いや、きっとパーシヴァルに時折つついていたのかもしれないが、ナマエに対してはパーシヴァルの黒竜騎士団でのかつての話をしたり、またナマエからはそれよりも幼かった彼の話をこっそり耳打ちしたりという感じで、見守り見守られの関係であったはずなのだが。
「はは、そんなに驚かないでくれ。いやなに、ここ最近は火属性のチームがよく出撃しているみたいだしなぁ。きっと碌にアイツとの時間を過ごせてないだろうなと思ってさ」
「へっ、あっ、いやっ、そ、そうですね、ここ連日の出撃でお疲れでしょうしあまり付き纏って心労までかけてしまってはと思って、その、私からは最低限のお声掛けに留めているのですが、貴方からその様な話はとても珍しくてですね!」
「えっ待て待てそんなに驚かせてしまったか?すまん、すまんからとりあえず落ち着いてくれないか?な?」
頬を赤らめ視線を彷徨わせてしまう程動揺してしまった彼女をランスロットは慌てて宥めた。声掛けで取り乱しすぎてしまった己に気付き肩を竦めて小さくなってなってしまったが、小さな声で失礼しました、と返ってきたのを聞き入れると、ランスロットは目を細めて顔を上げる様促した。
「うーん・・・確かにパーシヴァルは連日の討伐で疲れているかもしれないが、かといって君が控えめでいる必要はないんじゃないか?君の事だから気遣っているんだろうが、パーシヴァルは君には甘いからな、寧ろ少しぐらい構ってやってもいいんじゃないか?」
「そう、なのでしょうか・・・?でも構いすぎて鬱陶しがられてでもしまったら、パーシヴァル様には迷惑になりますし・・・」
「俺だったら嬉しいけどなぁ、疲れてる時に好きな子から構ってもらえたら」
「なっ!ラ、ランスロットさん!」
少しからかえば頬を染めるナマエの何と純粋で可愛らしい事か。きっとパーシヴァルは彼女のこんなところも当然のように愛しく感じているのだろう。こんな健気で愛らしい女性に愛されていてパーシヴァルも幸せ者だな、と微笑ましく思うと、ランスロットの心がほんの少し暖まった。
「そうだ、アイツが疲れている時に俺がたまにやっていた事があるんだが、何だと思う?」
「んー・・・?何でしょう?」
「それはな、」





「あの、本当にいいんでしょうか、怒らせてしまうのはいけないと思うのですが・・・」
「ああ、確実に怒られるだろうな」
涼しい顔をしてランスロットは言い放つが、ナマエの眉は不安で少し下がっていた。それもその筈だ、今まさに彼等は怒られるために、と言えば語弊があるが、パーシヴァルの帰りを物陰に潜んで待っているのだから。
「俺はよくパーシヴァルにやっては追い回されていたぞ、膝かっくん」
「そ、そんな恐ろしい事を・・・!」
その目的は至ってシンプルだった。そう、彼等がやらんとしている事は、疲労のパーシヴァルにイタズラをするという綱渡りのような所業であった。
純粋で真面目なナマエにとって、主君にそのような行為をするなど到底考えられないという事などランスロットは理解していて敢えてイタズラを持ち掛けたのは、単にパーシヴァルを刺激したいからではない。いや、ランスロット個人で言えばきっと久々にイタズラでもしてやりたいところなのだろうが、普段やらない真面目な己の従者にイタズラをされたパーシヴァルの反応が見たい、というやんちゃな側面が滲み出る中、普段と違う事で連日の疲労に刺激を与えてやれば何時もの彼に戻るのではないか、とふと思いついたからであった。それを提案した時のナマエの驚き震える姿があまりにも新鮮で、それだけでも十分にランスロットは楽しんでいたのだが。
「仮に怒られるとしても君の事だからアイツも怒鳴ったりはしないだろうな。というか本気で怒るかすら怪しい」
「何をおっしゃるのですか!私に甘いだなんて、そんな事はありませんから!」
「いやぁ甘いって。っておっと、噂をすれば来たぞ」
先程から生き生きとしたランスロットに得体の知れない恐怖を覚えて震えるナマエににやけが止まらなかった。絞っていた声を更に潜め、遠くからこちらに向かってくるパーシヴァルを捉える。その足取りは重く、遠くからでも疲労に染まった顔色が伺えると、ナマエは今からやらんとしている所業に尻込みをしそうになった。
「大丈夫だ、ほら昼に見せたようにやるんだ。こういう時は思い切りが大事だぞ」
「うっ、腹を括らねばなりませんね・・・ああ神よ、今ナマエは主君への冒涜を犯します」
「いや、大袈裟すぎるだろ」
緊張と不安で神に祈り始めるナマエを宥めている間にターゲットは少しずつ歩みを進めている。このままでは企みが成就しないと感じたランスロットは無理も辞さずと意を決してタイミングを待った。
「ほら、そろそろ来るぞ」
「あう、申し訳ありませんパーシヴァル様・・・」
まだ彼女の足は少し竦んでいた。勇気よりも申し訳なさが勝るあたり、本当に彼女は生真面目でパーシヴァル想いだった。しかしここまで来ると後戻りは出来ない。そうしている間に、彼等が潜んでいる物陰の横をパーシヴァルが過ったが、反応が鈍っているのかこちらには気付いていなかった。
まずい。このままではパーシヴァルが去ってしまう。そう感じたランスロットは、ナマエの背中を押した。
「ほら今だ!」
「ひゃあっ!」
「なっ」
突然背中を襲った衝撃に反応出来ず、大きな声で叫んでしまう。あまりにも強いその力でバランスを崩したナマエの身体は膝かっくんをする事なく、パーシヴァルの背中に埋まるように強く突っかかり埋もれてしまい、その衝撃でパーシヴァルも少しよろめいてしまった。
これは、マズイ。ランスロットはイタズラの失敗と己の力加減に頭を抱えた。
「な、んだこれは」
「は、わ、も、申し訳ありませんパーシヴァル様!申し訳ありませんあのこれは、これは、ち、違うんですいや違うのではないですえっとその、す、すみません!」
「ナマエ・・・お前・・・!」
パーシヴァルの背中に意図せずもたれてしまって固まっていたナマエは、苛立ちを強く滲ませたパーシヴァルの一段と低い声に肩をびくりと震わせて慌てて離れて体勢を整え取り乱した。己のしてしまった事に強い後悔を覚え必死に頭を下げる様子に振り向いたパーシヴァルは驚きほんの少しだけ口を噤んで視線を上げると、そろりと逃げ出そうとするランスロットを捉える。目が合ったランスロットはげっ、と気まずそうに吐き出し固まってしまった。
ああ、今全てが繋がった。そう悟るとパーシヴァルの瞳には怒りが灯った。しかし自分の目の前には己の非礼を詫びる愛しい女がいる。パーシヴァルはその怒りの炎を珍しく少し鎮め、しかし絶やさないようにランスロットに言い放った。
「ランスロット、明日の朝に話がある」
「えっ」
「行くぞナマエ」
予想外のパーシヴァルの反応に更に驚いたランスロットを他所に、頭を垂れ続けるナマエの手を強く引き、自室に向かって歩き出す。有無を言わせず静かに、しかし力強く手首を引かれたナマエは状況が飲み込めず、ただ黙ってその手が引かれるまま歩いた。





扉を静かに閉めると、初めて強く握られた手首が解放される。戸惑うナマエを一瞥し鎧を少しずつ解きながら、パーシヴァルは今まで噤んでいた口を静かに開いた。
「ランスロットにでも吹き込まれたか」
「ひゃっ、あ、あの、そうです。ですが誘いに乗ってしまった私が悪いのです」
肩を落とし声が窄んでいくナマエの細い声を聞きながら、パーシヴァルは籠手を外し終えると改めて小さく背を丸めたナマエと向かい合う。
「フン、くだらん。悪戯など奴しかありえん。何故だ。隠さず言ってみろ」
びくり、と小さな肩が跳ねる。ナマエは俯かせた顔を更に垂れさせたが、直ぐにその顔を上げて恐る恐る口を開いた。
「今日の昼、ランスロットさんが突然言い出したのです。パーシヴァル様と私は最近上手くやれてるのか、と」
その言葉にパーシヴァルは僅かに目を丸くした。時折自分にはからかうように、また見守るようにつつきはするものの何故奴が突然彼女にそんな事を投げかけるのか理解出来ず、ナマエの言葉を静かに待つしかなかった。
「ここ連日パーシヴァル様が出撃なさっているので、もしかするとあまり二人で過ごせていないのでは、と心配されてしまって。私は、パーシヴァル様はお疲れなのですから、なるべく無駄に付き纏わないようにと少し控えめにしているとお伝えしたのです」
真っ直ぐと真摯に自分を見つめるナマエに疑う余地はなく、包み隠さずに全てを伝えんとしている事を理解する。それと同時にかなりの心配を掛けているにも関わらず彼女が相も変わらず慎ましくしていた事に、パーシヴァルは少し眉を顰めた。
「そうしたらランスロットさんが、パーシヴァル様に悪戯をされてみてはどうかと、誘われまして・・・。あの、断る強き意志を持てなかった私のせいなのです。どうか、どうかランスロットさんをあまり責めないでください」
殆どランスロットのせいだというのに、優しいナマエは奴の事を庇う。全く彼女らしいといえばそうだが、ナマエからの頼みであろうともナマエにこのような事を吹き込んだ事実をそう簡単にパーシヴァルが許すはずもない。誠実であろうとするナマエへの怒りが殆ど湧かない事に自分で自分に呆れてしまう程、自分は彼女に相当惚れ込んでいるらしい。
「それは出来ん。お前にくだらん事を教え込んだ奴を一度叱らねばなるまい。いいかナマエ、先程何をしようとしたかはもう追求せんが、今後決して悪戯など仕掛けてくれるな」
「はい、申し訳ありませんでした・・・」
「ふ、そう肩を落としすぎるな」
悪戯の内容は明日ランスロットに聞き出すととして、パーシヴァルは肩を落とすナマエの頭をそっとひと撫でする。少し顔を赤らめはにかむナマエに見える愛らしさに、パーシヴァルの口元が僅かに緩んだ。
「あの、お咎めなしはいけないと思うんです。えっと、その、何か罰をくださいませんか?あっ、私の我儘でしたね、申し訳ありませんっ!」
全く何処までも真面目すぎる。零れそうになるその言葉を喉の奥に押し戻しながらパーシヴァルは思案した。きっと何もしないとなると引き下がらないだろう。そうしている間に忘れかけていた疲労が身体に重くのしかかり、瞼が休息を促してくる。ならば、ナマエに要求する事はひとつ。
「ならば俺からの要求はただひとつ。俺が眠るまで・・・いや、今夜は俺の隣で眠れ」
「へっ」
「どうした?お前の望んだ罰・・・いや、お前の我儘に俺も同じく返しただけだ。構わんだろう?」
突然の、優しすぎる要求にナマエは拍子抜けた声を上げる。少し間を置いて赤くなる頬を両手で覆う彼女の姿に今どれだけ癒されているか、きっと彼女は知る由もない。そんなナマエにパーシヴァルが罰など下せるわけもなく、それに彼女が恋しくなっていなかったといえば嘘になる。毎晩声を掛けてくれてはいたが、気遣われ遠慮されていたとなれば寂しさを覚えるばかりで、精神的な疲れなど一向に回復する兆しもなかったのだ。そのきっかけを曲がりなりにも与えてくれたランスロットが憎いが、その気遣いに感謝し言葉をまた喉の奥に押し返し、頬に添えられた手に自らの手をそっと添え、少し近付けた口元に弧を描く。
「返事は?」
「!は、はい!お供させていただきます!」
「フ、いい返事だ」
綻ぶ花のような笑顔を見せるナマエの額にそっと唇を落とす。そういえばシャワーすらまだだった事を思い出し、衣装棚から寝間着を取り出してナマエの背中を押した。
「お前も就寝の支度を整えてくるといい。終わったら直ぐに戻って来い。待っているぞ」
「はい!では失礼いたします!」





「パーシヴァル様」
「どうした、眠れないのか」
「違うのです。寧ろ、貴方の優しい温もりに包まれればどんな時でも安心できます。そうではなくて、その」
「何だ、言ってみろ」
僅かに身動ぐナマエの髪に手を伸ばし梳いてやる。糸のように柔らかく落ちる髪を撫でれば、ナマエは目を細めふやけた顔を見せた。
「パーシヴァル様の優しさが嬉しいのです。これからは貴方の疲れを癒すお力になれるように頑張りますね」
「フ、期待しているぞ、ナマエ」
微睡みに身を沈めるナマエにそっとおやすみ、と囁くと、小さくおやすみなさい、という言葉とともに幸せを浮かべた。パーシヴァルがそっとナマエを引き寄せると身体を全て委ね、優しい温もりと共に夢の中に沈んでいった。
小さな身体をそっと抱きしめた。優しい匂いを感じながら、パーシヴァルは微睡みの中に消えていった。