※救国より少し前



「全く、死にたがりなのは相変わらずだこと。」
女はそう冷ややかに突き刺す眼差しを男に向けながら、慣れた手つきで男の腰に包帯を巻いていく。ガーゼから滲む血が小さな染みになった事を確認し、女は深く溜息をついた。
「なに、こうしてまたお前の所に帰ってくるだろう」
「帰巣本能だけはしっかりするようになったのは褒めて差し上げます」
「ふ、相変わらずの厳しい言葉だな。むしろ心地いいぐらいだが」
「気味の悪い無駄口を叩くぐらいには回復したようで」
「やはりお前の治療が最も治りが早い。流石だな、補佐官殿」
男は茶色の髪を揺らし穏やかに女に言葉をかけるも、女はそれを冷ややかにあしらう。ガーゼを宛てた部分に再生魔術を緩やかにかけるのを確認した後、男は着衣を程々に正しふ、と満足げに笑った。
女は思う。何故この男は毎度己の強さと引き際を分かっていながらもこうして偶に負傷を酷くしては必ず自分を呼ぶのかと。私は魔術師であれど回復術師ではなくむしろ黒魔術の研究者だというのに、他の回復術師には程々に、必ず後にいつ何処に自分がいようとも傷の後処理を「させるのだ」。治癒が嫌なわけではないが、その理由が信頼されているから、という可愛い話ではないのは明白で、呼びつけられる度にこの男から香る死の匂いをこう毎度も擦り付けられていられれば、命に別状はなくても冷静さを欠いてしまいそうになる。
以前男がこう言い放った事がある。「俺がもし死のうものなら、最後にこの瞳に映すのはお前がいい」と。大抵の女ならば「そんな事を言うな」だとか「死ぬ時は一緒だ」とか「後を追う」などと可愛げのある事を言うのだろうが、女は生憎そういった可愛さとは無縁だった。沈着冷静だけではなく更には若さだって失われていく年齢でもある。あと7年程若ければ可愛げのある言葉を向けるのだろうかと言われればそうでもないが、それに研究者として、宮廷魔術師として、黒竜騎士団補佐官としてのプライドだって許さなかった。ああ、自分に可愛げがあればこの男も考えを改めるのかと昔は何度も悩んだが、何年経っても男が変わる気配がなく女も匙を投げてしまっていた。



「なあナマエ」
一呼吸置いて男が口を開く。深い瞳が女を捉えると、女はそれに吸い込まれそうな感覚に陥りそうになる。ああ、これは碌な事を言わない時の声だ。長年連れ添ってきた女には、嫌という程判ってしまうのだ。
「もし俺に何かあっても、お前は俺に着いてきてくれるか」
低く掠れた声。見透かすような目。女の鼓膜を支配し、瞳を奪い退路を巧みに断つ。馬鹿な女はこの言葉を"そのまま"受け取るのだろうが、この女には"そういう"解釈が不可能だった。長くこの男を見てきただけではなく、この女はひどく聡明であった。ああ、自分が馬鹿だったらよかった、なんて思わない。それ故に、言葉が見つからないのだ。女は男がこういった人間だというのを十分に理解している。しかしこの男はそれすらも十分に理解した上で女に言い放つのだ。本当にタチの悪い男、と心の中で悪態をついているのも、この男は"知っている"のだ。
「その時は貴方が迎えに来てちょうだい、ジークフリート」
「ああ、約束しよう」
本当は迎えに来てくれないくせに。そう嘆いたところでジークフリートには届かないのもナマエは分かっている。優しいようで、残酷なのだ、この男は。
唇が触れる。まるで約束かのように、誓いだというように、ゆっくりと口付けは交わされた。死の匂いを漂わせながら矛盾に塗れた誓約を、ナマエの身体の奥にひとつずつゆっくりと植え付けていく。植え付けられる度に熱を持つ自分を嘲笑いながら、今はその種が実を結ばぬようせめても祈りつつただその誓約を受け入れるしか道がないというのも実に酷い話だ。
近いうちに裏切り者としてジークフリートが追われ、その誓約が歪な呪いの大輪を咲かせるのだとしても、彼女はただその歪な約束のために待ち続けるのだろう。たとえこの花に蝕まれても、それでも女は言うのだ。



「馬鹿な人。」