澄み渡る空を今日も艇は往く。風を切る翼の音は心地良く、軽快に進むグランサイファーはまるで鼻歌を歌うご機嫌な子供のようだった。
子供、といえば今日はこどもの日だ。グランサイファーと共に歩む団員の中にはうら若き者も多く、食堂や甲板、広間などに子供たちが集まり、大人達に見守られながらそれぞれ作業をしていた。菓子を作ったり、魚に見立てた大きな布を彩ったりと各々の希望をもとに準備する彼らの顔はこの空のように晴れやかだった。
彼らの様子を見守るように、グランとルリアは艇内を歩いていた。途中数多の手に引かれ作業を手伝ってきたが、子供達の無邪気な笑顔を見ればあれやこれやと手を貸すエネルギーなどすぐに補充された。若き希望を抱く彼らが健やかに成長しますように、という願いが成就すればいいね、と二人で笑い合っていた。
「そういえばルリア、柏餅の事が気になってない?」
「はっ!はわわ!そ、そんな事ないですよう!」
そういえば、と食堂で柏餅作りを手伝った時、ルリアが目を輝かせて鼻歌まで歌っていたのをグランはふと思い出した。作っている途中で他の手伝いに呼ばれて後ろ髪を引かれながらその場を離れたのか、その後の会話でもしきりに名残惜しくその話をしていたか。
「ずっと僕に付きっきりじゃなくても大丈夫だよ。ビィだって鯉のぼり作りから帰って来ないし、僕ももうそろそろ倉庫の確認とかしようと思って」
「私もまだ手伝いますよっ!」
「そうだなぁ、もうそろそろまたお餅が蒸し上がる頃だと思うけど?」
「もう!グラン〜!」
図星だと顔を赤くしてもなお手伝うと小さく意地を張る小さな背中を軽く押すようにグランは意地悪く笑った。柏餅の誘惑と彼の手伝いとの天秤はじわりと柏餅に傾いていたが、気にしないで、という一言でとどめを刺したかのように柏餅に大きく傾いてしまい、ルリアは観念したように、しかし彼の表情を窺うように眉を上げながらグランの顔を覗き込んだ。
「じゃあ私は柏餅の様子を見てきます!それと、ナマエさんに会いたいなら素直に言ってくれてもいいんですよ?」
「えっ」
突然出た名前に拍子抜けした声を上げたグランにしてやったり、とルリアにしては悪戯っぽい笑みを浮かべた。グランの返しを待たずに言い逃げするように軽やかな足取りで踵を返したルリアに慌てて口を開こうとするが、そのほんの一瞬の間にルリアはもう十歩以上先を進んでしまっており、伸ばした手は宙を掴む。我に返ってルリアに気を遣ったつもりが逆に気を遣わせてしまった事、そしてそういえば早朝以来顔を見ないナマエーーー幼馴染の姿を無意識に探していたのだろう自分が恥ずかしくなり、頬どころか顔が紅潮するのを抑えられなかった。
「っ!ルリア!」
「えへへ、グランがナマエさんの事を探してたのなんてお見通しです!」
少しだけ振り返ったルリアが花のような笑顔を向けた。まるで追撃するように図星を完全に突かれてしまったグランの赤くなった顔を元気付けながら、またすぐに軽くステップを踏んでいく。見つかるといいですね、なんて元気よく言われてしまいいよいよ完敗だ、と小さく呟き、熱が灯った頬を掌で包み込んだ。




ナマエと言われた女性とは艇での業務を共有している関係上、毎日頻繁に顔を合わせているのだが、今日に限って艇内を見回っていても早朝以降その姿を見ないのは珍しい。世話好きの彼女の事だ、自分と同じく数多の手に引かれててっきり手伝いに奔走していると思ったが、タイミングが悪いのかどうやら今まですれ違いが起こっていたらしい。
「それにしても何処にいるんだろう」
忙しいのだろう、昼食もグラン達が離席して暫くしてから食堂に現れたらしく、何時もより手早く済ませていたとローアイン達が言っていた。団員達から密かに足取りを聞いていたな、と今までの情報を整理すると未だ立ち入っていないであろう区画が一箇所だけ浮上し、ああ、と納得したようにグランは小さく笑った。
「今日は時間がずれても可笑しくない、か」
忙しく飛び回る彼女にアフタヌーンティーのお誘いでもしようか。今日は一段と頑張ってくれている彼女を癒すために迎えに行こう。グランの足取りは段々軽くなり、彼女がいるであろう場所へ歩みを進めた。
人気のなくなってきた廊下を歩いているとグランサイファーの奥に開け放たれている扉があった。予想通り、物資倉庫だ。団員の足取りから推測しても倉庫の方角へ向かったような形跡がなく、今は鯉のぼりを中心に素材や道具が沢山運ばれていったその後の片付けをしているのだろうと思っていたが、近づくに連れ小さな物音と灯りが確認出来、推測が確信となる、静かにその中を覗くと、そこには戸棚の一角を見つめながら紙にペンを走らせているナマエの姿があった。
「やっぱりここだったんだ」
「グラン!どうしたの?」
「今朝以降ナマエの姿を見てないから探してたんだ。色々と伝えたい事もあったし」
背後から声を掛けられ、ナマエは真剣な眼差しを崩し声の主に笑いかけた。どうやら自分を探していたとの事だが、そういえば早朝以来顔を見ていなかった。グランも今日の一大イベントに右往左往と走り回っていたようで、無理に探して引き止めるのも酷だと思い他の手伝いに回っていた。
「そういえばそうだね。ちょうど良い所に来てくれたね。はいこれ、買い物リスト」
「ありがとう、いつも助かるよ」
「今日は物入りだもん、ようやく在庫のチェックをする時間が取れたから見てたけど次も沢山買い込む必要があるね」
「まあね、子供の日だから仕方ないよ」
渡されたリストに軽く目を通してから小さく折り畳んでポケットに入れる。揃って伸びをして、お互いクスリと笑い合った。
「子供の日かぁ、ま、私からすれば君もまだちょっと子供だけど」
「ナマエ」
未だに子供扱いをしてくるナマエにグランは眉を寄せた。確かにまだ15と世間一般では子供だが、かつての自分を知る彼女にはより一層自分が成長したと解ってもらえているはずだと思う反面、それでもまだ垢抜けはすれど年下の可愛い子供とも捉えられてしまうのだろう。好いている相手には少しでも大人に見てもらいたい、と思うのは少年にとって当然の事で、相手が年上ならば尚更だ。早く大きくなってその揶揄う口を塞いでやりたい、なんて何度思った事か。
「ごめんごめん、そんな拗ねないでよ。拗ねてる顔も可愛いぞ?」
「拗ねてないし可愛くもない」
「そんな事言っても口がへの字になってて説得力ないもん」
「ナマエ!」
やはり今すぐにでも口を塞いでやりたかったが、少し声を挙げれば「ごめん、からかっちゃった」と肩を竦めて謝罪が返ってきたので良しとする。こうなればもう暫くは揶揄って来ないだろうと察すると小さな怒りは治ったが、子供だと彼女にだけ言われるのは当分やめて欲しい。そうでないとまだ彼女の横に並び立てないのだ、と抱いた僅かな焦燥感が肥大してしまうから。
「僕はまだ確かに子供かもしれないけど、自分で言ってしまうのも変かもしれないけど成長だってしてる。身も心も。それはナマエが一番理解してくれてるっていうのは、僕の思い込みだったのかな」
いざ言葉にしてしまうと少し切なくなるものだ。僅かに歪んだグランの顔を見て、滅多に弱音を吐かない彼をここまで思わせた自分に気付きナマエは唇を少し噛んだ。確かに彼は若いながら大人数を率いているし、幼い頃と比べ物にならない程成長し強くなっているのだ。だが以前彼が塞ぎ込んでしまった時に改めて思い知らされてしまったのだ。彼は気を張り過ぎている。居なくなった親を必死に探し苦悩する子供に変わりはないのだ、と。
「ごめんね。そういうつもりじゃなかったんだ。確かにグランは立派に成長したし今も成長し続けてる。戦いの腕についてはよく分からないけど、少なくとも沢山の困難に立ち向かいながらも仲間を増やして信頼されている君の姿を見てると、ああ、もうあの時みたいに小さな世界で剣の鍛錬をして私の後ろをよく着いてきたあの頃の君じゃないんだって思うよ」
「ナマエ・・・」
「でもね!忘れないで。君はお父さんを求めて必死に探して悲しむ子供なんだよ。垢抜けはしてるけど、やっぱりグラン、君はまだ私達に子供のように甘えてもいい年なの。背伸びしたい気持ちだって分かるよ。私が大人だから、少しでも自分も大人っぽくなりたい、って。私だってきっとグランが大人で私が子供だったら、ムキになると思う」
全部お見通しだった。今まで抱えた焦燥感も、大人っぽく見られたいという承認欲求も、苦悩さえ、何となくでもナマエには見透かされていた。敢えてそれを今まで口にしなかったのはきっと、グランのほんの細やかなプライドを傷つけないように配慮していた。そこまで見抜けなかった自分が少し情けなくなって、今まで黙っていてくれたナマエが愛しくなって、グランは咄嗟にナマエを腕の中に引き寄せていた。
「グラン」
「こっちこそごめん、ナマエ。君はちゃんと僕を見てくれてた。見てくれない筈はないのに、いつからこう思ってしまったんだろうね、僕は」
こちらを見上げてくる視線がかち合い切なさと安堵の混じった表情を向けると、ナマエは目を細めてゆるりと口許に弧を描いた。グランは彼女のこの表情が好きだ。昔から変わらない、彼をあやす時には決まって優しく語りかけながらこの顔をする。15になった今でもこの顔には弱く、向けられてしまうと全てを委ねて甘えてしまうのだ。あやされてしまうなんてまだ子供だな、と心の中で呟くグランの顔は、いつの間にか安らかなものへと変わっていた。
「いいんだよ、もう。私もこれからは子供扱いしすぎないようにする。でもね、グラン。たまには何も気にせずに甘えてきてくれてもいいんだよ?これはからかいでも何でもなく、君は純粋な少年なんだから」
ね、と付け加えふわりと微笑むナマエに未だに勝てない。いやきっと、グランはこの顔にはこれからも勝てないだろう。優しくて、愛らしくて、それでいて全てを包んでくれるような微笑みが彼の心をくすぐった。
「うん、ありがとう。ナマエ」
「いいって事。それに今日はこどもの日だからさ、グランだって祝われる側なんだから」





「じゃあさ、ちょっとだけ我儘を言ってもいい?」
「ん、どうぞ」
「僕もそろそろ休憩したいんだ。少ししたら一緒にお茶でも飲もうよ」
グランからどんな言葉が出てくるのかと思ったが、本当に細やかな我儘というか、寧ろこれは我儘というより単なるお誘いなのではとナマエは小首を傾げた。元来より我儘を言う事が殆どなかったゆえにいつだって我儘が我儘ではなかったのだが、今のは本当に下手な我儘だった。そう思っているであろうナマエの不思議そうな顔を瞳に映しながら、グランは口角を上げて歯を見せた。
「ただし、僕以外の同席はなしで!」
「ふふ!今日に限ってはそれ、難しいんじゃないかなぁ」
「ダメ。今日はまだナマエとの時間が足りてない。その間だけでも僕が独り占めするんだから」
「なあにそれ」
突然の独り占め宣言で得意げな顔をするグランが可笑しくて、下手でも精一杯の可愛らしい我儘を言ってくる可愛いこの少年に自分もかなり弱くなってしまったな、と少し高鳴った胸に小さく語りかけた。