姉上のような方がこの空にもっといらっしゃればいいのに。
幼い頃、パーシヴァルが時折呟いていたのを思い返す。全空のどこかで起きている戦争、ウェールズ家に迫る脅威、国内で起こる惨たらしい事件などを指していたが、彼が成長すると共にそれは身近な、貴族間での醜悪な権力争いやスキャンダルなども含まれていくようになった。無論その嫉妬や憎悪は私にも向けられる。次期ウェールズ家当主であるアグロヴァルの許嫁となれば、それはどの人間よりも一層強く、鋭い刃のように私の喉元に宛てがわれた。
姉上は、兄上達と共にお守りします。
勿論その刃を、彼らが許容するわけはなく。
強い決意を誓いに変えて、パーシヴァルは跪き頭を垂れた。貴方の方が身分は上なのよ、それに私はそんな綺麗な人間じゃないわ、と何度訂正しようとも、彼の誓いはそうそう揺るがぬものだった。赤みがかった燃える瞳は私が今まで見たことのない強い光を確かに宿しており、恐縮しつつも頼もしい義弟を持ったものだと嬉しさを抱きながらその思いを受け入れた。その後顔を合わせたアグロヴァルとラモラックに話すと、パーシヴァルだけ狡いと軽い言い争いになったのを父王に窘められていたか。



アグロヴァルはその話を度々出すと、笑いながらも時折当時の弟に嫉妬する。といってもそれは瞬きの間で、その後必ず微笑み、私の頬に手を添えて額を合わせてくる。その様は私への甘えと独占欲なのだと悟ってからは、彼のその行動がたまらなく愛しくなった。
「本当に可愛い人。私がいつ貴方から逃げたのかしら」
やや挑発するようにアグロヴァルの瞳を覗き込むと、切れ目を更に細めてこちらを覗き返す。かちりと目が合うのを合図に唇が私の鼻先に触れると、その薄い唇を開いて私に囁いた。
「一度もない。我が悩める時も、いつもお前が傍にいた。思えば、その優しさに我はずっと甘えていたのかもしれぬ。いや、甘えていた。ずっと。」
美しい瞳が伏せられ、彼の視界から私がいなくなってしまった。ああ、その瞳を閉じないでほしい。私は彼に後悔を吐かせるつもりではないのに。その顔を切なさで染めないでほしいのに。
「違うの、私は貴方に後悔させる為に言ったんじゃないのよ。ねえ、その瞳を見せてちょうだい」
両頬に添えられた手にアグロヴァルは驚くと、その瞳に戸惑いを滲ませ恐る恐る私の瞳と焦点を合わせた。ああ、王とあろう者が何という顔をしているのだろうか。
「ごめんなさい。私が悪かったわ。それに私は貴方の妻なのだから、弱音だって何だって受け止める自信はあるわ。何たってもう長い付き合いだもの、他の人よりも貴方のことは分かっているつもりだし、今更何を甘える事に億劫になるの?」



そう、他の誰よりも私が貴方の傍にいた。誰よりも貴方の声を聞いた。誰よりも貴方を知っている。それはアグロヴァルとて同じで、彼が誰よりも私の事を知っている。なのに、遠慮や後悔をされてしまうのは私とて悲しいのだ。そう告げると彼は一瞬顔を歪ませた後私を更に強く抱き寄せ、少し喉を鳴らした。
「クク、そうよな。我は何を臆していたのだ。我もお前を一番知っているのだ、お前が拒絶する事などないと分かっているというのに、全く我もつくづく愚かよな」
「愚かなのは聞き捨てならないわ。ほら、何時もの貴方はどこ?」
私が一番見たいのは何時もの貴方なのに、そう言うと唇に彼のそれが静かに何度か触れた後、彼の口端は吊り上がるのだ。



「我はここにいるぞ、我が愛しき妻ナマエよ」
「ふふ、私もここにいるわ。私の愛しい旦那様」
お互いを確かめ合うように口付けを交わす。私を守る人は何人かいれど、彼を傍で守れるのは私なのだと心に深く刻み付け、彼の広い背中に腕を伸ばした。