貴方をお守り出来るのが、たまらなく幸せなのです。

あの夜俺と契を交わしたお前は、咲き誇る花のようにその美しい顔を綻ばせてこう言った。
胸を震わせて言葉を零すその唇に、喜びで細められたその瞳に、釘付けとなったのを今でも憶えている。
兄上に仕えていた頃から、むしろ出会った頃から俺はその娘の全てに心を奪われていた。玉のような肌、薄く色付いた唇、風に舞う透き通った髪、何も知らぬ無垢の瞳、柔らかく綻ぶ微笑み、たどたどしくもドレスの裾を摘む小さな手、それは俺の中の小さな世界に突如現れた美しい小鳥だった。
大袈裟と言ってしまえばそれまでだが、恐らく一目惚れ、というものなのだろう。兄上を尊敬はしていたものの、心の何処かで俺はその娘を側に置ける兄上を羨ましく見ていたのだから。
しかし幾ら俺が彼女を好いているといえど、誰よりも彼女を見ていたとしても、兄上の"もの"であれば、彼女に向けたそれが尚更「恋」によるものであれば、手を出すなど到底許されるものではない。そもそも主人と従者である時点で、この世はそれを「間違いだ」と囁くのだ。そうなれば尚更、俺の抱いた想いは「間違い」なのだ。兄上の騎士に惚れてしまうなど、断じて許されるものではないのだ。幼い俺でも、誰に教わらなくとも、それはよく承知していた。
それでも俺はこの想いを諦める事が出来なかった。なるべく誰にもこの瞳に密かに灯した恋の火を悟られないよう、ただの「兄上の弟」と「兄上の騎士」として接するようにした。一人になった時にのみ彼女を思い耽る事を自らに許し、歳を重ねる度に膨らむ想いを誰にも話す事もなく秘めていく。
思えば、いい機会だったのだろう。家督に準じて隣国の騎士団に入団した事で数々の事を学んでいれば彼女の事を考える時間は必然と減り、時間が俺を癒した。しかし父の葬儀で久々に彼女を一目見た時、俺はまたあの幼い頃に戻ったような感情が湧き上がってしまったのだ。
その瞳は無垢なものではなくなっており、騎士として強い光を宿したものとなっていた。
薄く色付いていた唇には控えめながらもグロスが美しく映え、玉肌に覆われた四肢は鍛え抜かれとも女性特有の丸みを有し、あどけない顔は凛としたものになっていた。
騎士としてだけではなく、彼女は"女"になったのだ。俺を出迎える彼女に目を奪われ、心臓が早鐘を打つ。湧き上がるものを抑え込む事がどれだけ辛いものだったか、今でも鮮烈に思い返せば胸が痛む。俺はきっとこの欲望を死ぬまで抱き続けるのだろうと思っていた。



「パーシヴァル様」
俺は理想の国を求めるただの男となった。お前はあの夜から「騎士として」俺のものになった。俺がお前に抱く感情を、お前は知らないだろう。
今俺を呼んだその声さえ俺の熱を呼び起こすには十分で、しかしそれを隔てる"もの"が俺を辛うじて守っているのだと。
「我が身は主のために」
ああ、その身が俺への忠誠の為でなければいい。その浅ましい願望も胸の奥底に沈めて、手の甲に落とされる唇を熱を帯びた目で見つめた。







お前がいてくれるのなら、俺は。

パーシヴァル様は、私を妹のように見ていらしたのかもしれないと思っていた。
出会った時の彼の顔は今でも憶えている。何故か私を見つめて些か目を見開いたように見えたのだ。
私は元はパーシヴァル様の兄君、アグロヴァル様にお仕えしていたのだが、あの戦いを境に私の主人はパーシヴァル様となった。
少し昔話をしよう。
幼い頃からアグロヴァル様に近衛騎士として仕えていた私は幼い故の未熟さのみで構成されており、時折両親に「何故未熟なままあの方にお仕えしろと言ったのですか」と詰め寄った事があった。私よりも年上の、優秀な騎士ならば幾らでもいるはずなのにどうして年端もいかない未熟な私が選ばれたのか。これから騎士として己を磨こうとする時期に突然時期当主候補である彼にお仕えするなど、両親は恐ろしい事をしたと思っていた。幾ら詰め寄ってもその理由を教えてくれなかった両親がわたしに口を開いたのは私が8歳になる頃で、「アグロヴァル様が興味をお持ちになったから」のだと知って自分から湧き上がる勘違いから起こる羞恥に膝をついたのだった。
「騎士を志す少女がいる」だなど今思えば我が国では相当珍しいもので、たとえ私がウェールズ家に代々騎士として仕える家柄のものであっても「女だから」と最初は両親に強く反対されたものだ。「騎士は男がなるもの」だとか、「女は家を守り子を育てる役割がある」などという価値観が例外なく根付いているのだから、小娘の戯言だと思われた。
しかし私は違った。誇りある騎士の家に生まれ落ちたのだから、誰かを守るのは当然だと思っていたのだ。そこに男女の隔たりはあってはならず、武で駄目なら魔法騎士でもいいじゃないかと思っていたし、両親が納得するまでひと思いに暴れてやった。
その話を同席していたアグロヴァル様は好奇心に満ちた眼差しで私の父に告げたのだという。「その少女を一目見せよ」と。アグロヴァル様こそが私の夢を叶えてくださった救世主だと思い上がったが、その結果己を磨く暇もなく未熟さを晒す結果になってしまったのだが。
無論アグロヴァル様はご自身が決めた事の責任を取るかのように自ら私に鍛錬をつけて下さった事だってあったし、粗相があろうとよくも我慢して私を鼓舞して下さったのだから、本当に彼はお優しい。私はその慈悲深い彼に少しでも恩返しをしたくて、必死に鍛錬や勉学を積んだ。
そんな私達を遠くから見つめる視線があった。パーシヴァル様だった。私と最も年が近く、また末弟であるため王族としての未熟さは些か残るところが、私と少しだけ境遇が似ているという。当時それを咀嚼出来なかった私はそんな事をおっしゃらないでくださいと慌てて返したのだが、それからは度々私の事を気にかけて下さった。
鍛錬で流した汗で貼り付く髪をそのままにしていた私に嫌がる事なく近寄っては、その手で私の薄汚れた手を取って声をかけてくださったり、主の為、兄の為と皆に隠れて二人だけで鍛錬をして切磋琢磨したり、その後に決まって二人で語り合ったりしたのだが、私に向けられる彼の眼差しは何時も柔らかく優しかったのだ。
言ってしまえば彼と私は必要以上に関わらなければそれまでの関係だっただろうに、彼がよく私を見て気遣って下さるのだから、その優しげな瞳に何時しか自然と惹かれてしまったのだろう。
その最中、彼は家督にならって隣国へ行かれてしまった。もう暫くはあの優しげな瞳を見られなくなるのだと切なくなり、ハッと我に帰った。何故私はこう感じたのかその夜悩んだが答えを導き出せないまま、城を発つパーシヴァル様が刹那に見せた物憂げな表情が脳裏に焼き付く感覚を覚えながら眠りに就いたのを憶えている。



「俺に刃を向けた事を後悔するな」
あの日私は、貴方に刃を向けました。私はウェールズ家に身を捧げた者でしたから、どうしても譲れませんでした。ですがそれと同時に胸の奥が焼かれるような辛さも抱きました。私は何という事をしているのだと。
私が槍の鋒を貴方に向けた時の顔があの物憂げな表情と同じでしたから、鋒がきっと震えたのかもしれません。本当は貴方とこんな形で戦いたくなかった。だのに、貴方はまるで私の覚悟を推し量るように「来い」とおっしゃるのです。
「あれでよかった。お前は何も悪くない」
あの戦いの後、貴方が優しく私の手を握ってくださったのを昨日の事のように思い出します。貴方はご存知でしょうか、私がその時どんな想いを抱いてしまったのかを。それが如何に許されざるものであるかを。貴方の手の甲に触れた唇に全てを隠して、私は貴方を守る騎士だと強く言い聞かせるしかない事を。
ああ、どうかそのような甘く揺れる眼差しを向けないでください。それ以上踏み込まれたくないのに。私は貴方への忠誠を壊してはならないのだから。





「ああ、もしこの温かな手を取れる資格があったのなら」
「生まれる家を間違えたのだと思ってしまった私を、叱ってくれるのなら。」
私はどれだけ楽になれたのだろう。貴方の家臣である幸せだけでは満足できなくなってしまう前に、いっそ私を焼き尽くして欲しかった。
「この形が壊れるのは、そう遠くはないだろうな」
「そう思わせるぐらいに、俺はお前に狂わされている。」
臆病な王、と笑ってくれればいいものを。家臣として、と言わなければ己を保てなくなりそうで、俺は俺が恐ろしいのだ。



提出:迷宮うさぎ/形骸化した忠誠