ナマエがこれほどまでに困り果てた事があっただろうか。



団員が朝食を摂り始める時間になってもランスロットの姿が見えず不審に思って食堂を見渡しているとヴェインに呼ばれたので近寄る。ナマエが言わんとしている言葉を察したヴェインは眉を下げて笑いかけた。
「たまーにあるんだよなぁ、朝の鍛錬もせずに寝てる日」
放っておいたら昼ぐらいまで寝てるんだよ、というヴェインの言葉にナマエは思わず耳を疑った。少なくとも自分がランスロットの面倒を見始めてからは毎朝彼に顔を見せ、たとえ鍛錬もせずに寝ていても直ぐに起こしていたので放っておくという選択肢がなかった所為でもあるが、グランサイファーに身を置いている間はお互いの行動を把握するのは容易いことで、毎朝部屋を訪れる事をしなくなっていた。てっきり今日も鍛錬をしているものだと思っていたのが大穴だったらしい。あの鍛錬馬鹿にそういう面もあるのかと感心しそうになったが、今はそれどころではない。
「じゃあまだ部屋で寝こけてるのかしら」
「だろうな。このままじゃ飯食いっぱぐれるけど俺今手が離せないし」
な?とウインクを投げられてしまう。まあ、以前は毎朝していた事だし、という意味を含めて溜息を返事とした。ナマエがランスロットの世話をおはようからおやすみまでする事になってからはヴェインがサポートしきれない部分は彼女に頼っており、その流れでさも当然かのように任されてしまった。
「2人分の飯はもう確保してあるぜ。よろしく!」
背中に投げられた言葉に眉を潜めながら、ナマエは足早に食堂を去った。
さて、ねぼすけマスターを起こしに行かねば。




なんてやり取りをしたのはつい30分前だったか。それだけの時間、身動きが取れないまま無駄に時間は過ぎ去っていく。ナマエは焦っていた。ヴェインはまだか。
それもそのはずだ、今彼女は安らかに眠っているランスロットの腕の中に無理矢理抱かれているのだから。
「ありえないわ・・・」
ちらりと時計を見遣り溜息をつく。自身の上腹部にしっかりと回されたランスロットの腕を取り払えないまま、背中に彼の心臓の鼓動を感じ続けている。首筋にはランスロットのふわりとした癖毛と共に顔が埋められ、寝息が耳にかかって時折くすぐったさに身が震えた。更にはご丁寧に脚もランスロットの片脚に被せられ、完全に動きを封じられている。振り払おうにもびくともせず、寝ぼけているのにナマエを離すまいとする力は強く緩まる気配もないと分かると、ナマエの眉間にまたひとつ皺が刻まれた。
「どうすればいいのよ、これ・・・」
こんな状況でも密着されて自身の鼓動がいつもより少し早まっている事に嫌気が差す。
世の乙女ならばこの美男子に「こういう事」をされればときめくものだろう。純粋にときめかなくとも触れる彼の体温や鼓動、寝息に少なくとも心を乱される自分も随分と丸くなったのだな、と感じざるを得なかったが、そんな思考を振り払い声を掛ける。



「ランスロット、起きなさい」
「ん・・・」
「もう朝の鍛錬の時間は終わったわよ」
「ん〜」
先程から起こそうと話しかけても寝ぼけた唸りが帰ってくるのみで全く進展がない。どうやら余程深い眠りに落ちているようで、しかし大声で刺激してしまっては偲びない。以前は声を張り上げていたが、全く自分はどこまでこの男に絆されたのか、今になってそれを申し訳なく思う気持ちが自己の中に存在するようになるのを感じた。
気持ちよく眠るその安らかであどけない寝顔を崩す手段はなるべく穏便でありたい。今日は依頼もなく実質休日なのだ、今捕まってさえいなければそのまましばらく寝顔でも眺めていられたのだが。捕まってさえいなければ。
「今日はヴェインが朝食当番なのだけれど?」
「あとちょっと・・・」
「ベタなセリフ吐いてないで起きてったら」
もぞり。深い眠りから覚める事に未練があるかのようにランスロットはナマエの身体を更に強く引き寄せた。しかしその力はナマエのか細い身体には辛く、腕が回された上腹部に骨ばった腕がきつく絡むとなると圧迫感が強まり、思わず息が詰まった。それに何故か抱き寄せた反動なのかランスロットの片腕がせり上がり胸の下部あたりを大きな手が覆う。無意識に取るこの行動にナマエの肩がびく、と跳ね、覆われた胸が大きく熱を持つ。まだ揉まれていないだけマシ、なんて暗示をかけないと平静を保てないぐらいには、二人はあまりにも密着しすぎている。
「も、起きてるなら、本気で怒るわよ、!」
「ん・・・ふふ」
狸寝入りなら本気で叱ってやると思い確認するも今度は幸せそうな声が帰ってくるだけで、今度こそ本当に未だに眠っているらしい。怒る気が一気に失せてしまい肩の力が抜けるが、自分の鼓動が早まるだけで溜息をつく気にもなれない。どうせ眠っているのだろう、この時間も無駄に過ぎていくのだ。そう諦めがつくと、ナマエの口からは自然と言葉が漏れていた。



「あのねランスロット、貴方が毎日頑張っているのは知っているわ。昨日は疲れが溜まってしまったからこうやって深く眠っているのね。でもね、いつまでも貴方の顔を見る事が出来ないのはちょっと嫌よ。今日は私も貴方も予定がないけれど、こうやって眠っているだけだと勿体無いわ」
ナマエの言葉に首筋に触れていた髪がふわり、と動くと同時に絡まっていた腕の力が僅かに緩んだ。抜け出せないのであればせめてランスロットの顔を見ながら優しく起こしてやろうと思い、静かに自らの身体を翻し彼と向き合うようにそっと寄り添って顔を上げると、そこには端正な顔をあどけなく崩して目を伏せるランスロットがいて思わず口元が緩む。安らかな寝顔をもっと見ていたかったがそろそろかなり時間が経つのだ、深い眠りから醒めさせなければ。
「ねえ、今日は何も考えずに貴方と出掛けたくなってきたわ。街だって平原だってどこだっていい。たまには二人でゆっくり穏やかに過ごしたいのは、我が儘かしら」
国にいた頃は満足に休む事もままならなかったが、国を離れた今ならばきっと許されるはずだ。ランスロットと一緒にこうやってしがらみに囚われずに過ごす日々は新鮮で、今まで碌に出来なかった事だって数え切れない。周りを気にせずに笑い合えるこの時間と彼の見せた心の底からの穏やかな笑みに、ナマエの心も穏やかになっていくのを感じている。愛しいこの笑顔をずっと見ていたい、そう思うようになってから、自分の中でもっとランスロットの隣にいたいだけでなく、「二人で」過ごしたいという細やかな欲が芽生えていた。
「ね、だから起きてちょうだい。そして、貴方の穏やかな顔を見せて」
ランスロットの鼻先にそっと唇を寄せると、ランスロットは顔をくしゃりと歪めて睫毛を震わせた。そのまま優しく頬を撫でてやると、長く伏せられていた瞼は僅かに瞬きぼんやりとナマエをその深く蒼い瞳に捉えると、ランスロットは重みを覚えた目をゆっくりと細めてくしゃりと笑った。



「おはよう、私のかわいいねぼすけさん」
「ん、おはよう、ナマエ」
可憐な姫の口づけでようやく眠りから醒めた美しい王子は、微睡みを抱えて幸せそうに笑う。
緩やかに目覚めるその顔が好きだ。貴方が笑うと私も幸せになるのだから。
たまらなく愛しいその微笑みに、ナマエは静かに彼の頬にキスを落とした。
さあ、今日はどこに行こうか。ナマエの心は自然と浮き足立っていた。