02 可憐な君みたいで


今日は久方ぶりの休日だからとてっきり鍛錬に励むかと思えば突如単身城下町に飛び出して行ったランスロットの背を見送る。同じく今日は仕事がなく、かといって急に出掛けて行った彼の後を追う気もなく、やる事も特に思いつかなかったナマエは中庭でただ柔らかく降り注ぐ日差しを浴びていた。
自分の担っている仕事の関係上常に右往左往と飛び回る彼女にとって毎日は慌ただしく、こういった何もやる事がない日というのは珍しい。ランスロットは不在、ヴェインは執務、かといって王宮を飛び回るとヴェインに見つかり「休みの日まで見回りしない」と摘み出されるとなると、ランスロットの部屋の整理整頓はおろかヴェインに何か教わる事も出来ず困り果ててしまう。
ただ何も考えず瞑想でもしようと思っていたのだが、日差しが程よく暖かいせいで不自然に瞼が落ちてきているのを感じる。その重みに逆らう事が出来ず、ナマエの瞳は静かに閉じられてしまった。



どれぐらいの時が経っただろうか。ただ何も考えず日差しを浴びるだけで意識を飛ばし浅い眠りにつくなんていつ振りか分からない。偵察や諜報を担う自分がこれでいいのかと思うところはあるが、そんな事よりもこうしていてもこの場所が平和である事、そして頭が冴えた事の方が今は大切に感じた。この場所が平和である事は国に大事がない証拠であるし、その為に騎士団の面々が日夜奮闘しこの平和を守っているのだ。その努力が今実をつけている事がただただ喜ばしく微笑ましい。
そんな事を思いつつ背筋を伸ばし小さく欠伸をしていると、こちらに近づく足音がひとつ聞こえる。軽く目をさすり深呼吸をひとつ。聞き慣れた足音のリズムがする方向に目をやると、予想通りの人物がこちらに足早にやってきていた。
「マスター、おかえりなさい」
「あ、ああ。ただいま。急に飛び出してしまって驚かせただろうか」
「ふふ、少しね」
「そうか、ごめん。ちょっと用事でさ」
ナマエは人の機微に敏感だ。先程のやり取りのみでランスロットが少しだけ言葉を詰まらせかけた事を感じ取っており、それだけではなく片方の腕を不自然に後方にやっているのもそれを裏付ける証拠としては彼女にとって不足はなかった。きっとかつての職で自然と養われていったのだろう、彼女には今のランスロットがほんの僅かに動揺しているように見えるのだ。先程後ろにやった手に何を持っていたのかさえ分かる。
そうしている間に無意識に疑うような視線を向けていたのかランスロットの目が逸らされる。さて、ナマエに隠していなければいけない用事だったのだろうか。
「ねえ、そんなに動揺しないでほしいのだけど」
「えっ?あっ、ああ、やっぱりバレたか・・・」
「私にとってまずいことかしら」
「いや、別にそうではなくてだな」
ついに顔まで逸らされてしまっては説得力すら失われてしまうのに、ランスロットは気恥ずかしそうに少し顔を赤らめナマエを見ようとはしない。歯切れの悪いランスロットに益々不審感を募らせてしまいそうだ。
「じゃあ何故私を見ないのかしら。もしかしてその後ろにやった紙袋の中に何か秘密でも?」
「うっ」
「あのね、私の目を欺けるとでも思ったのかしら。そもそも私に見られたくないなら何故私の元に来たの?」
「そっそれは」
「それは?」
ナマエの追求にとうとう狼狽えてしまったあたり図星らしい。ランスロットの顔には更に熱が集まり少し俯いてしまった。それでも口を開こうと己を奮い立たせ、まるで決意を固めたように勢いよく上げた顔の、その瞳には強い意志が宿ったように見えた。
「これを君に贈りたかったんだ」
真剣な眼差しと声に吸い込まれそうになる。しかし自らの目の前に差し出されたのは紙袋ではなく、リンドウの花束だった。突然の花束の贈り物に戸惑いながらも受け取るナマエの表情は喜びで柔らかく綻んでおり、ランスロットは安堵しその微笑みに胸を躍らせた。穏やかに微笑む彼女は、可憐で美しい。
リンドウは秋に野山に自生する花だ。群生はせず、青みがかった紫が美しい。ランスロットは過去に何度か自生するリンドウを見掛けておりそう遠くない存在だったようだ。
「リンドウね、嬉しいわ。でもどうして?」
「街で見かけてな、珍しいと思ったんだ。普段は野山に自生しているのに。聞いたら今頃が時期らしくて、それに、リンドウを見たら、君を一番に思い浮かべた、なんて直感的な理由なんだけどな」
「そうなの?ふふ、いいわ、素敵よ。それでこれをくれたのね」
「ああ、喜んでくれて俺も嬉しいよ。君に似合うと思って。ほら」
ふとランスロットが花束に手を伸ばすと一輪の花を摘み取りナマエの髪に挿した。大きく花開く紫の花がナマエを彩ると、ランスロットは満足そうに微笑む。
「うん、似合うな。君に渡せてよかった」
「そうかしら、鏡がないのが惜しいわね」
「後で見に行こう」
「ええ、楽しみね。ところでランスロット、リンドウの花言葉は知っているかしら」
「ああ、ヴェインに聞いたぞ。悲しんでいるあなたを愛する、だろ、固有の価値、それから愛らしい、だったかな。でも俺はそこまで気が回らなかったらしい、もしかして花言葉を気にする人だったか?君は」
「いいえ、そんな事はないわ。ただ、」
ああ、やっぱり。花言葉を気にするもしないも、それよりも自分を想ってくれたのだからナマエにはそれだけで喜びになる。だから花言葉などその気持ちの前ではあまり気にならなかったが、では彼は他の花言葉を恐らくヴェインから聞かされていないのだろう。
ナマエはリンドウこそランスロットに似合う花だと思っていた。彼女もまた、野山でリンドウを見掛けるとランスロットを思い浮かべていたのだ。それもそうだ、この花には彼にふさわしい花言葉がある。
「知らないようだから教えてあげる。私、リンドウこそ貴方にふさわしい花だと思っていたの。リンドウには別の花言葉もあるし、この青紫の色も貴方にぴったりよ。だから、そんな貴方からリンドウの贈り物なんてとても驚いたわ」
「別の花言葉?おかしいな、ヴェインからはさっきの花言葉しか聞いてなかったんだが・・・」
「そうでしょうね、だってこの国にはその花言葉しかないもの。ある人が教えてくれたのだけれど、東国では違う花言葉がつけられているの。それが貴方にぴったりなのよ。何だと思う?」
「うーん?俺にぴったり・・・?分からないな、教えてくれ」
「正義と誠実よ。ほら、貴方にこそぴったりでしょ?」
「正義と、誠実」
確かめるようにぽつりと呟くランスロットにリンドウの花束を向けると、不思議そうにリンドウを見つめまだ開ききっていない一輪に手を伸ばしそっと撫でた。
国と民のため身を捧げ奔走するランスロットに、民は彼に宿る正義の光を感じているだろう。善を信じ悪を斬り払うその双剣は、彼の誠実さを映し煌く。その清き心は国を、そして民を導く希望ともいえるだろう。そんなランスロットの在り方はナマエの心を捉えて離さない。彼こそが美しき心を持つ者であり、そんな彼のため、そして彼の愛するもののためならば、彼の隣で戦えるのだから。
リンドウはランスロットのためにある、なんて大袈裟だとは思わない。きっとその花言葉の意味を知れば皆頷くだろうし、納得出来ないのなら説得だってしてやろうと思う。
「貴方の心は綺麗なの。この国のために正義を貫き、真面目で誠実な人だからこそ皆貴方について行こうと思える。貴方みたいな人の隣に立てるなんて今でも夢みたい。素敵な人に手を差し伸べられて、救われて、でも幸せになるのが怖かった。それなのに貴方はずっと私の心に寄り添ってくれたわね。見捨てようとせずに、諦めずに」
目を細めランスロットの目を真っ直ぐに見つめた。かちりと合ったその透き通るような瞳もとても綺麗で好きだ。ずっとその美しい瞳を見つめていたいぐらい、吸い込まれてしまうのだ。
「そう、か。俺は君にそう思われてたんだな。君と出会ったあの日から、君を放っておく事が出来なかった。その、悲しそうに見えたんだ。何か訳があるかもしれないと思った。悲しい顔をしないで欲しかったんだ。暗い影を落としてしまった君に笑って欲しくて、俺も必死だった。ただそれだけだったんだが・・・嬉しいけど照れ臭いな」
「その気持ちが嬉しいのよ。貴方には感謝しているのだから」
「そっか、ならよかった」
私一人さえ見捨てておけないお人好しだとナマエはずっと思っていた。出会ったばかりで何も知らないくせに、目の前の女が何者かも知らなかったはずなのに、ランスロットは疑う事もせずナマエに落ちていた影を見抜いて手を差し伸べた。それが直感だったのかはたまた違うのか、最初は気になっていたが最早それはどうだっていい。彼の優しくひたむきな心があってこそ、ナマエは今こうして穏やかに笑えるのだから。
「でもこれは私のものね。有り難く受け取っておくわ」
「ああ、そうしてくれると嬉しい」
「部屋に生けさせて。でも花瓶を探さなくちゃ」
「なら今から街に行こう」
「貴方さっき行ったじゃない」
「まあまあ。たまには君とゆっくり街を歩きたいんだ。デートのひとつぐらいいいだろ?」
花束を大切に抱えるナマエに手を差し伸べる。その手を静かに取り、髪に挿したリンドウをふわりと揺らし彼女は優しく笑うのだ。
「もう、勿論に決まっているわ」



「ねえ、今度は貴方にリンドウを贈らせてね」
遠慮がちにランスロットの服の裾を小さく握りナマエは少し俯いた。その仕草にランスロットは首を傾げたがナマエの耳が赤くなっているのに気付き、可愛らしい事をしてくれるものだとランスロットは頬を緩ませた。
「じゃあリンドウは俺達にとって特別な花だな」
ランスロットのその言葉に少し目を丸め、はにかむ笑顔を見せた。この愛らしい笑顔がもっと見られますようにと祈った小さな希望を、空が優しく拾い上げたような気がした。


(特別なあなたへ)