SPフィクサーズ戦


 SPフィクサーズ――大のサッカーファンであるという財前総理のボディーガードであり、正真正銘の正式なサッカーチームでもある。
 というよりは、“サッカーによって身体を鍛えているSPが集まるチーム”という方が正しいかもしれない。馨には全く聞き覚えが無かったが、音無が調べ始めてすぐに見つかったということはそこそこ有名ではあるのだろう。

「ふん、宇宙人なんかに負けるわけがない。我々を舐めるなよ、小娘」
「はっ! そっちこそ、後で吠え面かかないように精々頑張ることですね」

 サッカーグラウンドに移動しても尚いがみ合いを続けている馨と男。音無の調べによって、この男は角巣という名前であることが既に判明している。ちなみに、ポジションはその体格の良さを裏切らないDFのようだ。

「馨、いつまでそうしているの」

 呆れ混じりの瞳子に咎められ、馨は最後の置き土産とばかりに角巣をじろりと睨み上げてから、小走りで雷門側ゴール前へと舞い戻った。
 気を取り直して、相手チームの分析である。桃色の髪の少女以外は全員大人で構成されているうえ、総理のボディーガードをしているというだけあって全員かなり手練れた威圧感を放っている。しかも、こちらは相手より一人少ない十人で戦わねばならないのだから、条件だけ見ればかなり不利なゲームであると言えよう。選手たちもやはり、始まる前から戸惑いを隠しきれてはいない。

「相手が大人というだけでも大変なのに……」
「どうやって戦えば良いでやんすかねぇ」
「監督、アドバイスお願いするっス」

 響木ならば、ここで一つ的確な指示でも下していたかもしれない。
 けれど、紹介を受けた際に彼女自身がそう宣告していたように、瞳子はこれまでとはまるっきり違うかたちの監督であった。

「とりあえず……君たちの思うようにやってみて」

 それだけだった。
 たったそれだけを口にした瞳子は、他に何も言い残すことなど無いと言わんばかりにさらりと髪を靡かせ、さっさとラインの外に出ていってしまった。具体的でもなければ抽象的でもない、強いて言うなら“丸投げ”の指示。あまりにもあんまりだと、目金が悲劇的な声を漏らした。

「コ、コーチィ!」
「あぁ、監督はきっと――」
「馨、何をしているの。貴女は選手じゃないのよ、早く出なさい」
「は、はい」

 彼女が意図するところを説明しようとした馨だったが、鋭い命令が飛んできては口を噤む他無い。コーチである以上監督には逆らえないので、小さく詫びながら素直に瞳子のもとへ駆けていった。置いていかれた栗松たちの視線が痛かったが致し方ない。それに、鬼道や豪炎寺辺りならば、瞳子が丸投げをした理由もとうに解っているはずだ。あとは彼らに任せよう。
 監督にもコーチにも放置された十人の選手たちは、自分たちだけで大人相手にどう戦おうかと作戦を練り始めたようだ。
 例えこちらもきちんと十一人揃っていたとしても、相手との体格差を踏まえればいつも通りのフォーメーションやプレーだけで切り抜けられるとも思えない。そのうえで十人しかいないというのだから、ここはまさに彼ら、特にチームのブレインである鬼道やキャプテンの円堂の頭の使いどころ。そして試合が始まれば、全員の腕――正確には足――の見せどころである。
 先程馨が言いかけた、監督の意図するもの。平たく言えば、雷門サッカー部を初めて指揮することになる瞳子は、この試合によってチーム全体の力量を計るつもりなのだ。

「まさか、そこからして黙っておくとは思わなかった」
「これが私のやり方なの」
「今のでよーく解りましたよ」

 あれこれと相談を重ねている円堂たちを遠目に、馨は瞳子の隣に肩を並べて腕を組む。丸投げをした罪悪感は一旦置いておくとして、彼らがどんなゲームを見せてくれるのかは純粋に楽しみであった。

「さぁ、皆はどう出てくるかな」
「貴女は――江波コーチは、どう見るかしら?」

 どこか挑発的な瞳に促され、馨は顎に指を添えて考える。

「うーん、相手が自分たちより格上だとするなら、カウンター重視で守備に人を回すのもアリかなとは思う。雷門はDFが多いし、中盤から撃てるロングシュート技もいくつか持ってるから。でも……」

 それは飽くまで、ただの定石である。
 自分たちの背後に絶対的な守護神がいてくれると知っている皆ならば、そんな枠にも囚われず相手に臆することない戦略を取っていくだろう。

「円堂くんがいるし、前に出るかな、多分」

 ゴール前でやる気に満ちた声があがるのを聴いて、馨はふっと微笑みながらそんな結論を出す。それを受けた瞳子は素っ気無いような短い相槌のみを打ち、冷静な瞳を選手たちに向けた。
 そして全員が配置についたとき、自身の予想が当たったのだと把握した馨。2-5-2の型によって中盤に人数が集中しており、逆にゴール前は少し手薄。本来DFである風丸と土門をMFに置いたオフェンス重視の陣形だったのだ。かなり攻撃的なフォーメーションだが、これはなかなか面白い。馨は満足して二度三度と頷いた。

「“攻撃は最大の防御”ってところだね」
「貴女の予想通りだったってわけね。考え自体は悪くはないわ」

 そう言うわりに、瞳子の表情は難しいままだ。

「ただ、これじゃあ攻め込まれたら厳しいわよ。その辺も考えているのかしら」
「まぁまぁ、とりあえず見てみなって」

 チームの頭脳である鬼道がこの戦法を良しとしたということは、つまりそういうことなのだ。不安も懸念も感じずにいられている馨は、両手を叩き合わせて気合いを入れている円堂を笑顔で見つめた。まだ信用に足らないという瞳子の目を、どうかそのプレーで満足させてやってほしい――そう思いながら。
「雷門イレブンあるところ、常に角馬の実況あり!」――試合開始直前になってどこからともなく現れた角馬を実況、古株を審判として、遂にSPフィクサーズとの試合が幕を開けた。

『さぁ、キックオフ!』

 そうそう、雷門の試合にはこの熱い実況があってこそである。わざわざ自転車を飛ばして駆けつけてくれた角馬に内心感謝しつつ、馨は試合に意識を集中させようとした。その際、サングラスをかけたままでは集中しようにもしきれないことに気付いて瞳子に相談すると、彼女はやや不足そうな顔をしながらも、試合中は裸眼になる許可を出してくれた。
 一方のピッチ上では、まずは染岡が果敢にも敵陣深くへ突っ込んで行き、その傍らでボールは豪炎寺から一之瀬へ。一之瀬は華麗な動きで相手を二人抜き去って上手く染岡へパスを繋ぐも、相手のディフェンス技《ボディシールド》に阻まれてしまい、残念ながらシュートとまではいけなかった。

『おっと! SPフィクサーズのDF陣が阻止したー!』
「あぁ、惜しいっ」
「すごいディフェンスです!」
「身を挺して守る、まさにSPだわ」

 開始早々の激しい展開に、マネージャーたちも早速目が釘付けとなっているようだった。
 次は雷門のスローインから再開。今度は豪炎寺が一人で持ち込もうとするも《プロファイルゾーン》にボールを奪われ、やはりなかなか攻撃の起点が掴めない。そこから幾度もチャンスをつくろうと奮闘するが、SPフィクサーズの強固なディフェンスの前にはどれも失敗に終わってしまう。漸く撃てた《ドラゴンクラッシュ》も相手キーパーの《セーフティプロテクト》で防がれ、得点とはならなかった。
 シュートが決まらず、悔しそうに拳を握る染岡。馨はそんな彼と相手GKとを交互に見て、ふと疑問に思った――相手の技はそこまで強力でもなさそうだったのに、それでもこんな呆気無く止められてしまうものなのか? それに、染岡のシュート自体もいつもより威力が弱いように思える。

「簡単にはあの守備、崩せないわね」

 フィールド上からは目を離さず、瞳子がぽつりと呟く。
 馨はそれに返事をすることもなく、ただじっと染岡のことを見つめ続けていた。何も言わない馨を気にしてか、瞳子がちらりとこちらを見遣る。その視線に気付いていながら考え事を継続させていると、そのうち試合が再開され、彼女の眼差しもフィールドの方へと戻っていった。

『SPフィクサーズが雷門陣内へ攻め込む!』

 守備もさることながら、相手は攻撃でもその実力を発揮した。
 ピンク髪の少女がドリブルで突っ込んでくるのに対し、鬼道の指示により風丸がすぐさまチェックに当たるが、その身一つで軽々と抜かされる。続いてディフェンスに向かう壁山も相手による二人がかりの技《合気道》で転ばされ、それに驚くうちに栗松すらあっさり抜き去られてしまった。

「わぁっ! あっという間にピンチです!」
「パスワークが上手いな……守備だけじゃないね、相手も」

 人数が足りないことも勿論一因ではあるが、単純に相手のプレーが雷門を上回っているのだろう、こうも易々と抜かれてしまうのだから。
 しかし、それだけでもないように感じられるのはどうしてだろう――先程の染岡もそうだったが、試合全体を見ていると非常に違和感があるのだ。あちこちに気付かない程度の小さなミスが生じている、そんな具合のささやかな違和感。それが現在のチーム全体の動きに影響しているに違いない。
 馨が眉を寄せているうちにも、相手によるファーストシュートが放たれる。正面からの《トカチェフボンバー》と《爆裂パンチ》の一騎打ちは、危なげもなく円堂に軍配が上がった。

「さすが円堂くん!」
「大人に負けていませんよ!」

 安定したセーブ力にマネージャーは盛り上がり、瞳子もまた、一際気合いの入っている円堂に感心したような顔をみせている。

「へぇ、見せてくれるじゃない」
「言ったでしょう? やっぱり円堂くんはすごいな。……にしても」

 ――やはり、この違和感は無視できない。
 ゴールキックを前に駆け足で配置に戻るメンバーを見ながら、馨は内側で膨らむ疑念にますます眉を顰める。ぱっと見はいつも通りやれているように映るが、その実、今の彼らのプレーは絶好調とも言えない。それも一部ではなく、各ポジションそれぞれがそうなのだ。
 中でも、特に影響が出ているのはMF。このフォーメーションならば試合を握る要でなくてはいけない場所なのに、司令塔役である鬼道が未だ調子を出せていないのが見て取れる。

「全体的に動きがもたついている、というか……噛み合ってない。そのせいで中盤が機能しきれてないな」

 組んだ腕にぐっと力を込めてそう言うと、瞳子は一転して厳しい顔つきになって馨を見下ろした。

「……こちらの?」
「そう」
「どこが原因か解るかしら?」
「待って、次のプレーで目星つける」

 まず一人目は、大凡見当がついている――再開されたゲーム、ボールを受けて即座に《ドラゴンクラッシュ》を撃とうとするも《ザ・タワー》によって遮られた染岡。尻もちをついた彼が右足を動かそうとした際、僅かにその表情を苦悶に歪めたのが、ここからでもはっきり見て取れた。
 なるほど、彼がそうであるならば他もきっと同じだ。

「みこ姉」
「……えぇ、そのようね。他にもいそう?」
「いる」

 さっと雷門陣営に視線を走らせ、それぞれの立ち方と動き方を(つぶさ)に観察した。ただ観戦している分には何気無く流してしまうような些細なものだったが、こうして集中してみるとよく見えてくる。まだ早めだったから良かったが、試合開始前に気付けなかったのは完全に自分の落ち度だ。そのことを悔やみながら馨は一度ぎゅっと目を瞑り、また開き、その眼光をさらに強めた。
 再びボールを持った染岡がノーマルシュートを撃つも、彼らしくもなく大きく枠外へ外してしまう。その一連の流れのうちに、馨は違和感の正体を恐らく全て発見することができた。

「MFとDFにそれぞれ一人ずつ。風丸くんは左足、壁山くんは多分背中」
「全部で三人ね」

 その三人をどう扱い、如何に後半戦を組み立てるのか。ここが瞳子という監督の最初の見せ場であるし、選手にとっても監督を信頼するための一つの指標となるだろう。
 腕時計で確認すると、じきに前半終了の笛が鳴るというところであった。馨は瞳子と向かい立ち、後半の作戦について小声で話し合う。何か案はあるのかという目で彼女を見ると、釘を刺すような眼差しが返された。

「いい? 前にも言った通り、貴女は私のやり方に口を出さないこと」
「解ってるって」

 この台詞から始まる時点で、瞳子が何をするつもりなのかは安易に想像がつく。
 苦笑いをして肩を竦める馨に、続けて本題である後半の作戦内容が伝えられた。非常にシンプルな、それでいて無茶振りの過ぎる、大胆な作戦が。

「三人を外した状態で、試合を続行させるわ」

 ――やっぱりな。

「……私は口を出さないけど、ちゃんと説明しない限り皆はあっさり納得してくれない気がするな、それ」
「だとしても却下はさせない。そうしなければ勝てないのだから」
「うん、それも解ってる。そうすると後半は七人か……」

 この作戦をメンバーへ告げたときのことを考えると溜め息も底を尽きそうではあるが、仕方ない。瞳子の言うように、今のままだと勝つことは難しいのだ。如何せんフォーメーションがMFを基盤とするオフェンス型であるが故、そして“違和感”が三人も存在しているが故に。そのことを瞳子がきちんと皆に説明してくれたら話は早いだろうが、それは到底期待できないのだということも既に覚悟している。
 馨は人差し指で頬を叩き一定のリズムを刻みながら、ぐるぐると脳を回転させる。

「数的不利にも程があるし、相手を釣り出さないと機会をつくるのは厳しいんじゃないかな」
「そうね。でも、こうすれば自ずと中央は一人になるんじゃないかしら」

 瞳子の目線が移った先を追いかけると、空よりも眩しい青いマントが翻った。

「鬼道くん?」
「貴女のお墨付きでしょう、彼ならば」
「……何せ、天才ゲームメーカーだからね」

 微かに口端を持ち上げる瞳子に対し、馨もまた挑発めいた表情をつくった。
 やがてハーフタイムとなり、ラインの外に戻って来た選手たちは各々ドリンクを飲んで身体を休めていた。そんな彼らにタオルを手渡しながら、マネージャーたちが明るい笑顔でチームのモチベーションを高めていく。

「皆、大人と互角に戦ってるじゃない! その調子よ!」
「一人少ないなんて思えないです!」
「そうよ、皆なら勝てるわ」

 木野や音無だけではなく、あの夏未までも前半の奮闘ぶりを褒めているのだ。「解ってるって!」と応える円堂を始めとし、メンバーはますますやる気を募らせて後半へかける意気込みを強くしていく。
 そこへ、パンパンと手を打ち鳴らす乾いた音が響いた。

「皆、聞いて。後半の作戦を伝えるわ」

 手を鳴らした瞳子、そしてその隣にいる馨へと視線が集まる。
 前半は完全に放り出されるかたちとなったこの試合、遂に監督から初めての指示が下る――誰もが、多少なりとも期待を抱いていただろう。
 だが、そんな期待へ無情な冷や水をかけるようにして、瞳子は淡白な声音でこう告げた。

「染岡くん、風丸くん、壁山くん――貴方たちはベンチに下がって」

 その瞬間、あれだけ温められていた空気が一気に冷たくなる。
 後の流れはまさに馨の想像通りのものであった。

「えっ!?」
「な、何だって……!?」
「空いたスペースは残りのメンバーでカバーして。よろしくね」

 明らかにどよめく選手たちなど意にも介さず、瞳子は前半同様あとの全てを彼らに一任する姿勢を貫く。やはり詳細の説明をする気は一切無く、それどころかフォーメーションの提案すらしない方針らしい。これでは傍から見ればただの暴挙でしかないし、当然ながらベンチ通告された者たちは猛反発だった。

「何でオレが下げられなきゃいけねーんだ!」
「監督の考えが解りません、ただでさえ厳しい状況なのに!」
「オ、オレ、さっき転がされたからっスか?」

 理由を教えてもらえないことにより、壁山は染岡たちと違って不安すら抱いているらしい。悲しげな瞳が自分は見限られたのかと訴えかけてくる。それでも瞳子は毅然とした態度を崩さない。

「勝つための作戦よ。コーチとよく話し合って決めたことなの」
「コ、コーチまで……?」

 てっきり自分たちの味方になってくれると思っていたのだろう、風丸が目を丸くして馨の顔を凝視した。

「本気なんですか、コーチ。七人でのサッカーなんて無茶が過ぎます!」
「無茶か……無茶してるのはどっちだろう」
「え?」
「馨」

 それ以上は言うなと睨まれたので、馨にはもう発言権が与えられなくなった。風丸だけでない、チーム全員からの突き刺さるような視線を身体中に感じ、正直今すぐ何もかもぶちまけてあげたい気持ちは山々である。自分が監督ならば全てを話して納得させているだろうに、と思いながら、馨は燻るものを抑えるようにしてそっと瞑目した。

「待ってください、これでは戦えません」
「いいえ、これで戦うのよ」
「しかし――」
「後半、始まるわよ」

 鬼道の反論もすげなく躱し、瞳子は古株に選手交代――交代相手がいないので実質選手退場であるが――の報告をするため、その場を立ち去った。
「一体何を考えているんだ……」「あの人、本当にサッカーを知ってるのか?」いなくなった途端に彼女の背中へ向けて文句を吐き出すメンバーは、次いで未だそこに残っている馨のことを縋るような目で見上げる。中でも鬼道の視線は、ゴーグルのレンズを介していても尚強い。何故、どうして、という言葉が無くとも、直接胸を叩かれている気にすらさせられる程だった。

「江波さん、どういうおつもりですか? 貴女が賛同するということは、何か理由があるのでしょう?」
「……監督も、考えがあるなら言えば良いのにね」

 ぽつんと吐き出すように言うと、鬼道はやや驚いたような顔をした。
 考えがあるならば言えば良い――心底そう思うし、わけも解らずゲームを行わねばならない不安や苛立ちに苛まれている皆を見ているのはとても胸が痛む。ただでさえ不安定な旅なのに、こんな疑心暗鬼になって無茶なサッカーをするなんて、きっと選手からすれば大きなストレスであるだろうと。馨だって解っている。
 それでも黙ったままでいるのは、(ひとえ)に馨がコーチだからである。監督である瞳子の考えには口出ししない約束をしたというのもあるし、そんな彼女を信じているからこそ、コーチとして付いて来ているのだ。瞳子の行動原理に両手を挙げて賛同するわけではないが、そこにはきっと、馨には思い至らないような意味があると信じている。
 ただ、この胸の痛みをほんの少し和らげるくらいならば、多少は大目に見てもらいたい。

「監督が何も言わないものだから訳解らないし、とにかく不安だよね。そこは私も申し訳なく思う。……でも君ならば、いざやってみればちゃんと解るんじゃないかな」

 この作戦の理由が――自分らしくない遠回しな物言いになってしまったが、今の馨にはこう言うだけでも精一杯だった。
 鬼道は馨の言葉を受け、少なくとも瞳子が考え無しで七人で試合をしろと言ったのではないと思えたようだ。唇を結んで難しい顔をしたまま、一応納得したように小さく頷いた。そして隣にいた円堂と顔を見合わせれば、同じく覚悟はできたらしい円堂もこくんと首を上下させた。

「とにかく、今はこの試合に全力でぶつかるんだ! 全力で頑張れば、一人の力を二人分にも三人分にもできるはずだ!」

 そんな円堂の鼓舞により、他のメンバーも渋々といった様子ではあるが監督の指示に従う気になってくれたようであった。
 この何とも言えない重苦しい雰囲気を引きずったまま、とうとう後半が始まろうとしていた。

『な、なんと、これはどういうことだぁ? 雷門中は七人しかピッチに出ていない!』

 本来の人数より四人も欠いているという意味不明な雷門のやり方に、相手チームの面々も揃って変な顔をしている。だが、これをチャンスと思ったのかディフェンスラインが全体的に前進しており、相手のゴール前には大きなスペースが生まれていた。

「……まずは一つ目クリア」
「……」

 万が一この作戦が失敗に終わったら、出鼻を挫かれるどころか粉々に粉砕されてしまう。そういう意味でも前半以上に緊張感のある試合になるけれども、馨は先の瞳子との会話を思い出しながら深呼吸をし、気持ちをしっかりと落ち着かせた――大丈夫だ、彼らならば必ずやり遂げてくれる。
 ホイッスルが鳴り、後半戦がスタートした。
 開始からいきなり強いディフェンスによってボールを奪いに行く鬼道。そこから流れていく試合模様は前半と同等、いやそれ以上に雷門ペースとなっている。その最もたる理由は、中盤に一人残った鬼道が、いつもの倍近い運動量で試合を制しようと奮闘しているからだった。大きく呼吸をしている姿を見るに体力の消耗は激しそうだが、その分SPフィクサーズにボールを持ち込まれる頻度は格段に減っている。
 鬼道は、そうやって自在にフィールドを操れることを不思議にでも思っているのだろうか。ポジションに戻りながらふとこちらを見た面持ちが、ハーフタイムのときと比べてかなり落ち着いているように感じられた。

「……」

 そこで目が合った馨は、瞳子には見えない位置で片手の親指をぐっと立てる。すると鬼道も仄かに微笑み、ゲームの再開に備えて前を向いた。
 試合自体は良い感じであるが、反してベンチはまだ険悪な雰囲気を漂わせていた。特に染岡はストライカーとしての誇りも相俟って、尚更ベンチ下げの指示に納得いかないようである。

「クソッ! これで勝てたら漫画だぜ!」
「宇宙人と戦うって時点で充分漫画だよ」

 やれやれと肩を竦めて馨がそう返すと、染岡はますます不機嫌そうな顔になった。

「んだよ、コーチも監督の言いなりになっちまってさ」
「君たちが無理してるからいけないんでしょうが」
「えっ」

 ぎくり、という擬音が似合いそうな勢いで染岡の肩が跳ねる。
 そんな会話の隣では、瞳子が微かに嘆息してからマネージャー陣に対して声を掛けた。

「あなたたち」
「は、はい」
「彼らにアイシングを」

 指示されたマネージャーは一度は互いに顔を見合わせるも、すぐにてきぱきとした動きでブルーシートを広げ、下げられた三人をそこに座らせてアイシングを始めた。そうすることによって、彼女たちは監督の意向を明確に思い知ることになる。そして、どういう理由で自分たちが外されたのかを否が応でも悟らされた三人は、揃って罰が悪そうにむっつりと俯いた。
 ――馨の感じた違和感、全体のもたつきの原因はここだった。
 最初のジェミニストームの試合で、三人はそれぞれ身体に怪我を負っていた。にも拘わらず、大したものではないからと高を括ってここまで黙っていたのだ。故に、本人でも無意識のところで普段の動きとの差が出てしまい、結果的にチーム全体の動きの悪さに繋がっていた。
 そこでこの三人を下げたところ、人数的な不利を運動量で補えさえすれば格段に動きやすくなり、司令塔である鬼道からすれば前半よりも思い通りのゲームメイクがしやすくなったというわけだ。さらに相手を前線に誘い出してゴール前を空けさせ、裏を衝きやすくさせるという意味もある。鬼道、さらに円堂や豪炎寺といった他の選手たちも、ここにきて漸く瞳子の真意が理解できたようだった。
 ついさっきまでは反抗的な態度を取っていた者も、今となっては皆が監督の采配に驚き、そしてその瞳にきらりと光るものを宿している。夏未はどこか尊敬の念が篭った口振りで瞳子を仰いだ。

「だから、七人で戦う作戦を……」
「……鬼道有人。彼なら、人数的な不利を有利に変えられると思っていたわ」

 どこかの誰かのお墨付きであるしね――そう言いつつ、ちらりと馨を横目に捉える瞳子。そのちくちくした視線を頬に受けながらも、馨は敢えて気付かない振りをしてくるりとピッチに背を向けた。
 シートに座っている三人の前にしゃがみ込み、この目でそれぞれの怪我の具合を確認して思わず大きな溜め息を落とす。確かに一つ一つは然程大したことではないかもしれないが、先程の染岡を見ている限り、一歩間違えれば大きな問題になっていたかもしれないというのに。

「これからは“この程度なら大丈夫だ”なんて思わないで、どんな些細なことでもちゃんと報告するように。チーム全体への影響もそうだけど、何より君たちの身体が大事なんだから」
「へーい……」
「ごめんなさいっス……」
「コーチにはお見通しでしたね」
「当たり前でしょ、ずっと見てきたんだから」

 空色の頭頂部にコツンと柔らかな拳骨を落とすと、風丸は申し訳なさやら納得やらといろいろなものの入り混じった微笑を湛え、擽ったそうに首を竦めた。
 一方試合の方は、とても七人とは思えぬ試合運びをする雷門の健闘により、両者無得点のまま残り時間も僅かとなっていた。

『奮闘する雷門イレブン、しかしさすがに疲労が積み重なってきたか!?』

 馨が所定の位置――瞳子の隣に戻った頃には、ピッチ上の選手は誰も彼もが息切れ状態であった。中でも一人で中盤を制圧しきっている鬼道の疲弊は大きい。馨はつい激励の叫びを送りそうになったが、はっと気付いて寸でのところで言葉を飲み下した。
 木野の持つストップウォッチを覗き見ると、もう残り数分も無かった。ボールは相手の少女が持っており、ここを突破させてしまうとさすがに辛い。鬼道が追いつけない分、土門と目金が何とか進撃を阻止しようと少女のディフェンスに向かうが、それは向こうの罠だった。

「あっ!」

 音無の短い悲鳴と共に、ベンチ内に一瞬の動揺が奔る。
 マークの集中した少女からパスが出て、相手はフリーのところから強烈な《セキュリティショット》を放ってきた。完全に裏を衝かれていたため、ゴール前にはブロックできる者が誰もいない。
 けれど、そんな状況にも馨がひやりとすることはない――その安心感を肯定するように、どんと構えた円堂の繰り出す《マジン・ザ・ハンド》は、何の苦も無くボールをしっかりと受け止めてみせた。

『止めたァー! 鉄壁の《マジン・ザ・ハンド》だーッ!』
「出た!」
「《マジン・ザ・ハンド》!」
「完璧っス!」

 実況、そしてシートに座ったままの怪我人三人も、頼れるキャプテンの姿を見て歓喜に湧く。
 馨は、円堂が《マジン・ザ・ハンド》を発動させるところを直に見るのは初めてだった。世宇子戦ではモニター越しでしか見られず、彼がどのようにして繰り出していたのかまでをはっきりと目にすることはできなかったからだ。
 今漸くこうして見ることが叶い、改めて実感した――習得するためにあれだけ苦労した技を、今や円堂は完全に自分のものにしているのだということを。確と目の当たりにしたその勇猛なる姿に、胸がかっと熱くなるのをはっきりと感じた。

「よしっ!」

 その熱を抱き込むように少し遅れてガッツポーズを取り、馨は満面の笑みを浮かべる。失点を防いだことも勿論だが、横目で捉えた瞳子の目が見開かれてることもまた、馨にとっては大変喜ばしいことだった。

「円堂くん! もう時間が無いわっ!」

 このままドローで終わるかと思われた終了間際、木野が声を張ると円堂はすぐさまボールを蹴り上げて前線へ飛び出した。

「鬼道! ラストチャンスだ!」
「おうっ!」

 もう体力の限界を迎えているであろう鬼道が、円堂からのボールを受けて一気に突っ込んでいく。その間にそれぞれの位置関係を把握し、サイドの豪炎寺とアイコンタクトを交わした後、そこから一之瀬へパスを出す。

『さぁ、これがラストプレーになるか!?』

 一之瀬、円堂、土門の、所謂《ザ・フェニックス》の陣形で相手陣内へ切り込んでいけば、それを阻もうとした少女が《ザ・タワー》を繰り出す。まるでこちらの手の内を予め知っているかのような動きであった。
 しかし、少女が防壁を張るその目の前で、逆サイドにいた鬼道へボールが戻された。予想外の流れに目を丸くする少女。三人がかりの何とも大胆なフェイクに、相手は見事誘導されてくれたのだ。
 完全に釣られたため、相手の左サイドは手薄になっている。そこに一人いたDFの角巣を鬼道の《イリュージョンボール》で欺き、ラストパスは最前線に走り込んでいた豪炎寺へ。間髪入れず放たれた《ファイアトルネード》は、キーパーに技を出す隙すら与えずに大きくゴールネットを揺らし――高らかに鳴り渡るホイッスルが、ゴールと同時に試合終了を告げた。

「勝ったーッ! みこ姉、やったね!」
「えぇ」

 勝利の喜びそのままに瞳子の腕を絡め取る馨。瞳子の方も特に文句は言わず、ただ満足そうに仄かな微笑を口元に浮かべているのみである。
 相変わらずぎりぎりの土壇場、しかしやはり相変わらずの魅せるような試合展開によって、雷門は不利な局面から見事勝利を掴んだのだった。


* * * * *


 試合を終えて程良く熱も冷めた頃、衝撃の事実が明らかとなった。
 あの最も頑なに宇宙人だと言って聞かなかったピンク髪の女の子は、実は最初からこのチームが雷門イレブンであると知っていたというのだ。しかも、彼女の名前は財前塔子――歴とした総理大臣の実娘だった。

「あたし、宇宙人からパパを救い出したい……だから、超強力な仲間が欲しいんだ!」

 総理大臣、しかし彼女からすればたった一人の父親。そんな大切な存在が得体の知れない異邦人に攫われてしまい、塔子もさぞや不安なことだろう。それでも彼女は弱気にならず、自ら仲間を集めて父を助けようとしているのだ。
 何と強い子なのだろう、と馨が密かに胸を震わせていると、その傍らにいつの間にかSPの一人――角巣が立っていた。何用か、また嫌味の一つや二つでも言いにきたのか、と反射的にむっとする馨だったが。

「……すまなかったな、宇宙人呼ばわりして」

 角巣はその強面に何とも複雑そうな表情を貼り付け、謝罪をしてきたのだ。あの高圧的態度が嘘のような豹変具合に、馨はびっくりして仏頂面を間抜け面に変え、暫し動きを止めてしまった。
 が、我に返るとすぐにへらりとした微苦笑をし、意味も無く己の髪――偽物だが――を撫でつけた。

「あぁ、いや……こちらこそ、ちょっと頭に血が上っていろいろ失礼なこと言ってしまって、すみません。何にせよ、無事に疑いが晴れて良かったです」
「塔子お嬢様が『サッカーをすれば解る』と言い出したときは驚いたが、まさかあの雷門イレブンだったとは」

 しげしげと、今まさに敗北を喫した相手である中学生たちを眺める眼差しには、驚きと同時に物珍しげな色も込められている。まさか、というからには彼だって知っているのだろう。そのわりには初見で皆の顔を見てもぴんとは来なかったようであるが、そこを突っ込むのはさすがにやめておいた。

「やはり有名ですか? 雷門って」
「フットボールフロンティアで優勝したチームなんだ、サッカー好きならば誰だって名前くらいは知っている。総理も、全国大会を初戦から決勝までずっと観ていらしたのだ」
「へぇ、総理は本当にサッカーがお好きなんですねぇ」
「最早日常の一部なところもある程だ。それに、その娘であられる塔子お嬢様もな」
「でも、あの年代の女子選手って結構珍しいですよね。しかもあそこまで実力があるなんて」

 そんな話をしながら塔子たちの方を見ると、どうやらあちらの話もさらに進んだらしい。

「アンタたちならエイリア学園に勝てるかもしれない。あたしと一緒に戦ってほしいんだ! パパを助けるために!」
「勿論さ! な、皆!」
「おー!」

 共に戦おうという塔子を、メンバーはあたたかく迎え入れる姿勢をみせる。続けて円堂は塔子に対して自己紹介をしながら手を差し出し、塔子も同じく改めて名前を名乗りながら、それを固く握り返していた。
 話が一段落ついたところで、ふと塔子の目が馨へと向いた。と思ったら、ずいずいと目の前までやって来たではないか。総理大臣の娘が直々に何の用だろうと緊張しながら、馨は笑顔を絶やさないように努めた。

「さっきは、疑った振りとはいえ失礼なこと言っちゃってごめんなさい」

 身構える馨の前で、塔子はぺこりと潔く頭を下げた。
 そう来るとは思わず少し拍子抜けした馨は、すぐにぱっと晴れやかに笑って塔子と目線を合わせる。

「そんなことか。全然気にしてないし、塔子ちゃんも気にしないでほしいな。それに、この変装が怪しいことは確かなんだしね」
「変装?」

 顔を上げた塔子が、今は馨のポロシャツの胸ポケットに引っかかっているサングラスへ目を遣ってから、また馨の両目をじいっと見つめる。

「変装してたんですか?」
「ちょっと事情があってね……あとこれ、実はウィッグなんだ」

 ちょいちょいと黒髪を軽く引っ張って言うと、「やっぱり……!」と塔子の瞳に輝きが増したような気がした。初めてあの橋の前で素顔を晒したときと同じく、きらきらと大きな両の目を瞬かせている。

「あの、もし間違ってたら申し訳ないんですけど……江波馨さん、ですか?」
「へ?」

 ――何故、自分のことを知っている?
 馨が雷門でコーチをやっているということを知っている人間は少ない。それこそ対戦相手でもない限り、わざわざ民間人のコーチについて調べる真似はしないだろう。なのにどうして、塔子は自分の名前をフルネームで言い当てられたのか。
 驚愕で顔を固まらせた馨に代わって、そのやり取りを見ていた円堂が「すげー」と正解を示した。

「何で馨姉ちゃんだって解ったんだよ、塔子」
「やっぱりそうなんだ!」

 本人が何も言わないうちに合点がいった塔子は目に見えてテンションを上げ、馨へ向かって身を乗り出さんばかりの勢いでさらに続けた。

「あたし、貴女のこと知ってます! というか、ファンです!」

「え」と馨の口から言葉とも単語ともならない小さな声が漏れた。

「小さい頃に一度だけパパに連れて行ってもらった女子サッカーの全国大会で、ちょうど江波さんがプレーしてたんです。背番号までは覚えてないけど、司令塔やってましたよね?」
「う、うん、やってたこともあった……けど、まさか総理大臣の娘さんに見られていたなんて」
「あのときに見た江波さんのプレー、とってもすごかった!」

 瞳の中にきらきらと光を瞬かせ、興奮気味に声を張る塔子。押され気味の馨には無難な相槌くらいしかできなかったが、その反面、頭の中は必死に時間軸を重ねて考察を始めていた。
 塔子の見た試合は、間違いなく馨が中学一年生だったときの全国女子サッカー大会だ。まだ帝国学園女子サッカー部で、影山の指示の下にチームを統率していた頃の自分が参加していた試合。一体どの試合を観たのだろう。影山に従えず無様なゲームを展開した初戦か、この脚で何人もの選手を退場させた二戦目三戦目か、影山のピエロと成り切った準決勝か――どれだとしても、今の馨にとっては全てが忘れ去りたい過去なことに変わりはないのだが。

「それまで、正直あんまり興味無かったんですけど……あの江波さんのプレーを観てから、もう一気にサッカーやってみたいって気持ちが湧いてきて。それで、あたしもサッカー始めたんです!」
「じゃあ、塔子がサッカー始めたきっかけは……姉ちゃんだったってこと?」
「そうだよ!」

 にかっと浮かぶ太陽のような笑顔が馨の視界を眩くさせる。眩しいけれど、何故だか逸らしてはいけないと思える真っ直ぐな笑顔。何となく、円堂に似ていると思った。
 自分が彼女にとってのきっかけ――いざこうして面と向かって言われると、どんな反応をして良いか解らなくなった。普通は喜んだり嬉しがったりすべきなのだということは解るのだが、唐突すぎて上手いこと言葉が出てこないのだ。
 それに、素直に喜んで良いのかと言われると微妙でもある。こんな自分の、あんなプレー。それを見て、感動して、サッカーを始める理由にしたと。果たしてそれが誇れることなのか、今の自分には自信を持って頷くことなどできなかった。
 馨がただにこにこと笑っているその間にも、塔子の話を聞いていたイレブンたちはとても興味深そうにしている。彼らには――たった一人を除いて――中学時代に実際にプレーをしていたという話はしていないのだから、それも当然の反応であろう。それに、こんな機会が無ければわざわざ話すつもりもなかったのだ。

「姉ちゃん、サッカーやってたんだな!」
「まぁ……ずっと昔の話だけどね」
「へへっ、そうだと思ってた!」

 自分でも何とも歯切れの悪い返事となってしまったが、円堂たちはあまり気にしていないようだ。とりあえずコーチが案の定経験者だった、というそれだけでも俄かに盛り上がっている。染岡が「また秘密癖だ」と笑っているのが聞こえた気がした。

「えっと、コーチって昔は帝国学園にいたでやんすよね? てことは、帝国の女子サッカー部? そんなものあったでやんすか? 鬼道さん」
「……昔はあったらしいな、俺も知らなかったが」
「じゃあ、今は無いでやんすか?」
「あぁ」

 話を振られた鬼道は静かに答えつつ、物言いたげな視線をひしひしと馨に向けている。これ以上はやめるべきだろうと彼は思ってくれているらしい。その気遣いに対して馨はアイコンタクトだけで礼を返し、大丈夫だから気にするなという意を込めて、ひらりと小さく片手を払う仕種をした。

「馨さんのサッカーかー、見てみたいなー」

 一之瀬が、まるでその姿を想像しているかのように虚空を見上げながら言う。それに同意しつつ問うてきたのは風丸だった。

「今はもうプレーはされないんですか? あ、確か足を怪我したとかって……」
「うん」

 そういえばそんな嘘を円堂に吐いたままだったということを思い出し、咄嗟に話を合わせて頷いた。今更そんなチープな嘘が通用するなんて思わないが、辞めたこと自体は本当なのだからこの際理由は何でも良い。
 鬼道だけでなく、さらに瞳子までもが馨に何か言うことがありそうな眼差しを寄越してくる。確か彼女にも辞めた理由は話してなかったな、と気付いて、これは少し面倒かもしれないと心中でつい苦笑いをした。それでも表面上では当たり障りの無いにこやかさを保ったまま、風丸との問答を続ける。

「足の怪我、そんなに酷かったんですか?」
「そうだね。それもあるし、あとそもそもブランク大きすぎて完全に鈍っちゃってるから無理だなぁ。やりたくてもできないというか、何というか」
「えぇっ!? じゃあ辞めちゃったんですか? いつ?」

 非常に残念であると言いたげに、塔子が眉を下げて馨を見つめる。馨は飽くまで事も無げに応じた。

「辞めたのは中学二年の頃。そっからずーっとブランクなんだ」
「えー……じゃあ、あたしが江波さんを観てからわりとすぐだったんですね……」
「そういうことになるね。多分、塔子ちゃんが見たのは一年生の頃の私だよ」
「ってことは、中一であんなサッカーできてたんだ……やっぱり江波さんはすごかったんだなぁ」

 しみじみと感慨に耽るような物言いをし、塔子の寂しそうだった面貌にまたもや明るさが戻ってきた。当時の馨のことを思い出してくれているということは言われなくとも解りきっている。一体、あの頃の馨のどこに憧れる要素を見出してくれたのだろうか。疑問に思いはしても、訊くだけの勇気は無かった。
 馨は脳裏に浮かんでくる記憶を全て綺麗に消し去って、その頭を優しく一撫でした。いろいろと複雑なものはあるけれど、塔子のせっかくの好意を無下にはしたくない。馨自身はどうであれ、先程見せてもらった塔子のサッカーは紛れも無く素晴らしいものであったのだ。そんな女子選手がいてくれるそれ自体は、馨にとっても喜ばしいことである。

「ありがとね、塔子ちゃん。今の時代に塔子ちゃんみたいな良い女子選手がいてくれるんだって思うと私も浮かばれるよ」
「えへへ、そんな、あたしなんてまだまだです。もっとこう、江波さんみたいにびしっとチームを纏めたいなって思ってるんですけど」
「纏めるばかりがMFの仕事じゃないよ。さっきのディフェンスだって充分すごかったし」
「あ、ありがとうございます! 本物に会えるどころか褒めてもらえるなんて、もうあたし――」

『地球の民たちよ』

 二人の和やかな会話を打ち切るように、突として広場に響き渡る謎の声。

『我々は宇宙からやって来た、エイリア学園なり』

 驚く全員が見上げた先、公園内に設置された巨大モニターに映っているのは、エイリア学園ジェミニストームキャプテン――レーゼの姿だった。




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