激闘の帝国vs雷門戦


 大観衆の興奮を浴びながら、選手たちは再びフィールドに散らばった。先程の事故は忘れ、気持ち新たに試合へ向き合う瞳はこの上ない闘志に燃えている。
 ――いよいよだ。
 新監督としてベンチまで引っ張って来られた安西の隣で、馨は膝に手を置いて身体を固くする。手汗すらかく程に緊張しているが、心は選手並みに興奮していた。

『フットボールフロンティア、地区予選決勝! 果たして優勝は帝国か、それとも雷門か!』

 観客席やベンチが見守る中、高らかに試合開始を告げるホイッスルが吹かれた。

『さあ、初めに攻め込むのは雷門だ!』

 最初に飛び出したのは豪炎寺。ボールを持って果敢に上がっていき、大野と成神のディフェンスを上手く躱して後方にいた染岡へとパスを繋げる。明らかにプレーの精度が上がっているのを見るに、響木のコーチングは短期間でも実を成したようだ。馨が雷門ベンチ前で立っている響木へ目を遣ると、彼もまたこちらを見ていたようで視線がぶつかる。
 ――本当にすごい人だったんだな。
 無意識に吊り上がる口の両端。普段雷雷軒で見るのとはまるで雰囲気の違う響木に、ますます試合への期待が高まった。
 一方フィールドの方では、染岡と豪炎寺の《ドラゴントルネード》が源田の《パワーシールド》によって弾き飛ばされていた。『キング・オブ・ゴールキーパー』の異名を持つ源田の守りを破るなど、そうそう容易なことではない。

『帝国学園、源田の《パワーシールド》! これぞ全国ナンバーワンキーパーの実力だ!』
「よし、良い調子だ」

 豪炎寺たちと向かい合う源田は誇らしげな笑みを湛えており、馨もうんうんと一人で頷いた。
 さらに彼が蹴ったボールは五条、そして鬼道へと渡る。「寺門!」――鮮やかに少林寺を躱してみせた鬼道が蹴り上げたパスから、帝国のファーストシュートである寺門の《百烈ショット》が放たれた。
 ――止めるかな。
《百烈ショット》は確かに強烈だが、今の円堂はもう練習試合のときの弱いキーパーではない。確実に力をつけている彼なら、あのシュートは問題無く止める可能性が大いにあるだろう。
 円堂は《熱血パンチ》で応戦した。正面からしっかり入ったパンチング、予想通り弾かれるのだと馨は思っていた。
 しかし、そこで予想外の出来事が起こる。

『あーっと! 弾き損なった!』
「えっ?」

 しっかり捉えたと思われたボールが円堂の拳から零れたのだ。零れたボールはぎりぎりポストへとぶつかったことで、ゴールまでには至らなかった。

「……円堂くん?」

 敵チームながら見ているこちらがはらはらするミスだった。開幕早々の危うい場面に雷門DF陣からも声が掛かる。自分でも何が起きたか解らないような顔をしている円堂に、馨は正体不明の違和感を覚えた。
 円堂の不調はさらに続いた。帝国のコーナーキックから再開されたゲームで、なんと正面からのボールを取りこぼ(ファンブル)したのだ。慌てて押さえたので失点には繋がらなかったが、いつもの彼なら有り得ないミスの連続に味方もやや動揺しているようだった。馨も一体どうしたのかと心配になるうえ、全力を出し切れていない円堂と戦っても意味が無いのだと歯痒い気持ちにもなってしまう。
 どうやら円堂の異変には鬼道も気付いたようで、ゴールからのパスをカットすると一人で一気に駆け上がっていった。壁山を見事なヒールリフトで抜き、円堂との一対一での対決に持ち込んだ。その鮮やかなプレーに馨は暫し魅了されたが、すぐに別の驚きによって意識が切り替わった。
 今やシュートを撃つというとき、そこへブロックに入ったのはまさかのFW、豪炎寺だった。

『おーっと! 豪炎寺だ! 前線から戻っていた豪炎寺がシュートブロック!』

 本来最前線にいなければならない彼がここにいるということは、やはり円堂のことを気にしていたのだろう。前後から力が加わったボールは僅かに膠着状態になったが、さすがエースストライカーだけあって豪炎寺の方が脚力が強い。奮闘した鬼道だが、最終的にはスライディングによってボールごと押し負けてしまった。
 洞面がその零れ球を受けてそのまま試合続行――かと思いきや、流れはそこで一旦止まることとなる。

『あーっと、鬼道、足を痛めたか?』
「足首か……!」

 実況の言うように、今のプレーで足を痛めたらしい鬼道が苦悶の面持ちで蹲る。洞面がラインの外にボールを蹴り出したことで試合を止め、それと同時に鬼道は足を引きずりながら外へ出た。
 馨はすぐにベンチにある救急セットを片手に駆け寄ろうと立ち上がった――が。

「……」

 ふと遠目に見えた、音無の顔。
 心配げに下がった眉尻と、揺れる瞳。
 互いに目が合うと、馨の足は自然とその場から動かなくなった。
 ――行ってあげて。
 真っ直ぐ見据え、声には出さず口の動きだけでそう伝える。本来ならば怪我の手当ては正式マネージャーである自分がやるべき仕事であるが、今は彼女に委ねたい。ここで、もしかしたら何かが動くかもしれないと、根拠は無いがそう思えたのだ。
 馨の意を汲んだ音無は、殆ど反射的に駆け出した。そして、腰を下ろして素足を摩っている鬼道のもとへ行き着くと、丁寧に彼の手当てを始めた。
 鬼道は驚いたように顔を上げてベンチ前の馨に視線を投げるが、馨が目を細めて自分たちを眺めているのを見ると、敵わないなとでも言いたげに音無には気付かれぬよう微笑を零した。
 程無くして、手当てが終わったらしい鬼道が立ち上がる。彼を見上げる音無の表情は、馨のいる位置からは把握できない。それでも二人の間に何かしらの会話があったらしく、彼女の肩が小さく跳ねるのが見て取れた。
 鬼道がピッチに戻って行くのを見送る音無に静かに近づく馨。芝を踏む音に振り返った音無は、心なしか目を潤ませていた。

「江波コーチ……」

 微かな表情の動きだけで、兄妹の仲に変化があったことは悟れた。
 馨は余計な言葉を掛けず、にこりと笑いながら手を差し延べ、音無を立ち上がらせた。

「さぁ、試合再開だよ。しっかり応援しなくちゃ」
「……はい!」

「ありがとうございます!」と言ってから雷門ベンチへ戻っていく背中は、前よりもずっと軽そうに見えた。


 鬼道がプレーに戻ってすぐ、雷門イレブンは勢い任せに攻撃を畳み掛けてきた。
《ドラゴンクラッシュ》を《パワーシールド》が防ぐと、今度は浮いた球を使って豪炎寺が《ファイアトルネード》を繰り出してくる。さすがにバカ正直にシュートを撃っているだけではダメだと考えたらしい連携技。間を置かずして放たれたシュートだったが、源田は何の問題も無く再度《パワーシールド》でゴールを守りきって見せた。

「ほぉ、すごいですなぁ」
「《パワーシールド》は衝撃波を用いた技なので、いくら連続で来ようが隙はつくれないんです」
「なるほど」

 最初は不可抗力だとばかりにおどおどしていた安西も、いつの間にか前のめり気味になって試合に見入っている。そんな彼に正面を向いたまま説明をしつつ、馨は源田の得意げな顔を見ては誇らしさに口角を吊り上げた。
 全国一位、帝国ゴールキーパー源田の守りはまさに鉄壁。それに、例え《パワーシールド》を破られようとも、彼の力はまだまだあんなものではない。アレがある限り、雷門が帝国から点をもぎ取ることは一筋縄ではいかないだろう。

「さあ、どう出てくるかな」

 だからこそ、こんなにも胸がどきどきしているのだ。いい加減彼らも、ただ安直にシュートを撃っていては勝ち目が無いと気付いたはず。一体ここからどのような打開策を打ち出してくるのか、今から楽しみだった。
 ゴールキックから始まったボールはまず咲山に渡り、ワンタッチで中盤の鬼道へと繋がる。空中ながらも上手く受け止めた鬼道は、着地と同時にふとベンチの馨へ顔を向けた。

「……?」

 それはまるで、「今からやることをその目に焼き付けておけ」と言わんばかりで。
 不意に向けられた表情には何かしらの熱意が込められているように思え、理由は解らぬまま、つられるように神妙な面持ちになる馨。鬼道は唇を引き結ぶと、再び前を見る。前方にいた佐久間と寺門へアイコンタクトをし、それを受けた二人は一度頷くと、一気に前線へと駆け上がりだした。
 ――何だ?
 練習時には見られなかった三人のフォーメーション。なのに、さも予め示し合わせしてあったかのような慣れた動きである。こんなプレーは帝国のマニュアルには無かったはずなのだが。
 眉を寄せたまま彼らの行動を見つめていた馨は、直後、その目を大きく見開くこととなった。

「なっ……」

 FW二人を走らせてすぐ、鬼道が高らかに指笛を吹いた。例の必殺技を連想させるその行為に思わず踏み出しかける――が、足はそこから動かなかった。いや、動けなかった。
 地面から現れた“奴ら”の色に、見覚えが無かったのだ。
 あの技を発動させると現れるのは赤い体躯のペンギン――しかし、鬼道が呼び出したのは蒼天の如く青い色をしたペンギンであった。

「何あれ……!?」
「皇帝ペンギン!」
「2号ッ!」

 ただただ驚くばかりの馨の前で、帝国の新たな必殺技――《皇帝ペンギン2号》が炸裂した。鬼道が強く蹴り上げたボールを先にいたFWが同時に蹴ることで、その威力は計り知れないものとなる。ペンギンを纏って雷門ゴールに襲い掛かる未知なるシュートに、馨だけでなく会場の誰もが湧き立っていた。

『何だァ!? 見たこともないものすごいシュートが雷門ゴールに迫っていく!』

 実況すら驚愕するそれを迎え撃つのは、円堂の《ゴッドハンド》。これまで数々の窮地を救ってきた技であるが――帝国プレイヤー三人掛かりの《皇帝ペンギン2号》までは防ぐことができない。《ゴッドハンド》は無残にも粉々に砕け散り、円堂はボールごとゴール内に吹っ飛ばされた。

『ゴール! 帝国学園先制! 鉄壁を誇る《ゴッドハンド》を打ち破ったのは、帝国の新必殺シュートだーッ!』

 ホイッスルが鳴り、帝国の先制を告げる。膠着状態に陥りかけていたスコアボードが、ここへきて初めて帝国側へと数字を刻み込む。
 興奮が渦を巻く会場の中央、あまりの衝撃に時さえ止まったかのようなピッチの中で、鬼道を始めとする三人は晴れがましくゴールを見据えていた。

「……あれ、は」

 帝国が先取点を得たというのに、喜ぶ安西の傍、馨はひたすら呆然とすることしかできない。決して喜ばしくないわけではない、ただ、今や頭の中はそれどころではなかった。
 今見た光景、その全てが脳に焼き付いている。血液の流れを速くさせる。どきどきなんてレベルではないくらい五月蝿く鼓動を打つ心臓を、シャツの上からきつく握るように押さえ込む。
 あの禁断の技、《皇帝ペンギン1号》によく似た、そのシュート。
 かつて自らが封印し、六年越しに表へ現れては再度存在を掻き消すことにした必殺技。それと酷似した、けれども明らかに使用者への負担が軽減された技が今、彼らの足から繰り出されたのだ。
 ――改良したのか。
 自分の与り知らぬところで、鬼道たちはひっそりと《皇帝ペンギン1号》を自分たちに見合った技に改めたのだろう。一人が蹴ったボールの勢いを殺さずに二人でシュートを撃つ、というかたちの難しさから習得に必要な時間を弾き出し、恐らく自身が入院している間に考案し、練習したのだと悟った馨。胸元を握り締めていた手を離してはだらりと垂らし、固く拳をつくった。
 ――まさか、そんなことをするだなんて、思いもしなかった。
 六年前の自分たちは、ただあの技を封印し、存在ごと覆い隠してしまうことしかできなかった。そうするしかないと思っていたのだ。《皇帝ペンギン1号》という名の必殺技があった事実そのものを消し去るべきものだと、忘れるべきだと、それだけを考えることしかできないでいた。
 だが、彼らは――今の帝国学園サッカー部は、違う。
 再三封じた後にその場で踏み止まるのではなく、知ってしまった存在を利用し、大きく足を前に動かした。
 六年前に馨が手に入れられなかったものを、鬼道たちはしっかりとその手に掴み取ったのだ。
 自らの力で、確実なかたちとして。

「……すごい」

 互いに感触を確かめ合っている鬼道、佐久間、寺門を見つめながら、馨は誰にともなく一人呟いた。全身に甘美とも言える痺れが奔る。
 前半終了のホイッスルの音が、やけに遠くに聴こえた。


 汗を流しながら戻ってきたイレブンたちに、早速準備しておいたタオルやドリンクを手渡していく馨。「お疲れ」や「先制おめでとう」などと励ましの言葉を掛けていく中で、ふと自身を射抜く視線に気付いて眼球だけを動かす。
 視線の主は佐久間だった。距離は離れていなかったが、彼はそこで何かを言おうとはしなかった。片目だけだというのに強い眼光、その中から佐久間が何を思っているのかを、正確かどうかは解らないが自分なりに丁寧に汲み取る。
 そのうえで、どんな反応をすれば良いのか、少しだけ惑った。
 きっと言葉はいらない。大それた仕種もいらない。ならばどうすれば、今抱いている感情を伝えることができるのだろう。いっそ、この震える心臓を丸ごと見せてやれたら良いのにとすら思う。

 ――これは、オレたち……今の帝国学園サッカー部の試合だ。オレたちだからできる、オレたちだけのサッカーだ。

 試合前に佐久間から掛けられた台詞が、ここへきて馨の鼓膜を擬似的に震わせる。自然と頬に力が入るのが自覚できた。それに影響されるように、視線の先にいる佐久間もまた、薄らと笑んだ。
 やがて佐久間の隣に鬼道がやってきて、今度は二人分の眼差しを受けることになった。やはり鬼道も無言であったが、彼にはそれ以外にも微細ながら変化がある。無意識に足を庇うようにしている姿を見て、馨はそこでやっと、現状で自分がすべきことを思い出せた。

「――鬼道くん、足を」

 自分がここにいる意味。
 彼らが掴んだサッカーへの触れ方。
 まだ試合は途中で、先が残っている。
 ならば、伝えるべきなのは今ではない――最後まで走り抜く皆を支えるため、今はできることをするだけだ。

「お願いします、江波さん」

 心なしか嬉しそうに寄ってきた鬼道を座らせ、先程痛めた箇所を重点的にケアを行う。怪我をした上にあの強烈なシュートだ、鬼道の足への負担もかなり大きいだろう。

「大丈夫? 痛みは?」
「平気です、プレーに支障はありません」

 簡単なやり取りをしながらスプレーを吹きつけ、軽いマッサージを施す。ある程度済んだところでふと鬼道を窺ってみると、彼はゴーグル越しにじっと馨を見つめていた。
 それに気付いたとき、殆ど無意識に口が動いていた。

「あの技、なんて名前?」

 名称を叫んでいたのは知っているし聴こえてもいたが、敢えてその口から聞いておきたかったのだと。そう訊いた後から、問いの理由が追いついてきた。
 鬼道は、あたかもこうなると解っていたかのように、はっきりと答えを返した。

「《皇帝ペンギン2号》です」
「……2号か」

「良い名前だね」と続け、今度はさっきよりも明確な笑みを浮かべる。心に溢れる思いの、ほんの一掬いを含んだ笑顔。しかし望む側にはそれだけで充分であったらしい。
 細めた馨の視界の中には、鬼道だけでなく他のイレブンもまた、誉れ高い表情を浮かべる様子が映っていた。


* * * * *


 後半開始直前。

「鬼道くんの負担が少し大きいから、他の皆もサポートお願いね」
「あぁ、任せろ」

 力強く頷いてくれる佐久間や寺門、その他帝国イレブン一人一人の肩や背中を叩いてピッチへ送り出した馨は、同じく向こうのベンチから出てくる雷門イレブン――主に円堂を遠目に窺った。顔色は普通だのに、いつものような熱意や覇気が感じられない。ハーフタイムを挟んだにも拘わらず、不調は未だに継続しているようだ。
 帝国は後半、《皇帝ペンギン2号》、さらに今大会では初となる《ツインブースト》を使って果敢に点を取りにいくつもりである。円堂があんな状態では、もしかすると得点差の開くゲームになってしまうかもしれない。こちらからでは心配することしかできないことがもどかしく、気付けば馨の眉間には数本の皺が刻まれていた。
 そのとき、偶然ポジションにつこうとしていた豪炎寺と視線がぶつかった。彼も普段より険しい顔をしており、馨が顔をゴール前の円堂に向けたのを受けて、解っていると言うように硬い表情で小さく首肯した。
 選手のことは、傍にいる仲間にこそ任せるべきだろう――馨は気を取り直し、再びベンチへと腰を落ち着かせた。

『後半キックオフ! 開始早々帝国が攻め上がる!』

 いよいよ後半が始まり、真っ先に攻撃を仕掛けていく帝国。
 一回目の《皇帝ペンギン2号》によって足の疲労が激しいはずの鬼道だが、そんなことを感じさせない素晴らしいプレーでボールをキープし続ける。華麗に二人のディフェンスを抜き去り、またあの技を撃つために前線とコンタクトをとる。しかし、鬼道の足を気にかけたらしい佐久間と寺門が首を横に振ったので、シュートは寺門のみに託された。今の円堂で防げるかどうかと緊張する馨だったが、展開は思わぬ方向へ転がった――寺門が足を振り上げた瞬間、突然雷門ゴール前に風丸が滑り込んだのだ。
 シュートを身体で受け止める風丸。円堂が驚愕すると同時に、馨は口を半開きにして前のめりになった。ゴール前に集まってきたのは風丸だけでなく、雷門DF全員だった。

『何と! 雷門DF陣が集結!?』
「……そういうことか」

 ――これが、雷門のサッカーだ。
 円堂の調子が悪いなら、DF陣が全力で彼のカバーをする。全員で守り全員で攻める、それこそが雷門イレブンのプレースタイルなのだということを改めて見せつけられるかのようだ。目の前では激しい攻防が繰り広げられているというのに、馨は薄ら吊り上がる両口端を抑えることができなかった。
 何回目かのシュートも防いだ雷門だが、弾き方が悪く絶妙な位置へ上がるボール。そのチャンスを逃さず真っ先に動いたのは佐久間、洞面、寺門。力強く放たれたのは《デスゾーン》だった。
 これは守れない――DFの間を抜けたボールに円堂は追いつけないと、誰もが一瞬でも帝国の追加点を確信した。
 しかし、この決定的なシュートにいち早く反応したのは――。

「土門くん!」

 思わず声をあげて立ち上がる馨。
 無謀にも彼は、頭で《デスゾーン》を止めに入ったのだ。

『土門防いだ! 捨て身のプレーだ!』

 案の定、地面に転がった土門はダメージが大きく自力で立てないようで、すぐに円堂や他のDFたちが駆け寄って大丈夫かと声を掛ける。帝国イレブンも、彼の意外すぎる行動に揃って驚いた顔をしていた。
 立ったまま土門たちを注視している馨の後ろで、安西が独り言のように言葉を漏らす。

「あの子は確か、元々うちにいた選手ですよな? まさか頭からいくとは……」
「あれが雷門の……いや、土門くんのサッカーなんです」
「へ?」

 どういう意味だと馨を仰ぐ安西だったが、対する馨は表情も無くフィールドを見つめることしかできなかった。
 ――皆が、自分のサッカーを見つけている。
 影山に縛られていた鬼道を始めとした帝国も、帝国と雷門の間で揺れていた土門も、今この舞台で、きちんと自分が望むサッカーを手にすることができている。馨はそのことが嬉しくてならない。あんな無茶なプレーをしたことに対し注意したい気持ちもあったが、何よりちらりと垣間見えた土門の顔が心から嬉しそうだったので、今はひたすら内心で彼を讃えるだけだった。
 土門は試合続行不可能らしく、温かな拍手の中、担架に乗せられてフィールドから去って行った。代わりに影野が入り、再びプレーが始まるのだと皆が気持ちを切り替えようとした。
 そんなとき。

「円堂!」

 豪炎寺の鋭い声と共に、円堂の腹へ炎を纏ったボールが突っ込んでいった。
 いきなりすぎる、しかも味方が味方にシュートを撃つなどという出来事に、ほんわかしていた馨やフィールド上の選手らも言葉を失って立ち尽くす。
 次いで豪炎寺は、現状を一番理解できていないであろう円堂に向かって真剣な声音で説教をした。

「グラウンドの外で何があったかは関係無い。ホイッスルが鳴ったら試合に集中しろ!」

 強く言い放ち、立ち去る豪炎寺。言葉少なく、その残りをボールで語るところは、クールなようで本当は熱い彼らしい。馨はつい肩を揺らして一笑してしまった。
 残された円堂は暫く考え込むような姿勢を見せたが、ややあってからすくりと起立した。今の説教を受け、思い悩んでいたことを漸く吹っ切ったのか、その顔つきは今まで見てきた雷門GK円堂守そのものであった。ボールを見つめる瞳には、もう何の濁りも無い。
 ――それでこそだ。
 彼が一体何に悩み、心乱されていたのか、それは馨の知るところではない。もしかするとデリケートな問題かもしれないので、後々無理矢理問い質すつもりもなかった――ほんの一瞬だけ、試合が始まるまではこの敷地内にいたあの人物の姿が頭を過ぎったが、深追いするのはやめておく。
 とにかく、やっと雷門が完全なる雷門らしさを取り戻せたのだ。ここからはこれまで以上に気持ちを込めて試合を見守ろうと、馨は握った拳にさらに力を入れた。

『帝国、辺見のコーナーキック!』

 辺見のコーナーキックから試合は再開され、ボールは内側に駆け込んでいた鬼道のもとへ繋がる。すぐ傍には佐久間がついていて、そのまま間を置かずに放たれたのは《ツインブースト》だった。タイミングも何もかもが完璧で、驚いたことに練習時以上に威力を増している。馨はいっそう胸が熱くなるのを感じた。

『新たな必殺技が円堂に襲い掛かるーッ!』

 真っ直ぐゴールへ襲い行く強烈なシュートであったが、それでも完全復活を遂げた円堂の新必殺技の前に敗れ去ってしまった。「それでこそ円堂だ」――円堂らしいパワフルなプレーに、馨も鬼道も得点を得られなかった悔しさよりも、彼と本気でぶつかり合える喜びの方が勝っていた。
 強く弾かれたボールは、既に前線へ上がっていた雷門FW二人に渡る。迷い無くゴールを狙いに行く様子から、馨は彼らに何か確信があることを悟った。

「もう気付いたのか」

 馨は僅かに顔を歪めた。
 無敵を誇る源田の《パワーシールド》の中で、しかしどうしても改善できなかった唯一の欠点――壁の薄さ。豪炎寺たちは、試合中の数十分という短期間に見事その攻略法を見つけ出したのだ。
《ドラゴンクラッシュ》を防いだシールドを、《ファイアトルネード》で直接ボールごと蹴りつける豪炎寺。その結果、近距離からの押し込みに弱い壁は無情にも砕け、ボールはゴールネットを大きく揺らすこととなった。

『ゴール! 雷門同点に追いついたーッ!』

 同点ゴールに湧き立つ雷門イレブン。
 対する帝国側は、この時間帯に追いつかれたことで選手たちにやや焦りの色が見えてきた。馨はテクニカルエリアぎりぎりまで出ていくと、ピッチにいる全員へ届くように大声を張り上げた。

「勝負はふりだしに戻っただけだ! 悔いの残らないように全力出し切れ! 君たちのサッカーを見せろ!」

 両手をメガホン代わりにしてそう叫ぶ馨。その熱く真摯な言葉が胸に染み込んだかのように、帝国イレブンは馨に、そしてお互いに今一度決意を込めて頷き合った。そうすることで焦燥感は消え、ただ生まれ変わった帝国として試合に勝ちたいという気持ちだけが彼らの心に残される。自分たちのサッカーで、勝利を掴みたいと――自分たちのサッカーを、見てもらいたいと。
 馨はベンチへ戻らず、それからはずっとその場に立って観戦していた。
 帝国が攻めれば雷門がすかさず守り、雷門がチャンスをつくれば帝国がすぐに奪い返す。力はほぼ互角と言っても良いだろう。均衡状態でも時計はどんどん進み、気付けば残り時間はあと僅か。息も吐かせぬ激しい展開の連続で、今やどちらもすっかり体力を消耗し切っている。
 いつからか応援することすら忘れ、馨はひたすら試合に見入っていた。限界を越えても尚ボールを追いかけ走り続ける少年たちを見ていると、言いようのない感動が胸に熱を孕ませ全身を痺れさせてならない。頭がぼうっとするくらい、身体中が熱かった。

「……」

 あの帝国学園の選手の誰も彼もが必死で、がむしゃらで、純粋にサッカーをしている。真っ正面から当たってはボールを取ろうと躍起になり、逆に取られたら一瞬も休まずに身体を切り返す。六年前でも、現代でも、初めて見る光景だった。感じる熱意に、名付け難い感情がじわじわと迫り上がってくるのを自覚する。

「皆……」

 これが、彼らのやりたかったサッカー――そして、自分が見たかったサッカー。
 無意識に奥歯を強く噛み合わせる。視線も心も、何もかもが依然目まぐるしく動き回るボールとプレーヤーたちに惹き付けられていた。まるで、この時が永遠に続いていくかのような、そんな錯覚にすら陥りそうになる。いっそ本当に、ずっと続いてしまえば良いのに――儚い願いは、均衡を破るワンプレーによって打ち消された。
 なかなか動かない試合の中、遂に決定打にも成り得るチャンスを取ったのは鬼道だった。ボールを持って雷門陣営へ突っ込んでいく彼の前には佐久間と寺門がいて、それだけで次の手が安易に予想できた。

『これは《皇帝ペンギン2号》のフォーメーション!』
「いけーッ!」

 時間は無い、ここで得点すれば帝国の勝利は殆ど確実と言えるだろう。そんな局面だからこそ、鬼道にも自身の足について全く躊躇いが無い。馨の声援に合わせるように、《皇帝ペンギン2号》が繰り出された。迎え撃つのは一回目と同様、円堂の《ゴッドハンド》だ。
 先程の結果を踏まえれば、ここで円堂が勝つ確率は限りなく低い。予想だけなら馨にもできるし、放った鬼道や雷門の皆にも解っていることなのだ。
 ――しかし、その確率を打ち破ってしまうのが彼、円堂守なのであって。
 馨は目を瞠った。
《ゴッドハンド》に突き刺さるペンギンたちが消散する瞬間が、まるでスローモーションのように目に映っていた。

「止め、た……」

 ゴールを死守するという執念が、両手を使っての《ゴッドハンド》へ繋がった。そしてより強固になった鉄壁は、《皇帝ペンギン2号》に追加点を許しはしなかった。

『円堂受け止めた! 帝国渾身の《皇帝ペンギン2号》を受け止めていたー!』

 絶句する鬼道や佐久間たち。馨も円堂に潜む無限の可能性を知っていて尚、やはり驚愕する以外反応のしようがなかった。彼はまさに、試合中にでも進化し続けているのだ。
 シュートは止めたが、まだ試合は終わっていない。円堂の守り抜いたボールは、仲間の意志とともに帝国ゴール前まで運ばれる。優秀な帝国DF陣さえ奪い取れないパスワークの後、跳んだのは壁山と豪炎寺。《イナズマおとし》の面子である。

「源田!」

 ゴール前の源田を見遣れば、彼もまた馨のことを横目でちらりと一瞥し、決意を込めるように大きく頷いた。馨もそれに応えて頷き返せば、源田の視線は来るシュートに備え正面に向けられた。
 最後の攻撃を迎え撃つため、源田は腕を壊す勢いで隠していた奥の手、《フルパワーシールド》を発動させる。《イナズマおとし》くらいならば容易に防ぐことが可能な、まさに王者に相応しい無敵の壁だ。腕への負担とゴールを守りきるという執念が併さって、源田の表情は尋常でない程必死に歪められている。
 高まる緊張と迫り来る熱気。これが決まれば雷門が勝つという張り詰めた空気。
 そのとき、不意に壁山の背後に跳んで現れたのは――キーパーである円堂だった。

「……!」

 あれは《イナズマおとし》ではない!
 そう気付いたときには既に遅く、気付けば豪炎寺と円堂による凄まじいシュートが《フルパワーシールド》を突き破っていた。絶対に諦めない気持ちがここへきて新たに生んだ、三人の必殺技である。
 直後にピーッと吹かれたホイッスルが、雷門の逆転を高らかに宣告する。ゴールを破られた源田、それを見ていた帝国イレブンが呆然とする中、ディスプレイの得点表示が変化し――そして。

『ここで試合終了! 雷門中勝利! 四十年間無敗の帝国学園、遂に敗れるーッ!』

 ――試合終了。
 二対一、雷門が逆転勝利を収めるかたちで、激闘の地区予選決勝は幕引きとなった。




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