大学のレポート課題がなかなか終わらなくて、寝不足の顔でバイト先の霊とか相談所に行ったら霊幻さんに「疲れてんのか」と尋ねられた。
訳を話すと、彼は読んでいた新聞をバサリ、とテーブルに置いて、一人掛けのソファーを私の対面に寄せて来た。

「どれ、今日は特別にマッサージしてやるよ。手出せ」

ほら、とでも言うように、霊幻さんは私に両手を差し出した。
今日はお客さんが訪れる気配も無く、モブくんもまだ来ていないらしく、相談所は相当な暇を持て余していた。
珍しい申し出に頷き、私は自分の手のひらを彼に向ける。
思ったより温かい節くれだった指が触れた。
そのまま指を手のひらに組まれ、彼は親指の腹で皮膚を探るように押し出した。

「ここが神経のツボな、んでここが労宮っつって疲労回復に効果がある所だ」

次々にツボの場所を説明をしながら、私の手のひらを絶妙な力加減で押してくる。
これは気持ちいい。さすが数々の除霊という名のマッサージをこなしてきただけある。

「どーよ、本来は除霊に使うもんだが、それ抜きでもなかなか効くだろ?」
「気持ちいいです。ていうかいっそ整体師になればいいんじゃないですか?」
「バッカ除霊用だっつってんだろー!俺のマッサージはあくまで霊能力の効果があってこそ、本来の力が発揮されるんであってだなぁ…」

除霊の定義がよく分からなくなってくるが、マッサージの腕は確かのようだ。こっちの方が稼げるのではないだろうか。
そういえば、全身マッサージもやってるんだっけ。
ここに来るお客さんもいつも満足そうに帰っていくから、相当腕がいいのだろう。

「霊幻さん、今度全身もやってくれませんか?」
「は?」

私の要望に、霊幻さんは少し驚いたような顔をした後、妙なものを見るような目付きでこちらを見た。何故。

「……………なんで?」
「え、気持ち良さそうだから…?」
「………」

まさか質問に質問を返されるとは思わなくて少し戸惑ってしまう。
てっきりいつものノリで「全身は高いぞー?」なんて言われるのかと思っていたから。
しばしの沈黙の後、霊幻さんはマッサージを続けている手を見つめながら一言、「駄目だ」とだけ言った。

「えーどうしてですか?」
「どうしてってお前な…、……さっきも言った通り本来は除霊に使うもんだからだよ。手だけでも有り難く思え」

微妙に口ごもりながら意味不明な言い訳をする霊幻さんに疑問が浮かぶ。
除霊って言ったって、現に今してもらっているのはただのマッサージだし、それなら全身やってもらったって変わらないのでは。

「別にいいじゃないですか。あ、勿論お金なら払いますよ?」
「そーいう問題じゃねぇよ」

はあ、とため息を吐かれた。なんなんだ。
霊幻さんはマッサージに集中している為か顔を伏せているので視線は合わない。
代わりに目の前に見える金がかった茶髪に不満を込めた眼差しを向けていると、ふいに顔が持ち上がって目が合った。
結構近い場所に顔があって、反射的に体が少したじろいてしまう。
対面にある顔は、何だか気まずそうというか不服そうというか複雑そうな表情をしていて、彼の意図が読み取れない私は首を傾げた。

「お前さ」
「はい?」
「俺にあちこち触られても平気なの?」

思わぬ発言に、私の喉は一呼吸置いてから、は?と間の抜けた声を出す。
そして脳が彼の言った事の意味を少し遅れて理解すると、私の顔は途端に熱を持った。
慌てて首を思いっきり横に振る。

「いやいや、どうしてそういう意味になるんですか!?ていうかお客さんには普通にマッサージしてるじゃないですか!!」

一体何を言っているのか。
私はあくまでただマッサージを頼もうと思ってるだけなのに、なぜそんな破廉恥な意味を含んでくるのだ。セクハラだ。
慌てている私とは対照的に、その元凶を作った目の前の男はさして大したことを言っていないとでも言うような態度だ。

「そりゃお前、お客さんは別だろ。うちの客は割とおっさんが多いしな」
「女性のお客さんだって来てるじゃないですか!いつもそういう変な気起こすんですか!?」
「馬鹿言え、あくまで客だろ。俺は仕事はキッチリやる方なんだよ」
「だったら」
「お前は無理」
「は……っ?」
「お前だったらマッサージ中に変な気起こす自信はある」

じぃっと見つめられながら、さらりととんでもないことを言われて、私は硬直してしまう。
それは一体どういう意味なのか、聞きたいけど今の状況ではとても聞けない。
尚も続けられているマッサージにまで変な意識が集中し、手のひらがじわじわと汗ばんでいくのが分かる。

「どうした?手、熱くなってきてるぞ」

一体誰のせいだと思っているのか。
顔色ひとつ変えず、それどころか何処か楽しそうな様子で彼は意地の悪い事を言って寄越した。

「け、血行が!良くなってきたからです!」
「そーか、そりゃ効果があってよかった」

本気で言っているのか、からかっているのか、目の前の男からは全く気持ちの所在が掴めない。どちらにしても質が悪い。
居たたまれない。恥ずかしい。この状況と掴まれている手から逃れたい。
けれど私の手を包んでいる大きな手がしっかりと組まれていて振りほどけない。

けれどその心情を読んだかのように、突然手のひらから温もりが消えた。
霊幻さんが私の手をあっさり離したからだ。
少し名残惜しいと思ってしまった自分の気持ちに狼狽えていると、代わりに熱を持った頬に彼の指が触れ、私の身体は僅かに跳ねた。

さっきまで何とも思っていなかった動作や感触のひとつひとつに、心臓が激しい動悸を起こす。
私の手よりしっかりとした大きくて骨張った指。男の人の手。
そう認識してしまったら最後、勝手に目頭が熱くなって、頭の奥が痺れるような感覚に陥る。
そんな私を彼はまっすぐに見つめてどこか嬉しそうに目を細めた。

「まあお前がそれでもいいってんなら、今からでも喜んで施術するぞ」

両の頬を優しい手付きで撫でられて、彼の手のひらも私と同じように熱い事に気が付いてしまって、頭がくらくらする。
どうして、拒むことが出来ないのだろう。
まるで金縛りにあってしまったかのように動けないまま、近づいてくる顔をただ見ている事しか出来なかった。




急転直下
(ガチャ)
(ガッターン)
「こんにちは、遅くなりまし……師匠、どうしたんですか椅子から転げ落ちて……あ、まさかまたGでも出たんですか?」
「モブ…モブおま、なんだその絶妙なタイミング」
「?ありがとうございます」
「いや褒めてねーよ!!」



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