相変わらずの暇を持て余した相談所の室内で、窓から入る暖かな日差しを背中に浴びながら、デスクに腰掛けている霊幻は目の前に広げた新聞をぼんやりと読み耽っていた。
玄関の扉が開いた音が聞こえ、慌てて営業スマイルを作り椅子から腰を浮かせたが、聞こえてきた声が知り合いのものだと分かると再びその身を椅子に沈めた。

「こんにちは…」

しかし響いてきたその声に覇気はなく、声の主は窓際のデスクに霊幻の姿を認めると、真っ直ぐにそちらに向かった。
霊幻は彼女の青ざめた顔を一瞥し、問いかける。

「おー、○○。どうした、腹でも痛いのか?」
「体に痣のようなものができちゃったんですけど…」

痣、と霊幻は彼女の言葉を反芻する。
前にもそんな依頼を受けた事があったっけ、とぼんやりと過去の依頼を頭の中で掘り返した。

「顔みたいで不気味だったんで視てもらいたかったんですけど、それで、あの………」
「ん?」
「霊幻さん、霊能力者の知り合いに女の人いたりしません?」
「俺がフリーなの知ってんだろ。同業者はライバルしかいねえよ」
「ほらあの、前に言っていた森羅なんとかさんって方は」
「ソイツは男だぞ」
「ですよねー…」

なんだ急に。目の前の天才霊能力者を差し置いて他の奴を紹介してほしいなど一体どういう了見だ、と思ったが、直ぐに彼女の意図に検討が付いた。試しに質問を投げ掛けてみる 。

「…因みにその痣とやらの場所は何処なんだ」
「いや…ええと」

言いにくそうに口の中をモゴモゴさせている○○の様子に、霊幻は予想が的中したと確信した。
わざわざ女の霊能力者を紹介して欲しいなどという事は、男には見せられない場所にその痣が出来たに違いなかった。

「ふむ…胸辺りか?」

取り敢えずそう指摘してみると、○○は心底驚いたといった様子で目を丸くした。

「な、なんで…」
「んなもん分かるに決まってんだろー。世紀の天才霊能力者であるこの霊幻新隆にかかれば、どんな悪霊も霊視できちまうんだよ」

本当は前に同じような依頼を請け負った事があった為、適当に言い当てただけだったが、そんな様子はおくびにも出さずに言い放つ。
案の定○○は本気にした様子で、焦りながら胸元を腕で覆い隠していた。

「まあそうは言ってもだな、その悪霊を直に確認しない事には除霊も何も出来ん。事は一刻を争う。どれ、すぐに俺が視てやろう」
「えっ」
「施術室行くぞ、早くしろ」

先程までだらけた様子で新聞を眺めていた人とは思えない俊敏な動きで霊幻は立ち上がり、施術室への扉を勢いよく開いた。

「ままま待ってください!だから女の人…」
「だからいねーよ!それに悪霊が取り憑いてる危険な痣だぞ!すぐに除霊した方がいいだろう!心配すんな別に俺は個人的な興味でお前の胸が見たいとかそんなんじゃなくあくまで除霊の為だ!さあ早く!見せてみろ!」
「い、いやそれなら芹沢さんかモブくんに視てもらいますから!!」
「はぁ〜〜〜〜!?何言ってんだお前は?純情な男子二人には刺激が強すぎて除霊どころじゃなくなっちまうだろーが!あいつらにはまだ早い!」

渋る彼女を何とか施術室へ誘おうとする霊幻だったが、しかし○○の方もなかなか折れる気配はない。相当見られるのが嫌だといった様子だ。
芹沢とモブには見せてもいいのに俺は駄目なのかよと内心少しショックを受けたが、今はそれどころじゃないと直ぐに頭の隅に追いやった。
暫くの問答の末、霊幻は観念したかのように息を吐き出した。

「…わかった、そこまで言うなら仕方がない。『女の霊能力者』に視てもらいたいんだな。少し待ってろ」

霊幻はそう言うが早いか、そのまま施術室に引っ込んでいってしまった。

「……」

急に態度を変えた霊幻に拍子抜けしてしまった○○は、取り敢えず言われた通り待つ事にした。

(なんだ、いるなら早く紹介してくれればよかったのに…)

どんな人なのだろう。
霊幻は自分の事をあまり話さない。
親しい女性なのだろうか。

ツキ、と胸が鈍く痛む。
この不気味な痣のせいなのか、別の理由なのかは分からなかった。

事務所のソファーに身を預けながらぼんやりと頭の中で色々と巡らせていると、暫くして施術室の扉が勢いよく開け放たれた。

「おまたせ〜」
「は……?」

無理矢理作ったであろう男性の奇妙な裏声が室内に響く。
施術室から出てきた霊幻の出で立ちに○○は目を剥いた。

「な、な…っ??」

赤いブレザーに、チェックのプリーツスカート、白いハイソックス。確か私立の名門校である聖ハイソ女学園の制服だ。
本来なら女子学生が纏うべき制服をなぜ今目の前の男が身に付けているのか、いや、そもそもなぜそんなものを持っているのか。
彼の後頭部にはエクステだろうか、髪色と同じポニーテールが揺れていた。

「これで満足だろ?あ、やべ。満足でしょ〜?」

ウインクを決めながら彼の考える最大限の可愛らしいポーズを取ってはいるが、いくら言葉と声色を作り直した所でどう見てもただの女装した男にしか見えない。あまりのことに○○は思考がついて行けず、ただただその光景を眺めている事しかできなかった。

そんな状態の彼女をいいことに、霊幻はほらほらと手を引いて施術室の中に連れ込み、台の上に座らせた。

それはあまりにも流れるような動作であったため、抵抗するのをすっかり忘れていた○○だったが、服に霊幻の手が掛かった所で流石に我に返った。

「ちょっ、何してるんですか!?」
「ほらぁ〜女同士なんだからぁ、恥ずかしがることないじゃな〜い」

あくまで女だということを貫くつもりであろう霊幻は、混乱している○○を余所に次々とボタンを外していく。

「誰が女…ぎゃあー!!変態!!」
「誰が変態だ!お前が女じゃなきゃヤダっつーからここまでしたんだろ!?悪足掻きはよせ!」
「ここまでするなんてドン引きですよ!!誰が女装しろなんて言いました!?」
「何言ってんだよお前は!どっからどう見ても可愛いポニテ女子高生だろうがっ!」
「何言ってんだはこっちの台詞ですよ!全国の女子高生に謝ってくださいよ!」
「あ、やべっまたすね毛の処理を忘れちまった!待ってろ今通販で買った脱毛テープで処理してくるから」
「いつの間にそんなものまで買ってるんですか!?そういう問題じゃなくて…!」
「○○、」

そこまできて、霊幻は両手を彼女の肩に置いて彼女と視線を合わせるように身を屈ませた。
急に真面目な顔付きになった彼に、○○は思わず言葉を飲み込む。

「…いいか、よく聞け。俺はこの相談所で、体に顔のような痣や腫れ物が出来たという依頼を何件も解決して来たんだ」

このままでは埒が明かない。
早々に見切りを付けた霊幻は、無理矢理話を切り替えた。
女装が駄目なら実績だ。案の定○○の様子が変わった。

「……ほ、本当に……?」
「本当本当(どれも最終的にモブに溶かしてもらったが)その上で『女の霊能力者がいい』というお前の要望を最大限に配慮し応えた結果がこれだ。お前が男に視てもらうのがどーーーしても嫌だっつうから特別にこんな格好までしてやったんだぞ〜?」
「う……」
「普通に考えて、俺が喜んでこんな格好すると思うか?だがこっちはプロだ。どんな仕事でも真剣に向き合う。女にはなれないが女の格好をすることで、お前の不安を取り除いてやろうと思ったんだがなぁ」

我ながらよく回る舌だと霊幻は思う。

本来なら嫌がる女性に対してここまで無理強いする趣味はない。
霊幻本人も自分がどうしてここまで執着するのか、自分自身の事ながら馬鹿馬鹿しくは思っていた。
けれどどうにも「霊幻にだけは見せたくない」といった○○の態度が行動に拍車を駆けたのは分かっていた。

「……わ、わかりました」

納得したのか根負けしたのか、彼女の口から了承の言葉が出ると、霊幻は心の中でガッツポーズをした。それを○○は知る由もない。

○○は少し躊躇いながらもゆっくりと自らのボタンを外していく。
この状況に後ろめたさを感じないと言ったら嘘になる。しかし、もう後に引くことはできない。霊幻は余計な思考を振り払った。
全てのボタンが外され、レース付きのキャミソールと柔らかそうな白い肌が覗き、霊幻は思わず目を細めた。
余程恥ずかしいのか、頬を紅潮させて顔を背ける○○の様子にゴクリと喉が鳴る。

「…どうですか」

流石にここまでくれば観念したのか、消え入りそうな声でポツリと○○が呟く。

「なかなかいい眺め…じゃなくて、こりゃ前にも対応したことがあるな」

右の胸辺りにそれは在った。
確かに痣だ。そしてやはり顔に見える。
そういえば以前にも胸の谷間に痣が出来たと言った客(巨乳)がいたなと思い起こす。その悪霊と同じ類いか。
下着のレースから半分覗く顔に、前といいなんつー所に憑いてんだよエロ悪霊が、と心の中で大きく舌打ちした。

「ほんとですか…じゃあお願いします」

○○は羞恥心に耐えるように眉根を寄せて霊幻と目を合わせられずに俯いている。
その様子に当然ながら疚しい事をしている気分になり、よくない熱が頭をもたげる。
しかし最初こそ下心全開ではあったが、実際に痣を目の当たりにした霊幻は、仕事として切り替える事に決めた。
信用を失って嫌われるのだけは御免だ。頭の中で煩悩を殴りながら努めて冷静に言った。

「触るがいいか?」
「う……」

霊幻の言葉に○○は目を見開いたが、少し迷った末に小さく頷いた。
赤黒く変色してしまった皮膚に霊幻の指が触れる。柔らかな肌の感触に危うく意識を持っていかれそうになる。必死でこれは仕事だ、と言い聞かせた。
触れた途端、顔のようなそれはウゾウゾと気味の悪い動きを見せた。マジか本物か、と霊幻の顔に落胆の色が浮かぶ。
以前背中に顔のような腫れ物が出来たと言った客にはクリームやらピコハンやら色々対処したがどれも全く効かず、結局は弟子に除霊してもらったのだ。
やはり彼ら呼ぶしかないかと思案する。

「…痛みは、」

あるのか?と続く言葉は、顔中を真っ赤に染めた彼女の目尻に鈍く光るものが見えた瞬間に喉の奥に引っ込んでしまっていた。

「………」

罪悪感に頭を殴られた気分になる。こんな姿を見てしまっては、これ以上無理強いすることは流石に躊躇われた。
そんなにも自分に見られるのが嫌だったのかと少なからず傷心する。今夜は久しぶりに一人で飲みに行く事を霊幻は固く決意すると、部下二人に連絡をしようと立ち上がった。

「……わかった、悪かったよ。そこまで嫌なら直ぐにモブか芹沢呼ぶから、な?」
「……霊幻さんは、」
「ん?」

掠れた小さな声に短く聞き返すが、彼女の口からはなかなか次の言葉が出て来なかった。
一体どうしたというのだろうか。
まさか悪霊が悪さでもしているのか。
だとしたら、もう悠長にしているわけにはいかない。
携帯電話に手を掛けた所で、○○からようやく言葉が発せられた。

「……巨乳が、好きなんですよね……」
「……、……は?」

急に何を言い出すのか。
思いも寄らなかった言葉に呆気に取られた霊幻は、暫く意味を汲み取れず、疑問符ばかりが浮かんだ。

「前に花沢くんがそう言ってて…」
「はっ?あ〜〜…あいつ……」

何故○○にそんな余計な事を…今度また絶対に除霊を手伝わせてやると霊幻は強く思った。

「除霊の為だって分かってますけど…、…私、小さいし…こんな…」

ぽつり、ぽつりと紡がれる彼女の言葉の輪郭が段々とはっきりしてくる。

(…つまり、なんだ、俺に見られたくなかったのは、それを気にしていたからだっていうのか……?)

そこまで考えが至ると、心臓が噴き出すかのようにドクドクと暴れだした。
先程まで必死になって抑えつけていた煩悩が再び顔を出してくるのが分かる。

「霊幻さんにだけは、見られたくなかった…」

顔を伏せた彼女の消え入りそうな弱々しい呟きにいよいよとどめを刺された気分になり、今すぐに腕の中に閉じ込めたい衝動に駆られた。
モブも芹沢も、連絡しなければ今日は来ない。
客が来る気配もない。
熱に浮かされたような朦朧とした頭の隅で、相反するかのようにひどく冷静に狡猾に思考する。

―――しかし、

霊幻は熱を振り払うように拳を作って思い直すと、携帯電話を取り出して弟子の番号を表示した。

「あ、もしもしモブ?悪いけど直ぐに来れるか?…おー、頼むわ、じゃあな」

短い通話が終了し、携帯をパチンと閉じると、霊幻は彼女に向き直って言った。

「今モブが来るから待ってろ」
「すみません…変な事を言いました。忘れてください…」

色々と恥ずかしいものを晒け出してしまったであろう○○は、いよいよ泣きそうなのか声を僅かに震わせて耳の後ろまで赤くなっている。
それがまた霊幻のよろしくない熱を発露させているのに全く気づいている様子はない。既にボロボロに崩れそうになっている理性を必死に押し留める。勘弁してくれと天を仰いだ。

「あ〜〜のな〜〜…、お前…こっちは必死でいろいろ抑えてるってのによー…」
「………?」

○○は要領を得ないといった顔で彼の顔を見る。
水分を含んで揺れる潤んだ黒目がちの瞳と、上気して赤く染まった頬。無防備に晒された柔らかそうなふくらみ。不思議そうな表情で見つめられ、ぐ、と霊幻は何かを堪えるように息を詰める。今の霊幻にとっては全て凶器でしかない。
好きな女が思わぬ言葉をくれて、こんな霰もない姿でいるというのにこの状況。
いろいろあってすっかり失念していたが、女装姿の自分。
拷問だ。地獄絵図だ。

「…つかな、ソイツが邪魔なんだよ!その!悪霊!羨ましい所に取り憑きやがって、まず除霊しねーと何もできねーわ!モブが来たらすぐにソイツ蒸発させるから、そしたら、お前、………つーか俺着替えてくる!!」

半ばキレながら施術室の奥の扉に引っ込んだ霊幻だったが、再び顔を覗かせる。

「あ、モブくるまでお前も胸仕舞っておけよ。アイツは見せなくても除霊出来るから」

それだけ言って閉められた扉に向かって、○○の怒号が響いた。




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