episode 125
届かぬ温もり

 白は嫌いだ。昔着ていた服を思い出すし、自分の手がより汚れて見える。刃物を持つのも嫌いだ。人の肉を切り裂くあの感覚を思い出す。心の中では「嫌だ嫌だ」と言いながらも頭の中は真っ白で、ただただ血を流す事しか出来なかったあの頃を思い出す。ただただ弱かったあの日々は、わたしにとっては嫌な思い出だ。
 夕方ごろ、イーグルに再び呼び出されたレイノは二度目のお茶会に付き合わされた。その後に本題として今夜の「チェス」の話をしたから良かったが、もしもお茶会の為だけに呼び出したのならば彼女はこの温室をぶち壊していただろう。


「…あなた、こう言うの気にする人なんですか?」
「そのドン引きしてるような目止めていただけますか?」
「だって…ねえ?」
「俺に振るな心底困る」

 イーグルに手渡されたとある物をまじまじと見つめ、レイノはぼそり、と呟いた。それに対して彼は何時も浮かべている温和な笑みを浮かべ、しかし、何処か苛立っている様な声色をこの場に響かせた。そんな彼の新たな一面を見ても彼女の様子は先程と何ら変わりは無く、矛先をジェオに向けたのだ。その時のジェオの表情は被害者に相応しい良い顔をしていたと言う。


「…本当に良いのか」
「構いません。今更迷うとでも思います?」
「…いや、思わないな」

 先程までの楽しげな雰囲気は、ランティスが言葉を紡ぐ事によって一変した。その言葉に僅かに目を見開くが、すぐに目を細め、レイノは困った様に彼を見上げる。そして、思い切り笑んだのだ。その思い切りの良さが、その表情があまりにも明るくて、あの女が言っていた事は嘘なのではないか、そんな事を思ってしまったのだ。その腹に隠れる黒い感情を知らずに、彼はただ目の前の彼女を憐れむ様に見下ろした。


「そろそろ、わたしも我慢の限界なんだよねえ」

 僅かな暗がりを見せた少女の表情に気付く者は、まだ居ない。




 夜、レイノとモコナを除く一行は「チェス」の会場に赴いた。サクラは何時もの様にファイに支えられながら階段を上って行く。この行為をどれだけ重ねられても、慣れはしない。寧ろ罪悪感が募って行くのだ。目の前に映るファイの微笑みはやはり貼り付けられたもので、少し悲しい気もする。
 そんな時、サクラの手がピク、とファイの手の上で跳ねたのだ。その直後に強めに握られた自身の手に思わず目を見開くと、目の前の翡翠色の瞳には自身の驚いた顔が映っている。


「ファイさん」
「なぁに?」
「言ってくれましたよね、わたしの望み通りにと」
「それが、我が姫の望みならば」
「じゃあ、たった今これから、自分を一番大切にすると、貴方の一番大切な人の傍にいる、と約束して下さい」
「…サクラちゃん」

 サクラちゃんのその言葉のせいで、オレの脳内はなぜか今ここにいないレイノちゃんでいっぱいになってしまった。昨日あんな事をやって、一夜で忘れられるはずもないんだけど。横から注がれる忍者さんと『小狼』君の視線には気付いてるけど、それにかまけている暇は無いみたいだ。


「準備はよろしいですか?」
「最後のマスターは貴方ですか」
「一応責任者ですから」

 そんなファイの思考を途切れさせたのは柔らかな声色をしたイーグルの一声だった。両隣にはジェオとランティスを携え、臨戦態勢は充分な様だ。そんな彼らを見つめるサクラの視線は冷たく、そして冷静だった。しかし心の中では、この場に居ないレイノを案じる気持ちが垣間見えていた様に思う。


「さて、最後の『チェス』は駒は互いにひとりで行いたいと思うんですが、いかがですか?」
「おれがやる」
「了解しました」

 イーグルが提案を持ち掛けた瞬間、ジェオとランティスの顔色が、少しばかり暗くなった気がするが気のせいだろうか。そんな僅かな変化にも気付かず、『小狼』はただ前を見つめて口を開く。その答えに対して、イーグルは快く笑みで答えた。その『小狼』の答えに反対する者はこの場にはいない。『小狼』が黒鋼とすれ違う瞬間、忠告を受ける。その意味が分かる時はそう遠くは無い。




 サクラとイーグルがそれぞれ指定の席へ腰を落ち着けるとステージと階段が離れ、卵型の椅子が鎖で吊り下げられる。ガコン、と言う音と共に二人の身体が一度揺れる。しかし、その二人の視線が揺らぐ事は無かった。こちらも臨戦態勢は万端なのである。するとふと、彼の形の良い唇がゆっくりと弧を描く。


「武器ですが、それは、いつも使っているものではないのでしょう?貴方の最も得意とする武器で闘いましょう。魔力とやらも、使用可で」
「監視してやがったのはあいつらか」

 長々と紡がれた言葉達は、『小狼』にとっては確信を生み出すもの達だった。黒鋼の言う通り、『小狼』も同じ様な事を考えているのだろう。そんな彼らの反応に先程よりも深い笑みを浮かべたイーグルは「その力も、マスターの精神力次第ですが」と付け加えた。一方で、ファイは何かを考え込む様に眉を顰めている。脳内に浮かんでいる人影が誰なのか、それが分かる者はファイだけなのだが。
 イーグルの言葉を聞いた『小狼』はサクラの頷く様子を目に焼き付け、持っていた武器をステージ外に居る黒鋼に投げ付けた。そして両手をクロスさせ、その間から魔力が込められた剣を取り出したのだ。


「では、こちらの駒を……レイノさん」
「は…?」

 そう言われて出て来た人物は確かにレイノだった。しかし、この国に来てから何時も着ていた黒のワンピースではなく、所々にビーズが散りばめられている白のワンピースだ。何時もならサイドで緩く纏められている髪も無造作に下ろされ、右側に淡い紫色のバレッタを付けている。「異世界の同一人物」なのではない、正真正銘仲間である彼女だ。なぜ、お前が、そっちにいるんだ。


「武器はこれで良いですか?」
「…魔力は?」
「善処します」
「従順な上司は嫌いじゃないです。今日はよろしくお願いします」

 驚く『小狼』らを他所に、イーグルは何処からか取り出した刀をレイノに差し出す。指先で刀をそっとなぞるその姿は美しく、そして、その行為そのものが酷く手慣れたものだった。背でイーグルの言葉を受け止めながら、彼女はそれを一振りする。ブン、と風を切る音が清々しい。コツ、と靴音を鳴らし、彼女は『小狼』と対峙した。その時の顔は、今でも忘れられない。


「『小狼』も、よろしくね」

 目元が笑わないお前の中には、確かに怒りが棲んでいた。

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