午前11時59分、普通の生徒なら授業を受けている筈の時間帯だ。その時に、雲雀は目を疑う様な光景を視認する事になる。―――目の前にはなぜかいる沢田綱吉と赤ん坊、そして、もじゃもじゃな頭をしたチビ。いつだったか、馬鹿な後輩が「ランボ君」と呼んでいた気がする。それに対して、ここにいるはずの苗字の姿が見えない。きょろきょろ、と辺りを見渡していたが、沢田綱吉の青ざめた姿しか見えなかった。じわじわと広がる嫌な予感を感じながらも、僕は見慣れない人影を目にする。さらさらと肩から垂れている茶髪の子供は見た事もないはずなのに、どうしてか懐かしさを感じた。ひく、と反応した頬はきっと気のせいじゃない。
「す、すみません……!」
―――嗚呼、今日は厄日か何かだろうか。
「…で、どう始末つけてくれるの?」
「ひ、ひいいい!」
端的に言うと、この見慣れぬ人影は10年前の苗字らしい。この小動物が持つ「10年バズーカ」と言う武器に巻き込まれた、のだと言う。赤ん坊が言うには、「普通ならばここに現れるのは10年後の姿らしいが、どうやら壊れていたらしい」のだ。それに加えて5分で戻れる所が、何時戻るか分からないと言う。良い迷惑である。―――こう言った現状を踏まえての雲雀の言葉は至極当然と言えよう。
「まあ落ち着け、ヒバリ。いつかは戻る」
「だからそれはいつなの」
「分かんねーな」
「……ふざけてるの?」
断言する様に言葉を紡いだリボーンは、沢田の頭上にちょこん、と足を乗せてみせた。上から注がれる彼の視線がこんなにも嫌だと思った事は今の一度もないだろう。ピクピク、と痙攣する青筋を無視して、雲雀は問い掛ける。しかしその言葉も、決して相手の意図を問うものではないのだ。室内に響く「ヒバリさん怒らせるなよ!」と言う沢田の言葉さえ無視し、雲雀は机に置かれた書類の束に視線をやった。―――この量はさすがに嫌になる。
「ふざけてる訳じゃねーが、しばらく預かっておいてくれ」
「……本気で言ってる?きみ」
「ああ。このアホ牛をシメなきゃなんねェからな」
「なに物騒なこと言ってんの!?」
「それまで名前の事は頼むぞ」
「ちょっと、ここは託児所でも何でも…」
雲雀がそこまで言葉を強めた時、肩から垂らしていた学ランが何かに引っ張られる感覚が生まれた。思わず目を丸くしてそちらを見ると、そこには随分と小さくなってしまった名前が裾を摘まんでいたのである。―――その小さな手は僕が知っている苗字のものよりも随分と頼りなくて、振り払う事は出来なかった。ぐ、と息を詰まらせると、その視界の端で焦っている沢田綱吉とニッと笑った赤ん坊の姿が見えた気がする。
「―――決まりだな」
その光景が酷く苛立って、溜め息を吐いた僕はきっと悪くない。
こんにちは、草壁です。今日は委員長に言われ、書類整理の手伝いにやって参りました。場所はもちろん応接室、何も違和感は無いです。―――その前に来るまでは。いつもなら静かなその場所は、なぜかガタガタ、と物音を立てていました。まさか、委員長まさか、我慢がならなくていよいよ。そんな考えを巡らせてしまった私をどうか殴って下さい。けどそう思ったのは室内の光景を目にしてからで、私は焦りのあまり、ノックもせずに入室してしまったのです。
「委員長!さすがに無理矢理は…!」
「ひ、ば、り、ちゃん!」
「『ちゃん』じゃなくて『さん』って呼べ。それ何回目?」
「……アレ?」
そこに広がったのは草壁が想像していたものより至って健全で、彼は思わずぱちくり、と瞬きを繰り返した。見慣れない小さな人影が雲雀にくっ付き、その雲雀も本気で嫌がる素振りは見せていない。それこそ違和感でしかないが、草壁は雲雀の元へ近付いた。そして告げられた「赤ん坊に巻き込まれた」と言う言葉に、草壁は察する事を余儀なくされたのだ。
「と言う事は、その赤ん坊は…」
「……うん。苗字」
そう言って肩から垂れる名前の長い茶髪に指を通しながら、雲雀は眉を顰める。しかしその瞳は、この小さく頼りない存在を慈しんでいる様にも見えた。こてん、と首を傾げると胸下辺りまで伸びている茶髪がさらり、と靡く。―――嗚呼、これが委員長が好む「小動物」なのだろうか。可愛い、と思うのも分かる気がする。
「雲雀ちゃん!ボーロちょうだい!」
「ん」
「えへへ。わたし、これ好きー!」
「そう、良かったね」
「雲雀ちゃんもすき!」
「……あっそ」
(照れてるな……)
「―――草壁、さっさと仕事して。半分以上捌かないと帰らせないからね」
「はいっ」
委員長は、どんな苗字でも振り回される運命にあるらしい。―――それが、この一連の光景を見た草壁の見解だった。舌っ足らずな声色も少し幼く、素直になった言葉も、雲雀にとっては全てが甘ったるい菓子みたいなものだ。今まで見て来たじれったい距離感も良いのかも知れないが、この光景も存外悪くない。
そう思える程には、私はこの二人の事が大好きなんです。
午後5時45分、もう少しで最終下校の時間だ。ギリギリの時間に終わった書類を整え、トントン、と机に軽く打ち付ける。今日だけでどの程度のインクと朱印を使ったのか、皆目見当も付かないであろう。同じ様にローテーブルで作業を進めていた草壁もやりきった、と言いたげな表情を浮かべている。ふう、と軽く息を吐いてソファから立ち上がろうとすると、スラックスに引っ掛かる何かの感覚を感じ取る事が出来た。―――そろり、と視線をそちらにやると、そこには規則正しい寝息を立てる名前が寝そべっていたのである。
「…委員長、私が書類を届けて来ます」
「―――ああ、うん」
「なので、苗字が起きたら送ってあげて下さい」
「…草壁」
「はい?」
「……助かった」
「―――いいえ。いつも一人でやってしまう委員長の助けになれるなら、私達は嬉しいんですよ」
先ほど雲雀が整えた書類を、草壁は自身が整理した書類の上に重ねる。少し重さを感じるが、その程度だ。生徒会室まではそこまで距離がある訳ではないし、行けない距離ではないだろう。そんな考えを抱きながら、草壁は名前の小さく丸っこい手をそっとソファに置き、応接室の扉を静かに閉めた。その瞬間、微かに見えた雲雀の緩やかな頬に、草壁はこの人に着いて行こうと、改めて決心したのである。
「……『10年バズーカ』、ね」
そう呟き、雲雀は夕日が届かなくなった室内にコツ、と言った靴音を響かせた。この程度の音で起きない事は分かっている。静かにしゃがみ込み、彼が知らない名前のふわふわとした肌をそっとなぞった。粉が振り掛けられている様な肌は、汚いものを知らない様だ。また出来物一つもないその肌は、酷く触り心地が良かった。ふと息を吐き出して言葉を出すと、彼は彼女の頬を指先で軽く突く。ぷに、と言った効果音が付きそうなくらい柔らかいその顔は柄にもなく、癒されるものとなった。
これだけやっても一向に起きる事のない名前には、改めて危機感のなさを説かなければならない。こんな小さな子供に「そう言う意味」の好意など抱く筈もないが。―――小動物は好きだ。親がいなくても喚きもしなかった苗字は、どうやら肝が据わってるらしい。けど、どこか物足りないこの気持ちはきっとうそじゃない。さっさと起こして、赤ん坊に預けよう。苗字の目がうっすらと開いたのだからタイミングも良い。しかし、そんな落ち着いた気持ちも束の間、僕の目の前は軽快な音と共に生まれた煙幕でいっぱいになったのだ。
「ひ、雲雀先輩…!」
「……本物?」
「この顔が二つあったらそれはそれでびっくりなんですけど」
「この憎まれ口は苗字だね、良かった」
(こいつ…!)
舌っ足らずな声色ではない、雲雀が知っている何時もの名前だ。ぺしぺし、と彼女の頬を軽く叩くと、その彼女の口からは何時もの言い訳がましい言葉が空気中に放たれる。それによって本人と認めた事に睨まれるが、それでこその彼女なのだから仕方ないだろう。プルプル、と拳を震わせるのを他所(よそ)に、彼は椅子の背凭れに掛けていた学ランを手に取る。
「で、どうなの」
「…どう、とは?」
「巻き込まれたらしいけど」
「……ああ!良くして貰いましたよ。お母さんが今より若くてちょっとびっくりしちゃいました」
「当たり前でしょ」
「けど、そうですね、んん…」
そして、向かいのソファに無造作に置かれていた名前のスクール鞄を手に取り、それを本人の膝に軽く放り投げた。それの中身を軽く確認して、彼女はまだ記憶に新しい若々しい自身の母親の姿を思い出す。懐かしくて、思わず今すぐ会いたくなったけれどそんな事は絶対目の前の人には言わない。絶対鼻で笑われる。ふう、と軽く息を吐き、名前は頭を悩ませた。こんな時に自分の頭の悪さを悔やむとは思っていなかった。そんな事、目の前で眉を顰めている雲雀先輩には分からないんだろうけど。
「けどやっぱり雲雀先輩と一緒にいるのに慣れちゃったんで、ここが一番しっくり来るんですよね」
それに爆弾が潜んでいる事を知ったのは、雲雀先輩の真っ赤な顔を見てからだった。
「…ふ、顔真っ赤」
「ひ、雲雀先輩だって!」
「僕は良いんだよ、言われた側なんだし」
「ず、ずっる…!」
「敬語」
「で、です!」
雲雀はしゃがみ込みながらも緩んだ口元と赤く火照った顔を手で覆い隠そうとするが、それをするには自身の手の平はあまりに小さかった。けれどどうにかして名前よりも優位に立ちたくて、彼はそっと笑みを溢す。そして、その後に続いた馬鹿みたいな会話に目元を細めたのだ。―――嗚呼、これだな。そう思った僕の気持ちに、うそは一つもなかったと思う。
愚かにも僕に盾突く馬鹿な君が、僕にはちょうど良い。
やはりそれでも君がいい
(そんな本音さえ、心の内に鍵を掛けて)
センさまー!こんな感じでいかがでしょうか。せっかく二つも案を下さったので、強引にくっつけてみました(笑)無理矢理感が半端ないんですが、よろしければどうぞ〜。日常編の合間のお話として読んでいただければ、と思います。
今回は企画への参加、ありがとうございました。これからも連載は続く予定なので、お付き合い下さると嬉しいです。
またお越し下さいね。