――バサバサバサッ

その音が聞こえて御幸が咄嗟に見上げると、階段の上から大量の紙が舞い落ちてくる光景が広がっていた。
踊り場の窓から差し込む日差しを透かして真っ白に輝く紙の合間に、すらりとした人影が見える。細い手足。長い髪。金色の光に縁どられて綺麗だ。
そんなことを考えた頭に、容赦なく紙の山が落ちてきて、御幸は咄嗟に腕で自身を庇いながら身を背けた。

「あ…!すみません!」

慌ただしく階段を下りてくる足音が聞こえて、御幸は顔を上げる。

「…大丈夫ですか?本当にすみません…。」

心配そうに自分を覗き込む女子生徒。色白で、大きな茶色の瞳はキラキラしていて、可愛い。

「ああ…、平気、平気」

へらりとそう笑って、足元に散乱した紙の束をかき集める。それを見て女子生徒は、慌てて「すみません」と繰り返しながら、自分も紙を拾い集めるのだった。
集めた紙には絵が描いてあった。教室や、グラウンド、どこかわからない森や海の景色。景色だけでなく、鳥や猫、花、彫刻などを描いた紙もある。デッサン――というのだろうか。御幸は絵のことはよくわからなかったが、それでも、一目見て「上手い」と思った。
その中に、数枚、人物をスケッチしたものがあった。何気なくそれに目をやったのは、その人物が野球のユニフォーム――しかもよくよく見ると青道高校野球部のユニフォームを着ていたからだろう。多くはラフにバットを振る様子や球を投げる様子をスケッチしてあるだけだったが、中には、その顔までしっかりと描きこまれているものがあった。
そしてその人物に、御幸は強い既視感を覚えた。

――これ…哲さんじゃねーか…。

しっかりと描きこまれた横顔。凛々しく、威厳のある、見慣れた顔。

――て、ことは、この子…。

御幸は、紙を拾い集めている女子生徒を見やる。
華奢で、大人しそうで、結構かわいい。普通の女子だ。多分、1年生だろう。

――哲さんのことが好きなんだな…。

思いがけず知ってしまった事実を少し後ろめたく感じながらも、悪戯心が沸き起こるのを止められない。

「……あの…。」

女子生徒はいつの間にか立ち上がって、大きな瞳で困ったように御幸を見下ろしていた。気が付くと、もう紙を拾い終えていたらしい。御幸も立ちあがって、広い集めた紙の束を差し出す。

「す…すみませんでした。ありがとうございます。」

女子生徒は深く一礼して、御幸と目も合わせずに走り去ってしまった。パタパタと軽い足音が遠のいていく。その音を聞きながら、御幸は今日の放課後が楽しみで仕方なくなるのだった。


***


「てっつっさーーーん♪」

練習を終え、いやに上機嫌でやってきた後輩に、結城哲也は顔をしかめた。

「どうした?」
「ふっふっふ」
「何だ御幸てめぇ、ニヤニヤしやがって気持ちわりぃ」

哲也の隣で伊佐敷純が悪態をつく。しかしそんなことには慣れっこの御幸は全く意に介さず、ニヤニヤ笑いを隠しもしないのだった。

「いやぁ、哲さん、モテモテですね」
「…?」
「今日、俺、哲さんのファンの子に会っちゃって。」
「なにィ!?」

伊佐敷が御幸を羽交い絞めにして詰め寄る。詳しく話せぇぇ!と、頭を拳で抉られながら、御幸はなんとか伊佐敷を宥めて腕から逃れる。

「1年の子で、かなり可愛かったッスよ。」

へらりとそう告げると、伊佐敷が苦悶の表情で悔しげに雄たけびを上げた。
その女子の話でもちきりになりながら練習場を出て、寮生は寮へ、帰宅組は帰りの準備をして校門へと向かっていく。御幸はいったん部屋へ戻り、着替えを取ってきて風呂へ向かいながら、人の気配を感じて無意識に校門を見た。校門のところで、人が話している。男子と女子だ。誰かが彼女とでも待ち合わせていたのだろうか、と面白くないながらも様子を窺うと、その男子生徒が結城哲也だと気付く。
意外な人物に心臓が跳ねて、面白くなった御幸は、相手の女子の顔を確かめてやろうとこっそり移動する。哲也の背中の向こうに立つ、華奢な女子生徒の姿が少しずつ現れる。その顔――まっすぐに哲也を見上げ、少し上気した顔を見て、御幸は息をのんだ。
それは昼間出会った、結城哲也の絵を描いていた女子生徒だった。
哲也の横顔は優しく微笑んでいて、自然な動作で女子生徒の頭に触れ、ふたりは並んで歩きだした。一緒に帰るらしい。

――え…、まじで!?

御幸は頬を緩めながらその背中をこっそりと見送る。
まさかもう付き合っていたとは。伊佐敷も知らないようだったし、これは誰かに話してもいいものか。

「おい。」

突然、背中を蹴っ飛ばされて、御幸はつんのめりながら振り返る。すると倉持がいつもの柄の悪い顔でこちらを睨んでいるのだった。

「…うわっ、なんだその顔。気持ちわりィ」

倉持が眉間のしわを一層深くしてそう睨んできて、御幸は初めて自分の顔に動揺が漏れ出ていることに気付く。

「いや…、今…。」
「あ?んだよ、ハッキリ言えよ。うぜぇな」
「今…、いま、哲さんが…」

何度も校門の方を振り返りながら、御幸は動揺に震える言葉をなんとかつなげる。

「哲さんが…、かのじょ、と、帰って行った」
「……。」

倉持はしばらく口をぽかんと開けたまま沈黙し、ふっと眉間のしわを緩めたかと思うと、次の瞬間には思いきり目を見開いて叫んだ。

「……ッハアァ!!??」

叫ぶや否や、倉持は驚くべき駿足で校門に駆け寄り、哲也の帰宅方面に身を乗り出す。少し遠くに、2人の並んで歩く影が、夕暮れに青く沈んで見えた。女子生徒が、男子生徒の腕に自分の腕を絡め、仲睦まじげに歩く後姿。男子生徒の後姿は見間違いようのない、よく見慣れた結城哲也の背中に違いなかった。

「ま……まじかよ…。哲さんに彼女とか…。」

倉持は呆然とした顔で呟くと、青ざめた顔で御幸を振り返った。

「これ…、純さんが知ったらめんどくせぇぞ…。」
「……あぁ…。」

2人は引きつった顔を見合わせ、同時に深い溜息を吐くのだった。

 


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