夏の暑い日だった。
目がちかちかするほど青く澄んだ空には、雲は一つも浮かんでいなかった。

俺は胸いっぱいに怒りやら悔しさやらでぐちゃぐちゃになった感情を溜めて、あいつを探していた。用具入れの傍の荷物置き場になっている日蔭に、探していた後姿――背番号1番の背中を見つけて、俺はずかずかと近づいた。細い背中。いつのまにか追い越した、小さな後頭部。おい、と声をかけると、高い位置で1つに束ねられた金色の髪が揺れた。

「一也。どうしたの?」

鼻息荒くした俺を、あいつはきょとんとして見上げた。

「お前…、野球辞めるって、本当なのかよ!?」

俺は怒りの混じった声をぶつけた。そしたら、あいつの顔に影が差した気がした。変わらず俺を見上げているのに、その目には何も映っていないように見えた。

「…聞いたんだ。」

あいつが小さな声で呟いて、俺は目が眩んだ。

「…なんでだよ?エースになったのに…」

ぶつけたい言葉はたくさんあったのに、辛うじて出てきた言葉はそれだけだった。

「何で辞めるんだよ!?」

あいつは暗い瞳で俺を見つめたまま、人形のように喋った。

「…もう、いいの。」

あいつの言葉とは思えなかった。

「…お前…あんなに、エースになりたがってたじゃんか」
「……。」

あいつは俯いた。そして震える声で言った。

「…ごめん…。」

…なんでだよ。
野球をやめたらもう、投げられないんだぞ。俺とバッテリー、組めないんだぞ。もう…二度と会えないかもしれないんだぞ。
わかってるのか。わかってないはずないよな。それでも、辞めるのか。…俺から離れていくのか。

捨てられた、という言葉が、コトリと音を立てて胸の奥に嵌った。

あんなに野球が好きだったお前が。投げたがったお前が。俺とバッテリーを組みたがったお前が。
何でこんなに簡単に、手放せるんだよ。

もともとそれほど大切でもなかったのか。特別だと思っていたのは、俺だけだったのか。
お前と俺の間には、何か、あるとおもっていた。切っても切れない、永遠に消えない何かが。

でも…、お前はそれを、簡単に捨てるんだな。

「……そうかよ…」

俺の声には涙が滲んでいた。それきり俯いてしまったから、あいつがどんな顔をしていたのか、もうわからない。
それでも、何年も経った今でも、よくあの頃のことを思い返してあいつのことを考える。あいつも同じように時々俺のことを思い出して、それで…後悔していればいいのに。
あいつがあけた穴は、今もぽっかりとあいたままだ。



***


「今年の1年にめちゃくちゃ美人な子がいるって、本当?」

朝練が終わったあとの更衣室で、亮さんは誰にともなく突然そう言った。1年共は互いに顔を見合わせて、意味ありげな笑みを浮かべる。心当たりがあるようだった。

「あー…、奥村のことですか?」

そう答えたのは、意外なことに東条だった。

「名前は知らない。奥村さんっていうの?なんか、ゲームから抜け出してきたみたいな美人だって噂だけど。」
「あぁ、奥村のことですよ。奥村静。俺、同じクラスですけど、毎日野次馬が見に来ますよ。」
「ふーん。一度見てみたいね。」

亮さんがそう言って、倉持が同意するように上げた甲高い笑い声が、俺の耳の奥で木霊した。着替えていたワイシャツのボタンを留める手が止まっていた。だって、東条が口にした名前は、俺の胸の奥でずっと焼け焦げたように痛みを響かせていた名前と、全く同じだったから。
俺の一つ下の学年。年齢も合っている。まさか本当に…あいつなのか?

…そいつ、どこの中学?

と、聞きかけて堪えた。ここで下手に質問なんてしたら、こいつらの野次馬心に火をつけるだけだ。
それに…本人だったとして、今更会ってどうしようっていうんだ。あいつはもう野球を辞めていて、俺とのつながりは何もないのに。

「おい御幸、おせーよ、置いてくぞ。」
「あ、わり」

倉持に軽く背中を小突かれて、俺は慌ててネクタイを締める。

「そう言いながらも結局待つんじゃん。優しいね倉持。」
「ちょ…、亮さん!やめてくださいよ!」

今日も亮さんは倉持をからかって、上機嫌で更衣室を出ていった。倉持はがっくりとくたびれながらも、着替え終わった俺を急かすようにバッグを差し出してくれる。

「おら、行くぞ」
「はぁい」

倉持と連れ立って、軽い駆け足で校舎へと向かう。
いつも通りの朝。いつも通りの始まり。
だけどいつもより、あいつのことで頭の中がいっぱいだった。

 


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