004
「おっ!旦那が来たぞ〜!」
翌朝、教室に入るなり、歓声が俺を出迎えた。
後ろで大笑いしている倉持の笑い声を聞きながら、俺は立ち尽くす。
「御幸ぃぃ!お前いつのまに奥村さんとおおぉぉ!!」
「やっぱり美女はイケメンとくっつくのか…」
「いつから付き合ってんだよー!!」
もみくちゃにされながらなんとか席へ辿り着く。ちらりと#静#の席を見て、空席であることに気づき、俺は教室内を見渡す。#静#の姿が無い。まさか昨日のことで、欠席…?
「御幸!」
人混みをくぐりぬけて、牧瀬が俺の前に立ちはだかった。
「ちょっと来て。」
真剣な顔で親指を立て、後ろを指す。え、なにこれ。俺、シメられんの?
牧瀬についていくと、ひたすら階段をのぼり、屋上のドアの前までやってきた。とはいってもドアは施錠されていて、来れたのは階段の踊り場までだ。それでも近くに人の気配はなくなり、電気も付いていない薄暗い踊り場で、牧瀬は俺に向き直った。
「これはからかってるとかじゃなくて、真面目に聞くんだけど。」
と、牧瀬は前置きした。
「#静#と付き合ってるの?」
「付き合ってねーよ。」
「じゃ、昔付き合ってた?」
「それも違う。」
あっさりと首を横に振る俺を、牧瀬は疑うような目で見た。
「…知ってると思うけど、#静#って、男子とも女子とも、あまり馴れ合わないじゃない?だから、名前で呼び合ってて、しかも昨日、御幸のことあんなに心配してて…付き合ってるとしか思えないんだけど。」
「名前で呼び合ってんのは、中学の頃シニアで一緒だったからだよ。あいつだけじゃなくて、シニアの頃から付き合いのある奴は名前で呼んでる奴もいるし…。心配したのも、あいつは野球のことよくわかってるから、正捕手の俺が怪我したらうちの野球部に影響があると思ってのことだよ。」
「…ふうん。」
「つーか、付き合ってたとして、何か問題でもあんの?」
牧瀬に詰められている意味が分からなくて、不満をあらわにすると、牧瀬は動じず口を開いた。さすが肝が据わっている奴だ。
「別に。誤解しないでほしいんだけど、怒ってるわけじゃないよ。ただはっきりさせたかったの。」
「何でお前が?」
「#静#が心配だから。誤解なら解いてあげたいし、付き合ってて秘密にしてるなら協力したい。」
「そういや…#静#、今日休んでんの?」
「来てるよ。教室があんなだから、今は部室に避難してる。」
とりあえず休むほど気に病んでいるわけではなさそうでほっとした。別に悪いことはしてないとはいえ、少しは責任感じるし…。
「で、付き合ってないってことは、誤解ってことでいいんだよね?」
「そーだよ。だいたいあいつ…」
「何?」
「いや…、なんでもねー」
成宮と付き合ってることは牧瀬も知らなさそうだし、黙っておくか…。
「ま…、#静#も御幸も誤解だっていうなら、信じるしかないか…。」
「なんかお前がっかりしてね?」
「あたりまえじゃん!!」
急に身を乗り出してきた牧瀬に気押される。
「昨日のあんな#静#、初めて見たんだもん!絶対付き合ってるんだと思った!お似合いだと思ったのに〜〜」
「なんだそりゃ…」
若干脱力しながら、牧瀬と階段を下りる。
「つーか、皆騒ぎすぎだろ…ほっとけっつーの」
「それはしょうがないよ。あんたたちふたりとも、目立つんだから。」
「はあ?」
「御幸はマスコミがインタビューに来るくらい有名な高校球児だし、#静#はスカウトされるくらい美人でスタイルもいい子だもん。ふたりともモテるし、2人が誰を好きとか、付き合ってるかとか、皆気になるんだよ。」
「えっ、あいつスカウトなんかされてんの?」
「そうだよ。ナンパなんかももう、すっごいんだから。だからあんたみたいな申し分のない彼氏がいれば、安心だったんだけどな。」
「そりゃ光栄ですけど…」
成宮がいるじゃん。という言葉は飲みこむ。
教室に着いて、牧瀬がドアを開けると、クラスメイト達は待ちかねていたように俺たちに注目した。
「皆静かにー!」
わっと沸いた喧騒を、牧瀬が一喝して静まらせる。
「ふたりは中学時代に同じシニアで野球してただけで、付き合ってないんだって。だからもうからかわない!噂も広めない!ふたりに迷惑かけない!はい解散!」
パン、と牧瀬が大きく手を叩くと、クラスメイト達はまるで呪いでも解けたかのように落ち着いた。
「なーんだ、付き合ってないのか」
「だと思った、あの二人、普段全然話してるとこ見ないし。」
「誰だよー付き合ってるとか言った奴。」
余りの手のひらの返しように呆れながら席に着くと、当たり前のように倉持がやってくる。俺はスコアブックを開きながらちらりと倉持を見上げた。
「何?」
「で、ほんとはどうなんだよ?」
「はー?まだそれ言う?マジで付き合ってねーから安心しろ。」
「でもお前、奥村さんのこと好きだろ?」
俺はスコアブックを捲る手を一瞬止めた。が、すぐにまた1ページ捲った。
「あいつ彼氏いるよ。」
それが答えになっていないことに、言ってから気が付いた。しかしかえってそれは俺の本音を現していて、倉持がそれに気づくことも、今更気が付いた。
予鈴が鳴って、倉持は何か言う前に席に戻って行った。バレたかな。バレたな。よりによってあいつに。最悪だな。
そのうち#静#も教室に戻ってきたが、囃し立てる者はもうひとりもいなかった。
いつもどおりの、授業が始まった。
***
昼休みになり、昼飯をさっさと食べてスコアブックを片手に教室を出る。牧瀬が噂を沈めてくれたおかげで表だっていうやつはいなくなったとはいえ、まだひそひそと囁く奴はいるもので、今日は酷く居心地が悪かったのだ。
渡り廊下を進んで人気のない特別教室の棟に行き、非常階段に出る。ここには人は全く来ないし、コンクリートブロックが積まれていて座る場所もあるし、なにより、野球部のグラウンドが見える。
俺はグラウンドを見つめてため息を吐いた。
早く放課後にならねえかな。野球してえな。
ぼーっとそんなことを考えていると、後ろでドアが開いた。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、同じように驚いた顔をした#静#だった。
「…なんでこんなとこにいるの?」
「いや…そっちこそ…」
思わず言い返すと、#静#は「確かに」と笑った。
「司が先輩に呼ばれちゃって。一人で教室にいるの、なんか嫌だったから」
つまり俺と同じ理由か。
ふうん、と興味なさそうに相槌を返す。
「手は?ほんとに何ともない?」
「なんともねーよ。心配し過ぎだって。」
「そう…」
#静#は呟いて、俺の隣にやってくると、踊り場の手すりに両手を置き、グラウンドの方を眺めた。
急に近づいた距離にドキドキする。#静#の金色の髪が風に揺れて、せっけんのような良い香りがする。
「ほんと、一也って…」
俺の話?なんだろう、緊張する。
「結構どんくさいよね。」
「……は?」
期待して損した。
俺ばっかり緊張してバカみたいじゃねーか。
何を言ってやろうかと考えたが、グラウンドの方から視線を落としている#静#の横顔はなんだか落ち込んでいるように見えたので、言い返すのはやめた。
綺麗な横顔。その瞳から、突然真珠のような涙がころりと落ちた。
「…え!?」
何で泣く!?
「ど、どうした?」
「いや、ごめん、なんでも…」
#静#は誤魔化すようにすぐに涙をぬぐったが、涙はあとからあとからこぼれてきて、しばらく止まりそうになかった。
「なんだよ、何かあるなら言えって。」
情けなくも、俺にはそんな言葉しかかけられずに、ただ慌てて#静#が泣いているのを見る。
成宮と何かあったとか…?くそ、あいつだったらこんなとき、どうすんだよ。
「ちがう、ごめん。う、うれしくて」
「…なにが?」
「一也と…普通に、話せてるから」
…なんだそれ。どういう意味だよ…
「高校生になってから…なんか、気まずくなっちゃったでしょ。」
ぎくり、とする。だけど#静#の声は俺を責める風でもなくて、むしろ、自嘲気味な後悔が滲んでいた。
「…そうだな」
俺も同じだ。後悔が無いと言えばうそになる。#静#とこんなふうにはなりたくなかった。ただ、話しかける勇気がなかっただけ。俺たちなら――最高のバッテリーだった俺たちなら、他の形で繋がっていることもできるはずだ。恋人になれなくても、別の、信頼し合える特別な形で――。
それがどんなものなのかは、まだ、答えが出ないけど。
「…これからは…もっと話そうよ。シニアの時みたいに…。」
そう言った#静#と、やっぱり俺はどこか近いものを感じて、心から嬉しく頷いた。
「皆と連絡とってる?」
仕切り直すように、#静#が首をかしげた。皆、とはシニア時代の仲間のことだろう。
「いや、全然。」
「そっかぁ。私も…青道に来た人たちとはたまに話すけど、他校に行った人たちとは全然…」
「ふーん…鳴は?」
さりげなく聞いたつもりが、#静#は目を丸くして俺を見上げた。
「え…鳴?…たまにメールはしてるけど…なんで?」
その不思議そうな顔が演技なのか本当なのか、俺には判別がつかなかった。俺にも付き合っていることを秘密にしようとしているのか。…こいつらしいと言えば、こいつらしい。鳴のほうは、言いふらしてそうだけど。
「なんでって…付き合ってんだろ?」
言わないならこっちから切り出してやる。俺はとにかくこの問題をはっきりさせておきたかった。俺の気持ちを整理して、蟠りを消すには…#静#の口からきっぱりと伝えてもらわなきゃ、だめなんだ。
「えっ!?」
#静#は悲鳴にも似た声を上げ、少し考えるように視線を下げ、また俺を見上げた。
「えっと…待って。なんで?」
「なんでって…シニアの時、噂で」
「噂!?付き合ってるって?誰が言ってたの?」
「ちょ…ちょっと、落ち着けって」
焦ったような、怒ったような#静#を落ち着かせるために、咄嗟に手を伸ばし、腕に触れる。華奢な柔らかい腕。掴むと、俺はその感触に驚いて、すぐに手を離した。その動作から緊張が伝わったのだろう、#静#も気まずい顔をしてうつむく。こいつは昔からそうだ。相手の感情にとても鋭い。
「……付き合ってないよ。」
ぽつりと、#静#が言った。
…いま、なんて言った?
「へんな噂、信じないで。」
悲しそうに、少しすねたように#静は呟く。その、見たことの無い表情から、俺は目を離せなかった。その唇も――その髪も、手も――鳴のものじゃないのか。付き合ってないのか。誰のものでもないのか。…俺にも、まだ、チャンスがあるのか?
野球を辞めることを…どうして俺に一番に伝えたのか。鳴を振ったのか。俺を避けていたのか――理由を聞いたら、お前は…なんて答える…?
翌朝、教室に入るなり、歓声が俺を出迎えた。
後ろで大笑いしている倉持の笑い声を聞きながら、俺は立ち尽くす。
「御幸ぃぃ!お前いつのまに奥村さんとおおぉぉ!!」
「やっぱり美女はイケメンとくっつくのか…」
「いつから付き合ってんだよー!!」
もみくちゃにされながらなんとか席へ辿り着く。ちらりと#静#の席を見て、空席であることに気づき、俺は教室内を見渡す。#静#の姿が無い。まさか昨日のことで、欠席…?
「御幸!」
人混みをくぐりぬけて、牧瀬が俺の前に立ちはだかった。
「ちょっと来て。」
真剣な顔で親指を立て、後ろを指す。え、なにこれ。俺、シメられんの?
牧瀬についていくと、ひたすら階段をのぼり、屋上のドアの前までやってきた。とはいってもドアは施錠されていて、来れたのは階段の踊り場までだ。それでも近くに人の気配はなくなり、電気も付いていない薄暗い踊り場で、牧瀬は俺に向き直った。
「これはからかってるとかじゃなくて、真面目に聞くんだけど。」
と、牧瀬は前置きした。
「#静#と付き合ってるの?」
「付き合ってねーよ。」
「じゃ、昔付き合ってた?」
「それも違う。」
あっさりと首を横に振る俺を、牧瀬は疑うような目で見た。
「…知ってると思うけど、#静#って、男子とも女子とも、あまり馴れ合わないじゃない?だから、名前で呼び合ってて、しかも昨日、御幸のことあんなに心配してて…付き合ってるとしか思えないんだけど。」
「名前で呼び合ってんのは、中学の頃シニアで一緒だったからだよ。あいつだけじゃなくて、シニアの頃から付き合いのある奴は名前で呼んでる奴もいるし…。心配したのも、あいつは野球のことよくわかってるから、正捕手の俺が怪我したらうちの野球部に影響があると思ってのことだよ。」
「…ふうん。」
「つーか、付き合ってたとして、何か問題でもあんの?」
牧瀬に詰められている意味が分からなくて、不満をあらわにすると、牧瀬は動じず口を開いた。さすが肝が据わっている奴だ。
「別に。誤解しないでほしいんだけど、怒ってるわけじゃないよ。ただはっきりさせたかったの。」
「何でお前が?」
「#静#が心配だから。誤解なら解いてあげたいし、付き合ってて秘密にしてるなら協力したい。」
「そういや…#静#、今日休んでんの?」
「来てるよ。教室があんなだから、今は部室に避難してる。」
とりあえず休むほど気に病んでいるわけではなさそうでほっとした。別に悪いことはしてないとはいえ、少しは責任感じるし…。
「で、付き合ってないってことは、誤解ってことでいいんだよね?」
「そーだよ。だいたいあいつ…」
「何?」
「いや…、なんでもねー」
成宮と付き合ってることは牧瀬も知らなさそうだし、黙っておくか…。
「ま…、#静#も御幸も誤解だっていうなら、信じるしかないか…。」
「なんかお前がっかりしてね?」
「あたりまえじゃん!!」
急に身を乗り出してきた牧瀬に気押される。
「昨日のあんな#静#、初めて見たんだもん!絶対付き合ってるんだと思った!お似合いだと思ったのに〜〜」
「なんだそりゃ…」
若干脱力しながら、牧瀬と階段を下りる。
「つーか、皆騒ぎすぎだろ…ほっとけっつーの」
「それはしょうがないよ。あんたたちふたりとも、目立つんだから。」
「はあ?」
「御幸はマスコミがインタビューに来るくらい有名な高校球児だし、#静#はスカウトされるくらい美人でスタイルもいい子だもん。ふたりともモテるし、2人が誰を好きとか、付き合ってるかとか、皆気になるんだよ。」
「えっ、あいつスカウトなんかされてんの?」
「そうだよ。ナンパなんかももう、すっごいんだから。だからあんたみたいな申し分のない彼氏がいれば、安心だったんだけどな。」
「そりゃ光栄ですけど…」
成宮がいるじゃん。という言葉は飲みこむ。
教室に着いて、牧瀬がドアを開けると、クラスメイト達は待ちかねていたように俺たちに注目した。
「皆静かにー!」
わっと沸いた喧騒を、牧瀬が一喝して静まらせる。
「ふたりは中学時代に同じシニアで野球してただけで、付き合ってないんだって。だからもうからかわない!噂も広めない!ふたりに迷惑かけない!はい解散!」
パン、と牧瀬が大きく手を叩くと、クラスメイト達はまるで呪いでも解けたかのように落ち着いた。
「なーんだ、付き合ってないのか」
「だと思った、あの二人、普段全然話してるとこ見ないし。」
「誰だよー付き合ってるとか言った奴。」
余りの手のひらの返しように呆れながら席に着くと、当たり前のように倉持がやってくる。俺はスコアブックを開きながらちらりと倉持を見上げた。
「何?」
「で、ほんとはどうなんだよ?」
「はー?まだそれ言う?マジで付き合ってねーから安心しろ。」
「でもお前、奥村さんのこと好きだろ?」
俺はスコアブックを捲る手を一瞬止めた。が、すぐにまた1ページ捲った。
「あいつ彼氏いるよ。」
それが答えになっていないことに、言ってから気が付いた。しかしかえってそれは俺の本音を現していて、倉持がそれに気づくことも、今更気が付いた。
予鈴が鳴って、倉持は何か言う前に席に戻って行った。バレたかな。バレたな。よりによってあいつに。最悪だな。
そのうち#静#も教室に戻ってきたが、囃し立てる者はもうひとりもいなかった。
いつもどおりの、授業が始まった。
***
昼休みになり、昼飯をさっさと食べてスコアブックを片手に教室を出る。牧瀬が噂を沈めてくれたおかげで表だっていうやつはいなくなったとはいえ、まだひそひそと囁く奴はいるもので、今日は酷く居心地が悪かったのだ。
渡り廊下を進んで人気のない特別教室の棟に行き、非常階段に出る。ここには人は全く来ないし、コンクリートブロックが積まれていて座る場所もあるし、なにより、野球部のグラウンドが見える。
俺はグラウンドを見つめてため息を吐いた。
早く放課後にならねえかな。野球してえな。
ぼーっとそんなことを考えていると、後ろでドアが開いた。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、同じように驚いた顔をした#静#だった。
「…なんでこんなとこにいるの?」
「いや…そっちこそ…」
思わず言い返すと、#静#は「確かに」と笑った。
「司が先輩に呼ばれちゃって。一人で教室にいるの、なんか嫌だったから」
つまり俺と同じ理由か。
ふうん、と興味なさそうに相槌を返す。
「手は?ほんとに何ともない?」
「なんともねーよ。心配し過ぎだって。」
「そう…」
#静#は呟いて、俺の隣にやってくると、踊り場の手すりに両手を置き、グラウンドの方を眺めた。
急に近づいた距離にドキドキする。#静#の金色の髪が風に揺れて、せっけんのような良い香りがする。
「ほんと、一也って…」
俺の話?なんだろう、緊張する。
「結構どんくさいよね。」
「……は?」
期待して損した。
俺ばっかり緊張してバカみたいじゃねーか。
何を言ってやろうかと考えたが、グラウンドの方から視線を落としている#静#の横顔はなんだか落ち込んでいるように見えたので、言い返すのはやめた。
綺麗な横顔。その瞳から、突然真珠のような涙がころりと落ちた。
「…え!?」
何で泣く!?
「ど、どうした?」
「いや、ごめん、なんでも…」
#静#は誤魔化すようにすぐに涙をぬぐったが、涙はあとからあとからこぼれてきて、しばらく止まりそうになかった。
「なんだよ、何かあるなら言えって。」
情けなくも、俺にはそんな言葉しかかけられずに、ただ慌てて#静#が泣いているのを見る。
成宮と何かあったとか…?くそ、あいつだったらこんなとき、どうすんだよ。
「ちがう、ごめん。う、うれしくて」
「…なにが?」
「一也と…普通に、話せてるから」
…なんだそれ。どういう意味だよ…
「高校生になってから…なんか、気まずくなっちゃったでしょ。」
ぎくり、とする。だけど#静#の声は俺を責める風でもなくて、むしろ、自嘲気味な後悔が滲んでいた。
「…そうだな」
俺も同じだ。後悔が無いと言えばうそになる。#静#とこんなふうにはなりたくなかった。ただ、話しかける勇気がなかっただけ。俺たちなら――最高のバッテリーだった俺たちなら、他の形で繋がっていることもできるはずだ。恋人になれなくても、別の、信頼し合える特別な形で――。
それがどんなものなのかは、まだ、答えが出ないけど。
「…これからは…もっと話そうよ。シニアの時みたいに…。」
そう言った#静#と、やっぱり俺はどこか近いものを感じて、心から嬉しく頷いた。
「皆と連絡とってる?」
仕切り直すように、#静#が首をかしげた。皆、とはシニア時代の仲間のことだろう。
「いや、全然。」
「そっかぁ。私も…青道に来た人たちとはたまに話すけど、他校に行った人たちとは全然…」
「ふーん…鳴は?」
さりげなく聞いたつもりが、#静#は目を丸くして俺を見上げた。
「え…鳴?…たまにメールはしてるけど…なんで?」
その不思議そうな顔が演技なのか本当なのか、俺には判別がつかなかった。俺にも付き合っていることを秘密にしようとしているのか。…こいつらしいと言えば、こいつらしい。鳴のほうは、言いふらしてそうだけど。
「なんでって…付き合ってんだろ?」
言わないならこっちから切り出してやる。俺はとにかくこの問題をはっきりさせておきたかった。俺の気持ちを整理して、蟠りを消すには…#静#の口からきっぱりと伝えてもらわなきゃ、だめなんだ。
「えっ!?」
#静#は悲鳴にも似た声を上げ、少し考えるように視線を下げ、また俺を見上げた。
「えっと…待って。なんで?」
「なんでって…シニアの時、噂で」
「噂!?付き合ってるって?誰が言ってたの?」
「ちょ…ちょっと、落ち着けって」
焦ったような、怒ったような#静#を落ち着かせるために、咄嗟に手を伸ばし、腕に触れる。華奢な柔らかい腕。掴むと、俺はその感触に驚いて、すぐに手を離した。その動作から緊張が伝わったのだろう、#静#も気まずい顔をしてうつむく。こいつは昔からそうだ。相手の感情にとても鋭い。
「……付き合ってないよ。」
ぽつりと、#静#が言った。
…いま、なんて言った?
「へんな噂、信じないで。」
悲しそうに、少しすねたように#静は呟く。その、見たことの無い表情から、俺は目を離せなかった。その唇も――その髪も、手も――鳴のものじゃないのか。付き合ってないのか。誰のものでもないのか。…俺にも、まだ、チャンスがあるのか?
野球を辞めることを…どうして俺に一番に伝えたのか。鳴を振ったのか。俺を避けていたのか――理由を聞いたら、お前は…なんて答える…?