105
赤茶のレンガ風タイルの、モダンな高級マンションの前に車を停める。前の歩道に俺たちが降り立つと、マンションの自動ドアが開き、3人の人間が出てきた。牧瀬、光さん、御幸先輩だ。
「こんばんは。」
御幸先輩を見て頭を下げると、おう、と軽く返される。
「じゃあ行ってきます。」
御幸先輩を少し振り返って光さんが言うと、御幸先輩は小さく手を振って、俺たちを見渡した。
「あー、沢村…だと不安だから、金丸、よろしく頼むな。」
「えっ?は、はい!」
「ちょっと!なんで俺だと不安なんすか!?こんなに頼りになる男はそういませんよ!!」
「そーゆートコだよ。」
皆が車に乗り込み、俺も運転席に向かう。すると御幸先輩が来て、意味ありげな小さな声で言った。
「金丸。」
「あ…はい?」
「まあ本人も気を付けてるし、牧瀬もいるから大丈夫だとは思うんだけど…」
「…?」
「光に酒飲ませないように、見ててやって。」
「あ…はい、わかりました。」
「悪いな。お前はしっかりしてるから…まぁ頼むわ」
「…!」
み…御幸先輩が俺をこんなに信頼してくれているなんて…!!
「もしなんかあったら連絡して。」
「は…はい!」
大きく頷いて、なんだか誇らしい気持ちで胸を張る。
…そういや…東条も光さんが酒弱いとかなんとか言ってたっけ。御幸先輩の迎えで飲み会に顔出した時に少し飲んで、ちょっと騒ぎになったとか…。よっぽど弱いんだな。見ててやらねぇと…。
御幸先輩に頭を下げ、運転席に乗り込む。細心の注意を払って、車道に乗り出した。
***
会場に到着し、広間に入ると…突き刺さる無数の視線。ま…そりゃそうだよな。
「キャーーッッ!牧瀬〜〜!玉城さ〜〜〜ん!!」
「久しぶり〜〜〜!!すごーい!大女優達が来たよ!!」
「ふたりとも来てくれたの!?えーっすごい!!ねぇサインちょうだい!!」
あっという間にミーハーな女子たちに取り囲まれる牧瀬と光さん。少し取り残された気分でそれを眺めていると、こっちには男どもが群がってきた。
「おい金丸!お前玉城さんたちと仲良かったっけ!?」
「なんで一緒に来てんだよ!?」
「えっ友達!?仲良いの!?」
いや…、と曖昧に濁しながら、その後ろで降谷と沢村と小湊、東条までもが人だかりに取り囲まれ、ちやほやされているのを見つける。ちくしょー、俺だって野球選手だっつーのに…。
「玉城さんもこっちで飲もうよ!」
「御幸先輩と結婚したんだよね!?」
「いろいろ話聞かせて〜!」
…っと、光さんから目を離さねぇようにしねーと…。
女子たちにカウンターの方へ促される光さんと牧瀬を目で追う。まあ、御幸先輩も言う通り、牧瀬がついてるからそれほど心配はねーと思うけど…。
「金丸、こっちで飲もうぜ」
「なあサインくれねぇ?会社の先輩がお前のファンでさ…」
「あ、おう!」
肩を叩かれて、俺も知り合いの輪に入る。カウンターの女子たちを気にしつつウーロン茶を飲み、歓談に交じった。
「ダメだよ〜光お酒弱いから。今日は私、御幸さんに光の護衛役を任されてんの!」
「え〜そうなの?」
「ごめんね、お酒飲むとすぐ眠っちゃうの」
「そっか〜。」
「あ!でもここ、ノンアルコールのカクテルもたくさんあるよ。ほら!」
…大丈夫そうだな。まあ無理に飲まそうとする奴なんていねーしな。
…それにしても…
「なあ、玉城さん、めちゃ綺麗になってね?」
「…思った。なんか、高校の時とイメージ違うよな。」
こそこそと、俺の横の男たちが話をしている。確かに、高校の時の彼女はあまり笑っている印象がなくて、どこか周りと距離を置いて、いつも寂しそうにしてた。仲良く楽しそうに話をしているのなんて、東条か牧瀬くらいで、他の奴らとは当たり障りのない会話だけ。それでも女子とはそつなく付き合いをこなしていたようだが、男子に対する態度と言ったら、目が合えば睨まれるか逸らされるかで、話しかけられるなんてことは皆無だし、笑いかけられることなんてまさに奇跡レベルの出来事だった。
だけど今日の彼女は楽しそうに笑ったり話したりしていて、彼女の周りにきらきらと光が舞っているように錯覚するほどの輝きを放っている。思い返してみれば、卒業後に再会した彼女は結構笑顔を見せていた気がするけど、今日は高校時代の仲間に囲まれているからか、その変化をより色濃く感じるのだろうか。とにかく、ここ最近ちょくちょく顔を見ていた俺でも、彼女は変わったなと感じた。
「…光、御幸先輩と出会ってから変わったよな。」
ふと、いつの間にか隣にいた東条がそう言った。
そうか。そう言われてみれば…そうかもしれない。
「…ああ。なんか…幸せそうに見えるよな。」
俺が呟くと、東条も頷いた。幸せそうな彼女は、昔よりもっと、もっと――綺麗だ。
「奇跡の美少女とか騒がれてるけど、やっぱそれほどでもないよね。」
「わかる〜。高校の時から思ってた。あの程度芸能界にはゴロゴロいるでしょ。」
「つーか聞いた?あの子お酒弱いんだって。」
ひそひそと囁く声が、ふいに聞こえてきて、俺は何気なくそれを聞いた。
「男好きの女が使う常套句じゃん。相変わらずぶりっ子だな〜。」
「酔ったふりして男つかまえてんでしょ、どーせ。」
「御幸先輩もその手で落としたんだったりして。」
「ありえる〜。イケメンでプロ野球選手の旦那とか…絶対逃がさないように必死だったんだろうね。」
…なんだ?俺の聞き間違いか?
信じられない気持ちで声のした方を探した。隣のテーブルの、3人組の女子。見覚えはおぼろげだが…確か、2年の時に同じクラスだったか。
「御幸先輩かわいそ〜。今頃あいつの本性知って後悔してそう。」
「酒飲んでもどうせザルでしょ。」
「それかよっぽど酒癖悪いとか?」
「あはは!だったら面白いのにね。」
…くだらねーこと言いやがって。醜い僻みだ。だけど…本人の耳に入らない限りは、見過ごしてやる。めちゃくちゃ胸糞悪いけどな。
「信二?どうした?」
東条に顔を覗き込まれて、眉間にしわを寄せてしまっていたことに気付く。
「…いや、なんでもねー」
背を伸ばしてウーロン茶を飲む。あー、一気に楽しくなくなったな…。
「なあおい金丸!」
「えっ、あ、何?」
焦れるように肩を組んできた、ほろ酔いの同級生にやっと気づく。
「今日マジで玉城さんと一緒に来たのかよ!?」
「いつからんな仲良くなったんだよ!?」
「いや、牧瀬つながりで…ただの運転役だっつーの」
仲良くはねーよ、と呟くが、男たちは納得がいかないように身を乗り出す。
「でも交流はあるんだろ!?連絡先とか知ってんの?」
「会ったりしてんの?」
「ねーよ!連絡先なんか知ってどーすんだよ」
「そりゃお近づきに…」
「アホ!既婚者だぞ」
まじかよ…皆こんなふうに思ってんの?そりゃ美人だけど…人の嫁に、しかも知ってる先輩の嫁に手なんか出せるかっつーの!つか出したところで、どうせ見向きもされねーし…
男たちに一喝し、背を向けてウーロン茶を煽る。チッ…気分わりい。
「おい、お前声かけてみろよ。」
「はぁ〜?お前が行けよ、3年のとき同じクラスだったろ」
「お前2年で同じ委員会やってたじゃん」
「でも話したことねーって」
…こっちはこっちでそわそわと落ち着かない男共がいるし。皆光さんが結婚したことも、相手が御幸先輩だってこともわかってるはずなのに…どういうつもりだよ。
「なんか…大変だな、光」
こっそりと、隣の東条も事態に気付いた様子で俺に耳打ちする。
「…だな。まぁ、本人は女子たちのところにいるから平気だろうけど…」
言いながら、カウンターの方を見る。10人ぐらいの女子が固まって座っていて、その中心に牧瀬と一緒に居る光さんを見つけて、ひとまず安堵する。元同級生として…知り合いとして、普通に心配する気持ちももちろんあるけど…御幸先輩に頼まれた手前、何かあったらマジでシャレになんねーっつの。
そう考えながら女子たちを眺めていると…ふと、空気がおかしいことに気付いた。牧瀬が立ち上がって、光さんのグラスを取って…真剣な顔で何かを言っている。周りの女子たちも緊張した面持ちで成り行きを見守っている。
「…どうかしたのかな?」
東条がグラスを置いた。様子見に行く気満々じゃねーか。苦笑しながら、俺もグラスを置く。
ふたりでどちらからともなく歩きだし、カウンターへ向かった。
「だから、間違えただけって言ってるじゃん。」
近づくと、女子のそんな言葉が聞こえた。
見るとそれは、ついさっき光さんの陰口を叩いていた3人組のうちの一人だった。
「牧瀬、何かあったの?」
東条が声をかけると、女子たちは一斉に振り向いた。
「…光がお酒飲まされたの。」
「え!」
東条の顔に緊張が走り、光さんを見た。
「…だから…わざとじゃないってば。間違えたの。ごめんって言ってるじゃん。それにちょっとだけだし、玉城さんも全然平気そうじゃん。」
女子は牧瀬に睨まれながら、憮然とした態度で言う。光さんは…少し顔が赤いものの、具合は悪くなさそうだ。
「…おい、そんなヤベーの?」
俺は隣の東条に耳打ちする。
「いや…ヤバいっていうか…」
東条が言いよどんだとき、光さんがゆらりと立ち上がった。
「! 光、だいじょう…」
心配そうに駆け寄る牧瀬に背を向け、酒を飲ませたと思われる女子3人組に顔を向ける光さん。
「……。」
「…な…何?」
その無言の視線に少し圧されたように、女子は眉を寄せる。
「…どうして?」
「…は?」
「どうして…そんなに、私のことが嫌いなの?」
「……は!?」
光さんに見つめられた女子の顔は、言葉を探すように目を彷徨わせ、ばつが悪そうに俯き、だんだんと…赤くなった。
「私は、あなたたちのこと……」
「……。」
少し目を潤ませ、見惚れてしまいそうなほど美しく憂いを帯びる顔で呟く光さん。
そんな…まさか、光さん、こんな奴らのことも思いやって…。な、なんて優しい女神なんだ…。
「…名前も知らないのに。」
「……は…?」
は???
ぽかん、と立ち尽くす俺たちを余所に、光さんは牧瀬に向き直る。
「司〜〜、もう帰ろうよ…帰りたい〜」
「よ…よしよし。」
だだをこねるように牧瀬に抱き着き、甘える光さん。ど…どうなってんだ!?
未だ言葉を失う俺や女子たちに、牧瀬は苦笑を浮かべて言った。
「光、酔っぱらうと思ったこと全部口に出ちゃうの。」
「え…じゃあ…」
こ、これが素ってことかよ…?この…無邪気に牧瀬に甘える姿が。
う…うらやまし……じゃなくて!!
「金丸君、ごめん、車出せる?」
「あ…おう!」
慌ててポケットを探り、車の鍵を取り出して、牧瀬に投げ渡す。
「先乗ってろ。一応、御幸先輩に連絡してから行く」
「わかった!」
頷いて、光さんを支えて歩き出す牧瀬に、東条が駆け寄った。
「牧瀬、手伝うよ。」
「あ、ありがと。」
光さんはぼんやりした顔で、一人で歩けてはいるが、牧瀬が腕をくんで、反対側の隣を東条が荷物を持って付き添い出口に向かう。隣に並んだ東条を見上げると、光さんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「あ〜〜、東条。東条だ〜〜あははは」
「だ…大丈夫か?」
「東条〜〜美人さんだね〜んふふふふ」
「う、嬉しくないよ…」
東条の顔をつついたり撫でたりして笑う光さん。東条は顔を赤くして苦笑している。く…くそ、羨ましい…!!
…じゃなくて!御幸先輩に電話しねーと…。
電話帳から御幸先輩を選び、発信ボタンを押す。くっそー、頼まれてたのに…
『はい。金丸?』
「あっ…金丸っす」
びっくりした。出るの早えな…もしかして心配してたのか?
『どうした?』
光さんが…酒を飲まされて?間違えて飲んでしまって?いや…言い訳するのもダセェよな…俺がちゃんと見てなかったんだし…。
「すいません!光さんが…酒、飲んじゃって」
『え…』
あー…!もう…俺失望されたわ…
「す、すいません!あの…本人が帰りたがってるんで、今から牧瀬と家に送ります。」
『…わかった。……。』
「…?」
何か言いかけたような沈黙。俺は電話を切り損ね、御幸先輩の言葉を待つ。
『…あのさ。光…何か変な事、言ってねーよな?』
「変な事?」
変といえば…あの状態は、変だけど。
ちらりと去っていく3人を見る。
「東条…かわいい〜」
「な…何だよそれ?」
「あははは笑ったぁ!変なかお〜〜ねぇ見て司〜!東条がかわいい〜!」
「ぷっ…光、しっかり…ぶふっ」
「ま、牧瀬まで笑うなよ!」
「東条ってね〜びっくりすると笑うんだよ〜!かわいいでしょ〜」
「あははは!」
「ちょっ…牧瀬!!」
『いや…いい、聞こえた』
「あ…ハイ」
『悪いな金丸…俺もすぐ帰るから』
「あ…すいません!今外出中っすか?」
『ああ。でもすぐ帰れるから。じゃ、また。』
焦った様子で切れる電話。は〜、気が重い…。沢村は見当たらねェし…探している暇もない。
近くに狩場を見つけ、事情を説明すると、二つ返事で沢村を引き受けてくれた。やっぱり狩場、頼りになるぜ。感謝しつつ俺も3人の後を追う。
その途中で、遠巻きに見ていた男共が示し合せるように顔を見合わせたのを、俺は目に留めた。
「酔っぱらってんの?」
「酒弱いんだってさ。」
「めちゃくちゃガード緩んでね?」
「つか今ならさ…。」
ひそひそと言い合って、ニヤリと笑って、光さんに駆け寄って行く男達。
「玉城さ〜ん、もう帰るの?」
「一緒に2次会行こうよ、帰りは俺らが送るしさ〜」
あ…あいつら…
「ちょっと、何なの?」
牧瀬が苛立ちを露わにして男共を睨む。
「怒るなよ〜牧瀬も一緒に行く?」
「そしたらちょうど2対2だし、ちょうど良くね?」
「ちょうど良いって何?どいてよ。」
「だからそう怒るなって…」
「おい、やめろよ。」
牧瀬を掴もうとした男の手を、東条が掴む。男はその腕を振り払い、忌々しげに東条を睨んだ。
「…はぁ?お前、ちょっと芸能人と仲良いからって調子乗ってない?」
「つーか俺らも元同級生だし。友達じゃん?玉城さんも嫌がってないし、邪魔するなよ。」
男は東条の横から身を乗り出し、光さんを覗き込んだ。
「ね、玉城さん。俺のこと覚えてるっしょ?2年のとき同じクラスだったよな?」
「俺も俺も。2年と3年で同じクラスだったよな!玉城さん。」
光さんはぼーっと眠たそうな瞳で男たちを見つめた。期待に満ちた男たちの顔。それに向かって彼女は口を開く。
「…だれ?」
噴き出す牧瀬。男達は一瞬固まって、すぐに愛想笑いを浮かべる。
「…いやいや、誰?は酷いっしょ!」
「俺2年間同じクラスだったんだけど〜?ほら、こっち来て飲もうよ。」
男が手を伸ばす。東条が止めようとするのも、牧瀬が光さんを庇おうとするのも見えたけど、俺は思わず怒鳴っていた。
「てめぇらいいかげんにしろよ!!」
時が止まったかのように周りが静まり返った。俺は構わず進んで行って、男共を払いのける。
「おい、行くぞ。」
東条達にそう声をかけ、会場を後にする。……あ〜〜、緊張した。
「…信二、かっこい〜」
「ね!金丸君やるじゃん!」
「う…うるせー!」
東条と牧瀬に茶化されながら車へ辿り着く。ふう、あとは光さんと牧瀬をあのマンションまで送るだけ…。
「東条、帰りは?」
「あぁ、俺今日電車で来てるから大丈夫だよ。手伝う。」
「…さんきゅ。」
助かるぜ。一人で行くには気が重い。
「沢村君は?」
光さんを乗り込ませ、牧瀬が俺を振り返って訊く。
「狩場に頼んできた。」
そう答えると、納得したように自分も車に乗り込んだ。
車が発進し、そう言えば妙に静かになったなと思いつく。
「光さんは?」
訊くと、後部座席から牧瀬の声が返ってきた。
「車に乗ったら寝ちゃった。光、酔っぱらうとああなるけど、安心すると寝ちゃうの。」
安心…ね。…悪い気はしねーな。
ルームミラーを覗くと、牧瀬の肩にもたれて眠る光さんの寝顔が見えた。それがあまりにも綺麗で…俺は一瞬、信号を見逃しそうになってしまった。
「こんばんは。」
御幸先輩を見て頭を下げると、おう、と軽く返される。
「じゃあ行ってきます。」
御幸先輩を少し振り返って光さんが言うと、御幸先輩は小さく手を振って、俺たちを見渡した。
「あー、沢村…だと不安だから、金丸、よろしく頼むな。」
「えっ?は、はい!」
「ちょっと!なんで俺だと不安なんすか!?こんなに頼りになる男はそういませんよ!!」
「そーゆートコだよ。」
皆が車に乗り込み、俺も運転席に向かう。すると御幸先輩が来て、意味ありげな小さな声で言った。
「金丸。」
「あ…はい?」
「まあ本人も気を付けてるし、牧瀬もいるから大丈夫だとは思うんだけど…」
「…?」
「光に酒飲ませないように、見ててやって。」
「あ…はい、わかりました。」
「悪いな。お前はしっかりしてるから…まぁ頼むわ」
「…!」
み…御幸先輩が俺をこんなに信頼してくれているなんて…!!
「もしなんかあったら連絡して。」
「は…はい!」
大きく頷いて、なんだか誇らしい気持ちで胸を張る。
…そういや…東条も光さんが酒弱いとかなんとか言ってたっけ。御幸先輩の迎えで飲み会に顔出した時に少し飲んで、ちょっと騒ぎになったとか…。よっぽど弱いんだな。見ててやらねぇと…。
御幸先輩に頭を下げ、運転席に乗り込む。細心の注意を払って、車道に乗り出した。
***
会場に到着し、広間に入ると…突き刺さる無数の視線。ま…そりゃそうだよな。
「キャーーッッ!牧瀬〜〜!玉城さ〜〜〜ん!!」
「久しぶり〜〜〜!!すごーい!大女優達が来たよ!!」
「ふたりとも来てくれたの!?えーっすごい!!ねぇサインちょうだい!!」
あっという間にミーハーな女子たちに取り囲まれる牧瀬と光さん。少し取り残された気分でそれを眺めていると、こっちには男どもが群がってきた。
「おい金丸!お前玉城さんたちと仲良かったっけ!?」
「なんで一緒に来てんだよ!?」
「えっ友達!?仲良いの!?」
いや…、と曖昧に濁しながら、その後ろで降谷と沢村と小湊、東条までもが人だかりに取り囲まれ、ちやほやされているのを見つける。ちくしょー、俺だって野球選手だっつーのに…。
「玉城さんもこっちで飲もうよ!」
「御幸先輩と結婚したんだよね!?」
「いろいろ話聞かせて〜!」
…っと、光さんから目を離さねぇようにしねーと…。
女子たちにカウンターの方へ促される光さんと牧瀬を目で追う。まあ、御幸先輩も言う通り、牧瀬がついてるからそれほど心配はねーと思うけど…。
「金丸、こっちで飲もうぜ」
「なあサインくれねぇ?会社の先輩がお前のファンでさ…」
「あ、おう!」
肩を叩かれて、俺も知り合いの輪に入る。カウンターの女子たちを気にしつつウーロン茶を飲み、歓談に交じった。
「ダメだよ〜光お酒弱いから。今日は私、御幸さんに光の護衛役を任されてんの!」
「え〜そうなの?」
「ごめんね、お酒飲むとすぐ眠っちゃうの」
「そっか〜。」
「あ!でもここ、ノンアルコールのカクテルもたくさんあるよ。ほら!」
…大丈夫そうだな。まあ無理に飲まそうとする奴なんていねーしな。
…それにしても…
「なあ、玉城さん、めちゃ綺麗になってね?」
「…思った。なんか、高校の時とイメージ違うよな。」
こそこそと、俺の横の男たちが話をしている。確かに、高校の時の彼女はあまり笑っている印象がなくて、どこか周りと距離を置いて、いつも寂しそうにしてた。仲良く楽しそうに話をしているのなんて、東条か牧瀬くらいで、他の奴らとは当たり障りのない会話だけ。それでも女子とはそつなく付き合いをこなしていたようだが、男子に対する態度と言ったら、目が合えば睨まれるか逸らされるかで、話しかけられるなんてことは皆無だし、笑いかけられることなんてまさに奇跡レベルの出来事だった。
だけど今日の彼女は楽しそうに笑ったり話したりしていて、彼女の周りにきらきらと光が舞っているように錯覚するほどの輝きを放っている。思い返してみれば、卒業後に再会した彼女は結構笑顔を見せていた気がするけど、今日は高校時代の仲間に囲まれているからか、その変化をより色濃く感じるのだろうか。とにかく、ここ最近ちょくちょく顔を見ていた俺でも、彼女は変わったなと感じた。
「…光、御幸先輩と出会ってから変わったよな。」
ふと、いつの間にか隣にいた東条がそう言った。
そうか。そう言われてみれば…そうかもしれない。
「…ああ。なんか…幸せそうに見えるよな。」
俺が呟くと、東条も頷いた。幸せそうな彼女は、昔よりもっと、もっと――綺麗だ。
「奇跡の美少女とか騒がれてるけど、やっぱそれほどでもないよね。」
「わかる〜。高校の時から思ってた。あの程度芸能界にはゴロゴロいるでしょ。」
「つーか聞いた?あの子お酒弱いんだって。」
ひそひそと囁く声が、ふいに聞こえてきて、俺は何気なくそれを聞いた。
「男好きの女が使う常套句じゃん。相変わらずぶりっ子だな〜。」
「酔ったふりして男つかまえてんでしょ、どーせ。」
「御幸先輩もその手で落としたんだったりして。」
「ありえる〜。イケメンでプロ野球選手の旦那とか…絶対逃がさないように必死だったんだろうね。」
…なんだ?俺の聞き間違いか?
信じられない気持ちで声のした方を探した。隣のテーブルの、3人組の女子。見覚えはおぼろげだが…確か、2年の時に同じクラスだったか。
「御幸先輩かわいそ〜。今頃あいつの本性知って後悔してそう。」
「酒飲んでもどうせザルでしょ。」
「それかよっぽど酒癖悪いとか?」
「あはは!だったら面白いのにね。」
…くだらねーこと言いやがって。醜い僻みだ。だけど…本人の耳に入らない限りは、見過ごしてやる。めちゃくちゃ胸糞悪いけどな。
「信二?どうした?」
東条に顔を覗き込まれて、眉間にしわを寄せてしまっていたことに気付く。
「…いや、なんでもねー」
背を伸ばしてウーロン茶を飲む。あー、一気に楽しくなくなったな…。
「なあおい金丸!」
「えっ、あ、何?」
焦れるように肩を組んできた、ほろ酔いの同級生にやっと気づく。
「今日マジで玉城さんと一緒に来たのかよ!?」
「いつからんな仲良くなったんだよ!?」
「いや、牧瀬つながりで…ただの運転役だっつーの」
仲良くはねーよ、と呟くが、男たちは納得がいかないように身を乗り出す。
「でも交流はあるんだろ!?連絡先とか知ってんの?」
「会ったりしてんの?」
「ねーよ!連絡先なんか知ってどーすんだよ」
「そりゃお近づきに…」
「アホ!既婚者だぞ」
まじかよ…皆こんなふうに思ってんの?そりゃ美人だけど…人の嫁に、しかも知ってる先輩の嫁に手なんか出せるかっつーの!つか出したところで、どうせ見向きもされねーし…
男たちに一喝し、背を向けてウーロン茶を煽る。チッ…気分わりい。
「おい、お前声かけてみろよ。」
「はぁ〜?お前が行けよ、3年のとき同じクラスだったろ」
「お前2年で同じ委員会やってたじゃん」
「でも話したことねーって」
…こっちはこっちでそわそわと落ち着かない男共がいるし。皆光さんが結婚したことも、相手が御幸先輩だってこともわかってるはずなのに…どういうつもりだよ。
「なんか…大変だな、光」
こっそりと、隣の東条も事態に気付いた様子で俺に耳打ちする。
「…だな。まぁ、本人は女子たちのところにいるから平気だろうけど…」
言いながら、カウンターの方を見る。10人ぐらいの女子が固まって座っていて、その中心に牧瀬と一緒に居る光さんを見つけて、ひとまず安堵する。元同級生として…知り合いとして、普通に心配する気持ちももちろんあるけど…御幸先輩に頼まれた手前、何かあったらマジでシャレになんねーっつの。
そう考えながら女子たちを眺めていると…ふと、空気がおかしいことに気付いた。牧瀬が立ち上がって、光さんのグラスを取って…真剣な顔で何かを言っている。周りの女子たちも緊張した面持ちで成り行きを見守っている。
「…どうかしたのかな?」
東条がグラスを置いた。様子見に行く気満々じゃねーか。苦笑しながら、俺もグラスを置く。
ふたりでどちらからともなく歩きだし、カウンターへ向かった。
「だから、間違えただけって言ってるじゃん。」
近づくと、女子のそんな言葉が聞こえた。
見るとそれは、ついさっき光さんの陰口を叩いていた3人組のうちの一人だった。
「牧瀬、何かあったの?」
東条が声をかけると、女子たちは一斉に振り向いた。
「…光がお酒飲まされたの。」
「え!」
東条の顔に緊張が走り、光さんを見た。
「…だから…わざとじゃないってば。間違えたの。ごめんって言ってるじゃん。それにちょっとだけだし、玉城さんも全然平気そうじゃん。」
女子は牧瀬に睨まれながら、憮然とした態度で言う。光さんは…少し顔が赤いものの、具合は悪くなさそうだ。
「…おい、そんなヤベーの?」
俺は隣の東条に耳打ちする。
「いや…ヤバいっていうか…」
東条が言いよどんだとき、光さんがゆらりと立ち上がった。
「! 光、だいじょう…」
心配そうに駆け寄る牧瀬に背を向け、酒を飲ませたと思われる女子3人組に顔を向ける光さん。
「……。」
「…な…何?」
その無言の視線に少し圧されたように、女子は眉を寄せる。
「…どうして?」
「…は?」
「どうして…そんなに、私のことが嫌いなの?」
「……は!?」
光さんに見つめられた女子の顔は、言葉を探すように目を彷徨わせ、ばつが悪そうに俯き、だんだんと…赤くなった。
「私は、あなたたちのこと……」
「……。」
少し目を潤ませ、見惚れてしまいそうなほど美しく憂いを帯びる顔で呟く光さん。
そんな…まさか、光さん、こんな奴らのことも思いやって…。な、なんて優しい女神なんだ…。
「…名前も知らないのに。」
「……は…?」
は???
ぽかん、と立ち尽くす俺たちを余所に、光さんは牧瀬に向き直る。
「司〜〜、もう帰ろうよ…帰りたい〜」
「よ…よしよし。」
だだをこねるように牧瀬に抱き着き、甘える光さん。ど…どうなってんだ!?
未だ言葉を失う俺や女子たちに、牧瀬は苦笑を浮かべて言った。
「光、酔っぱらうと思ったこと全部口に出ちゃうの。」
「え…じゃあ…」
こ、これが素ってことかよ…?この…無邪気に牧瀬に甘える姿が。
う…うらやまし……じゃなくて!!
「金丸君、ごめん、車出せる?」
「あ…おう!」
慌ててポケットを探り、車の鍵を取り出して、牧瀬に投げ渡す。
「先乗ってろ。一応、御幸先輩に連絡してから行く」
「わかった!」
頷いて、光さんを支えて歩き出す牧瀬に、東条が駆け寄った。
「牧瀬、手伝うよ。」
「あ、ありがと。」
光さんはぼんやりした顔で、一人で歩けてはいるが、牧瀬が腕をくんで、反対側の隣を東条が荷物を持って付き添い出口に向かう。隣に並んだ東条を見上げると、光さんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「あ〜〜、東条。東条だ〜〜あははは」
「だ…大丈夫か?」
「東条〜〜美人さんだね〜んふふふふ」
「う、嬉しくないよ…」
東条の顔をつついたり撫でたりして笑う光さん。東条は顔を赤くして苦笑している。く…くそ、羨ましい…!!
…じゃなくて!御幸先輩に電話しねーと…。
電話帳から御幸先輩を選び、発信ボタンを押す。くっそー、頼まれてたのに…
『はい。金丸?』
「あっ…金丸っす」
びっくりした。出るの早えな…もしかして心配してたのか?
『どうした?』
光さんが…酒を飲まされて?間違えて飲んでしまって?いや…言い訳するのもダセェよな…俺がちゃんと見てなかったんだし…。
「すいません!光さんが…酒、飲んじゃって」
『え…』
あー…!もう…俺失望されたわ…
「す、すいません!あの…本人が帰りたがってるんで、今から牧瀬と家に送ります。」
『…わかった。……。』
「…?」
何か言いかけたような沈黙。俺は電話を切り損ね、御幸先輩の言葉を待つ。
『…あのさ。光…何か変な事、言ってねーよな?』
「変な事?」
変といえば…あの状態は、変だけど。
ちらりと去っていく3人を見る。
「東条…かわいい〜」
「な…何だよそれ?」
「あははは笑ったぁ!変なかお〜〜ねぇ見て司〜!東条がかわいい〜!」
「ぷっ…光、しっかり…ぶふっ」
「ま、牧瀬まで笑うなよ!」
「東条ってね〜びっくりすると笑うんだよ〜!かわいいでしょ〜」
「あははは!」
「ちょっ…牧瀬!!」
『いや…いい、聞こえた』
「あ…ハイ」
『悪いな金丸…俺もすぐ帰るから』
「あ…すいません!今外出中っすか?」
『ああ。でもすぐ帰れるから。じゃ、また。』
焦った様子で切れる電話。は〜、気が重い…。沢村は見当たらねェし…探している暇もない。
近くに狩場を見つけ、事情を説明すると、二つ返事で沢村を引き受けてくれた。やっぱり狩場、頼りになるぜ。感謝しつつ俺も3人の後を追う。
その途中で、遠巻きに見ていた男共が示し合せるように顔を見合わせたのを、俺は目に留めた。
「酔っぱらってんの?」
「酒弱いんだってさ。」
「めちゃくちゃガード緩んでね?」
「つか今ならさ…。」
ひそひそと言い合って、ニヤリと笑って、光さんに駆け寄って行く男達。
「玉城さ〜ん、もう帰るの?」
「一緒に2次会行こうよ、帰りは俺らが送るしさ〜」
あ…あいつら…
「ちょっと、何なの?」
牧瀬が苛立ちを露わにして男共を睨む。
「怒るなよ〜牧瀬も一緒に行く?」
「そしたらちょうど2対2だし、ちょうど良くね?」
「ちょうど良いって何?どいてよ。」
「だからそう怒るなって…」
「おい、やめろよ。」
牧瀬を掴もうとした男の手を、東条が掴む。男はその腕を振り払い、忌々しげに東条を睨んだ。
「…はぁ?お前、ちょっと芸能人と仲良いからって調子乗ってない?」
「つーか俺らも元同級生だし。友達じゃん?玉城さんも嫌がってないし、邪魔するなよ。」
男は東条の横から身を乗り出し、光さんを覗き込んだ。
「ね、玉城さん。俺のこと覚えてるっしょ?2年のとき同じクラスだったよな?」
「俺も俺も。2年と3年で同じクラスだったよな!玉城さん。」
光さんはぼーっと眠たそうな瞳で男たちを見つめた。期待に満ちた男たちの顔。それに向かって彼女は口を開く。
「…だれ?」
噴き出す牧瀬。男達は一瞬固まって、すぐに愛想笑いを浮かべる。
「…いやいや、誰?は酷いっしょ!」
「俺2年間同じクラスだったんだけど〜?ほら、こっち来て飲もうよ。」
男が手を伸ばす。東条が止めようとするのも、牧瀬が光さんを庇おうとするのも見えたけど、俺は思わず怒鳴っていた。
「てめぇらいいかげんにしろよ!!」
時が止まったかのように周りが静まり返った。俺は構わず進んで行って、男共を払いのける。
「おい、行くぞ。」
東条達にそう声をかけ、会場を後にする。……あ〜〜、緊張した。
「…信二、かっこい〜」
「ね!金丸君やるじゃん!」
「う…うるせー!」
東条と牧瀬に茶化されながら車へ辿り着く。ふう、あとは光さんと牧瀬をあのマンションまで送るだけ…。
「東条、帰りは?」
「あぁ、俺今日電車で来てるから大丈夫だよ。手伝う。」
「…さんきゅ。」
助かるぜ。一人で行くには気が重い。
「沢村君は?」
光さんを乗り込ませ、牧瀬が俺を振り返って訊く。
「狩場に頼んできた。」
そう答えると、納得したように自分も車に乗り込んだ。
車が発進し、そう言えば妙に静かになったなと思いつく。
「光さんは?」
訊くと、後部座席から牧瀬の声が返ってきた。
「車に乗ったら寝ちゃった。光、酔っぱらうとああなるけど、安心すると寝ちゃうの。」
安心…ね。…悪い気はしねーな。
ルームミラーを覗くと、牧瀬の肩にもたれて眠る光さんの寝顔が見えた。それがあまりにも綺麗で…俺は一瞬、信号を見逃しそうになってしまった。