115
高級感のある木目調のドアの前に牧瀬と二人で立つ。このマンションに来るのは2度目だ。…緊張する。やっぱ…高いのかなここ。高いよな…都会だし、駅もそこそこ近いし、周りの景観もいいし、セキュリティもしっかりしてるし…やっぱり有名選手は違うなぁ…
ガチャン、と重たい音がして、俺は肩を竦めた。ドアが開き、濃紺のニット姿の御幸先輩が現れた。
「おはようございまーす」
「お、おはようございます」
「おー、どうぞ」
「お…お邪魔します」
おそるおそる、玄関に足を踏み入れる。爽やかで少し甘い香りがかすかに香る部屋。シンプルですっきりと片付いているところがあの二人らしい。
リビングに通されると、ふわりとコーヒーの香りが漂っていて、キッチンには光の姿があった。
白いハイネックのニットに、黒のキャミソールワンピース姿。少し伸びた髪をゆるくまとめていて、ゆるくウェーブのかかった後れ毛が色っぽい…。ティーカップにコーヒーを注いで、ポットを置くと、顔を上げて微笑む。
「おはよう。」
その、朝日につつまれた彼女の微笑みが、言葉が――一瞬、自分だけに向けられたような錯覚がして、抑えていた胸が跳ねた。しかしそこへ、その彼女の隣へ…御幸先輩が自然に歩いて行って、隣に並んで、俺は現実に帰る。
「これ、もう持ってって良い?」
「うん。あ、これも…」
「おう」
自然に微笑みを交わすふたり。そこに、学生時代のぎこちなさはまったくなくて…ふたりが全く知らない人のようにさえ思えた。…当たり前だ。ふたりはもう、高校生のカップルじゃない。長年付き合って、同棲して、色んなことを乗り越えてきた…夫婦、なんだ。
「東条くんも座りなよ。」
「え、あっ…、うん」
気付けば牧瀬は既にソファにゆったりと腰かけてくつろいでいる。な、慣れてるな…。
「お前はくつろぎすぎ。」
御幸先輩が笑いながらやってきて、ティーカップを4つテーブルに並べる。あとから光もやってきて、陶器のトレーに並べた焼き菓子をテーブルの真ん中に置いた。分厚いビスケットのような、黄金色に焼けた表に王冠の焼き印がある、高級感漂うお菓子。…有名なとこのかな。
「あー!これ、カステッロのガレットじゃん!よく買えたね!」
「ううん、貰ったの。」
「へー!誰から?」
「叔母から…。」
叔母さんって…たしか、結婚式でエスコートしてた人だよな。品の良い、綺麗な…明るい感じの人。
牧瀬は、へ〜と相槌を打って早速お菓子に手を伸ばす。
「うわ〜美味し〜〜初めて食べた〜感激〜〜」
「…そんな有名なの?これ」
「何言ってんの東条君!フランスの有名なお店で、今年日本に初上陸して、もう毎日早朝からす〜〜〜っごい大行列なんだから!」
「へ〜…」
「使ってるバターが本格的なんだよね〜」
さすが情報通。詳しいなー。俺はこういうの疎いからなー…
頂きますと断って、一つ手に取り、食べる。…うん、牧瀬の反応を見たせいもあるかもしれないけど、美味しい。
「でもいいのー?こんな貴重なもの、こんなにたくさん出してもらっちゃって」
「うん、ひとりじゃ食べきれないし、食べてもらえると助かる。」
「ひとり…?」
「一也さん、甘いもの苦手だから」
ね、と御幸先輩に笑顔を向ける光。苦笑交じりの穏やかな微笑みを返す御幸先輩。お互いのお互いを見る目が、ふとした一瞬でさえ、幸せに満ちている。
だけど牧瀬はそんな二人の前でも、ふーん、と気にも留めていない様子で。俺ばかりが意識しているんだと思い知らされる。
「じゃあ…東条君、アレ、見せてくれる?」
牧瀬がコーヒーを置き、俺を見る。
「あ…うん。」
俺は持って来たトートバッグの中から分厚い革張りの冊子を取り出した。高校の卒業アルバムだ。牧瀬も光も実家に置いてあってすぐに見れないからと、俺に手元に無いか連絡が来たのだ。
「じゃあとりあえず、A組から見てみましょうか。」
牧瀬が言うと、御幸先輩は頭を掻いた。
「つっても俺、マジでわかんないと思うよ。」
「私も…」
隣で光も自信がなさそうに呟く。例の3人組のことを、2人とも顔や名前を覚えていないというので、卒業アルバムを見れば何か思い出すかも、と牧瀬が提案し、今日俺はここに呼ばれたのだった。
「まあとりあえず見てみよう。私は大体の人なら覚えてるし、3人組とかもわかる範囲で言うから。」
さ…さすが牧瀬。めちゃくちゃ顔広かったもんな。いや、今もか。
アルバムを開き、3年A組、B組、C組…、と進んでいく。しかし光も御幸先輩も、ピンとこない顔をして首を傾げるばかり。やっぱ、無理があったか…そう思った時、牧瀬がある女子の顔を指さした。
「あ、光、この子覚えてる?」
「ん?…田中茜?うーん…あー…、いた…ような気がする。話したことはないと思う。」
「この子、御幸先輩のことが1年の時から好きで有名だったんだよ。」
「…え」
顔をひきつらせたのは御幸先輩。光は、ふうん、とポーカーフェイスで頷いている。
「御幸先輩が好きだって周りに宣言しててさあ。他の御幸先輩ファンの子をはぶいたり、無視したり…」
「へー、俺知らなかった。」
「男子の前じゃいい顔してたもん、この子。1年の時は、確か…この子。飯塚さんって子と二人組でよく一緒に居たけど、2年になってからこっちの…前田さんが加わって3人組になったの。」
「詳しいね司…」
「まあこの子は目立ってたからね…悪い意味で。それに…この間の同窓会にも居たじゃん。」
「え?そうだった?」
「まあだいぶ雰囲気変わってたから、私もすぐにはわからなかったけど…ほら、光にオレンジジュースだって言ってカクテル持って来た子。あの子だよ。田中茜。」
「え…」
「え!?」
「おい、それどういう事?」
驚く俺たちの横から、御幸先輩がこわばった低い声で身を乗り出してきた。
「同窓会の時、光がお酒を飲んだのは…この子がオレンジジュースだって言って、カクテルを持って来たのを飲んじゃったからなんです。この子は間違えたって言ってたけど、ジュースは全部瓶で提供されてて自分たちで注がないといけなかったし、今思うと…やっぱりわざとだったと思います。」
「…そうなのか?」
御幸先輩は案じるように光を見る。光は困ったように首を傾げる。
「そう…だったかな…私その後すぐ酔って寝ちゃったから…」
わからない…、と呟く光に、あれ?と思う。
「いや、寝たって言うか…」
「…東条君!」
俺の腕を引きとめるようにつかみ、牧瀬が首を横に振って、小声で言う。
「光…酔ってるときの記憶なくなるタイプだから」
「え…マジ?」
じゃああれ…全部覚えてないってこと?残念なような…安心したような…
「東条君は覚えてる?」
「いや…うーん…あんまりよく見なかったしなあ…。知らない女子だなあ、としか思わなかったし…」
「えーっ、じゃあ私の証言だけ!?」
「まあ…信憑性としては十分だと思うけど」
俺が言うと、光も同意するように苦笑する。
「牧瀬はそいつの連絡先とか知ってんの?」
そう訊いたのは御幸先輩だった。
「知らないです。」
「そうか…」
「でも、知り合いに聞けば分かると思いますよ。」
「…さすが、顔が広い」
思わず呟くと、牧瀬はふふんと笑う。
「でも…この人が犯人って決まったわけじゃないんだし…どうするの?」
そう言ったのは光だった。…まあ、その通りだ。
「鎌かけてみる?」
あっけらかんとして提案したのは牧瀬だ。俺たちは牧瀬に注目した。
「鎌って…どんな?」
「まあ単純に、偶然を装って御幸さんと会わせるとか。」
「え?俺?」
「そしたら今御幸さんのことをどう思ってるのか、一発でわかるでしょ。」
「会わせるって、どうやって?」
「ん〜、そうだなあ…あんまり人目のないお店で、向こうに覚られないように誘導しなきゃだし…」
「…無理じゃないか?」
「何言ってんの、簡単でしょ。」
「え?」
目を丸くする俺の前で、牧瀬はスマホを取り出して何やら操作する。…メールか?
「ちょっと待っててね。」
牧瀬はそう言い、優雅にコーヒーを一口飲んだ。するとまもなくして、牧瀬のスマホにメールが届く。
「よし。知り合いに頼んで、田中茜に御幸さんの目撃情報を流してもらいました。」
「え?ナニソレ…」
「楓通りの古書店に、土曜日の夜、よく御幸さんが来るらしい、って伝えてもらいました。本人がその気なら来ると思います。」
「俺囮ってこと?」
「私たちも近くで隠れて見てますから!」
「え〜…」
渋い顔をする御幸先輩の横で、光は言い合いをする御幸先輩と牧瀬をどこか他人事のように見つめている。
「光もそれでいい?」
「えっ?あ、うん」
そこに急に話を振られたからだろう、光は目を丸くして牧瀬に頷いた。
ガチャン、と重たい音がして、俺は肩を竦めた。ドアが開き、濃紺のニット姿の御幸先輩が現れた。
「おはようございまーす」
「お、おはようございます」
「おー、どうぞ」
「お…お邪魔します」
おそるおそる、玄関に足を踏み入れる。爽やかで少し甘い香りがかすかに香る部屋。シンプルですっきりと片付いているところがあの二人らしい。
リビングに通されると、ふわりとコーヒーの香りが漂っていて、キッチンには光の姿があった。
白いハイネックのニットに、黒のキャミソールワンピース姿。少し伸びた髪をゆるくまとめていて、ゆるくウェーブのかかった後れ毛が色っぽい…。ティーカップにコーヒーを注いで、ポットを置くと、顔を上げて微笑む。
「おはよう。」
その、朝日につつまれた彼女の微笑みが、言葉が――一瞬、自分だけに向けられたような錯覚がして、抑えていた胸が跳ねた。しかしそこへ、その彼女の隣へ…御幸先輩が自然に歩いて行って、隣に並んで、俺は現実に帰る。
「これ、もう持ってって良い?」
「うん。あ、これも…」
「おう」
自然に微笑みを交わすふたり。そこに、学生時代のぎこちなさはまったくなくて…ふたりが全く知らない人のようにさえ思えた。…当たり前だ。ふたりはもう、高校生のカップルじゃない。長年付き合って、同棲して、色んなことを乗り越えてきた…夫婦、なんだ。
「東条くんも座りなよ。」
「え、あっ…、うん」
気付けば牧瀬は既にソファにゆったりと腰かけてくつろいでいる。な、慣れてるな…。
「お前はくつろぎすぎ。」
御幸先輩が笑いながらやってきて、ティーカップを4つテーブルに並べる。あとから光もやってきて、陶器のトレーに並べた焼き菓子をテーブルの真ん中に置いた。分厚いビスケットのような、黄金色に焼けた表に王冠の焼き印がある、高級感漂うお菓子。…有名なとこのかな。
「あー!これ、カステッロのガレットじゃん!よく買えたね!」
「ううん、貰ったの。」
「へー!誰から?」
「叔母から…。」
叔母さんって…たしか、結婚式でエスコートしてた人だよな。品の良い、綺麗な…明るい感じの人。
牧瀬は、へ〜と相槌を打って早速お菓子に手を伸ばす。
「うわ〜美味し〜〜初めて食べた〜感激〜〜」
「…そんな有名なの?これ」
「何言ってんの東条君!フランスの有名なお店で、今年日本に初上陸して、もう毎日早朝からす〜〜〜っごい大行列なんだから!」
「へ〜…」
「使ってるバターが本格的なんだよね〜」
さすが情報通。詳しいなー。俺はこういうの疎いからなー…
頂きますと断って、一つ手に取り、食べる。…うん、牧瀬の反応を見たせいもあるかもしれないけど、美味しい。
「でもいいのー?こんな貴重なもの、こんなにたくさん出してもらっちゃって」
「うん、ひとりじゃ食べきれないし、食べてもらえると助かる。」
「ひとり…?」
「一也さん、甘いもの苦手だから」
ね、と御幸先輩に笑顔を向ける光。苦笑交じりの穏やかな微笑みを返す御幸先輩。お互いのお互いを見る目が、ふとした一瞬でさえ、幸せに満ちている。
だけど牧瀬はそんな二人の前でも、ふーん、と気にも留めていない様子で。俺ばかりが意識しているんだと思い知らされる。
「じゃあ…東条君、アレ、見せてくれる?」
牧瀬がコーヒーを置き、俺を見る。
「あ…うん。」
俺は持って来たトートバッグの中から分厚い革張りの冊子を取り出した。高校の卒業アルバムだ。牧瀬も光も実家に置いてあってすぐに見れないからと、俺に手元に無いか連絡が来たのだ。
「じゃあとりあえず、A組から見てみましょうか。」
牧瀬が言うと、御幸先輩は頭を掻いた。
「つっても俺、マジでわかんないと思うよ。」
「私も…」
隣で光も自信がなさそうに呟く。例の3人組のことを、2人とも顔や名前を覚えていないというので、卒業アルバムを見れば何か思い出すかも、と牧瀬が提案し、今日俺はここに呼ばれたのだった。
「まあとりあえず見てみよう。私は大体の人なら覚えてるし、3人組とかもわかる範囲で言うから。」
さ…さすが牧瀬。めちゃくちゃ顔広かったもんな。いや、今もか。
アルバムを開き、3年A組、B組、C組…、と進んでいく。しかし光も御幸先輩も、ピンとこない顔をして首を傾げるばかり。やっぱ、無理があったか…そう思った時、牧瀬がある女子の顔を指さした。
「あ、光、この子覚えてる?」
「ん?…田中茜?うーん…あー…、いた…ような気がする。話したことはないと思う。」
「この子、御幸先輩のことが1年の時から好きで有名だったんだよ。」
「…え」
顔をひきつらせたのは御幸先輩。光は、ふうん、とポーカーフェイスで頷いている。
「御幸先輩が好きだって周りに宣言しててさあ。他の御幸先輩ファンの子をはぶいたり、無視したり…」
「へー、俺知らなかった。」
「男子の前じゃいい顔してたもん、この子。1年の時は、確か…この子。飯塚さんって子と二人組でよく一緒に居たけど、2年になってからこっちの…前田さんが加わって3人組になったの。」
「詳しいね司…」
「まあこの子は目立ってたからね…悪い意味で。それに…この間の同窓会にも居たじゃん。」
「え?そうだった?」
「まあだいぶ雰囲気変わってたから、私もすぐにはわからなかったけど…ほら、光にオレンジジュースだって言ってカクテル持って来た子。あの子だよ。田中茜。」
「え…」
「え!?」
「おい、それどういう事?」
驚く俺たちの横から、御幸先輩がこわばった低い声で身を乗り出してきた。
「同窓会の時、光がお酒を飲んだのは…この子がオレンジジュースだって言って、カクテルを持って来たのを飲んじゃったからなんです。この子は間違えたって言ってたけど、ジュースは全部瓶で提供されてて自分たちで注がないといけなかったし、今思うと…やっぱりわざとだったと思います。」
「…そうなのか?」
御幸先輩は案じるように光を見る。光は困ったように首を傾げる。
「そう…だったかな…私その後すぐ酔って寝ちゃったから…」
わからない…、と呟く光に、あれ?と思う。
「いや、寝たって言うか…」
「…東条君!」
俺の腕を引きとめるようにつかみ、牧瀬が首を横に振って、小声で言う。
「光…酔ってるときの記憶なくなるタイプだから」
「え…マジ?」
じゃああれ…全部覚えてないってこと?残念なような…安心したような…
「東条君は覚えてる?」
「いや…うーん…あんまりよく見なかったしなあ…。知らない女子だなあ、としか思わなかったし…」
「えーっ、じゃあ私の証言だけ!?」
「まあ…信憑性としては十分だと思うけど」
俺が言うと、光も同意するように苦笑する。
「牧瀬はそいつの連絡先とか知ってんの?」
そう訊いたのは御幸先輩だった。
「知らないです。」
「そうか…」
「でも、知り合いに聞けば分かると思いますよ。」
「…さすが、顔が広い」
思わず呟くと、牧瀬はふふんと笑う。
「でも…この人が犯人って決まったわけじゃないんだし…どうするの?」
そう言ったのは光だった。…まあ、その通りだ。
「鎌かけてみる?」
あっけらかんとして提案したのは牧瀬だ。俺たちは牧瀬に注目した。
「鎌って…どんな?」
「まあ単純に、偶然を装って御幸さんと会わせるとか。」
「え?俺?」
「そしたら今御幸さんのことをどう思ってるのか、一発でわかるでしょ。」
「会わせるって、どうやって?」
「ん〜、そうだなあ…あんまり人目のないお店で、向こうに覚られないように誘導しなきゃだし…」
「…無理じゃないか?」
「何言ってんの、簡単でしょ。」
「え?」
目を丸くする俺の前で、牧瀬はスマホを取り出して何やら操作する。…メールか?
「ちょっと待っててね。」
牧瀬はそう言い、優雅にコーヒーを一口飲んだ。するとまもなくして、牧瀬のスマホにメールが届く。
「よし。知り合いに頼んで、田中茜に御幸さんの目撃情報を流してもらいました。」
「え?ナニソレ…」
「楓通りの古書店に、土曜日の夜、よく御幸さんが来るらしい、って伝えてもらいました。本人がその気なら来ると思います。」
「俺囮ってこと?」
「私たちも近くで隠れて見てますから!」
「え〜…」
渋い顔をする御幸先輩の横で、光は言い合いをする御幸先輩と牧瀬をどこか他人事のように見つめている。
「光もそれでいい?」
「えっ?あ、うん」
そこに急に話を振られたからだろう、光は目を丸くして牧瀬に頷いた。