011
橋が見えてくると、辺りには街灯も少なく、人気もなくなってくる。このあたりは田んぼや畑だらけで、いつもこんな雰囲気だ。胸に不穏なものを感じながら、橋にたどり着く。そこには誰もいなかった。もうどこかに移動したのか、それとも…。
俺は駅とは反対方向に走り出す。駅の方へ行ったとしたら、灯りも人も多いし、さほど心配はないだろう。何かが起こるとすればこっちの道だ。人気のない真っ暗な畦道。倉持は何も言わず俺の後に続く。
「……ぁ…!」
悲鳴。…のようなものが聞こえた気がした。俺が振り返ると、倉持も青ざめた顔をしていた。聞き間違いじゃない。俺は声のした方へ走り出す。
廃墟のような民家の垣根の向こう、私道と見間違うような細い道路に、一台の軽自動車が停まっていた。そしてその少し先で、揉めているような人影。大きな黒い服の男と、華奢な少女。腕を掴まれ抵抗しているその少女は――
「玉城!!」
俺は声を上げ、駆けつける。
「テメェ何してんだ!!」
倉持が怒号を上げ、男に蹴りを入れる。男は図体に似合わず簡単に吹っ飛ばされ、車のフロントに体を打ちつけた。男がへたり込んだ後に見えたフロントは、暗闇の中でもわかるほど、凹んでしまっていた。
「おい…、やりすぎ」
「ヤベ…、つい」
男はよろよろと立ちあがり、身構えた倉持に背を向け、這いつくばるように車に逃げ込んだ。そしてすぐに、情けないエンジン音を響かせながら、夜の畦道を走り去って行った。
俺たちはひとまず息を吐く。そして、いつの間にか掴んでいた玉城の細い腕が、細かく震えていることに気付いた。
「大丈夫か?」
道端に座り込んだままの玉城の傍に膝をつき、顔を覗き込む。玉城は――、俺を見上げ、目を潤ませ、頬に涙を流した。そして次の瞬間、玉城は俺に縋りつくように、抱き着いた。
「み…っ、御幸先輩…!御幸先輩…っ」
震える声で、繰り返し俺の名前を呟く玉城。自分に言い聞かせるように、安堵を求めるように。そんな姿を見せられたら、俺はたまらなくなって、玉城の細い体を抱きしめ返した。…が、背中に突き刺さる倉持の視線を感じて、やんわりと玉城の肩を押し返した。
「おい…、落ち着け。」
「うぅぅ〜…っ」
しかし抵抗するように、玉城は更に強く抱き着いてくる。…あの玉城が。いつも俺を冷ややかな目で嘲笑ってからかっていた玉城が。つーか、胸当たってんだけど…。
「こ…こらこら、くっつきすぎだっての」
「……やだ!」
「いや、やだ!じゃなくて」
「う……っ」
俺の胸に顔を押し付ける玉城の、小さな両手は俺の背中に回されて、ぎゅっと服を掴んだまま離さない。どうしちゃったんだよ、と茶化す前に、その両手がまだ震えていることに気付いて、俺は困り果てて頬を掻いた。
余程怖かったんだろう。そりゃそうだよな。あんなデカイおっさんに腕を引っ張られて、車に連れ込まれそうになって。周りには誰も居なくて、灯りもなくて、ひとりぼっちで。心細かっただろう。そして今、安心して俺に抱き着いている。その事実をゆっくりと噛み締めて、やっと実感して、じわりと喜びが滲むのは確かで。不謹慎だけど、こいつがこんなに俺を信頼して、頼ってくれているとは。胸がくすぐったくなる。もっと何か、してやれないかと考えてしまう。
「おい…御幸。」
倉持が小声で呼ぶ。俺は、ああ、とだけ頷く。
そうだ、門限も近いし、こいつも家に送らないといけないし、ここでいつまでも座り込んでるわけにはいかない。
「玉城、ほら、立てるか?家まで送ってくから…」
「……。」
玉城は俺に縋りついたまま立ち上がる。立ち上がってからも、俺の腕にぴったりとしがみついて離れなかった。いや…、悪い気はしないけど、腕に当たる柔らかい感触がヤバい。あと、倉持の刺すような視線もヤバい。
何とか歩き始めて、玉城の家へ向かう。玉城の家は、人気のないこの畦道をずっと行った先にある、ひっそりとした住宅街にあるらしかった。
「家の人は?もー帰ってんの?」
「まだ…今週は、出張で…両親ともいません」
「今週?一週間もお前、一人なの?」
「はい…あ…、でも…」
玉城が言いかけた時、住宅街の道に佇む人影を見つけた。その人影を見て、倉持が目を丸くした。
「え…あれ、哲さん!?」
倉持の言う通り、そこにいたのは哲さんだった。哲さんは俺たちを見て不思議そうな顔をした後、玉城に目を移して駆け寄ってきた。
「よかった…お前たちと一緒だったのか。」
「え?」
「帰りが遅いから、今から俺と弟で探しに行くところだったんだ。」
そう言う哲さんの視線の先には、俯く玉城。俺と倉持は疑問符を浮かべて顔を見合わせる。
「えっと…なんで哲さんがここに?」
「?ここが俺の家だからな。」
そう言って指差した先にある表札には、確かに「結城」の文字。
「え?ここ、哲さんちッスか?じゃあ玉城は…」
「ああ、家が向かいなんだ。光の家はそこだ」
哲さんは前を指さす。振り向くと、「玉城」と書かれた表札を掲げる、洋風の大きな家が佇んでいた。
哲さんの話によると、ふたりは幼馴染で、玉城の両親は不在がちなため、玉城はよく哲さんの家に世話になっているんだとか。突然の話に、俺と倉持はにわかには信じられず、言葉に詰まった。
その時哲さんの家の玄関が開き、出てきた背の高い男が不思議そうに俺たちを一瞥した。
「将司。光は無事帰ってきたから、大丈夫だ。」
「…わかった」
男は哲さんに言われると、無愛想に家の中へ戻って行った。
「弟だ。」
閉まったドアを指しながら哲さんが言った。まだ中学生らしい。デケェな。
「お前たちも、そろそろ門限なんじゃないのか?」
哲さんに言われて、倉持が思い出したように頷いた。
「そ…そうッスね。じゃ…俺らは帰ります。おい、御幸。」
「あぁ…うん。」
俺も頷いて、腕に絡みつく玉城の細い腕を解かせる。
「じゃ、俺らは帰るからな。もう夜にひとりで出歩くなよ。あ…あと、今日のこと、親なり警察なりに話したほうが良いぞ。」
「…?何かあったのか?」
哲さんの声に、玉城は俯いた。まだ怯えたような顔をしている。その小さな背中を軽く叩き、哲さんの方へと促した。
「変な男に車に連れ込まれそうになってたんスよ。倉持が蹴りいれたら、逃げていきましたけど。」
「変な男…?光、いつもの奴か?」
「いつもの奴?」
今度は俺が目を瞬く番だった。いつもって…ストーカーってことか?
「今まで…顔は…見たことなかったから…わからないけど……たぶん、そうです…。」
「そうか…。」
それから哲さんはまだ話を聞きたそうにしていたが、俺たちを見て表情を変えた。
「とにかく、今日はお前たちももう帰れ。光、今日はうちで晩飯食べてくだろ?お袋も用意して、心配して待ってるぞ。食べたら…今日のことを話してくれ。いいな?」
俺たちに続き、玉城も頷いた。なんというか、哲さん、玉城の扱いに慣れている…。こんなに大人しく従順に、人の言う事に従う玉城は初めて見た。なんだか落ち着かない。
玉城は、哲さんに背中を押され、玄関へと向かう。そして俺を振り返り――勘違いでなければ――すごく名残惜しそうに、俺を見つめた。
この間まで、あんなに素っ気なかったくせに…本当は、俺のことどう思ってんだ。
いや、わかってる。今はあんなことがあって、人恋しいだけだ。…それだけだ。
ドアが閉まるのを見送って、俺は倉持と連れ立って寮へと戻る。
その帰り道、やけに静かだった倉持が、寮の門が見えてきたところで、無言のまま俺をどついたのだった。
俺は駅とは反対方向に走り出す。駅の方へ行ったとしたら、灯りも人も多いし、さほど心配はないだろう。何かが起こるとすればこっちの道だ。人気のない真っ暗な畦道。倉持は何も言わず俺の後に続く。
「……ぁ…!」
悲鳴。…のようなものが聞こえた気がした。俺が振り返ると、倉持も青ざめた顔をしていた。聞き間違いじゃない。俺は声のした方へ走り出す。
廃墟のような民家の垣根の向こう、私道と見間違うような細い道路に、一台の軽自動車が停まっていた。そしてその少し先で、揉めているような人影。大きな黒い服の男と、華奢な少女。腕を掴まれ抵抗しているその少女は――
「玉城!!」
俺は声を上げ、駆けつける。
「テメェ何してんだ!!」
倉持が怒号を上げ、男に蹴りを入れる。男は図体に似合わず簡単に吹っ飛ばされ、車のフロントに体を打ちつけた。男がへたり込んだ後に見えたフロントは、暗闇の中でもわかるほど、凹んでしまっていた。
「おい…、やりすぎ」
「ヤベ…、つい」
男はよろよろと立ちあがり、身構えた倉持に背を向け、這いつくばるように車に逃げ込んだ。そしてすぐに、情けないエンジン音を響かせながら、夜の畦道を走り去って行った。
俺たちはひとまず息を吐く。そして、いつの間にか掴んでいた玉城の細い腕が、細かく震えていることに気付いた。
「大丈夫か?」
道端に座り込んだままの玉城の傍に膝をつき、顔を覗き込む。玉城は――、俺を見上げ、目を潤ませ、頬に涙を流した。そして次の瞬間、玉城は俺に縋りつくように、抱き着いた。
「み…っ、御幸先輩…!御幸先輩…っ」
震える声で、繰り返し俺の名前を呟く玉城。自分に言い聞かせるように、安堵を求めるように。そんな姿を見せられたら、俺はたまらなくなって、玉城の細い体を抱きしめ返した。…が、背中に突き刺さる倉持の視線を感じて、やんわりと玉城の肩を押し返した。
「おい…、落ち着け。」
「うぅぅ〜…っ」
しかし抵抗するように、玉城は更に強く抱き着いてくる。…あの玉城が。いつも俺を冷ややかな目で嘲笑ってからかっていた玉城が。つーか、胸当たってんだけど…。
「こ…こらこら、くっつきすぎだっての」
「……やだ!」
「いや、やだ!じゃなくて」
「う……っ」
俺の胸に顔を押し付ける玉城の、小さな両手は俺の背中に回されて、ぎゅっと服を掴んだまま離さない。どうしちゃったんだよ、と茶化す前に、その両手がまだ震えていることに気付いて、俺は困り果てて頬を掻いた。
余程怖かったんだろう。そりゃそうだよな。あんなデカイおっさんに腕を引っ張られて、車に連れ込まれそうになって。周りには誰も居なくて、灯りもなくて、ひとりぼっちで。心細かっただろう。そして今、安心して俺に抱き着いている。その事実をゆっくりと噛み締めて、やっと実感して、じわりと喜びが滲むのは確かで。不謹慎だけど、こいつがこんなに俺を信頼して、頼ってくれているとは。胸がくすぐったくなる。もっと何か、してやれないかと考えてしまう。
「おい…御幸。」
倉持が小声で呼ぶ。俺は、ああ、とだけ頷く。
そうだ、門限も近いし、こいつも家に送らないといけないし、ここでいつまでも座り込んでるわけにはいかない。
「玉城、ほら、立てるか?家まで送ってくから…」
「……。」
玉城は俺に縋りついたまま立ち上がる。立ち上がってからも、俺の腕にぴったりとしがみついて離れなかった。いや…、悪い気はしないけど、腕に当たる柔らかい感触がヤバい。あと、倉持の刺すような視線もヤバい。
何とか歩き始めて、玉城の家へ向かう。玉城の家は、人気のないこの畦道をずっと行った先にある、ひっそりとした住宅街にあるらしかった。
「家の人は?もー帰ってんの?」
「まだ…今週は、出張で…両親ともいません」
「今週?一週間もお前、一人なの?」
「はい…あ…、でも…」
玉城が言いかけた時、住宅街の道に佇む人影を見つけた。その人影を見て、倉持が目を丸くした。
「え…あれ、哲さん!?」
倉持の言う通り、そこにいたのは哲さんだった。哲さんは俺たちを見て不思議そうな顔をした後、玉城に目を移して駆け寄ってきた。
「よかった…お前たちと一緒だったのか。」
「え?」
「帰りが遅いから、今から俺と弟で探しに行くところだったんだ。」
そう言う哲さんの視線の先には、俯く玉城。俺と倉持は疑問符を浮かべて顔を見合わせる。
「えっと…なんで哲さんがここに?」
「?ここが俺の家だからな。」
そう言って指差した先にある表札には、確かに「結城」の文字。
「え?ここ、哲さんちッスか?じゃあ玉城は…」
「ああ、家が向かいなんだ。光の家はそこだ」
哲さんは前を指さす。振り向くと、「玉城」と書かれた表札を掲げる、洋風の大きな家が佇んでいた。
哲さんの話によると、ふたりは幼馴染で、玉城の両親は不在がちなため、玉城はよく哲さんの家に世話になっているんだとか。突然の話に、俺と倉持はにわかには信じられず、言葉に詰まった。
その時哲さんの家の玄関が開き、出てきた背の高い男が不思議そうに俺たちを一瞥した。
「将司。光は無事帰ってきたから、大丈夫だ。」
「…わかった」
男は哲さんに言われると、無愛想に家の中へ戻って行った。
「弟だ。」
閉まったドアを指しながら哲さんが言った。まだ中学生らしい。デケェな。
「お前たちも、そろそろ門限なんじゃないのか?」
哲さんに言われて、倉持が思い出したように頷いた。
「そ…そうッスね。じゃ…俺らは帰ります。おい、御幸。」
「あぁ…うん。」
俺も頷いて、腕に絡みつく玉城の細い腕を解かせる。
「じゃ、俺らは帰るからな。もう夜にひとりで出歩くなよ。あ…あと、今日のこと、親なり警察なりに話したほうが良いぞ。」
「…?何かあったのか?」
哲さんの声に、玉城は俯いた。まだ怯えたような顔をしている。その小さな背中を軽く叩き、哲さんの方へと促した。
「変な男に車に連れ込まれそうになってたんスよ。倉持が蹴りいれたら、逃げていきましたけど。」
「変な男…?光、いつもの奴か?」
「いつもの奴?」
今度は俺が目を瞬く番だった。いつもって…ストーカーってことか?
「今まで…顔は…見たことなかったから…わからないけど……たぶん、そうです…。」
「そうか…。」
それから哲さんはまだ話を聞きたそうにしていたが、俺たちを見て表情を変えた。
「とにかく、今日はお前たちももう帰れ。光、今日はうちで晩飯食べてくだろ?お袋も用意して、心配して待ってるぞ。食べたら…今日のことを話してくれ。いいな?」
俺たちに続き、玉城も頷いた。なんというか、哲さん、玉城の扱いに慣れている…。こんなに大人しく従順に、人の言う事に従う玉城は初めて見た。なんだか落ち着かない。
玉城は、哲さんに背中を押され、玄関へと向かう。そして俺を振り返り――勘違いでなければ――すごく名残惜しそうに、俺を見つめた。
この間まで、あんなに素っ気なかったくせに…本当は、俺のことどう思ってんだ。
いや、わかってる。今はあんなことがあって、人恋しいだけだ。…それだけだ。
ドアが閉まるのを見送って、俺は倉持と連れ立って寮へと戻る。
その帰り道、やけに静かだった倉持が、寮の門が見えてきたところで、無言のまま俺をどついたのだった。