120
快速電車を降り、慣れない駅の前のコンビニに立ち寄って店を出ると、なんとなく見覚えのある背中を見つけた。
「…倉持先輩?」
声をかけると、煙草をくわえたまま、その人物は振り向いた。
「あ、やっぱり…こんばんは。」
「東条?…なんでここに?」
「友達と会う予定があって。」
興味を失ったように、倉持先輩はフーンとつぶやく。
「…先輩、たしか煙草…」
「禁煙やめた。」
「そ…そうなんですか。」
ふー、と倉持先輩が白い煙を吐き出す。煙たい。
…それにしても…この人の頬に、光がキス…したのか。想像つかないな…。
「…何?」
「えっ、あ、すいません。なんでも…」
やばい、見つめすぎた。
「……。」
「……。」
倉持先輩が煙を吐き出す音だけが響く。俺はスマホを開く。田中からの連絡はまだない。準備ができたら連絡するから、それまで駅周辺で待ってて…って言われたんだけど。このままここにいるのも気まずいな…。
でも…倉持先輩とは一度、話してみたかったんだよな。光のことを…。
「…倉持先輩って…」
「あ?」
「光のこと…好きだったんですよね。」
「……。」
倉持先輩はちらりと俺を一瞥すると、煙草を吸って、煙を吐いた。
「んなこと聞いてどうすんの?」
「え……」
どうするって…別に、どうするつもりもないけど。ただ、今はどんな気持ちなのかとか、気持ちの整理のつけ方とか…聞いてみたかったのだと思う。唯一、俺と似たような立場の人だから。
「つーか…お前も好きなんだろ。」
…お前…も?倉持先輩に自分の気持ちがバレていることよりも、その言い方に違和感を感じた。もしかして倉持先輩、今も光のこと…。
「俺に相談とか…助言とか期待してるなら、間違ってるよ、ソレ。」
「…牧瀬は…先輩と光は、きっとなにかあった、って」
「なんもねーよ。牧瀬にいい加減なこと言うなっつっとけ」
「……。」
その割に…すごく寂しそうな顔してるな、この人…。
「それからお前も…ずるずる引き摺らねーで、さっさと切り替えろよ。」
「俺は…引き摺ってなんか」
「ならこんな話しねーだろ。」
「……。」
「あの子は…御幸しかいねーんだよ。それは何があっても、絶対揺るがない。」
倉持先輩は、煙草の灰を灰皿に落とした。
「…どうして言い切れるんですか?」
「…初めての相手は特別だから。」
「……。」
「一生…忘れられねえよ。」
俺のスマホが鳴って、空気が途切れた。非通知…田中か。すみませんと倉持先輩に断って、通話ボタンを押す。
『東条君?ごめんね、待った?』
「いや、大丈夫。」
『今やっと準備できたの。東条君今どこ?』
「駅前のコンビニにいるけど…」
『じゃあそこから駅と反対方面に歩いたところにあるミツバホテルって知ってる?白い建物。駅からも見えるんだけど。』
「あ…ああ、うん、見えるよ。」
『そこの隣のカフェで待ってるから。』
「わかった。じゃあ今から向かうよ。」
電話を切ると、倉持先輩はどこかニヤニヤとして俺を見ていた。
「女?」
「え、いやまぁ…ただの元クラスメイトですけど…」
「ふーん」
倉持先輩は煙草を灰皿に放り込み、スマホをいじり出す。
「ま…お前は大丈夫そうだな。女と会う元気があるんだから。」
「え?」
「じゃあな」
去っていく倉持先輩の背中を、俺はしばらく眺めて、田中が待つカフェへと向かった。
***
ひっそりとしたカフェ。営業時間夜10時まで、ラストオーダー夜9時半、と書かれたボードを横目に、店内に足を踏み入れる。カウンター席に田中はいた。店員の案内を断って、田中に歩み寄る。
「田中。」
声をかけると、田中は振り向いて親し気に微笑んだ。
「ごめんね〜こんな遅くに呼び出して。」
「いや、明日休みだし。」
「そうなんだ。」
田中は紅茶を飲んでいた。俺も紅茶を注文し、コートを脱いで椅子の背にかける。
「もうさあ、東条君と話した後、色々考えたの。」
「色々?」
「うん。1年の時、野球部の試合見に行ったな〜とか。告白したときのこととか…」
「そっか…」
「でも…御幸先輩、私のこと、覚えてすらいないんだもん。ほんと…なんだったんだろ、私結構頑張ったのにさ。」
「……。」
田中の目はうるんでいて、俺はかける言葉が見つからず、口を噤んだ。
「1年の2学期が始まった頃にね…御幸先輩の靴箱に手紙を入れたの。お昼休みに校舎裏に来てくださいって。本当は放課後が良かったけど…野球部って放課後忙しいじゃん。だから…お昼休みにしたの。」
「うん…」
「入学してからずっと好きで…よく教室に見に行ったり、差し入れにクッキー渡したりしてた。廊下で見かけたら挨拶したり…野球部の試合見に行ったり…」
「…そうなんだ。」
俺の前に紅茶が置かれ、俺はそれを少し口に含む。
「だから…御幸先輩も私のこと、知っててくれてると思ったし…告白も成功すると思ってた。」
「……。」
「でも…フラれちゃったの。連絡先すら、教えてもらえなかった。」
「……。」
「そのすぐあとくらいに…御幸先輩と玉城さんが付き合ってるって噂が流れ始めて…」
「……。」
「私…ショックだったなぁ…。」
俺だって…ショックだった。だって俺は…ずっとそばで、光と御幸先輩が惹かれ合っていくのを見てきて、それで…本人の口から、付き合ってるって…聞いたんだから。
「玉城さんのこと…恨んでるわけじゃないの。でも…私の方が先に、御幸先輩のこと好きだったのに…って、どうしても思っちゃう。玉城さんが転校してこなければよかったのにって…。だって…あんな可愛い子…私じゃ敵わないもん。男子は皆玉城さんの方を選ぶに決まってる。」
「そんなこと…」
励ますつもりで、咄嗟に口が開いた。その言葉に、田中は思いのほか大きく反応した。
「本当に?」
その確認の質問は、俺の胸にずしりとのしかかった。
「…うん」
俺だって、光のことが未だに好きなくせに。頭を真っ白にして、何も考えないようにして、頷いた。すると田中は縋るように潤んだ目で俺を見上げた。
「じゃあ…東条君、私を抱ける?」
「……え?…な、何言って」
「無理?」
無理?なんて、聞かれたら…
「無理…じゃ、ないけど…」
否定するしかないし…。
「じゃあ…抱いてくれる?」
「へっ!?な…なんでそうなるんだよ。」
「私…今は一人になりたくないの。」
田中は俺の腕に触れて、足を組み替える。短いタイトスカート。ちょっと待てよ、なんでこんなことに…。
「東条君なら…わかるよね。」
独りで過ごす夜の寂しさ…。自分が一番傍にいてほしい人が、同じ時間、愛する恋人と過ごしているという事実…。ずっと俺が見ないふりをしてきた、胸の痛み。
「今夜だけでいいから…」
田中の赤い爪が、俺の指先をなぞった。
「私と一緒にいてくれない?」
***
すぐ隣のミツバホテルに部屋を取っているという田中に連れられて、俺は今エレベーターに乗っている。…本当にいいのか?このまま、田中とそういう関係になっても…。俺、後悔しないのかな。
「こっちだよ。」
田中はどう思っているのか…。あまり俺の顔を見ないようにしているのか、俯き気味に少し前を歩いていく。
田中は…普通に可愛い女の子。少し童顔で、素朴で、ちょっと垢ぬけない…でも、愛嬌のある、よくいる感じの可愛い女の子だ。御幸先輩にこだわらなければ、普通に恋愛して、普通に恋人がいそうな…そんな雰囲気。とても…牧瀬が言っていたような、女子をはぶいたり無視したりするようには思えないし、まして牧瀬が疑っていたように、何年も光に執着してあんな手紙を送りつけるようなこと、するようには見えない。
「…この部屋。」
田中はドアの前で立ち止まると、カードキーを差し込んだ。赤いランプが点滅し、ピピッ、と短い音が鳴る。
「…あれ?」
鍵は開かない。もう一度田中がカードキーを差すけれど、やっぱり同じ反応だ。
「おかしいな…東条君やってみてくれる?」
「あ…うん。」
まだ迷いを拭いきれないまま、グレーのカードキーを手渡される。差込口にそれを差し込むと、なんだか変な手ごたえがあった。やっぱり鍵は開かなくて、俺は差込口をよく見てみる。すると、何か黒い物体が差込口に付着していた。
「何だろう、何かついてる。これのせいで反応が悪いんじゃないかな?」
「え…そうだった?」
屈みこんで、黒い物体をこすり落とす。何か、ゴムのような、少し硬くて粘着性のあるもの。悪戯か…?じゃなければ、こんなところにこんな風に付着するとは考え辛い。
「あ、バッグ持っててあげるよ。」
「あ…さんきゅ。」
俺の肩からずり落ちてきたトートバッグを、田中が抜き取る。自由になった両手で差込口を綺麗にすると、俺は改めてカードキーを差し込んだ。ピー、と軽い音の後、ガチャンと鍵が開く音がした。
「…開いたよ。」
そう振り返ると、田中は微笑んだ。
「ありがと。…東条君、先に入って。」
そう言われて、俺は…やや暗い気持ちでドアを開いた。そして…部屋に足を踏み入れて、猛烈な後悔で胸がいっぱいになって、慌てて振り向いた。
「…ごめん田中、俺やっぱり…」
そう言いかけた俺の背中を、田中は力いっぱい押した。直後に締まるドア。ドアノブをひねっても、びくともしない。
「おい、田中!?」
ドアを叩くと、向こう側から声がした。
「窓の前でキスして。」
「…え!?」
「そうしたら出してあげる。」
遠ざかる足音。キスって…誰と?
呆然とする俺の背後に、戸惑うような声がかかる。
「…誰?」
その声は…俺の胸を、酷く掻きむしった。
「え……東条?」
光が、驚きに目を丸くして、立っていた。
「…倉持先輩?」
声をかけると、煙草をくわえたまま、その人物は振り向いた。
「あ、やっぱり…こんばんは。」
「東条?…なんでここに?」
「友達と会う予定があって。」
興味を失ったように、倉持先輩はフーンとつぶやく。
「…先輩、たしか煙草…」
「禁煙やめた。」
「そ…そうなんですか。」
ふー、と倉持先輩が白い煙を吐き出す。煙たい。
…それにしても…この人の頬に、光がキス…したのか。想像つかないな…。
「…何?」
「えっ、あ、すいません。なんでも…」
やばい、見つめすぎた。
「……。」
「……。」
倉持先輩が煙を吐き出す音だけが響く。俺はスマホを開く。田中からの連絡はまだない。準備ができたら連絡するから、それまで駅周辺で待ってて…って言われたんだけど。このままここにいるのも気まずいな…。
でも…倉持先輩とは一度、話してみたかったんだよな。光のことを…。
「…倉持先輩って…」
「あ?」
「光のこと…好きだったんですよね。」
「……。」
倉持先輩はちらりと俺を一瞥すると、煙草を吸って、煙を吐いた。
「んなこと聞いてどうすんの?」
「え……」
どうするって…別に、どうするつもりもないけど。ただ、今はどんな気持ちなのかとか、気持ちの整理のつけ方とか…聞いてみたかったのだと思う。唯一、俺と似たような立場の人だから。
「つーか…お前も好きなんだろ。」
…お前…も?倉持先輩に自分の気持ちがバレていることよりも、その言い方に違和感を感じた。もしかして倉持先輩、今も光のこと…。
「俺に相談とか…助言とか期待してるなら、間違ってるよ、ソレ。」
「…牧瀬は…先輩と光は、きっとなにかあった、って」
「なんもねーよ。牧瀬にいい加減なこと言うなっつっとけ」
「……。」
その割に…すごく寂しそうな顔してるな、この人…。
「それからお前も…ずるずる引き摺らねーで、さっさと切り替えろよ。」
「俺は…引き摺ってなんか」
「ならこんな話しねーだろ。」
「……。」
「あの子は…御幸しかいねーんだよ。それは何があっても、絶対揺るがない。」
倉持先輩は、煙草の灰を灰皿に落とした。
「…どうして言い切れるんですか?」
「…初めての相手は特別だから。」
「……。」
「一生…忘れられねえよ。」
俺のスマホが鳴って、空気が途切れた。非通知…田中か。すみませんと倉持先輩に断って、通話ボタンを押す。
『東条君?ごめんね、待った?』
「いや、大丈夫。」
『今やっと準備できたの。東条君今どこ?』
「駅前のコンビニにいるけど…」
『じゃあそこから駅と反対方面に歩いたところにあるミツバホテルって知ってる?白い建物。駅からも見えるんだけど。』
「あ…ああ、うん、見えるよ。」
『そこの隣のカフェで待ってるから。』
「わかった。じゃあ今から向かうよ。」
電話を切ると、倉持先輩はどこかニヤニヤとして俺を見ていた。
「女?」
「え、いやまぁ…ただの元クラスメイトですけど…」
「ふーん」
倉持先輩は煙草を灰皿に放り込み、スマホをいじり出す。
「ま…お前は大丈夫そうだな。女と会う元気があるんだから。」
「え?」
「じゃあな」
去っていく倉持先輩の背中を、俺はしばらく眺めて、田中が待つカフェへと向かった。
***
ひっそりとしたカフェ。営業時間夜10時まで、ラストオーダー夜9時半、と書かれたボードを横目に、店内に足を踏み入れる。カウンター席に田中はいた。店員の案内を断って、田中に歩み寄る。
「田中。」
声をかけると、田中は振り向いて親し気に微笑んだ。
「ごめんね〜こんな遅くに呼び出して。」
「いや、明日休みだし。」
「そうなんだ。」
田中は紅茶を飲んでいた。俺も紅茶を注文し、コートを脱いで椅子の背にかける。
「もうさあ、東条君と話した後、色々考えたの。」
「色々?」
「うん。1年の時、野球部の試合見に行ったな〜とか。告白したときのこととか…」
「そっか…」
「でも…御幸先輩、私のこと、覚えてすらいないんだもん。ほんと…なんだったんだろ、私結構頑張ったのにさ。」
「……。」
田中の目はうるんでいて、俺はかける言葉が見つからず、口を噤んだ。
「1年の2学期が始まった頃にね…御幸先輩の靴箱に手紙を入れたの。お昼休みに校舎裏に来てくださいって。本当は放課後が良かったけど…野球部って放課後忙しいじゃん。だから…お昼休みにしたの。」
「うん…」
「入学してからずっと好きで…よく教室に見に行ったり、差し入れにクッキー渡したりしてた。廊下で見かけたら挨拶したり…野球部の試合見に行ったり…」
「…そうなんだ。」
俺の前に紅茶が置かれ、俺はそれを少し口に含む。
「だから…御幸先輩も私のこと、知っててくれてると思ったし…告白も成功すると思ってた。」
「……。」
「でも…フラれちゃったの。連絡先すら、教えてもらえなかった。」
「……。」
「そのすぐあとくらいに…御幸先輩と玉城さんが付き合ってるって噂が流れ始めて…」
「……。」
「私…ショックだったなぁ…。」
俺だって…ショックだった。だって俺は…ずっとそばで、光と御幸先輩が惹かれ合っていくのを見てきて、それで…本人の口から、付き合ってるって…聞いたんだから。
「玉城さんのこと…恨んでるわけじゃないの。でも…私の方が先に、御幸先輩のこと好きだったのに…って、どうしても思っちゃう。玉城さんが転校してこなければよかったのにって…。だって…あんな可愛い子…私じゃ敵わないもん。男子は皆玉城さんの方を選ぶに決まってる。」
「そんなこと…」
励ますつもりで、咄嗟に口が開いた。その言葉に、田中は思いのほか大きく反応した。
「本当に?」
その確認の質問は、俺の胸にずしりとのしかかった。
「…うん」
俺だって、光のことが未だに好きなくせに。頭を真っ白にして、何も考えないようにして、頷いた。すると田中は縋るように潤んだ目で俺を見上げた。
「じゃあ…東条君、私を抱ける?」
「……え?…な、何言って」
「無理?」
無理?なんて、聞かれたら…
「無理…じゃ、ないけど…」
否定するしかないし…。
「じゃあ…抱いてくれる?」
「へっ!?な…なんでそうなるんだよ。」
「私…今は一人になりたくないの。」
田中は俺の腕に触れて、足を組み替える。短いタイトスカート。ちょっと待てよ、なんでこんなことに…。
「東条君なら…わかるよね。」
独りで過ごす夜の寂しさ…。自分が一番傍にいてほしい人が、同じ時間、愛する恋人と過ごしているという事実…。ずっと俺が見ないふりをしてきた、胸の痛み。
「今夜だけでいいから…」
田中の赤い爪が、俺の指先をなぞった。
「私と一緒にいてくれない?」
***
すぐ隣のミツバホテルに部屋を取っているという田中に連れられて、俺は今エレベーターに乗っている。…本当にいいのか?このまま、田中とそういう関係になっても…。俺、後悔しないのかな。
「こっちだよ。」
田中はどう思っているのか…。あまり俺の顔を見ないようにしているのか、俯き気味に少し前を歩いていく。
田中は…普通に可愛い女の子。少し童顔で、素朴で、ちょっと垢ぬけない…でも、愛嬌のある、よくいる感じの可愛い女の子だ。御幸先輩にこだわらなければ、普通に恋愛して、普通に恋人がいそうな…そんな雰囲気。とても…牧瀬が言っていたような、女子をはぶいたり無視したりするようには思えないし、まして牧瀬が疑っていたように、何年も光に執着してあんな手紙を送りつけるようなこと、するようには見えない。
「…この部屋。」
田中はドアの前で立ち止まると、カードキーを差し込んだ。赤いランプが点滅し、ピピッ、と短い音が鳴る。
「…あれ?」
鍵は開かない。もう一度田中がカードキーを差すけれど、やっぱり同じ反応だ。
「おかしいな…東条君やってみてくれる?」
「あ…うん。」
まだ迷いを拭いきれないまま、グレーのカードキーを手渡される。差込口にそれを差し込むと、なんだか変な手ごたえがあった。やっぱり鍵は開かなくて、俺は差込口をよく見てみる。すると、何か黒い物体が差込口に付着していた。
「何だろう、何かついてる。これのせいで反応が悪いんじゃないかな?」
「え…そうだった?」
屈みこんで、黒い物体をこすり落とす。何か、ゴムのような、少し硬くて粘着性のあるもの。悪戯か…?じゃなければ、こんなところにこんな風に付着するとは考え辛い。
「あ、バッグ持っててあげるよ。」
「あ…さんきゅ。」
俺の肩からずり落ちてきたトートバッグを、田中が抜き取る。自由になった両手で差込口を綺麗にすると、俺は改めてカードキーを差し込んだ。ピー、と軽い音の後、ガチャンと鍵が開く音がした。
「…開いたよ。」
そう振り返ると、田中は微笑んだ。
「ありがと。…東条君、先に入って。」
そう言われて、俺は…やや暗い気持ちでドアを開いた。そして…部屋に足を踏み入れて、猛烈な後悔で胸がいっぱいになって、慌てて振り向いた。
「…ごめん田中、俺やっぱり…」
そう言いかけた俺の背中を、田中は力いっぱい押した。直後に締まるドア。ドアノブをひねっても、びくともしない。
「おい、田中!?」
ドアを叩くと、向こう側から声がした。
「窓の前でキスして。」
「…え!?」
「そうしたら出してあげる。」
遠ざかる足音。キスって…誰と?
呆然とする俺の背後に、戸惑うような声がかかる。
「…誰?」
その声は…俺の胸を、酷く掻きむしった。
「え……東条?」
光が、驚きに目を丸くして、立っていた。