スマホの画面をぼんやりと眺めて時間をつぶす。時刻はまだ10時過ぎ。高校時代はよかったな…いつでも素振りできる場所があったし、練習器具もいつでも使えた。そうでなくとも後輩を呼んでゲームにつき合わせたり、食堂で試合のビデオを見返して皆で討議したり…時間が足りないことはあっても、余ることはなかった。
…ちょっと、外でも走りに行くかな。ジャージを羽織り、ネックウォーマーをかぶり、音楽プレーヤーにイヤホンをつなげてポケットに突っ込む。キャップをかぶりながら部屋を出ると、冷たい空気が鼻先を冷やした。
真っ黒い空の下を歩きながら音楽をセットし、イヤホンをつけて、軽く走り始めた。地面を蹴るリズムと呼吸を合わせながら走っていると、余計な考えが浮かばずに済む。
大通りを抜け、信号の少ない自然公園付近へ向かう。この公園の周りは途切れることなくぐるりと一周できたはずだ。適当に何周かしたら帰るか…。
街灯の少ない公園周りを走り始めると、前方に黒い車が停車した。…クソ、邪魔だな…。つーかここ、路駐禁止なんですけど。いかにも怪しい黒いワンボックス。関わりたくねー。
ゆるやかに避けて横を通り抜ける。うわ、窓スモークで真っ黒。絶対怪しいだろ…。こういうのは興味無いフリして去るのが一番…。
車を追い越して、少し安堵する。さて、走ることに集中…。

…しようとしたときに、電話が鳴った。立ち止まり、スマホをポケットから出し、イヤホンを外しながら画面を見る。…また牧瀬かよ。

「うい」
『倉持さん!?』

やる気のない応答をすると、思いがけず必死な牧瀬の声が返ってきた。

「…そうだけど」
『光から何か連絡来てませんか!?』
「来るわけねーだろ、俺に…」
『…私も御幸さんも、今日の夕方から光と連絡が取れないんです。手紙のこともあるし、ロケ中は毎日御幸さんと連絡とってたのに』
「……。」

そんなこと言われたって…俺に何ができるんだよ…。

「…ロケ中だろ、スタッフとか…マネージャーが一緒なんじゃねえの?」
『それが…スタッフは今日もう引き上げたし、マネージャーは…同じように連絡が取れなくて』
「…んなこと言われても」
『光、駅前のミツバホテルに泊まってるんです。倉持さん、今どこですか?』
「今…駅の傍の自然公園だけど」
『よかった!お願いします、ホテルに行ってみてくれませんか?』
「は!?」
『505号室です!御幸さんも今向かってるので!』
「おいちょっと…」

電話が切れた。相変わらず強引な奴だな…。つーか…ホテルなんか行ったらまずいだろ。御幸も向かってるって言うし、やっぱこの話は聞かなかったことに…
スマホを仕舞いかけて、バタバタと慌ただしい足音がして、顔を上げる。息を切らして走ってきたのは、ロングコートの男。

「…東条?」

その見覚えのある顔に思わず声をかけると、東条は深い闇の中でもわかるほど青ざめた顔をして俺を振り返った。

「く…倉持先輩!」
「…何してんの?」

そんなかっこで全力疾走して…。若干引き気味に尋ねると、東条はずかずかと近づいてきて、焦った様子で言った。

「黒い車見てませんか!?」
「黒…どんな?」
「大きい…窓も真っ黒の」
「…見たけど」
「!!どこで!?」

こいつが敬語を忘れるほど慌てるとは。ただ事ではないその様子に、俺もにわかに胸が騒ぐ。

「…いや…落ち着けよ。どうしたんだよ?」
「光が…!!」
「…え?」
「多分、その車に…光が乗ってるんです!!」
「……。」

一瞬呼吸を忘れて、次の瞬間踵を返して走りだした。後から東条も追いかけてくる。柵の横を通り抜け、角を曲がった雑木林の横に…先ほどの車がまた停まっていた。俺が駆け寄ると、車は静かに佇むばかりで人の気配はない。運転席から中を覗くと、そこに人が乗っている様子はなかった。
追いついてきた東条を振り向いて叫ぶ。

「誰もいねえ!公園の中探すぞ!」
「は…はい!」

ふたりで柵を乗り越えて、雑木林の中を進む。
深い闇の中、街灯も月の光も届かない場所を駆け抜ける。

「光ーーーー!!!」

東条が声を上げた。

「光!!いたら返事してくれ!!」

その声を聴きながら、俺はひたすらに走る。
雑木林の影を横目に…一瞬、ゆらりと動く影を見つけるまで。
俺は立ち止まり、その影を振り返った。細木の合間、黒い服に身を包んだ小柄な人影。手に何かを握りしめ――それをなにか弄り始める。その人物の足元には、蹲る人影。両腕を縛られ、口をふさがれ、目隠しをされたその人物は…

「光!!」

思わず叫んで全速力で駆けだした。黒ずくめの人影が一瞬怯んで、慌てたように手に持った何かを振り上げる。
そこへ体当たりをかまし、その人物はあっけなく倒れた。手に持っていた何かが吹っ飛び、中から液体のようなものが飛び散って、その人物の手を濡らす。

「きゃあああ!!!」

悲鳴を上げて手を押さえ、よたよたと逃げようとする人物。追いついてきた東条に、その人物を指ししめす。

「あいつが犯人だ!」
「は、はい!」

東条が人影を追うのをしり目に、俺は光に駆け寄った。口を覆うビニールテープを外し、腕の拘束を解くと…その手は酷く震えていた。俺は迷う前に…その手を握った。小さな手。柔らかくて、滑らかで…か弱い手。大丈夫だと言い聞かせるように、その手を強く、強く握る。

「……一也さん?」

光が震える声で呟いた。何も答えずにいると、光は目を隠している布を外そうとした。俺はもう片方の手でその手を包み、止める。まだ…彼女が落ち着くまでは、こうしていてもいいだろ。そう自分に言い訳するように、二つの小さな手を包み込む。光は…ゆっくりと手を開いた。そして、俺の手に指を絡ませ、繋いだ。布の下から涙がひとすじ流れた。光のまだ震える手を、一度ぎゅっと握ってから、俺は…両手を離し、彼女の目隠しに手をかけた。

「……。」
「……倉持…さん…」

彼女は涙でぬれた瞳で俺を見つめた。そして…顔を歪めて、両手を伸ばして、抱き着いてきた。自分から…俺に。その華奢で愛おしい体を、俺も泣き出しそうな気持で抱きしめる。
無事でよかった…本当に。彼女がいなくなったら、俺は…。

遠くからはサイレンの音が響き、深い闇に、赤い光がちらちらと踊り始めていた。

 


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