まだ少し肌寒い春の朝。目が覚めて、起き上がって隣を見ると、すやすやと眠る光の可愛い寝顔。
ついつい頬を緩めながら、うんと伸びをして眼鏡をかけ、寝室を出る。

リビングには…ソファでくつろぎながら、新聞紙をめくりコーヒーを飲む倉持がいた。
こいつ…連日泊まり込みやがって。おかげで最近すっかり光とご無沙汰だ。

「倉持、お前今日は帰るよな?」
「ん〜」

倉持はわざとらしく間延びした声で答えた。

「どーしよっかな〜…」
「お前ねぇ…こっちは新婚なんだぞ。少しは遠慮…」
「あっそ。」

くっ…こいつ…絶対わざとだろ。
イライラしながら脱衣所に向かいかけ、足を止めて倉持の背中に声をかける。

「寝室には入るなよ。」
「へいへい」

気のない返事にまたイラついて、俺は顔を洗うために洗面台に向かう。冷たい水で目を覚まし、歯を磨いていると、ドアの向こうから声が聞こえてきた。

「あ…おはようございます。」
「おはよ。コーヒー飲むだろ?」
「あ…私自分で…」
「いいから、先に着替えて来いよ。」
「でも…」
「何?手伝ってほしい?」
「えっ…」

「…コラコラコラ!」

堪らずリビングに怒鳴り込む。キッチンの倉持は悪びれず俺を一瞥し、光は困ったように俺と倉持を見比べる。その光がまた、薄手のシャツとシャツの裾に隠れてしまいそうなほど短いショートパンツ姿なものだから、俺は慌てて彼女に駆け寄って肩を抱く。

「そんなカッコで倉持の前に出ちゃダメだって。」
「え…」
「俺は大歓迎だぜ〜」
「追い出されたくなかったら黙ってろ。」

有無を言わせず光を寝室に連れて行き、ベッドに座らせて両肩に手を置く。

「あのな。よく聞けよ。」
「? はい…」
「お前はお前が思ってるよりずっと綺麗で色っぽいから、そんなカッコしてたら男は皆欲情しちゃうの。」
「……。」
「しかも倉持はお前のことが好きなんだよ。わかってるだろ?」
「……。」
「だからそんなに露出しちゃダメ。っていうか、俺いつもそう言ってるだろ。なんでそんなカッコしたの?」
「……だって…」
「?」
「…一也さん…最近、触ってくれないんだもん…」
「……え」

ぶわっ、と顔が熱くなる。え…じゃあこのカッコ、俺の気を引くために…?

「…光…。」

愛おしくて、口にするだけで甘い気持ちが溢れる名前をつぶやく。光は赤らめた顔で俺を見上げ、物欲しそうな目で見つめる。その赤い唇に…キスをしたい衝動を必死で抑え、俺は深くため息を吐いた。
ああーーー、抱きてえぇ……

「コーヒー入ったぜ〜」

気付けばドアのところに倉持が立っていて、ニヤニヤと俺を眺めていた。

「お前、寝室…」
「入ってねーし」

くるりと踵を返し、リビングに戻っていく倉持。…あいつ…何としてでも追い出さねーと…。そろそろ溜まりすぎてやばい。

「…光、とりあえず着替えて来て。」
「あ…はい」

光を残して寝室を出て、ドアを閉める。リビングでコーヒーを飲む倉持の前に立つと、倉持は俺を見上げた。

「お前、今日は帰れ。」
「……。」

倉持は静かにマグカップを置き、立ち上がった。

「嫌だ。」
「は?」

俺は倉持を睨み、倉持も俺を睨む。

「なんで」
「俺がいなくなったらお前、光のこと襲うじゃん」
「襲うゆーな。こっちは新婚なんだぞ」
「俺には関係ねーし」
「お前な…あとずっと言おうと思ってたんだけど、光のこと呼び捨てにすんのやめてくれない?」
「なんで?」
「他意を感じるから。」
「じゃあ玉城呼びに戻すわ」
「なんでだよ。光はもう御幸なんですけど。俺の嫁なんですけど。」
「俺は認めませ〜ん」
「テメ…ガキかよ」

「…ぷ…」

小さく噴出す声がして、俺も倉持も振り返る。寝室のドアを開けたところで、光が立っていた。白いニットにミントグリーン色のロングスカート。はあ、今日も可愛い。

「今日も可愛いな〜」

倉持が軽い調子で言って、俺は勢い良く振り返り倉持を睨む。

「だから、そーいうこと言うなよ、人の嫁に。」
「なんでだよ。褒めただけじゃん」
「お前が言うと笑えねーんだよ…」

また言い争いが始まろうとしたとき、部屋のインターフォンが鳴った。俺は倉持をひと睨みし、一時の休戦を告げてモニターに向かう。モニターには、奥村…に一瞬見紛う男、光臣が立っていた。

「…はい、御幸ですが」
『…挨拶に参りました』

光臣は不愛想な面で紙袋を持ち上げてみせる。

「今開けます。」

開錠ボタンを押し、通話を切ると、光が口を開いた。

「誰ですか?」
「光臣。」
「え?」

その名前を聞いて、光はにわかに不機嫌になった。

「…誰?それ」

きょとんと尋ねたのは倉持だった。

「光の従弟。」

そう答えると、ふうん、とつぶやいて、光の様子を窺うように視線を移す。
まもなくして、部屋のインターフォンが鳴った。俺が行ってドアを開けると、相変わらず仏頂面の光臣が立っていた。

「おはようございます。」
「お…はようございます。」

挨拶を交わし、少しの間流れる沈黙。

「…上がっても?」
「あ、どうぞ。」

光は嫌がりそうだけど…断るわけにもいかねーよな、従弟だし。
光臣を連れてリビングに戻ると、不機嫌顔の光と興味津々の倉持が待ち構えていた。光臣は不思議そうな顔で倉持を一瞥する。

「…どうも、倉持です。」

倉持があいさつすると、光臣はじろりと俺を見た。

「…ご友人ですか?」
「え?まあ…一応」

説明が面倒臭くてそう答えると、一応は納得した様子で倉持に会釈を返す。

「光の従弟の玉城光臣です。」
「あ、どうも…」

「何の用?」

そのぎこちない空気をぶったぎるような光の素っ気ない声が響く。倉持の戸惑った顔ときたら。ふふん、お前もまだまだ光のことわかってねーな。

「…今年度からこっちの会社を任されるから、こっちの別宅に昨日引っ越してきたんだ。それで、挨拶に。」

会社?別宅?と、倉持が困惑したように俺の顔を見る。そうかこいつ、光の実家のこと何も知らねーもんな。

「そう。でも近所だからって付き合うつもりないから、挨拶なんて来なくていいのに。」

容赦ない言葉をぶつける光を、倉持は息を飲んで見つめ、光臣は苦々しい顔で見つめる。

「…光。昔の…」

光臣は言いかけて、俺と倉持を見て言葉を詰まらせた。

「…できれば、二人で話がしたい。」
「私はしたくない。」
「…頼む。それでだめなら…もう関わらないようにするから。」
「……。」
「あの事…どうしても話したい。光も、あまり人に聞かれたい話じゃないだろ。」

光はちらりと俺を見た。聞かれたくない話って多分…傷のことか、いや…光の両親のことか?

「…じゃあ…もう一人同席させていいなら、話してもいい。」
「…誰?」

緊張が走った。ふん…悪いな倉持。光は俺を指名する。傷のことを知ってるのは俺だけだし…俺は光の夫だ。光の一番信頼している男は、誰が何と言おうとこの俺…

「こうちゃん。」

「…え?」
「こうちゃん?」

…って誰?とでも言うかのように、倉持が俺を見る。光臣は苦虫を噛み潰したような顔で光を見つめ、やがて頷いた。

「……、…わかった。それでいい。」

俺も倉持もまるで蚊帳の外だ。

「とりあえず…今日は帰る。これ…よかったら。」

光臣は高級和菓子店の紙袋をテーブルに置き、俺と倉持を振り返って小さく会釈した。

「お邪魔しました。」
「あ…イエ」

ぽかんと立ち尽くす俺たちを置いて、光臣は帰っていった。

「いや〜〜…なんかスゲー奥村に似てたな!」
「そりゃ親戚だから」
「あ…そっか」

今さら思い出す倉持を放置して、俺は光に歩み寄る。

「光、話って…」
「大丈夫です。きっと、大したことじゃないし…多分、許してくれとか、そういうことですよ。」
「……。」
「適当に聞き流してきます。こうちゃんがいれば下手に食い下がってきたりしないと思うし…」
「…光、」
「ちょっとこうちゃんに電話してきますね。」

さっさと寝室に引き上げてしまう光。俺を眺める倉持の視線に同情のようなものを感じて、苛立つ。

「…なんだよ。」
「別に?つか、こうちゃんって誰だよ」
「奥村だよ。奥村光舟。」
「え!?あ…そういや高校の時そう呼んでたな。よっぽど仲良いんだな〜」
「親戚だからな。」
「今の従弟とは仲悪そうだったけど?」
「お前は知らなくていーの。」
「……。」

倉持はいったん口を閉じ、コーヒーを手にした。

「…つか、別宅って何?」
「…お前、知ったら腰抜かすぞ」

それだけ言って、俺は自分のコーヒーを取りに行く。最近…光のこと、何も助けてやれてねーな。蒼井の時も、森田の時も、この間の田中の時も…結局は倉持の世話になって。今回は奥村かよ。俺…光の夫なのに。
あいつの力になりたい。一番近い場所にいたい。結婚して、そうなれたと思っていたのに…どうしてまだ遠いんだろう。カップを取った左手の、薬指に光る結婚指輪を眺めた。俺は…光の夫だ。彼女を一番に支え、愛し、彼女に一番に愛されてる…はず。
ふと口の中に広がる苦い気持ちを、俺はコーヒーを流し込んでごまかした。

 


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