129
「……。」
「よお。」
スゥッ、と背後に現れた奥村を、俺は笑顔で迎える。席に座るよう促して、コーヒーを二つ注文し、提供がされてから、落ち着いた態度を装って話を切り出した。
「呼ばれた理由…もうわかってるよな。」
「……。」
わかってるけど…聞きたいことがあるなら俺から言え、って顔だな。まあ、ごもっともだ。
「光のことだけど…」
「……。」
「光臣と、何話してるんだ?」
「やっと聞いてきましたか。」
「え?」
「本当ならもっと早く…首を突っ込むべきなんじゃないですか。伴侶としての意識が欠けているように見えます。」
「…色々あったんだよ。で、何なんだよ?こじれてるって聞いたけど」
奥村は俺を睨みつけるように見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「…婚約関係の復縁」
「…は?」
「光臣は…光の婚約者でしたから」
カチャン、とティーカップがソーサーの上に落ちて音を立てた。音は静かな店内に嫌に大きく響いたが、奥村はちらりと視線を動かしただけでまるで動じていなかった。
「……中学生の頃の話ですけど。」
「……はぁ?」
「よくある話です。玉城グループ並みの財閥を抱えた一族なら」
「……。」
「一時だけ、俺が婚約者だった頃もありますし…」
「…えっ!?」
「俺が生まれて1年くらいの間ですが。物心もつかないうちの…今となってはただの笑い話です。」
「……。」
なんか…思いがけない話が出てきたな…。
「それで…光は?」
「拒否してますよ…当たり前でしょう。」
「そりゃ…そうだけど。俺と結婚したわけだし…」
「それもそうですが、光は光臣を嫌っているので。」
「…そういや、それも気になるんだけど…なんであいつら仲悪いの?」
つーか、奥村も光臣のこと嫌ってるっぽいし。同年代の親戚の中で、光臣だけ悪者扱い。まあ、悪ガキだったらしいことは、顔合わせの時に聞いた会話でなんとなくわかるけど…。
「先輩は…光の親のことはどこまでご存知ですか。」
「え…と」
「遠慮なく、知っていることを教えてください。俺は全部知ってるので。」
「……。」
なんか腹立つな…。
「親父は昔からなかなか家に帰ってこなくて…母親はそれが原因で光を…」
「……。」
「…その、わき腹の傷とか」
「…そこまで話したんですか、光が。」
「そうだけど…」
「……。」
奥村は何か考え込むように黙った。
「おい…何だよ?」
「いえ…。ただ…あの傷は本当に、光にとって…辛い経験でしたから」
「……。」
泣きながらあの傷を見せてきた光を思い出す。思えば…あの傷ごと自分を受け入れてくれる人を、ずっと探していたのかもしれないな、あいつ…。あの時あいつは…全てをかけて、俺に曝け出してくれたんだ。
「で…光臣がそれと何か関係あんの?」
「光臣は…」
奥村の顔が憎悪に歪んだ。
「あの傷を…光を、貶めたんですよ。」
「…え?」
「光は小さい頃から…人並外れた美貌を持っていました。」
突然のおとぎ話のような語り口に、俺はふと我に返った。
「…お、おう」
「そのため光の祖父も父も、将来光には一族のための婚姻をと考えていたようです。」
「……。」
「祖父の部下の孫…大手財閥の近親者…伝統ある家柄の血族者…様々な名前が挙がりました。箔をつけるためにと、小学校を卒業すると祖父母の別宅に引き取られ、有名私立で中高一貫の女子校に入りました。でも、光の母だけが…婚約者を大人が勝手に決めることに反対し続けていました。」
「……。」
「そんな中、あの事件が起きて…」
「事件って…」
「光の母親が、光を刺した事件です。」
「……。」
はっきりと言葉にされると、その事実は俺の腹の底を深く抉った。
「当時俺は中学に上がったばかりで…事件を聞いて、両親と病院に駆け付けました。病院に着くと…光は出血多量の重体で、光の母は、すでにもう…」
「……。」
「光の祖母と叔母も、すぐに駆け付けました。光の母は天涯孤独で、光の叔父…光臣とその父親はアメリカにいて駆けつけられませんでしたが。祖父も海外にいましたが、翌日には光を心配して病院に来ました。」
「……。」
「でも…光の父親は来なかった。」
「え…」
「ようやく来たのは光が意識を取り戻した1週間後。その間あの男は…普通に生活をし、仕事をして、過ごしていたんです。」
「……。」
「そして…光をさらに苦しめたのがあの傷。」
「……。」
「光の父親は…目が覚めた光を見て、最初にこう言ったんです。」
「……?」
「…こんなに汚い傷ができたら、嫁の貰い手がない。どんなに美人でも、この傷がある限りお前は醜い。玉城グループはお前のせいで終わる…って」
「な……」
光の泣き顔が頭の中をよぎった。
――気持ち悪いでしょ。
あの日…あいつはどんな気持ちで…。
「それから光はあまり笑わなくなって…痛々しかった。同校の高等部進学を諦め、婚約者候補はすべて白紙になって…まあそれは、光のためには良かったと言えますが、そのときの光にとってそれは、自分の価値を見失ったような気分だったでしょうね。そんな時…光の叔父が光臣を連れて帰国したんです。」
「…それで?」
「事件のせいで光を政略結婚に利用できないことを危惧した父親は、従弟の光臣との結婚を目論んだようです。光には男兄弟がいませんから。」
「……。」
胸が苦しくて吐き出した息は、怒りに震えていた。
「なにかうまい話でも持ち掛けたんでしょう。叔父は光臣を連れて帰国して、光と会わせました。お前の婚約者だ、って。」
「……。」
「そうしたら…あのとき、あいつは…」
「……。」
「こんな汚い傷のある女は、玉城家に相応しくない…って言いやがった」
「…っ」
「光はもう、ボロボロでした。毎日泣いていて…でもその涙も枯れて…俺には唯一、笑いかけてくれてたのに…それもなくなって」
「……。」
「光の叔母が光を実家に引き取ると提案したけど…父親は強引に光を連れ去って、光が小学生のころ住んでいた…あの、青道の近くの家に引っ越した。」
「……。」
「それが、光が高校1年の夏のことです。」
俺の知らなかった光が…ずっと知りたかった光が、今やっとわかったような、腑に落ちたような気がした。あんなに綺麗で、強くて、芯のある彼女が、おかしいほど自信がなくて…人を試すように来るものを拒まないくせに、不意に躊躇いもなく縁を切ってしまうという矛盾。人のぬくもりを求めているくせに、人に近づくのを恐れているような…。あの傷のことだって、なぜあんなに泣くほど人に知られるのを恐れていたのか。きっと一種の強迫観念のように、父親や光臣に言われた言葉を思い出してしまうのだろう。
だとしたら、俺は…光が結婚までしてくれた俺は、俺が思っているよりもずっと、光にとって大切な…
「話を戻しますが…」
「…あ、あぁ」
奥村は一口飲んだコーヒーをソーサーに戻した。
「話がこじれているというのは…光臣だけじゃなく、祖父母も婚約関係の復縁に乗り気だからです。」
「…え?」
そんな…どうして?だってあの人たち、俺との結婚をあんなに祝福して…
「光の父親が勘当されたことで、単純に一族の存続が危ぶまれているんですよ。光臣にその気があると知った今、光の祖父母は…光に玉城家の籍に戻ってきてほしいと考えています。」
「…俺との結婚は」
「結婚なんて、紙切れ1枚で白紙になる。そんな考えの人たちですよ。」
「…ふざけやがって」
「昨日は別宅に招かれて、光臣と光臣の父、祖父母揃っての説得で…酷い目に遭いました。光の叔母だけが反対してくれていましたけど。」
「……。」
そんなことになっているのに…どうして光は何も言ってくれなかったんだ?
「どうして何も言ってくれなかったんだ…って顔してますね。」
「え…」
ぎくりとする。こいつ…光のことになると異様に鋭いな…。
「まあ…他人が入り浸っているような家じゃ、話したいことも話せないでしょうね。」
「……。」
た…確かに。それは…その通りだ。
奥村は腕時計を見て、荷物を拾い上げる。
「…時間なので俺はこれで。」
「あぁ…」
素っ気なく立ち上がる奥村を、俺は見上げた。
「奥村。…ありがとうな、色々教えてくれて…」
そう声をかけると、奥村は少し不服気に…だけど当然という顔をして言った。
「…あなたは光の夫ですから。」
踵を返し、奥村は店を出て行く。…そうだ。俺は…光の夫。光に選ばれた…特別な伴侶。だから、光を救うのは…まず、俺じゃなきゃいけない。
「よお。」
スゥッ、と背後に現れた奥村を、俺は笑顔で迎える。席に座るよう促して、コーヒーを二つ注文し、提供がされてから、落ち着いた態度を装って話を切り出した。
「呼ばれた理由…もうわかってるよな。」
「……。」
わかってるけど…聞きたいことがあるなら俺から言え、って顔だな。まあ、ごもっともだ。
「光のことだけど…」
「……。」
「光臣と、何話してるんだ?」
「やっと聞いてきましたか。」
「え?」
「本当ならもっと早く…首を突っ込むべきなんじゃないですか。伴侶としての意識が欠けているように見えます。」
「…色々あったんだよ。で、何なんだよ?こじれてるって聞いたけど」
奥村は俺を睨みつけるように見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「…婚約関係の復縁」
「…は?」
「光臣は…光の婚約者でしたから」
カチャン、とティーカップがソーサーの上に落ちて音を立てた。音は静かな店内に嫌に大きく響いたが、奥村はちらりと視線を動かしただけでまるで動じていなかった。
「……中学生の頃の話ですけど。」
「……はぁ?」
「よくある話です。玉城グループ並みの財閥を抱えた一族なら」
「……。」
「一時だけ、俺が婚約者だった頃もありますし…」
「…えっ!?」
「俺が生まれて1年くらいの間ですが。物心もつかないうちの…今となってはただの笑い話です。」
「……。」
なんか…思いがけない話が出てきたな…。
「それで…光は?」
「拒否してますよ…当たり前でしょう。」
「そりゃ…そうだけど。俺と結婚したわけだし…」
「それもそうですが、光は光臣を嫌っているので。」
「…そういや、それも気になるんだけど…なんであいつら仲悪いの?」
つーか、奥村も光臣のこと嫌ってるっぽいし。同年代の親戚の中で、光臣だけ悪者扱い。まあ、悪ガキだったらしいことは、顔合わせの時に聞いた会話でなんとなくわかるけど…。
「先輩は…光の親のことはどこまでご存知ですか。」
「え…と」
「遠慮なく、知っていることを教えてください。俺は全部知ってるので。」
「……。」
なんか腹立つな…。
「親父は昔からなかなか家に帰ってこなくて…母親はそれが原因で光を…」
「……。」
「…その、わき腹の傷とか」
「…そこまで話したんですか、光が。」
「そうだけど…」
「……。」
奥村は何か考え込むように黙った。
「おい…何だよ?」
「いえ…。ただ…あの傷は本当に、光にとって…辛い経験でしたから」
「……。」
泣きながらあの傷を見せてきた光を思い出す。思えば…あの傷ごと自分を受け入れてくれる人を、ずっと探していたのかもしれないな、あいつ…。あの時あいつは…全てをかけて、俺に曝け出してくれたんだ。
「で…光臣がそれと何か関係あんの?」
「光臣は…」
奥村の顔が憎悪に歪んだ。
「あの傷を…光を、貶めたんですよ。」
「…え?」
「光は小さい頃から…人並外れた美貌を持っていました。」
突然のおとぎ話のような語り口に、俺はふと我に返った。
「…お、おう」
「そのため光の祖父も父も、将来光には一族のための婚姻をと考えていたようです。」
「……。」
「祖父の部下の孫…大手財閥の近親者…伝統ある家柄の血族者…様々な名前が挙がりました。箔をつけるためにと、小学校を卒業すると祖父母の別宅に引き取られ、有名私立で中高一貫の女子校に入りました。でも、光の母だけが…婚約者を大人が勝手に決めることに反対し続けていました。」
「……。」
「そんな中、あの事件が起きて…」
「事件って…」
「光の母親が、光を刺した事件です。」
「……。」
はっきりと言葉にされると、その事実は俺の腹の底を深く抉った。
「当時俺は中学に上がったばかりで…事件を聞いて、両親と病院に駆け付けました。病院に着くと…光は出血多量の重体で、光の母は、すでにもう…」
「……。」
「光の祖母と叔母も、すぐに駆け付けました。光の母は天涯孤独で、光の叔父…光臣とその父親はアメリカにいて駆けつけられませんでしたが。祖父も海外にいましたが、翌日には光を心配して病院に来ました。」
「……。」
「でも…光の父親は来なかった。」
「え…」
「ようやく来たのは光が意識を取り戻した1週間後。その間あの男は…普通に生活をし、仕事をして、過ごしていたんです。」
「……。」
「そして…光をさらに苦しめたのがあの傷。」
「……。」
「光の父親は…目が覚めた光を見て、最初にこう言ったんです。」
「……?」
「…こんなに汚い傷ができたら、嫁の貰い手がない。どんなに美人でも、この傷がある限りお前は醜い。玉城グループはお前のせいで終わる…って」
「な……」
光の泣き顔が頭の中をよぎった。
――気持ち悪いでしょ。
あの日…あいつはどんな気持ちで…。
「それから光はあまり笑わなくなって…痛々しかった。同校の高等部進学を諦め、婚約者候補はすべて白紙になって…まあそれは、光のためには良かったと言えますが、そのときの光にとってそれは、自分の価値を見失ったような気分だったでしょうね。そんな時…光の叔父が光臣を連れて帰国したんです。」
「…それで?」
「事件のせいで光を政略結婚に利用できないことを危惧した父親は、従弟の光臣との結婚を目論んだようです。光には男兄弟がいませんから。」
「……。」
胸が苦しくて吐き出した息は、怒りに震えていた。
「なにかうまい話でも持ち掛けたんでしょう。叔父は光臣を連れて帰国して、光と会わせました。お前の婚約者だ、って。」
「……。」
「そうしたら…あのとき、あいつは…」
「……。」
「こんな汚い傷のある女は、玉城家に相応しくない…って言いやがった」
「…っ」
「光はもう、ボロボロでした。毎日泣いていて…でもその涙も枯れて…俺には唯一、笑いかけてくれてたのに…それもなくなって」
「……。」
「光の叔母が光を実家に引き取ると提案したけど…父親は強引に光を連れ去って、光が小学生のころ住んでいた…あの、青道の近くの家に引っ越した。」
「……。」
「それが、光が高校1年の夏のことです。」
俺の知らなかった光が…ずっと知りたかった光が、今やっとわかったような、腑に落ちたような気がした。あんなに綺麗で、強くて、芯のある彼女が、おかしいほど自信がなくて…人を試すように来るものを拒まないくせに、不意に躊躇いもなく縁を切ってしまうという矛盾。人のぬくもりを求めているくせに、人に近づくのを恐れているような…。あの傷のことだって、なぜあんなに泣くほど人に知られるのを恐れていたのか。きっと一種の強迫観念のように、父親や光臣に言われた言葉を思い出してしまうのだろう。
だとしたら、俺は…光が結婚までしてくれた俺は、俺が思っているよりもずっと、光にとって大切な…
「話を戻しますが…」
「…あ、あぁ」
奥村は一口飲んだコーヒーをソーサーに戻した。
「話がこじれているというのは…光臣だけじゃなく、祖父母も婚約関係の復縁に乗り気だからです。」
「…え?」
そんな…どうして?だってあの人たち、俺との結婚をあんなに祝福して…
「光の父親が勘当されたことで、単純に一族の存続が危ぶまれているんですよ。光臣にその気があると知った今、光の祖父母は…光に玉城家の籍に戻ってきてほしいと考えています。」
「…俺との結婚は」
「結婚なんて、紙切れ1枚で白紙になる。そんな考えの人たちですよ。」
「…ふざけやがって」
「昨日は別宅に招かれて、光臣と光臣の父、祖父母揃っての説得で…酷い目に遭いました。光の叔母だけが反対してくれていましたけど。」
「……。」
そんなことになっているのに…どうして光は何も言ってくれなかったんだ?
「どうして何も言ってくれなかったんだ…って顔してますね。」
「え…」
ぎくりとする。こいつ…光のことになると異様に鋭いな…。
「まあ…他人が入り浸っているような家じゃ、話したいことも話せないでしょうね。」
「……。」
た…確かに。それは…その通りだ。
奥村は腕時計を見て、荷物を拾い上げる。
「…時間なので俺はこれで。」
「あぁ…」
素っ気なく立ち上がる奥村を、俺は見上げた。
「奥村。…ありがとうな、色々教えてくれて…」
そう声をかけると、奥村は少し不服気に…だけど当然という顔をして言った。
「…あなたは光の夫ですから。」
踵を返し、奥村は店を出て行く。…そうだ。俺は…光の夫。光に選ばれた…特別な伴侶。だから、光を救うのは…まず、俺じゃなきゃいけない。