141
光臣の車に乗り、夕暮れの並木道を抜ける。
まさかまた、ここにくることになるとは。しかも今度は…いつまでいることになるやら、わからない。
運転手が運転する車内に、光臣が助手席へ、俺と光が後部座席へ座っていて、そこには沈黙が降りていた。車は屋敷の前に停まり、使用人が集まってきて車のドアを開ける。慣れた様子で降りる光臣と光、内心戸惑いまくりの俺。
「お帰りなさいませ。」
初老の使用人が光臣に近寄って恭しく礼をする。
「ふたりに部屋を用意してくれ。」
「すぐに。お食事はどうなさいますか?」
「一緒でいい。俺は少し書斎に篭るから…整ったら呼んでくれ。」
「そのように。」
す…すげえ。完全に映画の世界…。
引きつった顔でその様子を眺めていると、使用人の若い女が俺と光に歩み寄ってくる。
「御幸様、こちらへどうぞ。」
「あ…はい。」
頷きながら、荷物の存在を思い出して車を振り返ると、すでに数人の使用人によって運ばれている最中だった。
「……。」
「一也さん?」
どうかしたのかと問う顔で振り返る、少し先を歩き始めていた光。やっぱお嬢様なんだな、こいつ…。
使用人の案内で1階のとある部屋に通される。高価そうな家具や調度品で飾られた、若草色を基調とした爽やかで上品な部屋。花や絵画が飾ってあり、窓辺に添えるようにテーブルと椅子が置いてある。客室…だろうか。
「お茶はどのようにいたしますか?」
「自分たちでやります。」
「かしこまりました。」
慣れた様子で使用人とやり取りする光をぽかんと見つめていると、使用人は影のようにドアの前へ下がった。
「それではお食事の用意ができるまで、こちらでお待ちくださいませ。」
使用人は恭しく礼をし、部屋を出て行った。光とふたりきりになり、俺はようやく呼吸を思い出したように深く息を吸い、吐き出す。
「いや〜…何度来てもすげーな。」
「え?」
本気できょとんと俺を見る光。…マジかよ。
「……。」
光はへたり込むように椅子に座ると、静かにため息を吐いた。…疲れたのだろう、無理もない。
「…あ」
ふと光は呟いて、スマホをポケットから取り出した。
「明日…司が迎えに来てくれることになってたから…ちょっと、電話します」
「ああ…うん」
スマホを耳に当て、少し黙る光。
「あ…司?私だけど…、うん。それなんだけど、私しばらく別宅で暮らすことになって…。それは明日話す。うん。だから明日、迎えはいらないから…」
光の声をなんとなく聴きながら、俺は部屋の中を見渡す。どこまでも掃除が行き届いた部屋。家具や調度品一つ一つがよく手入れされていて、かつ趣がある。かと思えば現代的アーティスティックな置物や時計もあり、モダンな雰囲気も兼ね備えている。
「…え?…嘘…」
突然、光が呆然と呟いた。振り向いて見ると、口元に手を当てて青ざめている。
「なんで……。」
声を震わせて、また呟く。俺は歩み寄って、その顔を窺う。
「……。…うん…大丈夫。…わかった。」
「…どうした?今の…牧瀬だろ?」
電話を切った光に尋ねる。
「司の…あの、無言電話…」
「ああ…あれが?」
「今日…一言だけ、話したらしいです。」
「…何て?」
息を飲んで、光は今にも泣きそうな顔で、言った。
「…光をどこにやった、って……」
***
食事の用意が整った、と呼びに来た使用人に連れられて、俺と光は広い部屋へ案内される。そこにはすでに光臣がいて、席についていた。その向かい側に用意された二つの席に、俺たちは座った。
使用人が椅子を引き、俺の動作に合わせて戻される。…やりづらい。
それから料理が一つ一つ運ばれ、まるで高級フレンチのコース料理を食べに来た気分で、俺は全く腹に物がたまった気がしないまま、食後のコーヒーをもらった。ようやく味わい慣れた苦みを舌に感じ、少し安堵していると、光の声が静かな部屋に響いた。
「光臣、明日からは、もっと簡単な食事でいい。」
「……。」
光臣は、しまった、というような顔をして、部屋の入り口に控えている使用人を見上げる。
「…そうしてくれ。」
「かしこまりました。」
使用人は恭しいお辞儀で応えた。
「それから…この後、話せる?」
「ああ、もちろん。じゃあ…俺の書斎で。」
光が頷き、コーヒーを飲み終えると、3人連れ立って光臣の書斎へ移動した。お茶の用意を断り、3人向かい合ってソファに座る。
「それで…話って?」
光臣が切り出して、光は先ほどの、牧瀬の無言電話の件を話した。光臣は神妙な顔でそれを聞き、また手帳にメモを取る。
「…わかった。明日顧問弁護士に会うから、それも話しておく。」
「…うん。」
「できれば本人…牧瀬司からも話を聞きたいんだが。」
「あ…じゃあ明日にでもここに」
「頼む。それから…他にこの件に関わってる者は?」
「…倉持が、大体の事情は知ってる。高校の時の事件のことも知ってるし…」
「じゃあ、そっちも呼んでくれ。俺も明日、顧問弁護士をここに呼ぶ。」
わかったと頷くと、光の顔に不安が滲んでいることに気付く。
「…今日はもう休むといい。部屋の用意も整ってる。」
それに気づいてか、光臣が言ってベルを鳴らした。すぐに使用人が駆けつけ、部屋に案内される。
案内された部屋はモダンで落ち着いた部屋で、大きなベッドがひとつとスツールがひとつ、化粧台がひとつ、クローゼットやチェストや間接照明、それから奥の壁にドアが一つあった。スツールの上には、俺たちの荷物が運ばれて置いてあった。
「お湯の用意も整っております。何か他に御用はございますか?」
「大丈夫です。」
「かしこまりました。それでは失礼いたします。おやすみなさいませ。」
使用人が出て行くと、光が振り返って奥のドアを開ける。
「こっちがバスルームです。お風呂、先にどうぞ」
「いや、お前先に入れよ。俺は倉持に電話するし」
「…そうですか?じゃあ…」
疲れた顔の光を風呂へ促して、俺はスマホをポケットから取り出す。倉持を呼び出すと、数回のコールの後、声がした。
『おう。何?』
この部屋の中で倉持の聞きなれた声を聴くと、なんだか変な感じがする。
「いやー、長い話なんだけどさ…」
『何だよ。』
俺は今日帰ってからの出来事を全て倉持に話した。
「つーわけで、今光の実家の別宅にいるんだけど」
『へ〜、例の?すげーんだろ?俺も行ってみてぇな〜』
「おう、来いよ」
『…は?』
倉持の素っ頓狂な声に思わず笑いがこぼれる。
「つーか、呼ぶために電話したんだわ。」
『え、なんで?』
「お前今回の件知ってるじゃん。それに、高校の時の事件も。だから、光臣が直接話聞きたいんだってさ。」
『あぁそういうこと…。』
「明日の夜とか来れる?」
『おう。』
「じゃ、そういうことで。場所は…」
場所を教えると、倉持は、あぁ!と納得したような声を上げた。
『あのでっけー敷地か!何なのかずっと気になってたんだよ』
「そー。あ、門のとこで名乗れば通してくれるから。」
『了解。』
じゃあな、と電話を切って、一息ついてベッドに腰を下ろす。…いやー、すげー家だなほんと。これがあと4つもあんのか…。しかも世界中に。想像つかねー。
窓辺へ行ってカーテンを少しめくると、そこには広い庭が見えた。整備の行き届いた、花や木々が溢れる美しい庭。まるで貴族のお屋敷だ。…いや、実際そうか。
暫くすると、光が風呂から上がった。入れ替わりに俺も風呂に入る。豪華な浴室に戸惑いながら汗を流し、部屋に戻ると、光は化粧台の前で髪を梳かしていて、俺に気付くと立ち上がった。その肩がどこか、強張っているように見えて――俺は歩み寄るのを躊躇う。
「……。」
「…もう、休もうぜ。明日早いんだろ?」
何かを言おうとして、だけど迷うように黙っている光にそう声をかけると、小さく頷いた。ふたりでベッドに入り、暗い天井を見つめる。いつも一緒に寝ているのに…今夜はなぜか緊張した。隣を見ると、光の背中が見えた。その背中に少し、警戒心のような…拒絶の色を感じて、俺はその肩に触れることができずに、諦めたように目を閉じた。
まさかまた、ここにくることになるとは。しかも今度は…いつまでいることになるやら、わからない。
運転手が運転する車内に、光臣が助手席へ、俺と光が後部座席へ座っていて、そこには沈黙が降りていた。車は屋敷の前に停まり、使用人が集まってきて車のドアを開ける。慣れた様子で降りる光臣と光、内心戸惑いまくりの俺。
「お帰りなさいませ。」
初老の使用人が光臣に近寄って恭しく礼をする。
「ふたりに部屋を用意してくれ。」
「すぐに。お食事はどうなさいますか?」
「一緒でいい。俺は少し書斎に篭るから…整ったら呼んでくれ。」
「そのように。」
す…すげえ。完全に映画の世界…。
引きつった顔でその様子を眺めていると、使用人の若い女が俺と光に歩み寄ってくる。
「御幸様、こちらへどうぞ。」
「あ…はい。」
頷きながら、荷物の存在を思い出して車を振り返ると、すでに数人の使用人によって運ばれている最中だった。
「……。」
「一也さん?」
どうかしたのかと問う顔で振り返る、少し先を歩き始めていた光。やっぱお嬢様なんだな、こいつ…。
使用人の案内で1階のとある部屋に通される。高価そうな家具や調度品で飾られた、若草色を基調とした爽やかで上品な部屋。花や絵画が飾ってあり、窓辺に添えるようにテーブルと椅子が置いてある。客室…だろうか。
「お茶はどのようにいたしますか?」
「自分たちでやります。」
「かしこまりました。」
慣れた様子で使用人とやり取りする光をぽかんと見つめていると、使用人は影のようにドアの前へ下がった。
「それではお食事の用意ができるまで、こちらでお待ちくださいませ。」
使用人は恭しく礼をし、部屋を出て行った。光とふたりきりになり、俺はようやく呼吸を思い出したように深く息を吸い、吐き出す。
「いや〜…何度来てもすげーな。」
「え?」
本気できょとんと俺を見る光。…マジかよ。
「……。」
光はへたり込むように椅子に座ると、静かにため息を吐いた。…疲れたのだろう、無理もない。
「…あ」
ふと光は呟いて、スマホをポケットから取り出した。
「明日…司が迎えに来てくれることになってたから…ちょっと、電話します」
「ああ…うん」
スマホを耳に当て、少し黙る光。
「あ…司?私だけど…、うん。それなんだけど、私しばらく別宅で暮らすことになって…。それは明日話す。うん。だから明日、迎えはいらないから…」
光の声をなんとなく聴きながら、俺は部屋の中を見渡す。どこまでも掃除が行き届いた部屋。家具や調度品一つ一つがよく手入れされていて、かつ趣がある。かと思えば現代的アーティスティックな置物や時計もあり、モダンな雰囲気も兼ね備えている。
「…え?…嘘…」
突然、光が呆然と呟いた。振り向いて見ると、口元に手を当てて青ざめている。
「なんで……。」
声を震わせて、また呟く。俺は歩み寄って、その顔を窺う。
「……。…うん…大丈夫。…わかった。」
「…どうした?今の…牧瀬だろ?」
電話を切った光に尋ねる。
「司の…あの、無言電話…」
「ああ…あれが?」
「今日…一言だけ、話したらしいです。」
「…何て?」
息を飲んで、光は今にも泣きそうな顔で、言った。
「…光をどこにやった、って……」
***
食事の用意が整った、と呼びに来た使用人に連れられて、俺と光は広い部屋へ案内される。そこにはすでに光臣がいて、席についていた。その向かい側に用意された二つの席に、俺たちは座った。
使用人が椅子を引き、俺の動作に合わせて戻される。…やりづらい。
それから料理が一つ一つ運ばれ、まるで高級フレンチのコース料理を食べに来た気分で、俺は全く腹に物がたまった気がしないまま、食後のコーヒーをもらった。ようやく味わい慣れた苦みを舌に感じ、少し安堵していると、光の声が静かな部屋に響いた。
「光臣、明日からは、もっと簡単な食事でいい。」
「……。」
光臣は、しまった、というような顔をして、部屋の入り口に控えている使用人を見上げる。
「…そうしてくれ。」
「かしこまりました。」
使用人は恭しいお辞儀で応えた。
「それから…この後、話せる?」
「ああ、もちろん。じゃあ…俺の書斎で。」
光が頷き、コーヒーを飲み終えると、3人連れ立って光臣の書斎へ移動した。お茶の用意を断り、3人向かい合ってソファに座る。
「それで…話って?」
光臣が切り出して、光は先ほどの、牧瀬の無言電話の件を話した。光臣は神妙な顔でそれを聞き、また手帳にメモを取る。
「…わかった。明日顧問弁護士に会うから、それも話しておく。」
「…うん。」
「できれば本人…牧瀬司からも話を聞きたいんだが。」
「あ…じゃあ明日にでもここに」
「頼む。それから…他にこの件に関わってる者は?」
「…倉持が、大体の事情は知ってる。高校の時の事件のことも知ってるし…」
「じゃあ、そっちも呼んでくれ。俺も明日、顧問弁護士をここに呼ぶ。」
わかったと頷くと、光の顔に不安が滲んでいることに気付く。
「…今日はもう休むといい。部屋の用意も整ってる。」
それに気づいてか、光臣が言ってベルを鳴らした。すぐに使用人が駆けつけ、部屋に案内される。
案内された部屋はモダンで落ち着いた部屋で、大きなベッドがひとつとスツールがひとつ、化粧台がひとつ、クローゼットやチェストや間接照明、それから奥の壁にドアが一つあった。スツールの上には、俺たちの荷物が運ばれて置いてあった。
「お湯の用意も整っております。何か他に御用はございますか?」
「大丈夫です。」
「かしこまりました。それでは失礼いたします。おやすみなさいませ。」
使用人が出て行くと、光が振り返って奥のドアを開ける。
「こっちがバスルームです。お風呂、先にどうぞ」
「いや、お前先に入れよ。俺は倉持に電話するし」
「…そうですか?じゃあ…」
疲れた顔の光を風呂へ促して、俺はスマホをポケットから取り出す。倉持を呼び出すと、数回のコールの後、声がした。
『おう。何?』
この部屋の中で倉持の聞きなれた声を聴くと、なんだか変な感じがする。
「いやー、長い話なんだけどさ…」
『何だよ。』
俺は今日帰ってからの出来事を全て倉持に話した。
「つーわけで、今光の実家の別宅にいるんだけど」
『へ〜、例の?すげーんだろ?俺も行ってみてぇな〜』
「おう、来いよ」
『…は?』
倉持の素っ頓狂な声に思わず笑いがこぼれる。
「つーか、呼ぶために電話したんだわ。」
『え、なんで?』
「お前今回の件知ってるじゃん。それに、高校の時の事件も。だから、光臣が直接話聞きたいんだってさ。」
『あぁそういうこと…。』
「明日の夜とか来れる?」
『おう。』
「じゃ、そういうことで。場所は…」
場所を教えると、倉持は、あぁ!と納得したような声を上げた。
『あのでっけー敷地か!何なのかずっと気になってたんだよ』
「そー。あ、門のとこで名乗れば通してくれるから。」
『了解。』
じゃあな、と電話を切って、一息ついてベッドに腰を下ろす。…いやー、すげー家だなほんと。これがあと4つもあんのか…。しかも世界中に。想像つかねー。
窓辺へ行ってカーテンを少しめくると、そこには広い庭が見えた。整備の行き届いた、花や木々が溢れる美しい庭。まるで貴族のお屋敷だ。…いや、実際そうか。
暫くすると、光が風呂から上がった。入れ替わりに俺も風呂に入る。豪華な浴室に戸惑いながら汗を流し、部屋に戻ると、光は化粧台の前で髪を梳かしていて、俺に気付くと立ち上がった。その肩がどこか、強張っているように見えて――俺は歩み寄るのを躊躇う。
「……。」
「…もう、休もうぜ。明日早いんだろ?」
何かを言おうとして、だけど迷うように黙っている光にそう声をかけると、小さく頷いた。ふたりでベッドに入り、暗い天井を見つめる。いつも一緒に寝ているのに…今夜はなぜか緊張した。隣を見ると、光の背中が見えた。その背中に少し、警戒心のような…拒絶の色を感じて、俺はその肩に触れることができずに、諦めたように目を閉じた。