お運びします、と言う使用人の申し出を断って、トレーを借り、2人分のナポリタンを持って光の部屋を訪れる。
コンコンコン、とノックした後、少し待っても反応がなく、まだ元気がないかなとドアノブに手を伸ばした、その時。ドアが静かに開いて、光が顔を覗かせた。

「よ。ナポリタンできたぞ。」

光は少し微笑んで、俺を部屋へ招き入れた。
テーブルにナポリタンとフォークを並べ、向かい合って座る。

「いただきまーす。」
「…いただきます。」

ナポリタンを口に運ぶ光を見て、懐かしい光景を思い起こす。そういえば、初めてこいつに作った料理もナポリタンだったな…。

「……。」

沈んではいるものの、少しずつでも口に運ぶ光を見て少し安堵する。とりあえずは…大丈夫、かな。とにかく、時間が解決するのを待つしかないのかもしれないな…。
先に食べ終わり、まだ黙々と食べている光を見つめる。あの光景がよみがえる…。服を脱がされそうになって抵抗する姿、殴られて床に叩き付けられる姿、絶望する顔…。またあいつが目の前に現れたら、俺はあいつを殺すかもしれない。いや…殺す。そしてそうしてもきっと、この怒りが収まることはない。

「…光。」

光はちょっと顔を上げて俺を見た。

「俺、光臣に呼ばれてるから、ちょっと行ってくるな。」

もの言いたげに息を飲む唇、心細げに下がる眉。

「また様子見に来るから。」

その頭を軽く撫でて、席を立つ。部屋を出ると使用人が控えていて、一礼された。階段を下りて客室に入ると、光臣と倉持と牧瀬が、テーブルを囲んでナポリタンを食べていた。

「なかなか美味いぞ。」

俺に気付いた光臣がなぜか偉そうにそう評価する。

「そりゃどうも。で、話って?」
「光の様子は?」
「…結局それかよ。ちょっとずつだけど、飯は食ってるよ。」
「そうか。やはり早い方がいいな。」
「え?」

光臣は少し厚みのあるA4封筒を数枚、俺に差し出してきた。

「何これ?」
「良さそうな物件を数件、目星をつけておいた。」
「…え?物件?」

話を飲み込めないまま封筒をひとつあけると、中にはマンションのパンフレットと部屋の間取りやその他説明書きがずらりと揃っていた。

「君との生活を再開することが、今の光にとっては一番いいと思ってな。」
「……。」

本当にそうだろうか。付き添ってくれる女性の使用人や、一晩中見張ってくれる警備員もいないのに?

「あっ、ここなんていいんじゃないですか?シアタールーム完備、プール付き!」
「すげー、家賃300万だってよ。」
「……。」

他人事なんだか、むしろ本気で言ってるのか…こいつらはまったく…。

「そこにある物件は、すぐにでも入居できるものだ。引っ越しも手伝うぞ。」
「……。」
「光とも相談して、早めに決めてくれ。内見もいつでもできるから、俺に言ってくれ。」
「……だけど…」
「ご馳走様。じゃあ俺は仕事に行く。」
「ごっそさん。俺ももう行くわ」
「ごちそうさまでした〜。私もそろそろ事務所に戻らないと。光はしばらくお休みを取っておきますから、安心して休んでって伝えてください。じゃ、また様子見に来ます。」

ぞろぞろと部屋を出て行く3人。示し合わせでもしていたみたいだ。
ため息を吐き、俺も客室を出る。すると待っていたかのように、使用人がそこに立っていて、俺にスッと近づいて礼をした。

「御幸様。光様のお食事がお済でしたので、食器を提げさせていただきました。」
「ああ…ありがとうございます。…光、どのくらい食べました?」

初老の使用人の男は、優しげな目尻のしわを深くして、にっこりと微笑む。

「完食なさいましたよ。」

俺はつい笑みを浮かべて使用人を見た。

「まだお部屋においでです。」
「ありがとうございます。」

さりげなくありがたい言葉を添える使用人に礼を言い、また階段を上がる。光の部屋からは、ちょうど使用人が食器をワゴンに乗せて出てくるところだった。入れ替わりに部屋に入ると、光は窓辺に立っていた。

「光。」

振り向いた美しい顔の、頬に残る痣が痛々しい。

「倉持達、帰ったよ。光臣も仕事だって。」

光は返事のように俯く。
うーん…やっぱりまだ、ここを出るのは無理なんじゃねーかなぁ…。

「あ、そういや牧瀬が、暫く仕事は入れないから、しっかり休めってさ。また様子見に来るって。」
「……はい。」

光はどこを見るでもなく窓の方に顔を向けた。
その背中に、少しの間見惚れる。触れるのもためらう、どこまでも綺麗な光。ずっと幸せで…安心して、守られて、生きて行ってほしい女の子。なのに…

「光…」

光はうつ向いてから、俺を見上げる。

「光臣が…そろそろ、マンションを探したらどうかって、コレ。」
「……。」
「もちろん、光がここにいたいならそうしていい。」
「……。」
「どうしたい?光の好きなようにしろよ。俺はどっちでもいいし…」

光はなぜか泣き出しそうな顔で俺を見つめた。

「…どっちでもいいの?」
「…え?うん、俺は…俺だけマンションに移っても良いし…」
「………。」

光は俺を見つめて、とうとう、ボロボロと涙を流した。

「えっ…光?」
「…い……嫌だ」
「…え?」
「…いっ…行かないで…っ」

嗚咽を零しながら泣きじゃくって訴える光。なぜそんなに必死に引き留めるのか、何もわからないまま咄嗟に駆け寄る。

「ここにいるよ、お前がそう言うなら…」
「…言わなかったら…行くの?」
「…何、どうしたんだよ。」
「本当は…、わ……別れたいんでしょ?」

一瞬何を言われたかわからずに、俺は息を飲んだ。

「な…なんでそうなるんだよ?ほんとどうしたんだよ、お前」
「もう…見るのも嫌?」
「だから、何言ってんだよ!そんなわけないだろ!」
「じゃあどうして抱きしめてくれないの!?」

滅多に聞かない光の怒鳴り声。面食らう俺を、光は涙でぬれた目で睨む。

「俺は…」
「……。」
「今は、触られたくないだろうと思って…」
「…なんで…?」
「…あんなことが、あったから…」
「…汚く思えた?」
「そんなわけないだろ!違う…。俺は…」
「……。」
「お前に触れるのは、すごく…緊張する。」
「…緊張?」

光は虚を突かれたように語気を弱めた。

「…そうだよ、そんな…軽い気持ちで、お前に触れるかよ。こんなに綺麗で…柔らかくて、愛おしくて、俺はいつも…嫌われないように、傷つけないように…精一杯で…。」
「……。」

毎日姿を見られるだけで幸せで、手を伸ばせば触れられることが奇跡のようで、だから、7年前からずっと変わらない…。手を繋ぐことも、頬に触れることも、キスをすることも…未だに俺にとっては、すごく特別なことで…。光を抱くときはいつも、この上ない幸せに満たされる。

「お前が傷ついて…俺は…犯人を殺してやりたいと思った。お前を見つけて…無事だったとわかって…抱きしめたくてたまらなかったよ。だけどお前は、すごく…怯えていたから…」
「……。」
「俺が…不用意に触れて、お前の傷を…抉らないか…不安で……」
「…一也さん」

潤んだ瞳が揺れて、俺を捉える。

「私が傷ついたとき…思うことは、」
「……?」
「…一也さんに、抱きしめてほしいって…それだけです」

まだ不安を残した顔で、光は言った。それが本心なら…俺は、ただこいつをさらに傷つけていただけなんじゃ…。
ゆっくりと手を取ると、光は手を握り返してきた。

「…ごめん。」

呟いて、手を引いて、光を抱きしめる。光は深く息を吐いて、俺を強く抱きしめ返した。

 


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