014
校庭の木の葉がすっかり落ちて、息が白く見えるようになった頃。
「犯人が捕まった?」
目を瞬いた俺に、光は頷いた。
「お父さんの知り合いの弁護士さんにお願いしてて…犯人は…執行猶予が付いたけど、接近禁止令が出て、遠い実家に戻されるみたいです。」
「そうか…よかったな」
俺自身も安堵して呟くと、光は笑みを浮かべて腕に絡みついてきた。
「だから、これからはもうちょっと遅くまで一緒にいられますよ。」
俺は思わずにやけながら光を小突く。
「バカ。それでも遅くまで出歩くんじゃねーよ。」
「……ちぇ」
最近はよく素直になって、こんなふうに嬉しいことを言ってくれる。
「変態のくせに…」
…まあ、時々はまだこんなふうに生意気だけど。
「あのなー…その、変態っていうのやめろ。」
「本当の事じゃないですか。」
「……。」
変態、と言われるゆえんはつい先ほどのことである。
練習を終えた俺は、たまたま寮に遊びに来ていた哲さんにくっついてきた光と会っていた。
今は冬休みで、久々に会えたものだから、人気のない校舎裏へ行き、たまらず光を抱きしめた瞬間…腹の上あたりに押し付けられた柔らかい感触に驚き、つい、口が勝手に
「…結構デカいな」
と、呟いてしまった。
そして無言のまま光に押しのけられ、今に至る。
「久々の再会でまさか、胸の感想を言われるとは…」
「しょうがねーだろ、男なんてそんなもんだっつーの」
「……。」
光は俯いたまま顔を傾け、俺を下から覗きこむように見る。その上目使い、反則だろ…
しかもその表情で、光はとんでもないことを言い出した。
「…触りたいですか?」
「…え」
…いいのか?いいのか!?
いや、もちろん触りてーに決まってるけど、俺たちはキスもまだだし、せいぜい、手をつなぐかハグくらいしかしていないのに。今、頷いたら、この胸を触れる…!?
俺は思わず生唾を飲みこんで、光のダッフルコートの襟元から覗く膨らみをちらりと見る。そして、意を決して、頭がぐわんぐわんと揺れながら、しっかりと頷いた。
「…うん」
「だめです」
…なんだよそれ!
やっぱり俺、遊ばれてるわ…。
光は項垂れる俺を面白そうに眺めている。
「んふふふ。面白い。」
「あのな〜…」
「…御幸先輩も…そういうこと、したいんですか?」
「は…?」
そういうことって…そういうこと?
「そりゃ……。……。」
言いかけて、固まる。待てよ、うかつに答えるな。何か俺、今、試されてる気がする。
「…いきなり、なんだよ?なんかこええんだけど…」
「……。」
光は口をすぼめて遠くを見て、足をパタパタさせた。言い辛いことを言う時、こいつは挙動不審になる。
「もし……」
もし…?
「もしも、私が、結婚するまでそういうことを、したくないって言ったら…どうしますか?」
……ん?
それって…
「なんだそれ。お前、俺と結婚してくれんの?」
なんだかおかしくなって、にやけながら尋ねると、光は不意を突かれたように目を丸くして、それから赤くなった。
「…ほんと……もう…ほんと……そういうとこですよ!」
「いてっ!なんだよ」
照れ隠しの平手を背中に喰らって、俺はこらえきれずに笑った。
「…と、そろそろ戻らねーと…」
腕時計を見て呟くと、ふと光が黙り込んだ。
相変わらず、肝心な時に素直じゃねーな。
俺が背中に腕を回すと、光は簡単に俺に体を預けてきた。
「一也先輩も…明日から、帰省するんですか?」
そう。寮生のほとんどは、明日から実家に帰省する。哲さんもその関係で、純さんが帰る前に、貸していた参考書を返してもらいに来たのだった。
「あぁ…こっちに戻るのは年明けだな」
「じゃあ…次に会えるのは、新学期ですね…」
光が珍しくしおらしくて、なにかしてやりたいけど、こればかりはどうしようもない。腕の中で小さくなっている光を見つめていると、ふと光が俺を見上げて、じっと見つめてきた。
俺はその瞳に吸い込まれるように、ゆっくりと顔を近づけた。光はわかっているように目を閉じた。睫毛なげえな。ほんと、美人だよこいつは…。
唇が触れた。時間が止まったようだった。
柔らかい。少し甘い。ああ、俺、今、光とキスしてるのか…。
じわじわと込み上げる実感を噛み締めながら、俺はゆっくりと唇を離す。顔を真っ赤にした光は俯いて、俺の胸に顔を埋めた。
「…悪い、もうほんとに、戻らねーと」
そう言うと、光は俺を見上げて、縋るように言った。
「……もう一回…だけ」
ああもう。なんでこいつはこんなに可愛いんだ。
もう一度キスをする。さっきよりもしっかりと唇は触れ、光は俺の服を握りしめる。
ああ、これ、もう、やばいって…
唇を離すと、光は心なしか涙ぐんだ顔で俺を見つめた。
「……帰りたくないなぁ…」
あ〜〜〜〜もう…
光を抱きしめると、すぐに光も俺を抱きしめ返す。
俺だって帰りたくねーよ…
名残惜しく体を離し、寮の方へと歩いて行く。
次に会えるのは新学期、か…。オフシーズンに入るし、すこしは光と過ごす時間もあるかな…微々たるモンだろうけど。
そういやこいつ、野球に関しては理解あるよな…。シーズンのこととか、練習のこととか、野球のせいで会えなくても文句はいわねーし、むしろそれならしょうがないって感じで。
哲さんと幼馴染だから、野球に詳しいのか?うん、まぁ、それはあり得るな。
「なんですか?黙って…」
光が訝しげに見上げてきたので、何でもねーよと頭を撫でた。
***
ミーティングを終えた後、素振りに行くついでに飲み物でも買って行こうかと自販機へ行くと、そこに東条がいた。
目が合うと、俺たちはなんとなく気まずい思いのまま立ち尽くす。
「…あ!すみません、どうぞ…」
東条が思い出したように端に避け、俺はぎこちなく頷いて自販機の前に立った。えーと…まぁ、なんでもいいや。投げやりになって麦茶を買う。
「…あの。」
東条が思い切った様子で口を開いた。なんだ。何を言うんだ。
「…その。…玉城から聞いたんですけど。」
「ん?」
「…つ、付き合ってるって」
「あー…」
そうか。東条に言ったのか。…どういう状況で言ったんだ?
秘密にしたいって言ったのは、あいつなのに。まぁ、俺も同意だったけど…。
「まぁ、うん…そうだ」
俺が頷くと、東条は渇いた笑みを浮かべた。
「そう…ですか」
ああ…こいつ、光のこと好きだったんだな。
それは俺にもわかってしまうほど、痛々しい笑顔だった。
俺も初めは、こいつと光が付き合っていると思っていた。それくらい仲良く見えたし、実際、光がとても気を許しているように見えたから。
それが悔しくもあり、苦しくもあった。
「俺、玉城に告ったんです。」
「…え?」
い、今なんつった?
「先輩と付き合ってるって聞いて、後悔したくなくて。でも、ただ、言いたかっただけなので。先輩に勝てるとは…思っていません。」
「…あ、そ、そう」
「玉城が御幸先輩のことを好きなのは…ずっと、知ってましたし」
え…そうなのか?ずっとって…いつから?
「…すみません、それだけです!これも、ただ言いたかっただけで…。じゃあ、失礼します。」
「あ…おう」
呆気にとられながら、走り去っていく東条を見送る。
あぁ、なんか…すげぇ光に会いてぇな…
明日から1週間以上、会えないのか。
「……。」
ポケットから携帯を取出し、慣れた番号を直接押す。数回のコールのあと、ブツリと音がして、かすれた低い声が響いてきた。
『…はい、御幸ですが』
「親父?俺だけど…」
照れ臭くなって小さな声で答えると、一瞬息をのんだような間のあと、穏やかな声が返ってきた。
『一也か?どうした…明日帰ってくるんだろ?』
「ああ…うん。そうなんだけど…」
俺は考えながら言葉を続ける。
「やっぱり…怪我でしばらく休んでたし…早めに体を慣らしておきたいから、元旦にはまたこっちに戻ることにするよ」
『元旦…てことは、家にいるのは3日くらいか。戻るって言っても…寮の方は大丈夫なのか?』
「うん。早めに戻る奴は毎年何人かいるし、寮は開いてるから…」
『…そうか。』
少しさびしげな、しかし納得したような声が返ってきて、俺は安堵した。
『でも、明日帰ってくるなら、その時でも良かったのに』
「はは…うん、でも…」
俺は空を見上げた。鼻先が冷たく、白い息が星空に掠れて消えていった。
「今…急にそうしようと思ったから」
「犯人が捕まった?」
目を瞬いた俺に、光は頷いた。
「お父さんの知り合いの弁護士さんにお願いしてて…犯人は…執行猶予が付いたけど、接近禁止令が出て、遠い実家に戻されるみたいです。」
「そうか…よかったな」
俺自身も安堵して呟くと、光は笑みを浮かべて腕に絡みついてきた。
「だから、これからはもうちょっと遅くまで一緒にいられますよ。」
俺は思わずにやけながら光を小突く。
「バカ。それでも遅くまで出歩くんじゃねーよ。」
「……ちぇ」
最近はよく素直になって、こんなふうに嬉しいことを言ってくれる。
「変態のくせに…」
…まあ、時々はまだこんなふうに生意気だけど。
「あのなー…その、変態っていうのやめろ。」
「本当の事じゃないですか。」
「……。」
変態、と言われるゆえんはつい先ほどのことである。
練習を終えた俺は、たまたま寮に遊びに来ていた哲さんにくっついてきた光と会っていた。
今は冬休みで、久々に会えたものだから、人気のない校舎裏へ行き、たまらず光を抱きしめた瞬間…腹の上あたりに押し付けられた柔らかい感触に驚き、つい、口が勝手に
「…結構デカいな」
と、呟いてしまった。
そして無言のまま光に押しのけられ、今に至る。
「久々の再会でまさか、胸の感想を言われるとは…」
「しょうがねーだろ、男なんてそんなもんだっつーの」
「……。」
光は俯いたまま顔を傾け、俺を下から覗きこむように見る。その上目使い、反則だろ…
しかもその表情で、光はとんでもないことを言い出した。
「…触りたいですか?」
「…え」
…いいのか?いいのか!?
いや、もちろん触りてーに決まってるけど、俺たちはキスもまだだし、せいぜい、手をつなぐかハグくらいしかしていないのに。今、頷いたら、この胸を触れる…!?
俺は思わず生唾を飲みこんで、光のダッフルコートの襟元から覗く膨らみをちらりと見る。そして、意を決して、頭がぐわんぐわんと揺れながら、しっかりと頷いた。
「…うん」
「だめです」
…なんだよそれ!
やっぱり俺、遊ばれてるわ…。
光は項垂れる俺を面白そうに眺めている。
「んふふふ。面白い。」
「あのな〜…」
「…御幸先輩も…そういうこと、したいんですか?」
「は…?」
そういうことって…そういうこと?
「そりゃ……。……。」
言いかけて、固まる。待てよ、うかつに答えるな。何か俺、今、試されてる気がする。
「…いきなり、なんだよ?なんかこええんだけど…」
「……。」
光は口をすぼめて遠くを見て、足をパタパタさせた。言い辛いことを言う時、こいつは挙動不審になる。
「もし……」
もし…?
「もしも、私が、結婚するまでそういうことを、したくないって言ったら…どうしますか?」
……ん?
それって…
「なんだそれ。お前、俺と結婚してくれんの?」
なんだかおかしくなって、にやけながら尋ねると、光は不意を突かれたように目を丸くして、それから赤くなった。
「…ほんと……もう…ほんと……そういうとこですよ!」
「いてっ!なんだよ」
照れ隠しの平手を背中に喰らって、俺はこらえきれずに笑った。
「…と、そろそろ戻らねーと…」
腕時計を見て呟くと、ふと光が黙り込んだ。
相変わらず、肝心な時に素直じゃねーな。
俺が背中に腕を回すと、光は簡単に俺に体を預けてきた。
「一也先輩も…明日から、帰省するんですか?」
そう。寮生のほとんどは、明日から実家に帰省する。哲さんもその関係で、純さんが帰る前に、貸していた参考書を返してもらいに来たのだった。
「あぁ…こっちに戻るのは年明けだな」
「じゃあ…次に会えるのは、新学期ですね…」
光が珍しくしおらしくて、なにかしてやりたいけど、こればかりはどうしようもない。腕の中で小さくなっている光を見つめていると、ふと光が俺を見上げて、じっと見つめてきた。
俺はその瞳に吸い込まれるように、ゆっくりと顔を近づけた。光はわかっているように目を閉じた。睫毛なげえな。ほんと、美人だよこいつは…。
唇が触れた。時間が止まったようだった。
柔らかい。少し甘い。ああ、俺、今、光とキスしてるのか…。
じわじわと込み上げる実感を噛み締めながら、俺はゆっくりと唇を離す。顔を真っ赤にした光は俯いて、俺の胸に顔を埋めた。
「…悪い、もうほんとに、戻らねーと」
そう言うと、光は俺を見上げて、縋るように言った。
「……もう一回…だけ」
ああもう。なんでこいつはこんなに可愛いんだ。
もう一度キスをする。さっきよりもしっかりと唇は触れ、光は俺の服を握りしめる。
ああ、これ、もう、やばいって…
唇を離すと、光は心なしか涙ぐんだ顔で俺を見つめた。
「……帰りたくないなぁ…」
あ〜〜〜〜もう…
光を抱きしめると、すぐに光も俺を抱きしめ返す。
俺だって帰りたくねーよ…
名残惜しく体を離し、寮の方へと歩いて行く。
次に会えるのは新学期、か…。オフシーズンに入るし、すこしは光と過ごす時間もあるかな…微々たるモンだろうけど。
そういやこいつ、野球に関しては理解あるよな…。シーズンのこととか、練習のこととか、野球のせいで会えなくても文句はいわねーし、むしろそれならしょうがないって感じで。
哲さんと幼馴染だから、野球に詳しいのか?うん、まぁ、それはあり得るな。
「なんですか?黙って…」
光が訝しげに見上げてきたので、何でもねーよと頭を撫でた。
***
ミーティングを終えた後、素振りに行くついでに飲み物でも買って行こうかと自販機へ行くと、そこに東条がいた。
目が合うと、俺たちはなんとなく気まずい思いのまま立ち尽くす。
「…あ!すみません、どうぞ…」
東条が思い出したように端に避け、俺はぎこちなく頷いて自販機の前に立った。えーと…まぁ、なんでもいいや。投げやりになって麦茶を買う。
「…あの。」
東条が思い切った様子で口を開いた。なんだ。何を言うんだ。
「…その。…玉城から聞いたんですけど。」
「ん?」
「…つ、付き合ってるって」
「あー…」
そうか。東条に言ったのか。…どういう状況で言ったんだ?
秘密にしたいって言ったのは、あいつなのに。まぁ、俺も同意だったけど…。
「まぁ、うん…そうだ」
俺が頷くと、東条は渇いた笑みを浮かべた。
「そう…ですか」
ああ…こいつ、光のこと好きだったんだな。
それは俺にもわかってしまうほど、痛々しい笑顔だった。
俺も初めは、こいつと光が付き合っていると思っていた。それくらい仲良く見えたし、実際、光がとても気を許しているように見えたから。
それが悔しくもあり、苦しくもあった。
「俺、玉城に告ったんです。」
「…え?」
い、今なんつった?
「先輩と付き合ってるって聞いて、後悔したくなくて。でも、ただ、言いたかっただけなので。先輩に勝てるとは…思っていません。」
「…あ、そ、そう」
「玉城が御幸先輩のことを好きなのは…ずっと、知ってましたし」
え…そうなのか?ずっとって…いつから?
「…すみません、それだけです!これも、ただ言いたかっただけで…。じゃあ、失礼します。」
「あ…おう」
呆気にとられながら、走り去っていく東条を見送る。
あぁ、なんか…すげぇ光に会いてぇな…
明日から1週間以上、会えないのか。
「……。」
ポケットから携帯を取出し、慣れた番号を直接押す。数回のコールのあと、ブツリと音がして、かすれた低い声が響いてきた。
『…はい、御幸ですが』
「親父?俺だけど…」
照れ臭くなって小さな声で答えると、一瞬息をのんだような間のあと、穏やかな声が返ってきた。
『一也か?どうした…明日帰ってくるんだろ?』
「ああ…うん。そうなんだけど…」
俺は考えながら言葉を続ける。
「やっぱり…怪我でしばらく休んでたし…早めに体を慣らしておきたいから、元旦にはまたこっちに戻ることにするよ」
『元旦…てことは、家にいるのは3日くらいか。戻るって言っても…寮の方は大丈夫なのか?』
「うん。早めに戻る奴は毎年何人かいるし、寮は開いてるから…」
『…そうか。』
少しさびしげな、しかし納得したような声が返ってきて、俺は安堵した。
『でも、明日帰ってくるなら、その時でも良かったのに』
「はは…うん、でも…」
俺は空を見上げた。鼻先が冷たく、白い息が星空に掠れて消えていった。
「今…急にそうしようと思ったから」