153
御幸のマンションに着いていき、リビングで御幸と二人、ソファに座る。時計の秒針が静かに響く部屋に、やがて、玄関の鍵が開く音が響いた。御幸は弾かれたように顔を上げる。俺も心臓を握られたように驚いてはっと息をのんだ。
ガタン、と軽い物音と、ドアが閉まって鍵を施錠する音、床に置かれたヒールが鳴る硬い音、小さな足音…。
静かにリビングのドアが開いて、楽しげな余韻の残る笑顔を浮かべた光が、部屋に入ってきた。
「ただいま…あれ?倉持さん。」
何にも知らないで微笑む光に、よお、と声をかける。
「うちで飲んでたんですか?」
食事をした様子のないリビングを見渡して聞く光に、御幸は首を横に振った。
「いや…俺たちもさっき帰って来たとこ。」
「そうなんですか。」
たいして気にした様子もなく相槌を打つ光の頬は少し赤い。牧瀬の家で、既に少し酒を飲んできたのかもしれなかった。
光は上着を脱ぎながら寝室へ行き、しばらくして、ラフな部屋着になってリビングに戻ってきた。
「光。」
その光を、御幸が呼び止める。
「一緒に飲まねぇ?」
軽い調子を装う御幸を、俺はどこか冷えた気持で眺めた。どんな気持ちで誘ってんだか…。
光は少し驚いたように、え?と笑って、ちょっと考えながらソファにやって来た。
「じゃあ…少しだけ」
「ん」
御幸が差し出したグラスを受け取って、ソファに腰を下ろす光。そのぎこちなさを誤魔化すように、御幸は他の空いたグラスにもワインを注いで、俺と自分の前に置いた。
グラスを傾けた光の、赤い唇がグラスに添い、琥珀色の液体が流れ込んでいくのを眺めながら、俺もグラスを手に喉を鳴らす。…光が欲しい。そのためならどんなことだって…可能性がゼロに限りなく近くとも、俺は…。
光のグラスの中身が少なくなると、御幸がワインを注ぐ。俺たちも、涼しい顔を装ってグラスを空ける。
そうして30分ほど過ぎた頃、光はぽーっとした顔を、少し手で仰いだ。…酔ってきた。俺と御幸の間に緊張が走った。御幸がワインボトルを取る。すると、光はグラスをテーブルに置いた。
「ちょっと酔ってきちゃったんで…もうやめておきます」
ふう、と暑そうに息をつく彼女は艶めかしい。しかしここでやめてしまっては、目的が果たせない。
「大丈夫だよ、家だし…俺もいるし」
「でも…」
戸惑う光のグラスに、御幸は少し強引にワインを注いだ。注がれてしまってはと、光は渋々またグラスを手に取った。…グラスを傾ける。彼女の白い喉が上下し、琥珀色の液体が流れていく。
コトン、とグラスがテーブルに戻され、光は赤く火照った頬を両手で包んで眠たげに眼を閉じた。
「…光?」
「……。」
光はしばらくの間…眠ってしまったんじゃないかと思うくらい長く目を閉じていたが、ふと目を開けて、御幸を見た。そして…嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべる。
「一也さん…。」
うっとりと呟く光。完全に酔ってる…よな?
御幸は唇を舐め、緊張した面持ちで俺を一瞥し、光に向き直った。
「…光。」
「……ん…?」
「…本当は……俺と倉持、どっちが好き?」
「……。」
「どっちと…一緒に居たい?」
光は御幸と俺を見つめ、ちょっと眉を寄せた。
「どうして…そんなこと聞くんですか?」
あれ…?ちょっと待て、まさか…
「もしかして…それを聞くために飲ませたんですか?」
光……まだ、酔ってない?
「変だと思った…。」
光はため息を吐き、そっぽを向く。
「……光、」
焦った様子で御幸が声をかける。そっぽを向いていた光は、ちらりと俺たちを見て、眉を顰めた。
「…最低。」
うっ…。ぐさりと胸に刺さった…。御幸も硬直している。
光は御幸に近づき、手を伸ばして御幸の頬を撫で、その顔を覗き込むようにじっと見つめた。
「そんな騙すようなことして…」
「…ごめん、騙すとか、そんなつもりじゃ」
「そんなに、不安だったんですか?」
御幸の頬を両手で包んで、ゆっくりとにじり寄り、御幸の膝の上に跨る光。…おい、ちょっと待て。
「……えっと」
事態を飲みこめない様子で、御幸は顔を赤くして光を見上げる。光はじっとその目を見つめたまま、頬を撫で、髪をくしゃりと指に絡ませる。
「こんなことしちゃうくらい…不安だったの?」
妖艶な微笑みを浮かべて光は御幸に尋ねる。まるで小さい子供に言い聞かせているように…甘く、優しく、悪戯っぽく。御幸の唇を親指で撫でて、うっとりとそこを見つめる横顔に――俺はゴクリと生唾を飲んだ。その俺の目の前で、光はまるで息継ぎでもするかのように…御幸の唇に自分の唇を押し当てた。赤い小さな唇が、もどかしげに柔らかくゆがんで、御幸の唇に擦り付く。唇は音を立てて吸い付き、愛おしそうに、物足りなさそうに、何度も何度も御幸の唇を舐めた。
「…っは…」
すっかり息を荒げた光はようやく唇を離し、また御幸の顔を見つめる。
「…可愛い…。」
胸の底からあふれ出たようにうっとりと呟くと、光は最後に軽く御幸にキスをして、ようやく俺の方を見た。
そしてどこか満足げな笑みを浮かべ、俺を見つめたまま御幸の胸に頬を寄せて抱き着いて、眠たげに眼を閉じた。
「……。」
「……。」
俺も御幸も沈黙する。光は…静かに寝息を立てている。どうやら…やっぱり、酔っていたようだ。あぁ、ヒヤヒヤした。っつーか…とんでもねーもん見せられたんだけど…。
「おい」
自分の胸ですやすやと眠る光を愛おしそうに見つめる御幸を睨む。
「満足かよ?」
「……。」
御幸は少し顔を赤くして、俯いた。望み薄だとわかってはいたが…もし俺を選んだら、なんて条件を出したのが今となっては恥ずかしい。
なんだか腹立たしくて、俺は、安心しきった顔で眠る光の髪に手を伸ばして、触れた。柔らかくて、少し冷たくて、するりと指の間を流れる髪…。気持ちいい。
「…おい」
その俺の手を、御幸は追い払う。
「いいじゃん、付き合ってやったんだから、これくらい」
恨めしげに八つ当たりよろしく言うと、御幸はちょっと怯んだが、すぐに思い直したように眉を顰めた。
「…だめ。」
「んだよ、ケチくせえな」
俺の手をもう一度追い払うと、御幸は光の体を抱きすくめ、柔らかな髪に顔を埋めて甘えた。
「…俺のだもん」
「……。」
思わず唖然とする。こ…こいつがこんなセリフを吐くなんて。
「お前…やっぱ酔ってる?」
「うるせーな…」
照れた顔を隠すように顔を背けて、御幸は呟いた。
「ま…用事は済んだし、俺は帰るからな」
「え…」
呆気なく立ち上がる俺を意外そうに見上げる御幸。
「じゃあな。明日遅刻すんなよ」
「あぁ…」
呆気にとられたままの御幸を置いて、マンションを出た。
辺りはすっかり夜が更けていて、通りには人気もない。スマホの画面で時刻を見ると、かろうじてまだ終電には間に合いそうだが、急ぐ気にもなれなかった。
俺は星がちらちらと光る空を見上げた。風は生暖かく、もうすぐ夏が来ることを思い出した。
久しぶりに、泣きそうになった。
ガタン、と軽い物音と、ドアが閉まって鍵を施錠する音、床に置かれたヒールが鳴る硬い音、小さな足音…。
静かにリビングのドアが開いて、楽しげな余韻の残る笑顔を浮かべた光が、部屋に入ってきた。
「ただいま…あれ?倉持さん。」
何にも知らないで微笑む光に、よお、と声をかける。
「うちで飲んでたんですか?」
食事をした様子のないリビングを見渡して聞く光に、御幸は首を横に振った。
「いや…俺たちもさっき帰って来たとこ。」
「そうなんですか。」
たいして気にした様子もなく相槌を打つ光の頬は少し赤い。牧瀬の家で、既に少し酒を飲んできたのかもしれなかった。
光は上着を脱ぎながら寝室へ行き、しばらくして、ラフな部屋着になってリビングに戻ってきた。
「光。」
その光を、御幸が呼び止める。
「一緒に飲まねぇ?」
軽い調子を装う御幸を、俺はどこか冷えた気持で眺めた。どんな気持ちで誘ってんだか…。
光は少し驚いたように、え?と笑って、ちょっと考えながらソファにやって来た。
「じゃあ…少しだけ」
「ん」
御幸が差し出したグラスを受け取って、ソファに腰を下ろす光。そのぎこちなさを誤魔化すように、御幸は他の空いたグラスにもワインを注いで、俺と自分の前に置いた。
グラスを傾けた光の、赤い唇がグラスに添い、琥珀色の液体が流れ込んでいくのを眺めながら、俺もグラスを手に喉を鳴らす。…光が欲しい。そのためならどんなことだって…可能性がゼロに限りなく近くとも、俺は…。
光のグラスの中身が少なくなると、御幸がワインを注ぐ。俺たちも、涼しい顔を装ってグラスを空ける。
そうして30分ほど過ぎた頃、光はぽーっとした顔を、少し手で仰いだ。…酔ってきた。俺と御幸の間に緊張が走った。御幸がワインボトルを取る。すると、光はグラスをテーブルに置いた。
「ちょっと酔ってきちゃったんで…もうやめておきます」
ふう、と暑そうに息をつく彼女は艶めかしい。しかしここでやめてしまっては、目的が果たせない。
「大丈夫だよ、家だし…俺もいるし」
「でも…」
戸惑う光のグラスに、御幸は少し強引にワインを注いだ。注がれてしまってはと、光は渋々またグラスを手に取った。…グラスを傾ける。彼女の白い喉が上下し、琥珀色の液体が流れていく。
コトン、とグラスがテーブルに戻され、光は赤く火照った頬を両手で包んで眠たげに眼を閉じた。
「…光?」
「……。」
光はしばらくの間…眠ってしまったんじゃないかと思うくらい長く目を閉じていたが、ふと目を開けて、御幸を見た。そして…嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべる。
「一也さん…。」
うっとりと呟く光。完全に酔ってる…よな?
御幸は唇を舐め、緊張した面持ちで俺を一瞥し、光に向き直った。
「…光。」
「……ん…?」
「…本当は……俺と倉持、どっちが好き?」
「……。」
「どっちと…一緒に居たい?」
光は御幸と俺を見つめ、ちょっと眉を寄せた。
「どうして…そんなこと聞くんですか?」
あれ…?ちょっと待て、まさか…
「もしかして…それを聞くために飲ませたんですか?」
光……まだ、酔ってない?
「変だと思った…。」
光はため息を吐き、そっぽを向く。
「……光、」
焦った様子で御幸が声をかける。そっぽを向いていた光は、ちらりと俺たちを見て、眉を顰めた。
「…最低。」
うっ…。ぐさりと胸に刺さった…。御幸も硬直している。
光は御幸に近づき、手を伸ばして御幸の頬を撫で、その顔を覗き込むようにじっと見つめた。
「そんな騙すようなことして…」
「…ごめん、騙すとか、そんなつもりじゃ」
「そんなに、不安だったんですか?」
御幸の頬を両手で包んで、ゆっくりとにじり寄り、御幸の膝の上に跨る光。…おい、ちょっと待て。
「……えっと」
事態を飲みこめない様子で、御幸は顔を赤くして光を見上げる。光はじっとその目を見つめたまま、頬を撫で、髪をくしゃりと指に絡ませる。
「こんなことしちゃうくらい…不安だったの?」
妖艶な微笑みを浮かべて光は御幸に尋ねる。まるで小さい子供に言い聞かせているように…甘く、優しく、悪戯っぽく。御幸の唇を親指で撫でて、うっとりとそこを見つめる横顔に――俺はゴクリと生唾を飲んだ。その俺の目の前で、光はまるで息継ぎでもするかのように…御幸の唇に自分の唇を押し当てた。赤い小さな唇が、もどかしげに柔らかくゆがんで、御幸の唇に擦り付く。唇は音を立てて吸い付き、愛おしそうに、物足りなさそうに、何度も何度も御幸の唇を舐めた。
「…っは…」
すっかり息を荒げた光はようやく唇を離し、また御幸の顔を見つめる。
「…可愛い…。」
胸の底からあふれ出たようにうっとりと呟くと、光は最後に軽く御幸にキスをして、ようやく俺の方を見た。
そしてどこか満足げな笑みを浮かべ、俺を見つめたまま御幸の胸に頬を寄せて抱き着いて、眠たげに眼を閉じた。
「……。」
「……。」
俺も御幸も沈黙する。光は…静かに寝息を立てている。どうやら…やっぱり、酔っていたようだ。あぁ、ヒヤヒヤした。っつーか…とんでもねーもん見せられたんだけど…。
「おい」
自分の胸ですやすやと眠る光を愛おしそうに見つめる御幸を睨む。
「満足かよ?」
「……。」
御幸は少し顔を赤くして、俯いた。望み薄だとわかってはいたが…もし俺を選んだら、なんて条件を出したのが今となっては恥ずかしい。
なんだか腹立たしくて、俺は、安心しきった顔で眠る光の髪に手を伸ばして、触れた。柔らかくて、少し冷たくて、するりと指の間を流れる髪…。気持ちいい。
「…おい」
その俺の手を、御幸は追い払う。
「いいじゃん、付き合ってやったんだから、これくらい」
恨めしげに八つ当たりよろしく言うと、御幸はちょっと怯んだが、すぐに思い直したように眉を顰めた。
「…だめ。」
「んだよ、ケチくせえな」
俺の手をもう一度追い払うと、御幸は光の体を抱きすくめ、柔らかな髪に顔を埋めて甘えた。
「…俺のだもん」
「……。」
思わず唖然とする。こ…こいつがこんなセリフを吐くなんて。
「お前…やっぱ酔ってる?」
「うるせーな…」
照れた顔を隠すように顔を背けて、御幸は呟いた。
「ま…用事は済んだし、俺は帰るからな」
「え…」
呆気なく立ち上がる俺を意外そうに見上げる御幸。
「じゃあな。明日遅刻すんなよ」
「あぁ…」
呆気にとられたままの御幸を置いて、マンションを出た。
辺りはすっかり夜が更けていて、通りには人気もない。スマホの画面で時刻を見ると、かろうじてまだ終電には間に合いそうだが、急ぐ気にもなれなかった。
俺は星がちらちらと光る空を見上げた。風は生暖かく、もうすぐ夏が来ることを思い出した。
久しぶりに、泣きそうになった。