155
「…御幸。」
翌日、練習前に通路で行き会った御幸とすれ違って、俺は思わず呼び止めて足を止めた。御幸はスポーツドリンクを口に含んだまま振り返る。
「なんかお前、すげーいいにおいするんだけど」
ごくん、と御幸は喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲みこむと、苦笑する。
「あー…マジか」
自分の腕を鼻の前に上げ、くんくんとにおいをかいで、首を傾げる。自分じゃわからないのだろう。
「そんなにする?」
「けっこーする。すれ違いざまにふわって」
「キツい?」
「いや…いいにおいだしキツくは…お前だからキモいけど」
というか、このにおい、どこかで嗅いだことがあるような…。
「香水つけてんの?」
こいつは香水とかあんまりつけるタイプじゃないと思ってたけど…。それに、男がつけるには甘すぎる。
「いや…出がけに、光にぶっかけられた」
「……。」
あ…そうか。嗅いだことあると思ったけど、これ、光の香水のにおいだ。
つーかそれって…。やきもち?
「昨日のアレのせいか?」
「たぶん…。昨日も帰ってからちょっと機嫌悪くて。朝も無言でいきなりシュッて」
「ふーん…」
俺もそんな風に拗ねられてみてぇなー…なんて。…アホらし。
「で、どうするんだよ?」
「どうするも何も…どうしようもなくね?チームの栄養士とトラブるわけにはいかねーし…」
「…お前ってほんっと、女ったらしだよな」
「…は!?俺が?どこがだよ!」
「そうやって迷惑かけられてもハッキリ断れないところ。」
「……。」
「あっ、いたいた、一也さ〜ん!」
たったった、と軽い足音が近づいて来て、御幸の顔がピクリと固まる。やってきたのは思った通り、御幸のチーム専属の栄養士であるミカで、今日もバッチリ気合の入ったメイクの顔を御幸に向け、笑顔を浮かべる。
「ロッカールームに栄養ドリンク運んでおきましたからね!早く行かないと、一也さんの分まで飲まれちゃいますよ?」
「あ……ウス」
「あははっ、なにそれ〜。もしかして照れてるんですかぁ?おかしい〜」
御幸の顔に困惑が浮かび始める。だからはっきり断れっつってんのにこいつは…。
「あ〜…無駄っすよ。」
呆れながら口を開くと、ミカは目を丸くして俺を見た。
「こいつ、嫁さん一筋できもちわりーくらい溺愛してるんで。そういう色目とか、無駄ですよ。」
ぽかん、と俺を凝視していたミカの目が、だんだんとこわばってくる。
「…えっ?なんですか、それ〜…。私は別にそんな…。ねぇ?一也さん。あはは…変なの」
今まで面と向かって指摘されたことが無かったのだろうか、ミカはしどろもどろになって口ごもると、俺をちょっと睨んで、御幸の傍に寄った。そしてすぐにハッとした顔で御幸を見上げた。…においに気付いたんだろう。おそらく、それを光がしたことも、その理由も。
ミカはちょっと顔をこわばらせて、思いつめたように口を引き締めて、踵を返した。
「じゃあ…私、失礼しますね。」
取り繕ったような笑顔で御幸に微笑み、去っていくミカ。これですっぱり身を引いてくれりゃあいいけど…。
田中茜のときのようなことはもうごめんだ。
御幸は静かなため息を吐いて、ちょっと疲れたような顔をした。
***
「御幸、飯行こうぜ」
自主練をひと段落させ、ロッカールームの前で御幸に声をかけると、御幸は気恥ずかしそうに小さなトートバッグを持ち上げた。
「わり、今日弁当」
「弁当…?」
珍しい…。いや待てよ、この御幸のそわそわした態度…。まさか…
「…まさか光の手作り弁当!?」
「まぁ…」
「なんだよまぁって。いらねーならくれよ」
「だーめ」
御幸は弁当を庇うように抱えると、足早に歩いていく。なんだかんだ嬉しそうだ。
「…でも何で急に弁当?」
「……嫌な予感がするって」
「嫌な予感?」
テーブルに弁当を取出し、包みを開く御幸。木製の、男物の少し大きめな弁当箱を開くと、色とりどりのおかずとご飯が詰まっていた。どれもこれも手作りで、手の込んでいそうな…う、美味そう。光、料理も上手いもんな…。
「ちょっとくれよ」
「だめ」
俺から弁当を隠すように置いて、御幸はいそいそと箸を取り出す。
「いつまで見てんだよ。いくら見てもやらねーから、さっさと飯買って来いよ」
「くっ…テメー、午後練覚えてろよ…」
屈辱を覚えながら席を立った時、ぱたぱたと走ってくる小さな足音が近づいてきた。
「一也さ〜ん!よかった、まだお昼行って…、」
満面の笑みで駆け寄ってきたミカの顔が、ぱっと強張る。
「あ…、今日、お弁当なんですか?珍しいですね…」
明らかに曇った作り笑いでそう言うと、ミカは、手に提げていた紙袋を持ち上げた。
「一也さん、いつも外食だから、栄養偏っちゃうと思って…作ってきたんですけど…」
え…。おいおい、光の嫌な予感当たってるんじゃねーか?女の勘こええ…。
「でも捨てちゃうのももったいないし、よかったらおふたりで食べてください。」
「え…」
「じゃあ私はこれで。」
ミカは強引にテーブルの上に紙袋を置くと、走っていってしまった。俺は御幸と顔を見合わせた後、その紙袋から箱を取り出す。開くと、これまた手の込んだ弁当。御幸を見ると、思い切り困惑の色を顔ににじませて、もそもそと飯を口に運んでいた。
「お前これ、どーすんだよ」
「どうするって……」
「なっさけねーなぁ。バシッと断れよ。」
「……わかってるよ」
煮え切らない御幸にイライラしながら弁当を口に運ぶ。一口大に切った春巻き。うん、美味い。
「美味いぞコレ。」
「お前よく食えるな…」
「じゃあ突っ返してこいっつーのかよ、俺が?お前がやれよ」
「……。」
「うん、でもまぁ……光の手料理の方が美味いな、俺としては。お前ほんといい嫁さんもらったよ。だからさ、悲しませるんじゃねーぞ」
「……。」
御幸は箸を止め、弁当箱の中身をじっと見つめた。
「…わかってる…。」
その声には、御幸の思いが滲むように混ざっていた。
翌日、練習前に通路で行き会った御幸とすれ違って、俺は思わず呼び止めて足を止めた。御幸はスポーツドリンクを口に含んだまま振り返る。
「なんかお前、すげーいいにおいするんだけど」
ごくん、と御幸は喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲みこむと、苦笑する。
「あー…マジか」
自分の腕を鼻の前に上げ、くんくんとにおいをかいで、首を傾げる。自分じゃわからないのだろう。
「そんなにする?」
「けっこーする。すれ違いざまにふわって」
「キツい?」
「いや…いいにおいだしキツくは…お前だからキモいけど」
というか、このにおい、どこかで嗅いだことがあるような…。
「香水つけてんの?」
こいつは香水とかあんまりつけるタイプじゃないと思ってたけど…。それに、男がつけるには甘すぎる。
「いや…出がけに、光にぶっかけられた」
「……。」
あ…そうか。嗅いだことあると思ったけど、これ、光の香水のにおいだ。
つーかそれって…。やきもち?
「昨日のアレのせいか?」
「たぶん…。昨日も帰ってからちょっと機嫌悪くて。朝も無言でいきなりシュッて」
「ふーん…」
俺もそんな風に拗ねられてみてぇなー…なんて。…アホらし。
「で、どうするんだよ?」
「どうするも何も…どうしようもなくね?チームの栄養士とトラブるわけにはいかねーし…」
「…お前ってほんっと、女ったらしだよな」
「…は!?俺が?どこがだよ!」
「そうやって迷惑かけられてもハッキリ断れないところ。」
「……。」
「あっ、いたいた、一也さ〜ん!」
たったった、と軽い足音が近づいて来て、御幸の顔がピクリと固まる。やってきたのは思った通り、御幸のチーム専属の栄養士であるミカで、今日もバッチリ気合の入ったメイクの顔を御幸に向け、笑顔を浮かべる。
「ロッカールームに栄養ドリンク運んでおきましたからね!早く行かないと、一也さんの分まで飲まれちゃいますよ?」
「あ……ウス」
「あははっ、なにそれ〜。もしかして照れてるんですかぁ?おかしい〜」
御幸の顔に困惑が浮かび始める。だからはっきり断れっつってんのにこいつは…。
「あ〜…無駄っすよ。」
呆れながら口を開くと、ミカは目を丸くして俺を見た。
「こいつ、嫁さん一筋できもちわりーくらい溺愛してるんで。そういう色目とか、無駄ですよ。」
ぽかん、と俺を凝視していたミカの目が、だんだんとこわばってくる。
「…えっ?なんですか、それ〜…。私は別にそんな…。ねぇ?一也さん。あはは…変なの」
今まで面と向かって指摘されたことが無かったのだろうか、ミカはしどろもどろになって口ごもると、俺をちょっと睨んで、御幸の傍に寄った。そしてすぐにハッとした顔で御幸を見上げた。…においに気付いたんだろう。おそらく、それを光がしたことも、その理由も。
ミカはちょっと顔をこわばらせて、思いつめたように口を引き締めて、踵を返した。
「じゃあ…私、失礼しますね。」
取り繕ったような笑顔で御幸に微笑み、去っていくミカ。これですっぱり身を引いてくれりゃあいいけど…。
田中茜のときのようなことはもうごめんだ。
御幸は静かなため息を吐いて、ちょっと疲れたような顔をした。
***
「御幸、飯行こうぜ」
自主練をひと段落させ、ロッカールームの前で御幸に声をかけると、御幸は気恥ずかしそうに小さなトートバッグを持ち上げた。
「わり、今日弁当」
「弁当…?」
珍しい…。いや待てよ、この御幸のそわそわした態度…。まさか…
「…まさか光の手作り弁当!?」
「まぁ…」
「なんだよまぁって。いらねーならくれよ」
「だーめ」
御幸は弁当を庇うように抱えると、足早に歩いていく。なんだかんだ嬉しそうだ。
「…でも何で急に弁当?」
「……嫌な予感がするって」
「嫌な予感?」
テーブルに弁当を取出し、包みを開く御幸。木製の、男物の少し大きめな弁当箱を開くと、色とりどりのおかずとご飯が詰まっていた。どれもこれも手作りで、手の込んでいそうな…う、美味そう。光、料理も上手いもんな…。
「ちょっとくれよ」
「だめ」
俺から弁当を隠すように置いて、御幸はいそいそと箸を取り出す。
「いつまで見てんだよ。いくら見てもやらねーから、さっさと飯買って来いよ」
「くっ…テメー、午後練覚えてろよ…」
屈辱を覚えながら席を立った時、ぱたぱたと走ってくる小さな足音が近づいてきた。
「一也さ〜ん!よかった、まだお昼行って…、」
満面の笑みで駆け寄ってきたミカの顔が、ぱっと強張る。
「あ…、今日、お弁当なんですか?珍しいですね…」
明らかに曇った作り笑いでそう言うと、ミカは、手に提げていた紙袋を持ち上げた。
「一也さん、いつも外食だから、栄養偏っちゃうと思って…作ってきたんですけど…」
え…。おいおい、光の嫌な予感当たってるんじゃねーか?女の勘こええ…。
「でも捨てちゃうのももったいないし、よかったらおふたりで食べてください。」
「え…」
「じゃあ私はこれで。」
ミカは強引にテーブルの上に紙袋を置くと、走っていってしまった。俺は御幸と顔を見合わせた後、その紙袋から箱を取り出す。開くと、これまた手の込んだ弁当。御幸を見ると、思い切り困惑の色を顔ににじませて、もそもそと飯を口に運んでいた。
「お前これ、どーすんだよ」
「どうするって……」
「なっさけねーなぁ。バシッと断れよ。」
「……わかってるよ」
煮え切らない御幸にイライラしながら弁当を口に運ぶ。一口大に切った春巻き。うん、美味い。
「美味いぞコレ。」
「お前よく食えるな…」
「じゃあ突っ返してこいっつーのかよ、俺が?お前がやれよ」
「……。」
「うん、でもまぁ……光の手料理の方が美味いな、俺としては。お前ほんといい嫁さんもらったよ。だからさ、悲しませるんじゃねーぞ」
「……。」
御幸は箸を止め、弁当箱の中身をじっと見つめた。
「…わかってる…。」
その声には、御幸の思いが滲むように混ざっていた。