156
ピンポーン…、と静かにインターフォンが鳴った。よく沢村や牧瀬が来るときは、お構いなしにガンガン扉を叩きやがるから、こんな静かな来客は珍しい。
不思議に思いながら扉を開けて、俺は息をのんだ。
白いワンピース姿の光。俺が声をかけるより先に、光は俺に抱き着いて来て、ふたりで部屋の中になだれ込む。
気付けばベッドに押し倒されて、俺は動揺したまま光を見つめる。もどかしげに甘い息を吐き、俺の体に手を這わせる光…。
「ちょ…、ま、待て…、なんで…」
その細い腕を掴んで、肌の滑らかさに驚く。しかし同時に思い出す。そうだ、彼女の柔らかさ…、吸い付くような白い肌…。この温もり。もう一度触れたかった、この肌。
「…好きなの…」
光は俺を見上げ、うるんだ瞳で見つめる。
「ずっと…好きだったの…」
「…え…?」
「…抱いて…。」
するり、と彼女の細い肩からワンピースの肩ひもが落ちる。そして露わになるふたつの膨らみと、桜色の突起が…俺の中に強烈な熱をもたらした。
夢中で彼女に覆いかぶさり、肌を舐め、弄り、その甘い声に酔いしれる。光。…光。はぁ、なんて…綺麗なんだ。好きだ。ずっと好きだ。ずっと…。
彼女の細い腰に手を添えて、薄紅色の傷跡を親指で撫で、くすぐったがる彼女の微笑に眩暈を覚えながら、俺は腰を深く沈める。…熱い。この熱…窮屈な柔らかさ。彼女のくぐもった声…。あーもう…、何も考えられねぇ…。
「あんっ……んっ……、あっ……」
可愛い声だな…。白い首筋には汗が浮かび、甘い香りを漂わせて俺を誘う。その濡れた赤い唇が、柔らかそうに少し開いて声を漏らし、俺はそこへと口を近づける。
「光…、」
キスをしたくて彼女の名前を呼ぶと、彼女は喘ぎながら、余裕のない顔で俺を振り向き、愛おしげに微笑む。
「っはぁ…、あっ……、もっと…、」
「ん…、はぁ…、はぁっ…」
「っ、好き…、好きです…」
「…あぁ、…俺も…っ」
「…一也さん…」
「…!!!」
はっ、と息をのんで、急浮上したようにはっきりと目が覚めた。静かな薄暗い部屋の天井が見える。いつもどおりの自分の部屋。もちろん、光はおろか、自分の他に誰もいない。
がっくりと自己嫌悪すると同時に、下半身に不快な違和感を覚える。じっとりと肌に張り付く布の気持ち悪い感触…まじかよ。
「…はぁーー…、中坊かよ…」
いい歳して夢精とか…ダセェ…。朝から最悪な気分だ。夢の中は最高だったけど……オチさえなければ。
さっさと後始末をしてシャワーを浴び、出かける準備をする。今日は大手スポンサー主催の懇親パーティー…という名の飲み会だ。といってもホテルの大広間を貸し切って、球団関係者をはじめとして、それぞれ家族や知り合いなど同伴者を呼んでも良い事になっているから、かなりの規模になるはずだ。
めんどくせぇけど…久々に懐かしい顔にも会えるかもしれないし、行くか。
スーツに着替え、部屋を後にする。車に乗り込み、エンジンをかけ、俺はホテルに向かった。
***
「倉持。」
広間に入るなり、俺に声をかけてきた長身の男を見上げ、ヒャハ、と笑いがこぼれる。
「哲さん!来てたんすね」
「ああ。将司も来るぞ。それから…さっき亮介に会った。」
「ヒャハハ。結局いつもの面子ですね。」
「そうだな。」
哲さんと少し歓談して別れると、俺は広間の中を見渡した。ごった返す人混みの中に、ちらほらと知った顔が見える。真田に轟、梅宮、美馬…。高校時代からの知り合いたち。まぁ、当時はそんな話とかしたわけじゃねーけど。
酒でももらおうか、と考えていると、周囲が急にどよめいた。何事かと振り返って、その原因に納得する。
たった今広間に入ってきた、スーツ姿の御幸の腕に掴まって、朗らかに微笑んでいる光。濃紺の上品なワンピースに真っ白な肌が良く映える。一瞬で周りの目を惹く、お似合いの二人…。高校時代からずっとそうだった。そして、これからも…。
「あっ!光ちゃんじゃん!!」
大きな声が響き渡り、光はきょとんと、御幸はゲッと顔をゆがめて立ち止まる。その二人の元に大手を振って駆け寄ったのは、成宮鳴。…御幸が眼中に入ってねェ…。
成宮は光に可愛いだの会いたかっただの言いながら付きまとい、光は苦笑して、御幸は本気で鬱陶しそうに成宮を引きはがそうとする。メンタルつええ奴だな。…いや、俺もか。
「一也さ〜ん!」
と、そこへ飛び入る浮かれた声。…今度は御幸だけじゃなく、光の笑顔も固まった。
駆け寄って行ったのは…予想通り、黒髪に小麦色の肌の、健康的な美女。ミカ。太腿まで大きくスリットが入った色っぽい白いドレスを着ている。お人形のような清楚でクラシカルなワンピースドレスの光とはこれまた対照的だ。
「待ってたんですよ〜!あっちに球団の人みんな集まってますから!ね、行きましょう!」
そう快活に、あくまで自然に装って御幸を連れていこうとするミカを、光はちらりと見つめると、掴んでいた御幸の腕をぐいと抱き寄せた。む…胸に…。
「一也さん、まずスポンサーさんに挨拶しに行きましょう。お友達の所に行くのはその後で…」
その言葉を聞き、ミカはふふっとわざとらしく噴き出した。
「やだ〜、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ!光さんこういうところ初めてだから知らないかもしれないけど、結構カジュアルな飲み会と変わりませんから!」
まるで光が無知だとでも言うかのような言いぐさ。恥をかかせようとしているのか、単純にプライドのままに言葉を発しているのか…両方かな。しかし俺は知っている。光はこういう女に滅法強いんだってこと…。
「そうなんですか。教えてくれてありがとうございます。でも…ごめんなさい、一也さん。一緒に挨拶に行ってくれませんか?お世話になってるスポンサーさんに、妻として一言ご挨拶しておきたいんです。」
…堂々と、光は顔色一つ変えずに、微笑みすら浮かべてミカに言い返した。…妻として。その言葉がはっきりと伝えられると、ミカは表情から余裕が消え、ちょっと光を睨んで佇んだ。
ふたりの間に火花が散っているように見える。
「そ…そうだな、行くか、挨拶。」
御幸はその空気をはぐらかすように光を連れて立ち去ろうとした。周りの奴らは…成宮ですら、事の成り行きを黙って見守っている。
「面白いことになってんじゃん。」
「うお!?」
ぬっ、と突然隣に現れた亮さんに心臓が跳ねる。亮さんは、ワイングラスを片手ににんまりと俺を見上げた。
「あの黒髪美女は誰なの?」
「え…、あ、えーと、御幸のチームの専属栄養士ですよ。ミカさんっていう…。」
「ふーん。相変わらずモテるねアイツ。腹立つなぁ。」
…それは同意。
「洋一!洋一ってば!」
「あ…、あぁ?」
大声で俺を呼びながら、成宮がずんずん近づいてきた。
「あの子誰!?一也の浮気相手?」
「声デケェよ…御幸のチームの専属栄養士だよ。」
「専属栄養士?」
ちらり、と成宮はミカを振り返る。
「ずる!!一也のチームの栄養士、あんな美人なの!?俺んとこオッサンなんだけど!!」
「知らねーよ…」
「ほんとずるいよね一也って!!高校の時も青道は可愛いマネとかいてさぁ!コーチも巨乳美女だし!光ちゃんと付き合ったのだって…」
大声で愚痴を言い始める成宮にうんざりしながら、遠くでスポンサーのお偉いさんたちに挨拶をしている御幸と光を見る。生の玉城光を目の前にして、お偉いおっさん共の頬は緩みきっている。
「いや〜でも光ちゃん、やっぱ最高だな!」
「…は?」
愚痴に区切りをつけ、突然しみじみと呟く成宮。い…嫌な予感しかしねェ…。
「綺麗な笑顔なのに言ってる事はどす黒くてさぁ!俺気の強い子大好きなんだよね!特に美人は!」
「……。」
「いや〜、でも美人の凄み顔ってめちゃコエーのな!あはは!」
こ…こいつ…。筋金入りだ…。
「成宮お前、まだ玉城光に執着してんの?」
呆れたように亮さんが言う。…今の言葉、俺の胸にも深く刺さったぜ…。
「当たり前じゃん!俺は欲しいと思ったら絶対あきらめねーの!」
「言ってることはかっこいいけどさ、実際お前眼中にないじゃん。」
「…それはそうかもしれないけど」
…お?成宮がそんな風に認めるなんて珍しい。
「でもだからって、他にあんなキレーな子、俺知らないもんね。」
堂々と言い放った成宮の横顔は、どこかすがすがしくて。だけど、その気持ち…なんだかわかる気がした。報われないとわかっていても、光の魅力は…抗いようがなくて。圧倒的な美貌と芯の通った精神力、他の何にも代えがたい特別な輝き…。もう、好きなもんは好きなんだって、開き直るしかねーんだ。
「…そうかも、じゃなくて、そうなんだよ。」
「うるせーな!いーんだよ細かいことは!」
「つーか俺、先輩なんだけど。なんでタメ口なわけ?」
亮さんの突っ込みに反論した成宮は、思わぬ反撃を喰らってうっと黙り込む。
「兄貴!洋さん!」
と、そこへ明るい声で呼びながらやって来たのは春市。
「なんだ、お前も来たの?」
亮さんはそう言いつつも少し嬉しそうだ。お互い別のチームにプロ入りして、あまり会う事もないのだろう。俺も春市に会ったのは久しぶりだ。
「うん、今合同練習でこっちに泊まってるから…せっかくだし。洋さん、お久しぶりです。」
「おー、元気そうだな。」
俺に挨拶したところで春市が成宮を見ると、成宮は既に春市をまじまじと眺めていた。
「うわ〜〜、相変わらずそっっくり!」
「あはは…。成宮さんも、お久しぶりです。」
困ったように笑う春市と、鬱陶しそうに眉を寄せる亮さん。
「あの、今日御幸さんも来てますか?」
もともとそれを聞きに来たかのように、春市が切り出した。
「?ああ、来てるぜ。」
「あっ、よかった。渡したいものがあって…。」
「?」
俺と亮さんは顔を見合わせ、ジャケットの内ポケットから何かを取り出す春市に注目する。
「これなんですけど…。」
春市が取り出したのは、赤いヘアクリップ。なんだか見覚えがある…。
「これ…光の髪留め?」
「あ、はい、そうです。」
「は?」
何でもないことのように頷いた春市に、亮さんが低い声で凄んだ。
「何でお前がこんなの持ってるの?まさか玉城光と仲良いわけ?」
「え…?えーと、たまに栄純君の家に同級生で集まって飲むときに、牧瀬さんと一緒に来るんだよ。それでこの間、それを忘れていったみたいで…」
「何それ?俺初めて聞いたんだけど?」
「あ…兄貴、どしたの?こわいよ。」
ま…まじか。春市がまさかそんな接点を持っていたなんて。ノーマークだったぜ…。
「…つか、それなら御幸じゃなくて本人に渡せば?今日光も来てるぜ。」
「え、ほんとですか?」
「ああ、あそこに…」
先程まで御幸達がいた方を見ると、二人は挨拶も終えて、ワイングラスを片手にパーティー会場を歩きはじめていた。…本当に絵になる。光をエスコートして歩く御幸。その様子は、まるで外国の映画のようだ。
「あ、ほんとだ。おーい、光ちゃん!」
光……“ちゃん”!!?呆気にとられる俺と亮さん、…と、成宮。春市は御幸達の方へ駆け寄って、髪留めを手渡すと、足早に戻ってきた。
「ふー、渡せて良かった。」
「ふー、じゃないよ、春市。ちょっとこっちにこい。」
「え?」
「お前にはいろいろと聞くことがある。」
「え…、え!?」
亮さんと成宮に連行されていく春市。助けを求めるように俺を振り返る。
「頑張れ春市。骨は拾ってやるぜ。ヒャハハ」
「え…!ちょっと、どういう意味ですか!?」
成宮はともかく、亮さんを止めるのは俺には無理だ。給仕にワイングラスをもらって、ふと御幸達の方を眺める。ふたりは楽しげに笑い合って、御幸が何かを言い、光は嬉しそうに頷いて、見つめ合う。偉いさん方への挨拶は一通り済んだだろうに、一向にチームメイトたちの輪に行く様子が無い御幸。まぁ、光を連れていったら散々からかわれて羨まられて…もみくちゃになりそうだもんな。この間みたいに。
「一也さ〜ん!」
と、そこへ性懲りもなく飛び入る女……ミカ。ほんと何が目的なんだ、あいつは。まさか御幸を略奪できるとでも思ってる…わけねーし。…まさかな。
三人の様子をそのまま見ていると、次第に空気が張りつめ、光とミカが対峙するように立つ。間に挟まれる御幸。その情けない姿を堪能してやろうかとも思ったけど…。俺は空になったワイングラスを置き、三人の元へとゆったり歩いて行った。
不思議に思いながら扉を開けて、俺は息をのんだ。
白いワンピース姿の光。俺が声をかけるより先に、光は俺に抱き着いて来て、ふたりで部屋の中になだれ込む。
気付けばベッドに押し倒されて、俺は動揺したまま光を見つめる。もどかしげに甘い息を吐き、俺の体に手を這わせる光…。
「ちょ…、ま、待て…、なんで…」
その細い腕を掴んで、肌の滑らかさに驚く。しかし同時に思い出す。そうだ、彼女の柔らかさ…、吸い付くような白い肌…。この温もり。もう一度触れたかった、この肌。
「…好きなの…」
光は俺を見上げ、うるんだ瞳で見つめる。
「ずっと…好きだったの…」
「…え…?」
「…抱いて…。」
するり、と彼女の細い肩からワンピースの肩ひもが落ちる。そして露わになるふたつの膨らみと、桜色の突起が…俺の中に強烈な熱をもたらした。
夢中で彼女に覆いかぶさり、肌を舐め、弄り、その甘い声に酔いしれる。光。…光。はぁ、なんて…綺麗なんだ。好きだ。ずっと好きだ。ずっと…。
彼女の細い腰に手を添えて、薄紅色の傷跡を親指で撫で、くすぐったがる彼女の微笑に眩暈を覚えながら、俺は腰を深く沈める。…熱い。この熱…窮屈な柔らかさ。彼女のくぐもった声…。あーもう…、何も考えられねぇ…。
「あんっ……んっ……、あっ……」
可愛い声だな…。白い首筋には汗が浮かび、甘い香りを漂わせて俺を誘う。その濡れた赤い唇が、柔らかそうに少し開いて声を漏らし、俺はそこへと口を近づける。
「光…、」
キスをしたくて彼女の名前を呼ぶと、彼女は喘ぎながら、余裕のない顔で俺を振り向き、愛おしげに微笑む。
「っはぁ…、あっ……、もっと…、」
「ん…、はぁ…、はぁっ…」
「っ、好き…、好きです…」
「…あぁ、…俺も…っ」
「…一也さん…」
「…!!!」
はっ、と息をのんで、急浮上したようにはっきりと目が覚めた。静かな薄暗い部屋の天井が見える。いつもどおりの自分の部屋。もちろん、光はおろか、自分の他に誰もいない。
がっくりと自己嫌悪すると同時に、下半身に不快な違和感を覚える。じっとりと肌に張り付く布の気持ち悪い感触…まじかよ。
「…はぁーー…、中坊かよ…」
いい歳して夢精とか…ダセェ…。朝から最悪な気分だ。夢の中は最高だったけど……オチさえなければ。
さっさと後始末をしてシャワーを浴び、出かける準備をする。今日は大手スポンサー主催の懇親パーティー…という名の飲み会だ。といってもホテルの大広間を貸し切って、球団関係者をはじめとして、それぞれ家族や知り合いなど同伴者を呼んでも良い事になっているから、かなりの規模になるはずだ。
めんどくせぇけど…久々に懐かしい顔にも会えるかもしれないし、行くか。
スーツに着替え、部屋を後にする。車に乗り込み、エンジンをかけ、俺はホテルに向かった。
***
「倉持。」
広間に入るなり、俺に声をかけてきた長身の男を見上げ、ヒャハ、と笑いがこぼれる。
「哲さん!来てたんすね」
「ああ。将司も来るぞ。それから…さっき亮介に会った。」
「ヒャハハ。結局いつもの面子ですね。」
「そうだな。」
哲さんと少し歓談して別れると、俺は広間の中を見渡した。ごった返す人混みの中に、ちらほらと知った顔が見える。真田に轟、梅宮、美馬…。高校時代からの知り合いたち。まぁ、当時はそんな話とかしたわけじゃねーけど。
酒でももらおうか、と考えていると、周囲が急にどよめいた。何事かと振り返って、その原因に納得する。
たった今広間に入ってきた、スーツ姿の御幸の腕に掴まって、朗らかに微笑んでいる光。濃紺の上品なワンピースに真っ白な肌が良く映える。一瞬で周りの目を惹く、お似合いの二人…。高校時代からずっとそうだった。そして、これからも…。
「あっ!光ちゃんじゃん!!」
大きな声が響き渡り、光はきょとんと、御幸はゲッと顔をゆがめて立ち止まる。その二人の元に大手を振って駆け寄ったのは、成宮鳴。…御幸が眼中に入ってねェ…。
成宮は光に可愛いだの会いたかっただの言いながら付きまとい、光は苦笑して、御幸は本気で鬱陶しそうに成宮を引きはがそうとする。メンタルつええ奴だな。…いや、俺もか。
「一也さ〜ん!」
と、そこへ飛び入る浮かれた声。…今度は御幸だけじゃなく、光の笑顔も固まった。
駆け寄って行ったのは…予想通り、黒髪に小麦色の肌の、健康的な美女。ミカ。太腿まで大きくスリットが入った色っぽい白いドレスを着ている。お人形のような清楚でクラシカルなワンピースドレスの光とはこれまた対照的だ。
「待ってたんですよ〜!あっちに球団の人みんな集まってますから!ね、行きましょう!」
そう快活に、あくまで自然に装って御幸を連れていこうとするミカを、光はちらりと見つめると、掴んでいた御幸の腕をぐいと抱き寄せた。む…胸に…。
「一也さん、まずスポンサーさんに挨拶しに行きましょう。お友達の所に行くのはその後で…」
その言葉を聞き、ミカはふふっとわざとらしく噴き出した。
「やだ〜、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ!光さんこういうところ初めてだから知らないかもしれないけど、結構カジュアルな飲み会と変わりませんから!」
まるで光が無知だとでも言うかのような言いぐさ。恥をかかせようとしているのか、単純にプライドのままに言葉を発しているのか…両方かな。しかし俺は知っている。光はこういう女に滅法強いんだってこと…。
「そうなんですか。教えてくれてありがとうございます。でも…ごめんなさい、一也さん。一緒に挨拶に行ってくれませんか?お世話になってるスポンサーさんに、妻として一言ご挨拶しておきたいんです。」
…堂々と、光は顔色一つ変えずに、微笑みすら浮かべてミカに言い返した。…妻として。その言葉がはっきりと伝えられると、ミカは表情から余裕が消え、ちょっと光を睨んで佇んだ。
ふたりの間に火花が散っているように見える。
「そ…そうだな、行くか、挨拶。」
御幸はその空気をはぐらかすように光を連れて立ち去ろうとした。周りの奴らは…成宮ですら、事の成り行きを黙って見守っている。
「面白いことになってんじゃん。」
「うお!?」
ぬっ、と突然隣に現れた亮さんに心臓が跳ねる。亮さんは、ワイングラスを片手ににんまりと俺を見上げた。
「あの黒髪美女は誰なの?」
「え…、あ、えーと、御幸のチームの専属栄養士ですよ。ミカさんっていう…。」
「ふーん。相変わらずモテるねアイツ。腹立つなぁ。」
…それは同意。
「洋一!洋一ってば!」
「あ…、あぁ?」
大声で俺を呼びながら、成宮がずんずん近づいてきた。
「あの子誰!?一也の浮気相手?」
「声デケェよ…御幸のチームの専属栄養士だよ。」
「専属栄養士?」
ちらり、と成宮はミカを振り返る。
「ずる!!一也のチームの栄養士、あんな美人なの!?俺んとこオッサンなんだけど!!」
「知らねーよ…」
「ほんとずるいよね一也って!!高校の時も青道は可愛いマネとかいてさぁ!コーチも巨乳美女だし!光ちゃんと付き合ったのだって…」
大声で愚痴を言い始める成宮にうんざりしながら、遠くでスポンサーのお偉いさんたちに挨拶をしている御幸と光を見る。生の玉城光を目の前にして、お偉いおっさん共の頬は緩みきっている。
「いや〜でも光ちゃん、やっぱ最高だな!」
「…は?」
愚痴に区切りをつけ、突然しみじみと呟く成宮。い…嫌な予感しかしねェ…。
「綺麗な笑顔なのに言ってる事はどす黒くてさぁ!俺気の強い子大好きなんだよね!特に美人は!」
「……。」
「いや〜、でも美人の凄み顔ってめちゃコエーのな!あはは!」
こ…こいつ…。筋金入りだ…。
「成宮お前、まだ玉城光に執着してんの?」
呆れたように亮さんが言う。…今の言葉、俺の胸にも深く刺さったぜ…。
「当たり前じゃん!俺は欲しいと思ったら絶対あきらめねーの!」
「言ってることはかっこいいけどさ、実際お前眼中にないじゃん。」
「…それはそうかもしれないけど」
…お?成宮がそんな風に認めるなんて珍しい。
「でもだからって、他にあんなキレーな子、俺知らないもんね。」
堂々と言い放った成宮の横顔は、どこかすがすがしくて。だけど、その気持ち…なんだかわかる気がした。報われないとわかっていても、光の魅力は…抗いようがなくて。圧倒的な美貌と芯の通った精神力、他の何にも代えがたい特別な輝き…。もう、好きなもんは好きなんだって、開き直るしかねーんだ。
「…そうかも、じゃなくて、そうなんだよ。」
「うるせーな!いーんだよ細かいことは!」
「つーか俺、先輩なんだけど。なんでタメ口なわけ?」
亮さんの突っ込みに反論した成宮は、思わぬ反撃を喰らってうっと黙り込む。
「兄貴!洋さん!」
と、そこへ明るい声で呼びながらやって来たのは春市。
「なんだ、お前も来たの?」
亮さんはそう言いつつも少し嬉しそうだ。お互い別のチームにプロ入りして、あまり会う事もないのだろう。俺も春市に会ったのは久しぶりだ。
「うん、今合同練習でこっちに泊まってるから…せっかくだし。洋さん、お久しぶりです。」
「おー、元気そうだな。」
俺に挨拶したところで春市が成宮を見ると、成宮は既に春市をまじまじと眺めていた。
「うわ〜〜、相変わらずそっっくり!」
「あはは…。成宮さんも、お久しぶりです。」
困ったように笑う春市と、鬱陶しそうに眉を寄せる亮さん。
「あの、今日御幸さんも来てますか?」
もともとそれを聞きに来たかのように、春市が切り出した。
「?ああ、来てるぜ。」
「あっ、よかった。渡したいものがあって…。」
「?」
俺と亮さんは顔を見合わせ、ジャケットの内ポケットから何かを取り出す春市に注目する。
「これなんですけど…。」
春市が取り出したのは、赤いヘアクリップ。なんだか見覚えがある…。
「これ…光の髪留め?」
「あ、はい、そうです。」
「は?」
何でもないことのように頷いた春市に、亮さんが低い声で凄んだ。
「何でお前がこんなの持ってるの?まさか玉城光と仲良いわけ?」
「え…?えーと、たまに栄純君の家に同級生で集まって飲むときに、牧瀬さんと一緒に来るんだよ。それでこの間、それを忘れていったみたいで…」
「何それ?俺初めて聞いたんだけど?」
「あ…兄貴、どしたの?こわいよ。」
ま…まじか。春市がまさかそんな接点を持っていたなんて。ノーマークだったぜ…。
「…つか、それなら御幸じゃなくて本人に渡せば?今日光も来てるぜ。」
「え、ほんとですか?」
「ああ、あそこに…」
先程まで御幸達がいた方を見ると、二人は挨拶も終えて、ワイングラスを片手にパーティー会場を歩きはじめていた。…本当に絵になる。光をエスコートして歩く御幸。その様子は、まるで外国の映画のようだ。
「あ、ほんとだ。おーい、光ちゃん!」
光……“ちゃん”!!?呆気にとられる俺と亮さん、…と、成宮。春市は御幸達の方へ駆け寄って、髪留めを手渡すと、足早に戻ってきた。
「ふー、渡せて良かった。」
「ふー、じゃないよ、春市。ちょっとこっちにこい。」
「え?」
「お前にはいろいろと聞くことがある。」
「え…、え!?」
亮さんと成宮に連行されていく春市。助けを求めるように俺を振り返る。
「頑張れ春市。骨は拾ってやるぜ。ヒャハハ」
「え…!ちょっと、どういう意味ですか!?」
成宮はともかく、亮さんを止めるのは俺には無理だ。給仕にワイングラスをもらって、ふと御幸達の方を眺める。ふたりは楽しげに笑い合って、御幸が何かを言い、光は嬉しそうに頷いて、見つめ合う。偉いさん方への挨拶は一通り済んだだろうに、一向にチームメイトたちの輪に行く様子が無い御幸。まぁ、光を連れていったら散々からかわれて羨まられて…もみくちゃになりそうだもんな。この間みたいに。
「一也さ〜ん!」
と、そこへ性懲りもなく飛び入る女……ミカ。ほんと何が目的なんだ、あいつは。まさか御幸を略奪できるとでも思ってる…わけねーし。…まさかな。
三人の様子をそのまま見ていると、次第に空気が張りつめ、光とミカが対峙するように立つ。間に挟まれる御幸。その情けない姿を堪能してやろうかとも思ったけど…。俺は空になったワイングラスを置き、三人の元へとゆったり歩いて行った。