「洋一っ!!」

慌てふためくお袋に為す術なく抱きしめられて、ぐぇ、と苦しいうめき声が漏れる。

「おい…骨折してんだよ、乱暴に扱うな」
「ほんとにあんたはもー!!心配したんだから!!」

強がりながらも、耳元でうるさいほど響く母親の聞き慣れない涙声に戸惑った。

「…ごめん。」
「無事なんだよね?怪我はどうなの?」
「平気だよ。リハビリすれば…」

そう…、とようやく落ち着きを取り戻すお袋。いつのまにかちょっと老けて、小さくなったように見える。

「すぐに来てあげられなくてごめんね。」
「いいよ、仕事だったんだろ。今日は大丈夫なのかよ?」
「…しばらくお休みをもらうつもり。あんたの看病しなきゃだもの。どうせあんた、看病してくれるような彼女もいないんでしょ」
「……。」

俺が黙り込むと、お袋は病室内を見渡した。

「何かいるものある?着替えとかはどうしてるの?」
「…平気だよ。」
「何が平気なのよ。あんたのマンションに取りに行くから鍵貸しなさい。」
「だから、平気だって。もう持って来てあるし…全部やってもらってるから」
「え…ちょっと待って、誰に?」

お袋の興味津々の視線…。たまらず目を逸らすと、にわかに顔が熱くなった。

「え…!?ま…、まさか、彼女!?」
「う…うるせえな、ちげーよ!」
「でも看病してくれてる子がいるのね!?どこ!?挨拶しなくちゃ!」
「だからそんなんじゃねーって!やめろ!…っ、」

大声を上げて、傷が痛んで蹲る。

「はぁ…。いつまでも彼女できなくて心配してたけど、あんたも隅に置けないのねぇ…」
「うっせ!気色わりー事言ってんじゃねー」

お袋に悪態を吐いていると、部屋のドアがノックされた。ま…まさか。
焦る俺。笑顔を輝かせるお袋。い…今光が来たらまずい。いや、まずくはないか…?お袋は当然、光と御幸の事を知ってるわけだし…。いや、でもまずい気がする。

「はーい、どうぞー!」
「おいちょっと、まっ…」

上機嫌で返事をするお袋を止める間もなく、ドアが開く。そこには…光、そして御幸が立っていた。

「あら…一也君!それに…」

お袋の視線が光に移る。光は俺とお袋を交互に見て、笑顔を浮かべる。

「あ…はじめまして。こんにちは…」
「た…玉城光!!…ちゃん!!」

お袋が光を知ったのは芸能人になってからだから、有名人の突然の登場に跳び上がるように驚いた。

「きゃーっ初めまして!やだ!やっぱりすごい綺麗ねぇ!!やだもー、一也君たらこんな綺麗な子をお嫁さんにもらっちゃって!うちの洋一なんていつまでもフラフラして…」
「いや〜はっはっは…」
「うるせーよ!大きなお世話だ!」

ピロピロピロ、と聞き慣れない電子音が響き、一同口を噤んだ。バッグから携帯を取り出したのはお袋で、ちょっとごめんなさいね、と病室を出て行く。

「…で、どうなんだよ、調子は」

椅子に腰かけ、御幸が神妙な顔で言った。

「別に…どうってことねーよ。すぐ治る…」
「……。」
「……。」
「……倉持、」
「…うるせえ…ほっとけ」

思いがけず目頭が熱くなって、俺は俯く。…調子はどうかって?そんなのわからない。俺はいつになったら…また野球ができるんだ?

「昨日の試合…、うちが勝った。」
「……。」

鼻を啜り、天井を仰いで涙を飲みこむ。

「そーかよ。…やっぱ俺がいないとダメだな。」
「そうだよ。」

なにいってんだよ、と言われるつもりで冗談を言ったのに、御幸ははっきりと肯定した。

「だから、絶対戻ってこいよ。」
「……。」

やめろよ…優しくしないでくれ。いつもみたいに糞ムカつくお前でいてくれよ。泣きたくないんだ。お前や、光の前で。

「言われなくても…」

そう言いかけて、言葉に詰まった俺を、御幸は抱き寄せた。こいつに慰められるなんて…最悪だ。

「いてえよ…クソメガネ」

悪態を吐いて、何とか涙を飲みこむ。背中を軽く叩かれて、その衝撃も和らがぬうちに身を離すと、お袋が病室に戻ってきた。

「洋一…。」

その顔を見て、ピンとくる。

「もう帰れよ。仕事、忙しいだろ。」
「だけど…」
「俺は大丈夫だから。」
「…何かあったら電話するのよ。」
「わかってるよ。」

追い出すようにあしらうと、お袋は全くもう、とため息を吐いて、御幸と光に何度も頭を下げて、ようやく帰って行った。

「…亮さんたちが、明日見舞いに来るって言ってたぞ。」

部屋が静かになると、御幸が思い出したように言った。

「…遠いんだからわざわざいいのに」
「皆心配してんだよ。素直にありがたがっとけ」
「……。」

「…一也さん、そろそろ…」
「…あ、そうだな」

光が声をかけると、御幸は腕時計を見て立ち上がった。

「じゃあ倉持。お大事にな」
「また来ますね。」
「ああ…ありがとう」

ふたりが部屋を出て行くと、やることもなくて、俺は目を閉じた。そして気付かないうちに、眠りに落ちた。


***


「失礼しま〜す…」
「失礼します…」

囁くような声が聞こえる。…牧瀬と光か?まだぼんやりとする頭でそんなことを考える。

「…寝てる?」
「うん…。もうすぐ食事の時間だし、それまで待ってようか。」

そんな会話が聞こえてきて、俺はつい狸寝入りをする。ベッドのすぐ近くに二人が座ったような気配がし、にわかに緊張した。

「わ〜。倉持さんの寝顔初めて見た。」
「…あんまり見ないの。」
「だってぇ。レアじゃない。黙ってると結構かっこいいよねぇ、倉持さんも。」
「司…怒られるよ。」

ほんとだよ。後で覚えてろよ牧瀬。

「ていうか、なんで光がお世話してるの?」
「…他にいないじゃない。倉持さんにはお世話になってるし…」
「でもさぁ。御幸さん怒らないの?」
「何で怒るの?」
「だって倉持さん、光のこと好きでしょ?光もそれ、知ってるでしょ。」

…急に核心を突くような話をする牧瀬。こいつらいつもこんなこと話してるのか?心臓に悪い…。

「今は大変な時なんだよ?そんなこと気にしてられないでしょ。」
「それはそうだけどさぁ…。倉持さんは気にしてると思うよぉ。っていうか、意識してる…、かな?」
「…そんなことない。」
「あるよぉ。どうするの、倉持さんが期待しちゃったら。」
「ないってば。」
「そんなこと言って。…光、本当は倉持さんのこと…」

胸がギュッと苦しくなった。その先は…聞きたくない。

「…司。変なこと言わないでよ。」

光の静かな声が部屋の静寂を呼び戻した。

「…倉持さん、起きちゃうでしょ。」

牧瀬はそう言われると黙った。
それからどれ蔵の時間が経ったのか、にわかに部屋の外が騒がしくなって、俺は自然に目を開けた。

「倉持さーん。お昼食べられますかー?」

看護師が元気よく部屋に入ってきて、助かった、と思う。俺が起きたことに気付いた光が、昨日と同じように俺の体を起こしてくれて、食事の準備を始める。

「…お前ら、仕事は?」
「中抜けしてきたんですよ!本当にもう、光から聞いてびっくりしましたよ!生きててよかった〜。」
「あー、そう。」
「ちょっと、せっかくお見舞いに来たのに冷たすぎません!?」

わめく牧瀬を放っておいて、光はベッドに机を取り付けて食事を並べると、箸を手に取った。

「倉持さん。」
「ん…、あぁ。」

こっぱずかしくなりながら光に食事を口に運んでもらう。その様子を牧瀬はぽかんと口を開けたまま眺め、目を丸く見開いた。

「えっ…?光にあーんしてもらってるんですか!?羨ましい!!」
「うるせーな…!両手使えないんだからしょうがねーだろ!羨ましいって何だよ」

やっぱり言われると思った…!くそ、恥ずかしい!
食事を終えると、光はトレーを持って立ち上がる。

「じゃあ…また夜に来ますね。」
「いや…いいよ、そんなに来てくれなくても。光も忙しいだろ。」
「大丈夫です。私が何かしたいだけですから。」

どうして?とは聞けない小心者…。戸惑っているうちに、光は牧瀬と連れ立って出て行ってしまう。
俺は深いため息をついて、枕に背を持たれた。


***


夜になると、光は言った通りやって来た。部屋に来るなり洗面器にお湯を用意して、タオルと着替えを持ってくる。

「倉持さん、体、拭きますよ。」
「……あのさ」

俺は身を起こされながら口を開く。甘い香り…柔らかい肌。もう、限界だ。

「もう…帰れよ。」
「え?」
「明日からも…来なくていい。着替えは沢村に持って来させるし…介助も看護師にやってもらうからよ」
「……。」

光は目を伏せて何か考えるように黙り込んだ後、俺を見た。

「…迷惑、ですか?」

ちょっと迷ったように言うその言葉に少しの違和感を感じながら、俺は咄嗟に首を横に振る。

「いや、迷惑とかじゃ…」

そう言いかけると、光は慌てた様に口を開いた。

「あ…違うんです、ごめんなさい」
「…え?」
「私……。」

光は息苦しそうに、そして泣きそうな目で苦笑して、タオルを手で弄んだ。

「…わざと、こんなこと言って」
「……?」
「迷惑とか…倉持さんが、優しいのを知ってて…ズルい言い方をして…」
「……。」
「…倉持さんの助けになりたいんです。倉持さんがしてくれたみたいに。」
「……。」
「…上、脱がしますね」

光は慣れた手つきでパジャマのボタンを外していく。俺の裸を見ても同様はしない。御幸で見慣れているから…だけど、俺は違う。女に服を脱がされることも、こんなふうに下着姿になることも、ない。しかも、光のことがずっと好きで…だから、こんなふうに肌が触れ合うのは、まずい。
光がズボンに手をかけ、下ろした。腹の奥からぎゅうっと何かがこみあげ、苦しくなる。やばい…やばい。

「…やめろ!」
「え…?」

…もうだめだ。もう…
光の手が止まり、視線が降りる。…見るな。見ないでくれ…
俺は布団を引っ張り上げ、左手が痛むのもかまわずに抱え込んだ。

「もう帰ってくれ…」
「…倉持さん」
「帰ってくれよ!」

これ以上情けない姿を晒したくない。だから…。

「…嫌です」

光は頑として動かなかった。

「…光。俺は…」
「……。」
「…知ってるだろ。俺は…お前のことが好きで…だから、どうしても…考えちまう。もう、嫌なんだよ。」
「……。」
「お前にその気がないのもわかってる。だから…こんな風にされると、触れられないのが…苦しい。」

…苦しい。その言葉をようやく口にできて、俺は心から安堵した。
そうだ。俺は…苦しい。ずっと。光を好きでいる限り、永遠に逃れられない。この痛みからは…。

「…倉持さん。私…もう、昔、一緒に倉庫に隠れた時みたいな…子供じゃないんですよ。」
「…え?」
「倉持さんが何を考えてるか…今は少しだけ、わかります。」
「……。」
「…男の人が…どんなことを、考えるのか」
「…なっ、なにを…」

光は俺の手から布団を抜き取り、ゆっくりと捲った。露わになった下着一枚の下半身は、しっかりと硬くなったそれが下着の下で主張していて、光はそれを見つめると、ベッドに腰掛けて下着に手をかけた。

「おい!…何する気だよ…」
「…倉持さん、自分じゃできないでしょ。」

そう言うと、光は下着をずらした。曝け出された一物に、小さくてきれいで柔らかな手が添えられて、思わずびくりと身が竦む。

「生理現象なんだから…しょうがないです」

光はそう呟いて、そっと一物を手で柔らかく包み込み、しごきはじめた。丁寧に、優しく、だんだんと早く。…やばいくらい気持ちいい。光が俺のをしごいてる光景ってだけでやばいけど…。だけど、これはきっと、御幸から教わった…。

「…っ」
「気持ちいいですか?」
「……わかってるのかよ…こんなことして…御幸にバレたら…」
「そうですね。」

本当にわかってるのか…?どういうつもりなんだ?これは夢なのか?
混乱しながらも、快楽には逆らえない。しかも、夢にまで見た、光に…。こんなの、冷静でいられるはずがない。

「…っ、やばい…」

そう呟くと、光は冷静にサイドボードのティッシュを取って、先端を包んだ。

「っ…!」

俺が達したのはその直後だった。光はゆっくりと手を動かし、その余韻の最後まで搾り取ると、丁寧にティッシュで俺の一物を拭いた。

「……。」

何を言うべきか…どうしてこんなことになったのか。今、俺…光に手で…。夢じゃない、んだよな?信じられない気持ちだ。

「倉持さん…体、拭きますね。」
「え…」

光は何事もなかったかのように立ち上がり、タオルを絞っている。されるがままに体を拭いてもらい、俺は呆然とした気持ちのまま、着替えを終えた。

「さてと…他に何かありますか?」

光は俺の顔を覗き込んでそう尋ねる。いつも帰る前に光はその質問をする。大体は、大丈夫だ、ありがとうと答える。だけど俺は、光の顔を見つめた後、思い切ってキスをした。光は避けもせず、殴りもせず、静かにキスを受け止めた。チュ、と音を立てて唇が離れると、光はじっと俺を見つめていた。

「…なんで拒まないんだよ」

そう尋ねると、光は俺の顔を覗き込んだまま答えた。

「…いきなりだったから」

そうたいして驚いてみない様子で答えてから、ちょっと後悔したように目を伏せて、光は立ち上がった。まるで…さっき、「迷惑か」と訊いたことをわざとだったと打ち明けた時のように。

「…帰りますね。また明日来ます。」
「おい…だから、」

来なくていい…、そう伝える前に、光は部屋を出て行った。…どういうつもりなんだか。やっと…今の関係に心の整理がついてきたところなのに。もう、御幸と…結婚しているのに。
俺はベッドに横になり、頭にわき続ける靄を振り払って、何とか眠ろうと悶えた。

 


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