「おはようございます。」

翌朝、昨日のことなんて感じさせないようなさわやかな笑顔で光はやって来た。
いつも通り食事を手伝ってもらい、包帯を変えるのを手伝ってもらうと、片づけをする光を眺めながら頭を掻く。何気ないその動作を見て、光は思いついたように言った。

「髪、拭きましょうか?」
「え、いや…」
「まだ洗えないけど…拭いたらちょっとはすっきりするかも」

そう言ってなんだか嬉しそうに洗面器にお湯を張りはじめる彼女を呆気にとられて眺める。光は、洗面器に貼ったお湯で大判のタオルをしっかりと暖めてから良く絞り、俺の頭にかぶせた。
丁寧に、包み込みようにタオルでマッサージをしながら、光は優しい声で言う。

「気持ちいいですか?」
「ああ、超気持ちいい…」

言いかけて、昨日のことが脳裏によみがえり、一気に顔が熱くなる。光は柔らかな笑い声を零す。
昨日のこと…どう思ってるんだろう。俺の…アレのこともそうだけど、キスをしたことも。光…何を考えてるんだ?全然わからない…。

「片づけてきますね。」

光はタオルと洗面器を持って部屋を出て行った。ああ、モヤモヤする。
俺は時計を見上げて、サイドボードから本を手に取った。普段漫画や雑誌以外の本はあまり読まないけど…これだけ時間を持て余しているとそうもいかない。
本を開き、活字に目を通す。静かな病室で、暖かな日差しを肌に感じ、俺はついうとうとと目を閉じた。


***


コンコン。静かなノックを響くのを寝ぼけた耳に感じた。けれど目を開くのは億劫で、俺は目を瞑ったままぼんやりと物音に耳を傾ける。

「…光臣。来てくれたの?」

光の声がした。どうやら、俺が眠っている間に光が戻ってきて、そのうち、光臣が見舞いに来てくれたらしかった。

「ああ。一応友人だからな。」

一応って何だよ…。

「…寝てるのか。」
「うん…」
「具合はどうなんだ?」
「まだ安静が必要で…今日、手術なの。うまくいけば、来週からリハビリが始まる。」
「そうか。それで…いつまで付き添うつもりだ?」
「……。」

光臣の責めるような口調に俺は驚いた。

「…どうしてそんなこと言うの?」
「来月には新婚旅行だろう、お前たちは。」
「まだ先だよ…」
「御幸一也はこのことを承知しているのか?」
「当たり前でしょ。」
「本当に?お前たちの関係を知らないのか?」
「……どういう意味?」

「お前たち、寝たことがあるだろう」

な…なんでそれを光に…。
今更目を開けることもできず、俺は息をのむ。光がどんな顔をしているのか…想像もつかない。

「どうして知ってるの?」

光の声は予想外にも落ち着いていた。光臣も慌てもせずに答える。

「見ていればわかる。」
「……。」
「光。倉持洋一のことが好きなのか?」

しばらくの沈黙のあと、光は言った。

「…わからないの」

か細い声だった。だけど、牧瀬の前でも否定し続けていた光が、光臣に、そう小さく零した。

「私…一也さんと結婚できて、本当に幸せ。愛してるし…一生一緒に居たいと思った。今もそれは変わらない。だけど…倉持さんがいなくなっちゃうかもしれないと思ったら、嫌だと思ったの。」
「…それは、近しい者が突然こんな事故に遭ったら、誰だって…」
「…違うの。事故のこともそうだけど…それだけじゃないの。」
「どういうことだ?」
「いつか…倉持さんが、私以外の誰かの事を好きになって、私から離れていくんだって…そう思うと、私…すごく嫌だったの。」
「……。」
「倉持さんには幸せになってほしい。それは本当。でも、私…最低だよ。どうしたらいいの…?」

涙混じりの震える声。…そんな風に、思っていたのか。それは…すごく嬉しくて、切ない。

「司にも、何度も聞かれたの。倉持さんのこと好きなの?って…。御幸さんと、どっちが好きなの?って…。私…いつも、一也さんって答えてた。でも…私、我儘なの。すごく…自分勝手で。私…二人とも、失いたくない…」
「…光。愛にはいろいろな形がある。お前はそれを、ふたつ見つけただけのことだ。」
「……。」
「そのどちらがより優れているかなんて、誰も決めようがないんだ。だが…愛は二つ以上、共存できない。結局は一つの愛を永遠のものにするために、もうひとつを諦める方法しか…俺には思いつかないよ。」

コツ、と硬い足音がして、光臣が歩いて行くのがわかった。

「会議があるんだ。来たばかりで悪いが、もう帰るよ。」
「…光臣、待って」

小さな足音がその後を追う。

「…私も…一緒に帰ってもいい?」

その言葉に、光臣はきっと微笑んだのだろうと思った。

「ああ、送るよ。」

ドアの開閉音がして、俺はそっと目を開けた。誰もいない病室。今聞いたことが信じられなかった。光の中で、俺の存在がそこまで、大きくなっていただなんて――。
白い天井を眺めて思いにふけっていたから、突然無遠慮に扉が開いて、俺は飛び上がりそうなほど驚き、肋骨が痛んだ。

「あ、やっぱり起きてるじゃん。」
「…り、亮さん。」
「洋さん…お、お邪魔します」
「…春市も」

そういや…今日見舞いに来るって言ってたっけ。さっきの話…聞かれてないよな?

「はいこれ、差し入れ。」
「あ…!あざっす!すいません、わざわざ遠いのに…」
「洋さん、怪我の具合はどうなんですか?」
「大したことねーよ、リハビリをちゃんとやれば復帰できるって医者も言ってたし…」

そう言いながら、亮さんの差し入れてくれた袋を開けようとする。すると春市はちょっと苦笑いして亮さんを見た。そのおかしな様子を不思議に思いながらも袋の中身を覗くと――中には、エロ本が入っていた。

「ちょっ…なんすかこれ!」
「いやー1か月入院って聞いたから、不自由してるんじゃないかと思って。」
「だからって…!」
「でもまずかったかな。光ちゃんが来てるみたいだしね。」
「え…!な…何で知って…」
「倉持お前、童貞じゃなかったんだな。」

き…聞かれてた…!

「でもまさか相手が光ちゃんだとはね…正直さすがの俺も驚いたよ。」
「…いや…それは…」
「心配しなくても誰にも言わないって。で…御幸は知ってんの?」
「…知ってます。」
「へぇ…」

亮さんは興味津々の顔をして、ベッドの横に椅子を持って来て座った。春市は困ったような赤面顔で佇んでいる。

「お前たち、だいぶこじれてるみたいだね。」
「……。」
「お前、いつ光ちゃんとそんな関係になったの?」
「…結婚前です。ちょうど、光が御幸と別れた頃…」
「ふーん…あれってお前が原因だったんだ?」
「いや…そういうわけじゃ…」
「じゃあどういうわけ?」
「…俺にもわからないっすよ、光が考えてる事は…」

包帯だらけの手元を見つめる。

「結局俺は…フラれましたし」
「……。」

亮さんと春市はちょっと顔を見合わせて黙り込んだ。

「ま…あんな可愛い子にあそこまで想われてさ。男冥利に尽きるじゃん。1回ヤレたのも一生の思い出だろ、よかったな。」
「…はっきり言いますね…」

亮さんにはなにを言われても逆らえない。顔を引きつらせる俺を、春市がハラハラしながら見つめていた。

 


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