「…こんにちは。」

昼前、病室に現れた彼女に、俺は読んでいた雑誌を落としそうになった。

「…なんで」

昨日来なかったことで、もう終わったんだと思ったのに。あれは一時の気の迷いで、きっと後悔しているんだろうと…。
光はベッドの傍まで歩いて来て、口を開いた。

「倉持さん。…あなたのことが好きです。」
「…へ?」
「きっと…一也さんと出会っていなかったら、迷いなくあなたを選べたんだと思います…」
「……。」

俺はただ呆然と光を見上げていることしかできなかった。

「今まで何度も…中途半端に引き留めて…本当に不誠実で…ごめんなさい。」

表情が崩れ、頬や目尻が赤くなり、声に涙をにじませる。

「だめだってわかってたのに…離れ難かった。」
「……。」
「一也さんにも…それが伝わって、不安にさせた。本当に最低」
「……。」

俺は小さく首を横に振る事しかできない。最低だなんて…そんなこと、考えたこともない。俺が勝手に好きになって…付きまとっただけだ。

「それなのに私、まだわからないんです。どうすれば迷わずにひとりを選べるのか」
「……。」
「そんな権利ないのに…」
「…選んでくれ。」

思わず言葉が口をついて出た。光は息をのんだ。

「お前には幸せでいてほしい。…笑っててほしい。だから…自分を責めるくらいなら、選んでくれ。どっちを選んでも、俺は…俺たちは、その結論を受け入れる。」
「……。」
「今度こそ、本当に…最後だ」



***


…ようするに。この2週間で光を本当に振り向かせることができたら…。
…だけど、そんなこと…本当にできるのか?いや、でも…これが最後のチャンスかも…。
今までのことも、意味があったとわかったし。きっといつか、報われるんだって…

「おはようございます。」

朝、光が爽やかな笑顔を浮かべてやってくる。それだけで俺は、幸せな一日の始まりを感じる。

「はよ。」
「朝ご飯は食べました?」

光がそう聞いた時、ちょうど看護士が朝食を運んできて、光は俺を振り返ってはにかんだ。食事の準備をし、俺が起き上がろうとするのを手伝って、箸を持つ。

「はい倉持さん。」
「…うん」

嬉しいけど…やっぱりこれはまだちょっと恥ずかしい。いや、ほんと、嬉しいんだけど…。
むずむずしながら完食して、嬉しそうに片づける光を見る。

「食欲は大丈夫そうですね。」

よかった、とほほ笑む彼女を見ていたら、なんだか堪らなくなって。前に伸びてきた細い手首を掴んだ。光が不思議そうに俺を見る顔が、ほんのりと紅くなるのを見て、俺はつい引き寄せて、抱きしめた。

「……あの…、」

腕の中で困惑するような光の声がする。…細くてやわらかくて、良いにおいがして…思い切りぎゅっと抱きしめたくなるのを堪えて、少しだけしっかりと力を込めた。すると、ちらりと覗き見える光の耳が真っ赤になっていることに気付いて、俺は胸の奥からあたたかいものが込み上げる。光が俺を、こんなふうに意識してるなんて…。
だんだん恥ずかしくなってきて、ゆっくりと腕の力を緩める。光は体を離すと、その顔は真っ赤になっていて、それを隠すように俯く仕草が可愛くて。俺は嬉しさと照れくささが腹の底でせめぎ合って、心臓が痛いほど跳ねた。
まるで、普通に…両想いの、お互いの気持ちを自覚し始めた頃の、初々しい関係のようで。いや、実際そうなのかもしれないけど、でも…こうなるまでに俺は、7年も待っていたんだ。それを考えると、泣きそうになる。だけどそれでもまだ、彼女と恋人同士になれたわけではない…。

「…ごめん。抱きしめたくなった」

恥ずかしいついでにやけくそになってそう告げると、光は胸元をそっと押さえた。きっと今の俺みたいに、胸が苦しいくらいドキドキしているんだ…、そう思うと、もう、堪らなく愛おしい。

「……いえ…」

か細い声で呟いて、はらりと落ちたひと房の髪を、真っ赤になった耳にかける。…ああもう、可愛いな。また抱きしめたい…。
だけど、胸元を抑える左手の薬指に、まだ新しい結婚指輪が光っているのを見つけて、苦い気持ちになる。

「…あの、そろそろ仕事なので」

光は思い出したように荷物をまとめて立ち上がった。まだ赤い顔を誤魔化すようにはにかむ。

「また…夜来ます。」

そう言って、光は病室を出て行く。俺は仰向けに横になって、心臓が跳ねて息苦しくて、深呼吸を繰り返した。

 


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