着替えを済ませて練習場に入ると、そこには筋トレをする倉持以外、人の姿はなかった。

「…光は?」

思わずいつも通り名前で呼んでしまい、倉持に思い切り睨まれたが、倉持は筋トレを中断して一息ついた。

「さっきまでいたけど、電話が来て飛び出していったぜ。」
「……ふーん?」
「なんか、すげえ怒ってたけど?」
「え?」

それは気になるな…。自分の携帯を開いてみるが、光からの連絡はない。荷物もないし、もう帰ったのか?一言もなく?それほど緊急の用ができたのか…?

「つーかお前、女連れ込んでんじゃねーよ!」
「はっはっは。羨ましい?」
「クソうぜえ!!」

倉持と悪態をぶつけあいながら、俺はどこかひっかかったまま、筋トレを始めた。


***


翌朝、携帯を開いても、光からの連絡はなかった。
寝る前に、今日はどうしたのか、無事帰れたのかという内容のメールを送ったのだが、まだ見ていないのだろうか。
すっきりしないまま顔を洗いに行くと、寝起きの倉持と鉢合わせた。

「はよ」
「おー」

髪をセットする倉持の隣で顔を洗い、歯を磨く。毎朝毎朝マメだなぁ、こいつも…

「飯行くか?」
「おー」
「モックでいい?」
「うん」

昨日同様倉持と朝モックに行き、帰ってきて自主練を開始する。なんだかんだ、この生活リズムが合ってるんだよな。リズムを崩すと休み明けが辛いだけだし。
練習の合間に携帯を開いてみるが、光からの連絡はない。クソッ、気になるな…。
携帯を置き、スポーツドリンクをのどに流し込む。すると携帯が光り、電子音が流れた。
弾かれたように携帯を開くと、そこには意外な人物の名前があった。

「…はい、もしもし」
『御幸か?』

電話の相手は哲さんだった。

「哲さん、どうしたんスか?」

哲さん、という名前を聞いて、倉持が気になる様子で視線をこちらに向ける。

『いや…突然だが』
「?」
『御幸、お前、光と付き合ってるらしいな。』
「…え?」

なんだか真剣な声色で言われ、思わず怯む。もしかして哲さん、怒ってる?…え、なんで?

「は…はい、まぁ…」
『なんだ。はっきり答えろ。』
「つ、付き合ってます。」

倉持が興味津々な顔で耳を傾けている。蹴り飛ばしてえ。

『じゃあ、今回の件は聞いてるのか?』
「今回の件…?」

全く思い当たることがなく、繰り返すと、哲さんの低い声が返ってきた。

『光が…来週から、アメリカに行くって話だ』

…は?
なんだよ…それ

『その様子だと、知らなかったみたいだな。』

何も答えられず、俺は黙り込む。どうしたんだよ、と倉持の顔が引き締まる。

『突然のことだし、本人も嫌がっているし、家庭のことも…複雑だから、俺や俺の親は反対しているんだ。だけど…所詮俺たち家族は他人だ。できることは…あまりない。』
「……。」
『だが、あいつの家は…あいつが安心していられる場所じゃない。今、あいつを一人にしてしまったら、きっと…良くないと思う。だから…』

哲さんの声は柄にもなく焦っていた。そんなに緊迫した状況なのか?俺は言葉を探したまま、まだ黙り込んでいた。

『今、協力者を探してる。光は今、俺の家にいる。御幸、お前、今から来られるか?』
「…はい。すぐ行きます。」

電話を切ると、俺はさっさと荷物をまとめた。

「…大丈夫か?」

そう言う倉持に、短く頷いて、哲さんの家まで走る。
何があったんだ?アメリカって…どうして、そんな突然。…どうして。

嫌だ。…嫌だ。いなくならないでくれ。離れたくない。

丘を駆け上がって、土手を走り抜け、息を切らしながら古い平屋の前にたどり着く。
インターフォンを鳴らすと、返事はなく、代わりに携帯が鳴った。

『今のは御幸か?』
「?はい…」

返事をすると、玄関のドアが開き、哲さんが顔を出した。

「早く入れ。」

物々しい雰囲気に圧倒されながら、中に招かれると、古い木のにおいが鼻を突いた。

「こっちだ。」

哲さんに案内され、居間に通される。そこには光と、哲さんの弟、両親が揃っていた。

「!えっ…」

光は驚いた様子で立ち上がった。俺が来ることを知らなかったらしい。
その泣きはらした顔を見て、抱きしめたくなるのをこらえて、肩を優しく叩き座らせて、俺も隣に座る。

「野球部の御幸一也です。哲さんにはお世話になってます。」

そうあいさつすると、哲さんの両親はもう知っているようにうなずいた。

「新しいキャプテンの子だろ?聞いてるよ。」
「そうそう。天才捕手、ってニュースで見るわよね。」

…こっぱずかしい。って、それどころじゃなくて。

「あの…それで、何があったんですか?」
「光の父親が帰ってきたんだ。」

ああ…それは聞いたけど。

「えーと…それで?」
「突然、来週から光をアメリカに連れていくと言ってな。光は反発して、うちに逃げ込んできたというわけだ」
「その…アメリカって、どうして急に」
「…お父さん、アメリカの本社に異動になったんです。だから、私もつれていくって…どうせ、今までも、ほとんど家にいなかったくせに…」

そりゃ…嫌になるけど。でもそれは…

「それは…だけど…親がそう言ってるんじゃ、どうしようも…」

俺が呟くと、皆黙り込む。皆わかってるんだ。どうしようもないって。

「だが、俺は反対だ。」
「それは、俺だって…」
「なぜ、本人の望まない結婚をしなければならない?御幸は本当にそれでいいのか?」

…は?ちょっと待て、何のことだ?

「え……え?どういう事ですか?けっこん…?」
「光はアメリカで父親の決めた相手と結婚させられるんだぞ。相手は乗り気だそうだ。言ってなかったか?」
「初耳ですよ!!」

おいおい、それは話が変わってくるぞ。なんだよ、結婚って。いつの時代だよ!
するとインターフォンが鳴って、玄関から怒声が響いてきた。

「おい!うちの娘を返せ!ここにいるんだろう!!これは誘拐だぞ!!」

うわ、こええ…
思わず怯みながら、俺の服をつかんできた光の手を掴む。

「ふたりで裏口から出なさい。その隙に、私たちが対応するから。」

哲さんの母親がそう言って、俺と光を台所の裏口から外へと逃がした。

「光ちゃんですか?うちには来てませんよ。」
「嘘をつくな!!あいつに他に行く場所なんてないんだよ!!」
「嘘だと思うなら、どうぞ上がって確かめてくださいよ。ただしいきなり言いがかりつけられたんだから、こっちも出るとこ出ますよ!」
「このっ…!」

玄関の押し問答を背に、俺と光は駆けだした。

「先輩…どこ行くんですか?」

学校への道を通り過ぎたあたりで、光が尋ねる。俺は特に考えもせず、答えた。

「…どこでもいい。行くぞ」

呟くと、握っている手にきゅっと力が入った。

「…はい。」

頷いた光と、俺は走り続けた。

 


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