森の中にひっそりと建つ、煉瓦造りの館。赤茶色の煉瓦には蔦が這い、庭には薔薇が咲き誇り、いつでも木漏れ日と小鳥のさえずりに包まれているこの場所。まるで映画やおとぎ話の世界で描かれるような景色。
けど、ここは正真正銘日本国内で、私はここに滞在して約1か月が経とうとしている…んだよねぇ。

「牧瀬様、お食事の用意が整いました。」
「あ、はい…。」

恭しくそう告げて、屋敷の中に戻っていく使用人の男性。うーん、これだけはまだ慣れない…。
食堂に入ると、そこには私の分だけの食事が用意されていた。光臣さんはこの屋敷に来ても毎日書斎に篭っていて、食事もほとんど決まった時間には取れない…らしい。忙しいんだなぁ…。
食事が済んで、一度部屋に戻ったけど、特にすることもなくて、屋敷の中を歩き回る。ポーチに出てみたり、庭を散策してみたり、書庫や廊下に飾ってある絵画を眺めたり…。…だけど毎日そんな風に過ごしているから、いくら広いお屋敷と言えど、さすがに飽きてしまった…。まあ、遊びに来てるわけじゃないから、しょうがないことはわかってるんだけど…。
楽しみと言えば時々光と電話をすることくらいだ。だけど今はまた向こうは深夜だし…あーあ、何をして時間をつぶそうか。そもそも私、いつまで隠れていればいいんだろう。事務所には、連絡先を伝えたから、事態が落ち着いたら連絡が来るだろうけど…。光の入院からもう2か月くらい経つのに、まだマスコミは諦めないのか…まったくもう。

「ではそのように進めておきます。」
「ああ、頼んだぞ。」

ガチャリ、と重たい音を立てて屋敷の玄関が開いて、スーツの男の人がわらわらと出てきた。庭の片隅に座っている私には気が付かないようで、男の人たちはぞろぞろと並木道を駐車場の方へ歩いていく。
彼らを見送った光臣さんは、使用人の人に何かを聞いて、ちらりと庭を見渡して…私を見た。え…私に何か用かな?

「…退屈だろう?」

光臣さんはすまなそうに言いながらやって来た。

「え、いや、そんなことは…」
「本当か?俺は退屈だが。」
「……。」

人が気を遣ってるのにこの人は…。

「…光臣さんは忙しくて、退屈どころじゃないんじゃないの?」
「まぁ…仕事はあるが、たいていは退屈な話し合いだからな。」
「さっきの人たちは…会社の人?」
「ああ、部下だ。俺が会社に顔を出せない分、用聞きに来てもらっている。俺が出て行くと、会社にマスコミが群がるからな…他の社員や取引先の迷惑になる。」
「そっかぁ…。」

光臣さんは芸能人でも何でもないのに…マスコミめ。

「…最近光とは連絡を取ったのか?」
「え?あ、うん。昨日電話したよ。」
「そうか…どうだった、様子は?」
「んー…なんか、昨日はちょっと機嫌がよくて…いいことでもあったのかな。」
「…そうか。」

優しい微笑みを浮かべる光臣さん。…昨日…というか、電話をするたびに、光から散々言われるんだけど…光臣さんに気をつけろって。ふたりきりで密室に入るなとか、誘われても着いていくなとか、背中を見せるなとか、もしものときは遠慮なく殴れとか…もう散々な言われようなんだけど、光臣さんの方は…本当に光のことが大事なんだな、とわかる。不憫だなぁ…こんなに思ってるのに、あんな嫌われ方して…。

「…?なんだ?」
「いや…別に」

光臣さんは女たらしだと、光や御幸さんや倉持さんは言っていた。実際、何人もの女の子と関係を持ってたらしいけど…少なくともここで1か月一緒に過ごしている間、彼に女性の影はない。光に言われて女の人たちと別れて…それから改心したのかな?私から見て、彼はすごく紳士的だし、軟派っぽいところもない。むしろ硬派なイメージだ。必要以上に近づいてこないし、触れることもない。まあ、私が完全なる対象外、ってだけかもしれないけど。

「君は、食事は?」
「もう食べたよ。」
「そうか。じゃあ、俺は食事に行く。」
「はいはーい。」

手を振って彼を見送る。すらりとしたスーツ姿の後姿。イケメンだよなぁ、さすが光の従弟…。さぞかしモテることだろう。
さてと…。私はちょっと、昼寝でもしようかな。
庭のベンチに座っていると、ぽかぽかした木漏れ日と小鳥の優しいさえずり、そして爽やかな森の空気が睡魔を運んでくる…。そっと目を閉じると、私は心地よくふわふわと、夢の世界に沈んでいった。


***


突然の冷たい衝撃を顔面に受け、混乱と共に目が覚める。

「あんた誰よ!!なんでここにいるの!?」
「えっ…?」

目の前にはバケツを持った女の人がひとり。ちょっと日本人離れした顔立ちの、背の高い、ハーフ顔の美人だ。
どうやら私は彼女に水をぶっかけられたらしい。上半身はずぶぬれで、髪から水が滴って目に入った。

「あんた光臣の何なのよ!!」
「えっ…と…?」
「なによこんなブス…あたしの方が美人じゃない。」
「……。」

まあ…たしかにそうだけどさ。それ自分で言う?
私はずっとボーイッシュなショートヘアで、体も筋肉質で、この人みたいにさらさらウェーブのロングヘアも、華奢だけど出るとこは出てる女性らしい体型もない。だけど…。…光の方が美人だ。

「言っとくけど、ここの別荘に最初に連れてきてもらったのはあたしだから。」
「はぁ…」
「ふん…色気もないこんな女と浮気するなんて…」

「…メグミ?」

サくサクサク、と芝生を踏む音がした。振り向くと食事に行ったはずの光臣さんがいて、怒りをにじませる女性とずぶぬれて立ち尽くす私とを見比べ、焦ったように私に駆け寄ってきた。

「早く中へ、風邪をひく。」
「あ…うん」

「ちょっと、光臣!」

女性が怒りをあらわにしてキンキン叫んだ。

「酷いよ、別れるなんて…あたしまだ納得してないから!」
「…いい加減にしてくれ。もう何度も話しただろう…」
「嫌!別れない!」
「……。」

う、うわあ、修羅場…。光臣さんが女たらしってのは本当だったのか〜…。こういう女の人何人もと関係を持ってたってこと?す、すごいな…。

「…君を愛せなくてもか?」
「な…なんでそんなこと言うの?酷いよ…。あたしのこと、好きだって言ったじゃない!」
「…そうだな。」

光臣さんはどこか冷たい目で彼女を見つめた。

「本気にさせてしまったのなら、すまない。」
「……!」

彼女は顔を赤くして、目に涙をにじませ、光臣さんに詰め寄って…その頬を思い切り平手で打った。パンッ!と乾いた音が辺りに響く。う、うわー、良い音…。

「最低!もう知らないわよ!二度と私の前に現れないで!!」
「…わかった。」

光臣さんが頷くと、女性は泣き顔を隠すようにして去っていった。あ…嵐のようだったな。それにしても…

「……。」

光臣さんを盗み見る。あんな…冷たいこと、言う人だったなんて。なんか意外。いつも…光のことを話すときは、ものすごく優しい顔をするのに。
光臣さんはふと私を振り向いた。光とよく似た、透き通った海のような綺麗な瞳。だけど光よりも目つきは鋭くて、印象はあまり似ていない。

「…すまない。着替えを用意させる。」
「え、ああ、平気平気!今日あったかいしさ。とりあえずシャワー浴びてくるよ。」
「あ、あぁ…」
「光臣さんは早くご飯食べてきなよ、ほら!」

申し訳なさそうに突っ立っている光臣さんの背中を押して、私も屋敷に入った。タオルを持って駆け寄ってくる使用人たちにこっちが申し訳なくなりながら受け取って、部屋に戻る。
水をかけられて怒鳴られたことへの怒りは全くなくて、驚きというか…ドラマみたいな修羅場を目の当たりにした可笑しさのほうが大きい。こんなこと本当にあるんだ〜、みたいな…。
あの女の人、プライド高そうだったしなぁ〜。うーんでも、光臣さんのこと相当好きじゃなかったら、あそこまで取り乱さないよね…。

…私はどうだろう、と考える。
恋人とはもうずいぶん長い間すれ違っていて、それが当たり前になってきて。いつ帰ってくるかもわからない彼を家で待っているよりも、いつもあたたかくて楽しい光達の輪の中にいる方が幸せで…きっと、私は今恋人に別れを告げられても、悲しくなったりしないような気がした。昔は相当好きだったのになぁ。変なの。
あの女の人や光が羨ましい。私は…その人のために泣けるほど、誰かを好きになったことが無い。むしろ…恋人より光の方が大事かも。うわー、私重症だな。
苦笑しながらTシャツにショートパンツ、カーディガンを羽織って、髪も乾かして…部屋を出ると、ドアの前に光臣さんが立っていて、私はぎょっと立ち止った。

「わ!…びっくりしたぁ」
「…すまない。」
「え?」
「無関係の君にこんな…」
「い…いやだから、気にしないでって!大丈夫だからさ。」
「だが…」
「も〜。気にしすぎ!なんともないし、大丈夫だよ。」
「…せめて、何かお詫びをさせてもらえないか?」
「そんなのいらないって。神経質だなぁ」
「し…」

神経質…か?と、光臣さんはすこし気にしたように呟く。し、しまった…余計なこと言った。

「ご…ごめん。私無神経だからさ〜。まぁこれでおあいこってことで!」
「……。」

ははは、と笑って流すと、光臣さんもちょっと苦笑を浮かべて頷いた。

「君は…面白いな。」
「へ?」
「フ…。」

ちょっと口元を押さえて笑いを堪える光臣さん。あれ…なんかバカにされてる?

「…君は、ドレスは着ないのか?」
「ドレスぅ?いやいや、私そういうの似合わないから!わかるでしょ?」
「…似合うと思うが」
「あはは!ありがと!」

ドレスどころかスカートだって、仕事で衣装として着るだけで、プライベートではめったに着ない。それこそ、友達の結婚式とかでもない限り…。別に着たいとも思わないし。私には今の服装が合っている。

「もういいから、ご飯食べてきなよ!ほらほら」
「……。」

まだすこし罪悪感を引きずったような顔で、光臣さんはやっと食堂に向かった。はーやれやれ、義理堅いっていうのかな、こういうの。あんなに気にされると、こっちが申し訳なくなっちゃうよ。
いやー、でも…さっきの修羅場はすごかった…。

私は他人事ながらちょっと思い出し笑いを堪えつつ、伸びを一つして、ポーチへ向かった。

 


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