「だめだ、完全にバッテリー上がってる」

ボンネットを閉め、お手上げのポーズでため息を吐く御幸。

「まぁ1か月放置すりゃそうなるだろ。」
「レッカーか…あ〜めんどくせぇ〜」
「ヒャハハ。カッコつけて外車なんて乗ってるからそうなるんだよ」
「お前も外車じゃん…」

御幸とやいやい言い合って、なんだか懐かしい気持ちになる。ふたりが帰国して、マスコミも落ち着き始めて…ようやく日常が戻って来たような感じだ。

「一也さん。」

涼やかな声がして、光がやって来たのだとわかった。光はレースが施されたブラウスに清楚なスカート姿で、ゆるく髪をまとめている。もう何年も見続けているのに、見るたびに美人だなぁとしみじみ思う。御幸はよく平気な顔して一緒に暮らせるよな…。
光はそんな俺の視線には気づきもせず、真っすぐに御幸だけを見て車庫に入ってくると、腕を伸ばして御幸を抱きしめた。

「ただいま…」
「おかえり。」

御幸は片手を光の背中に回し、抱きとめる。なんだかおもしろくなくて、俺はわざと口を挟んだ。

「光、俺ともハグ…」
「するわけないだろ。」

御幸がぴしゃりと言って、光は笑って頬をかいた。

「車の調子、どうだった?」
「やっぱバッテリー上がってる。今日ディーラーに電話するわ」
「そっかぁ…」

ふたりはお互いの背中に腕を回して密着したまま話し始める。…ナチュラルに距離が近い。前もよくイチャイチャしてたけど、さらに拍車がかかってやがる…。

「…何?」

じっと御幸が光を見つめて、光はそれに気づいて御幸を見上げる。

「いや、俺の奥さん美人だな〜と思って。」

ば……

「え…?も、もう…ばか」

バカップルがぁぁ…ッ

「おじゃましま〜す…」

イライラし始めた時、第三者の声が車庫に響いて安堵する。この声は牧瀬だ。よかった、仲間が増えるぜ…

「司?遅かったじゃ…」

光が振り向いて、言葉を失って息を飲んだ。

「ごめん、ちょっとトラブってて…」

遅くなっちゃった…、と頭を掻く牧瀬は、その顔に痣が滲んでいた。

「ど…どうしたの、それ…」
「あ、やっぱ目立つかなぁ…あはは」

光が駆け寄り心配しても、牧瀬は痛々しく笑うだけで、しばらく訳を話そうとはしなかった。

「…司!何があったの?」

しびれを切らして牧瀬の肩を掴み、問いただす光。牧瀬はいよいよ、ちょっと目に涙を浮かべた。

「…彼氏と、別れたんだけど…」
「え!?なんで…」
「あは…もうずっと、お互い忙しくて、すれ違っててさぁ。浮気されちゃった。」
「……。」
「でもそれはいいの。私は未練とかないし。」
「…じゃあ、その怪我…」
「うーん…あはは…なかなか、別れてくれなくて…」
「…それで…殴られたの?」
「変だよねぇ、浮気したくせにさ。今日、うちに押しかけてきて…」
「……。」

光は、時々はぐらかすように笑いながら話す牧瀬を真剣に見つめて、話を聞いていた。それから、落ち着いた声で言った。

「まだ…司のマンションにいるの?」

こくん、と小さく頷く牧瀬。

「俺が…」

行って話してやろうか、と言いかけたのを、光の声が遮った。

「私が叩き出す。」
「え…」

え……。た、叩き出す?物騒な…

「おい、お前ひとりじゃ危ないって。」

御幸が光の腕を掴んで制止する。

「俺と倉持も行くよ。」

俺もかよ。いや、いいけどさ。

「うん…ありがとう。」

光は頷いて、牧瀬を見上げた。

「司、行こう。」
「でも…」
「いいから。まかせて。ね?」
「……。」

牧瀬は黙り込んで、光に従った。



***



牧瀬のマンション。俺と御幸は初めて来る。光はもう何度も来たことがあるようだが、牧瀬の恋人…いや、元恋人に面と向かって会うのはこれが初めてだそうだ。
部屋のドアは鍵が開いていて、4人でゾロゾロと入室する。部屋の中からはテレビの音が響いていて、人の気配があった。光が臆することなく先頭を歩いて行って、リビングのドアを開ける。

「…司、話し合う気に…」

振り向いた男の、驚いた間抜け顔といったら。

「話し合いましょうか。」

そう静かに言ってソファに座る光を、男は呆然と眺める。

「……えっ…?」

光を見て、牧瀬を見て、後ろの俺と御幸を見て、また驚いて言葉を失う男。そりゃ…突然目の前に玉城光があらわれて、振り向くと御幸一也と俺がいて。びっくりなんてもんじゃねーよな。ちょっと面白い。

「司を殴ったことについて何か弁明は?」
「……いや、その…」

口ごもる男を前に、光はじっと冷たいまなざしで睨み続ける。こ…こえー…。

「…話を…聞いてほしかった、だけで…」
「話って?」
「ご…、誤解だって…伝えたかったんです。とにかく、話し合いたくて…」
「それは話し合いじゃなくて、あなたの言い訳でしょ?」
「……。」
「司と別れて。二度と顔を見せないで。」
「そんな…」
「たとえ司があなたを許したとしても、私が許さない。」

す…すげぇな光。誰も歯向かえねえよこんなの…。

「ここの鍵、出して。」
「……。」
「早く。」

光が凄むと、男はおずおずとポケットから鍵を出し、テーブルに置いた。光はそれを自分のバッグにしまうと、また男を睨む。

「スマホも出して。」
「……番号は、自分で消します」
「信用できない。早く出して」
「……。」

あ…姉御。いや、ボス…。男は大人しく光の前にスマホを置いた。光はそれを手に取ると、電源ボタン――ではなく、そのまま本体をテーブルの角に叩き付けた。

「えっ…」

唖然とする男の前で、粉々になったスマホを何食わぬ顔でグラスの中に入れる光。炭酸のぬけたビールの中で、粉々のスマホはむなしく沈んでいく。

「はいおわり。帰っていいよ。」
「……。」
「早く出て行って。」

男は呆然としたまま、光、牧瀬、俺と御幸を見渡して、ふらりと立ち上がり、ふらふらと部屋を出て行った。
光は立ち上がり、牧瀬に歩み寄る。

「光、ごめ…」

苦笑して呟く牧瀬を、光は抱きしめた。牧瀬はだんだん顔をゆがめ、ぽろぽろと涙を零して光を抱きしめ返す。
俺は御幸と顔を見合わせて、女二人、泣きながら抱きしめあうのを見守った。


***


「光〜、ただい…」

玄関の方で響いてきた声が消沈した。ずらりと並ぶ大量の靴を発見したのだろう。しばらくして、疲れた顔をした御幸がリビングのドアを開けた。

「旦那様おかえりなさ〜い」
「……なにしてんすか…」

こんな大勢…。と御幸は部屋の中を見渡す。大きなソファでくつろぐ青道OBの面々。

「あんなテンション高いお前の声初めて聞いたぜ」
「……。」

純さんにからかわれながらソファに連行される御幸。そこへ、光と牧瀬が飲み物を並べていく。

「光…牧瀬まで。ゴメン…」

こっそりと謝る御幸に、ふたりは気にしないでと笑う。つーか俺も手伝ってんだが。

「オラ御幸!」
「なっ…なんすか」

御幸を覆い尽くすように大きな袋を押し付ける先輩たち。袋に埋もれながら困惑する御幸を、光と牧瀬が笑いながら見守る。

「差し入れだ!」
「え?」
「いいからもらっとけ!そんで食え!嫁さんと!」
「……。」

先輩たちなりに、見舞いというか、御幸達を心配しているんだろう。御幸もそれに気が付いた様子で、ふっと微笑んだ。

「…ありがとうございます。」

それから先輩たちは勝手に盛り上がり始め、御幸はこっそりと席を立つ。そしてキッチンにいる光の方へ行き、そこでふたりで微笑み合うのを見つけて、俺はすぐに目を逸らした。
あんなことがあって、あんなに落ち込んでいた光が、あれだけ元気を取り戻して、前と同じ綺麗な笑顔で笑っている。それはきっと…御幸が傍にいたからだ。

ピンポーン、とインターフォンが鳴る。キッチンから二人が出てこようとするのを余所に、沢村がいち早く席を立った。

「ほらほら、皆さんお静かに!!お客さんですよ!!はいはい今行きま〜す!!」
「お前の客じゃねーよ」

御幸がのんびりと後からついていく。
ガチャンと重たい鍵が開く音がして、うわ!という沢村の悲鳴も聞こえた。

「奥っ……」
「……。」
「……ん!?違う!お前は奥村じゃないな!?」
「光臣。」

沢村を押しのけて御幸が割って入り、光臣はちらりとこちらの部屋の方を覗いた。

「友人が来ているのか?」
「ん、あぁ、高校んときの先輩とか後輩とか…」

気にするなよ、と光臣を中へ招き入れる御幸。ちょっと肩身を狭そうにしながら入ってくる光臣。興味津々に後をついてくる沢村。
先輩たちの好奇心に満ちた無遠慮な視線を受けながら、光臣は光に何やら手渡して説明すると、用が済んだかのように切り上げようとした。

「義兄さん!まぁそんな急がずに!どうぞ座って下せえ!!」
「栄純君、光臣さんはお兄さんじゃなくて従弟だよ…」

沢村が春市に窘められ、光臣はこのノリについていけず沈黙を守っている。まあ、下らないじゃれあいとかするタイプにも見えねーしな…

「光〜、ごめん、私そろそろ帰るね〜」

荷物を持って席を立つ牧瀬。光が見送りに立つと、なぜか光臣も席を立った。

「送るよ。」

さらりと言ってのけたこの男…。普段目にしないスマートな男の振る舞いを、野球バカの男たちは目を丸くして見守る。

「えぇ?いいよ〜、今私寮に住んでるから逆方向だし、遠いし…」
「じゃあついでにドライブだ。行くぞ」
「え…えぇ〜…なんか悪いなぁ〜」

なんだかんだ言いながら二人で帰って行く光臣と牧瀬。あの二人、あんな距離感近かったか…?

「モテる男とモテない男の違いだね。」

にやにやと純さんたちを見下ろして笑う亮さん。

「うるせっ!亮介テメーはどうなんだよ!」
「別に俺は誰とか言ってないけど?」
「ぐっ…!!」

いや、だけど、仕方ないだろ…俺らはひたすら野球漬けの日々を送って青春を野球にささげた野球人間。かたや、物心つく前から社交の場で育ち、女性をエスコートすることを学んできた美形のセレブ。そりゃ、あっちのがモテて当然…

「光ももう座れよ、ずっと立ちっぱなしだろ」
「そんなことないよ。大丈夫。」
「だーめ。ほら座って。お茶入れてくる」
「いや。」
「…こら、光。」
「一也さんが座ったら座る。」
「…わかったよ。」
「ふふふ。」

まんざらでもなさそうに頭を掻いてキッチンに向かう御幸、その腕にくっついて幸せそうに笑う光。

「……。」
「……。」

気付けば俺たちはその二人を遠い目で眺め、あの亮さんまでもが閉口していた。

 


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