215
「大丈夫…?」
目を丸くして俺を心配そうに覗きこむ光。その手には、体温計が握られている。
「…38度。ちょっと高いね。」
「…げほっ」
「ごはん、食べられそう?」
食欲はなかったけど、食べなきゃいけないことはわかっているから、小さく頷く。
「よかった。ちょっと待ってて、タオル濡らしてくる。その後ご飯作るね。」
「…ん」
光が立ち上がって部屋を出て行くと、急にさびしくなった。風邪なんて…何年ぶりだろう。オフで気が抜けてたなー…。いやでも、シーズン中じゃなくて本当によかった。
光はすぐに戻ってきて、洗面器をチェストの上に置いた。カラカラと涼しげな音がする。氷水が入っているらしい。光はそこでタオルを濡らして絞ると、俺の額に触れて前髪をどかした。冷たい、柔らかい手のひらがひんやりと顔の熱を癒す。
「…一也さん?」
思わずその手を掴んで引き留めた。
「タオル乗せるから、手離して。」
「…光の手がいい」
「無理に決まってるでしょ。」
わざとわがままを言って甘えてみたけど、ぴしゃりと撥ね退けられた。光は子供を甘やかさないタイプか…。
「ほら、手しまって。」
俺の手を布団に戻し、タオルを額にのせる。ひんやりと心地良い冷たさに睡魔が漂い始める。
すぐにうとうとし始めると、ピリリリリ、と冷たい電子音がそれを阻んだ。
「あ…ごめんね。」
光が慌てて枕元のスマホを取り、耳に当てながら部屋を出て行く。誰かから電話が来たのか…。
「司?うん私…」
…牧瀬か。何かの誘いかな。
「ごめん、今日はやめとく。…ん?ううん、違うよ。ちょっと一也さんが風邪みたいで…」
飲み会か何かかな…この時間だし。
「うん、じゃあね。」
すぐに電話を切って、光は部屋に戻ってくる。
「…ごめん」
渇いた声で言うと、光は微笑んで枕元に近づいた。
「いいよ、その代わり、今日は一日一緒に居られるから…」
「……。」
か…
「ふふふ。おかゆ作ってくるね。ちゃんと寝ててね。」
可愛すぎる…っ
頭がぼーっとしてしんどいのに…心臓がバクバクして。顔の熱さえ、風邪のせいじゃなく、光のせいのように思えてくる…。昔はこんな素直じゃなかったのになあ…。まあ、でも、昔もときどき見せるデレが可愛かったけど…。
…って、何考えてんだ俺。さっさと寝よ…。
***
コト、と静かな音がして、ぼんやりと目が覚めた。
「あ…起きた?」
光が優しく微笑んでいる。
「卵粥だよ。食べられる?」
「うん…」
しんどい体を起こすと、光は背中にクッションをあててくれる。
「あ…汗かいてるね。」
「…あつい。」
「ご飯食べたら着替えようか。体拭いてあげる。」
…なんだろう。なんか…すごく、光に甘えたい…。
「はい。熱いから気を付けてね。」
「……。」
膝の上に置かれる、美味しそうなお粥とお浸しとお茶が載ったトレー。光の手をとり、心地良い柔らかな肌を撫でる。
「…光、食べさせてよ。」
「……。」
きょとん、と珍しそうに俺を見る光。…何か今更恥ずかしくなってきた。
「一也さんも甘えるんだ?」
「…なんだよそれ。」
「うふふふ、可愛い」
…可愛いのはお前なんだけど。
「いいよ、はい…」
お粥を少し掬ってさまし、俺の口元に運ぶ光。
「あーん。」
…自分から頼んでおいてなんだけど、これ、すげえ恥ずかしい。でも…役得だ。
「…ん。」
「ふふ…」
光は楽しそうにまたお粥を掬う。光に食べさせてもらい、食事を終えると、光はトレーを提げて立ち上がった。
「着替え持ってくるね。」
…そうだった。着替えか。思い出すと、汗ではりつく服が鬱陶しく思えた。光はすぐに戻ってきて、シャツとズボンと下着をベッドの上に置くと、また部屋を出て行って、お湯とタオルを持って戻ってきた。てきぱきと動く光を眺める。タオルをお湯につけ、腕をまくって俺を振り返る光。
「服脱がすよ?」
「うん…」
体がだるくて、されるがままになる。Tシャツを捲られ、汗と熱で火照った肌がひやりとした空気に触れた。上を脱いだところで光はタオルを絞り、俺の背中を拭きはじめる。…気持ちいい。
首、腕、胸、腰…隅々まで丁寧に優しく拭くと、タオルをまたお湯の中につけ、新しいTシャツを広げる。
「はい。」
Tシャツを被せられ、もたもたと着ているうちに、光がタオルを濯ぐ音を聞く。
「こっちも脱がすよ。」
「え…下も?」
「うん。今日はお風呂入れないし、全部拭いてあげる。」
…それは…ありがたい、けど…。
「ほら、足あげて。」
「……。」
ズボンを脱がし、絞ったタオルで足を拭きはじめる光。…うーん、ムラムラしてくる…。
「はい、もういいよ。」
「…ありがと」
着替えを済ませ、すっきりした体を横たわらせると、光が布団をかけてくれる。片づけをしてトレーを持つと、俺の視線に気づいて振り向いた光が、優しく微笑んだ。
「これ片付けたら、林檎持ってくるね。」
こくり。胸が暖かくなりながら頷く。
「…光。」
ドアを閉めかけた光を、乾いた声で呼び止めた。
「…そこ、開けといて」
そう呟くと、光は柔らかく微笑んだ。
「はいはい。」
そう言って、光はリビングの方へ入っていった。
半開きのドアの向こうから、光がキッチンで建てる小さな物音が聞こえてくる。…風邪のせいだろうか、無性に光の存在が愛おしい。いや、いつも愛おしいけど、今日はなんだか…すごく、すごく、…苦しいくらい、抱きしめたい。傍に居てほしい。
…光、まだかな。林檎なんていいから、ここにいてほしい…。触れていてほしい。顔を見ていたい。
キィ、とドアが軋んで、俺は嬉しさがこみあげる。
「あ…、大丈夫?」
思わず起き上がった俺にちょっと目を丸くして、軽い早足でベッドに駆け寄る光。
「はい、林檎。」
「…うん」
すりおろした林檎。はちみつがかかっているらしい。口に含むと、鈍った味覚でもほのかに甘さを感じた。甘いのは好きじゃないけど…これは嫌いじゃない。
甘えたい衝動をくすぶらせて、光を見る。その柔らかな体を…めちゃくちゃに抱きしめたい。
「…?なに?」
その綺麗な瞳で…どれだけの男を見つめてきたんだ?どれだけの男が…お前に胸を焦がしたんだ…?
俺の知らない顔を、どれだけの男が、どれだけ知ってるんだ?
「…哲さんに告られたって本当?」
光はちょっと驚いたように小さく息を飲み、首を傾げた。
「…最近誰かとそういう噂でもしたの?」
「え?」
「東条にも、似たようなこと聞かれたから…」
東条…あいつもだ。まああいつは当時、自分から打ち明けてきたけど…。
「…いいから。教えて。」
「……。」
光は口を閉じ、小さく頷いた。
「…高校生の時に。」
「哲さんの弟にも?」
「え…、う、うん…」
「麻生と、東条と、楠先輩にも?」
「……。」
戸惑った瞳で俺を見つめる光。
「…みんな高校生の時だよ。どうしたの?急に。」
「…別に、驚いただけ。」
わかってる。光は悪くない。皆一方的に光を好きになって、告白しただけ。俺だって…その一人だった。
「…お前のこと、一番知っていたいんだ」
「……。」
「俺の知らないお前を、誰かが知ってるのは…嫌だ」
「……。」
光は目を瞬いて、神妙な顔をして俯いた。
「……それは…むずかしいと思う…。」
そう、あまりにも大真面目に呟くものだから、俺は少し笑ってしまった。
「な、なんで笑うの…?」
「はは、だって…そんな真面目に考えるとは思わなかったから…っげほ、ごほっ」
笑い出して、咳が出てきて、光は呆れながら俺の背中を撫でた。
「なあ、じゃあ、今までお前に告ってきた奴、教えてよ。」
「えぇ?そういうことは…」
「いいじゃん、昔のことだし。誰にも言わないし。」
「…覚えてない人もいるし…」
「覚えてる範囲でいいから。」
光はちょっと困りつつも、思い出しながら口を開いた。
「えっと…一也さんも知ってる人だと…」
「俺の知らないヤツも教えて。」
「えぇ?…うーん…、同級生は…斎藤君、山岡君、矢部君…」
「……。」
「あと…降谷君…は、あれは告白なのかな…。」
「え…降谷って、あの降谷?」
「野球部の降谷君だよ。」
「あいつが!?女に興味ねーような顔して…なんて言われたんだよ。」
「好きですって」
「思いっきり告白じゃねーか!」
「でも、付き合ってとか、言われなかったから…」
「は〜…他には?」
「あ、成宮さんとか…」
「それは知ってる」
「…薬師の真田先輩とか」
「…え!?アイツ?いつ!?」
「学校で会ったの。練習試合?で来たとか言ってて…連絡先きいてきて、そのあと電話で付き合ってくれって」
「…抜け目ねーなぁ」
「あとは〜…えっと…野球選手の…東さん?」
「…えっ…、ちょっと待って、それはいつ?」
「芸能界入ってわりとすぐ、始球式に出た時に知り合って…食事に誘われたの」
「…は〜〜〜」
「…知り合い?」
「めちゃくちゃ知り合いだよ…。…あとは?」
「えっとね…名前、なんだっけなぁ…野球部でリーゼントの…ちょっと怖い人」
「…梅宮か!?」
「うーん…多分、その人。一也さんが日本代表でアメリカのチームと親善試合したときの…」
「梅宮だわ…」
「あとは…よく覚えてない…のと、差出人不明の手紙とかもあったから…」
「…やっぱすげーモテるな、お前」
そうかな…、と照れたように俯く光。そうだよ。ここまでモテるやつ、そうそういないんじゃないか。
「その中に…付き合ってもいいかな、って思ったやつ…ほんとにいなかったのか?」
「え?」
「俺だけ…って言われんのは、嬉しいけどさ。普通は…とりあえず付き合ってみるとか、あるじゃん。ましてそんだけモテてたならさ…ひとりくらい、いいかもって思ったやつ、いたんじゃないの?」
「……。」
光はうつ向いて、ぽそりと呟く。
「一也さんの他に、好きになったのは…、…倉持さんだけだよ。」
……やっぱ、好きなんだ…倉持のこと。
あー、自分から聞いておいて…ダメージがデカい…。
「じゃあ…キスとか、セックスしたのも、俺の他は倉持だけ?」
「そ、…そんなこと…」
「教えてよ。…俺はお前としかしてない。でも、お前が誰とそういうことをしてても…ただ、それを知っておきたいだけだから」
その綺麗な瞳で見つめられる幸せを…その甘い唇で触れられる感触を、俺以外に誰が知っているのか。知りたいんだ。
「キスは…撮影で何度か…」
「……それはノーカンだから」
断固として認めない。仕事のはノーカン。
「それなら…倉持さんと、あと…東条」
「…え」
と…東条と、キスまでしてたのか…。
「そ…。それって、高校の時…?」
「ううん、えっと…先週」
「…は!?」
ちょっと待て。先週って…光臣のパーティーの時じゃん!
「…なんで!?」
「あ、諦める代わりに…キスしてほしいって言うから…」
あ…あいつ〜〜…!人畜無害な顔して…卑怯な真似を…!
「…あのな!そういうのは絶対諦めねー奴がいうもんなの!いう事聞いたらダメ!」
「え…。」
口元を押さえ、ちらりと目を泳がせる光。
「…まさか他にも同じことしたやつがいんの?」
「……。」
…こくり。観念したようにうなずく光。
「…倉持さん。」
「…どいつもこいつも…」
ため息を吐くと、思いのほか深かった。…嫉妬で狂いそう。
「…じゃあ、セックスは倉持と1回しただけ?」
「…最後までは…1回」
「さ、最後まではって何だよ…」
「倉持さんの看病してる時に…体を拭いてあげてたんだけど…、」
「……。」
「その…倉持さん、…勃っちゃって…。」
「……。」
「…手で、してあげたことが」
「…ほっとけよそんなの…」
「だって…両手使えないし、可哀そうでしょ」
「…ほんとにそれだけ?」
「……。」
ちょっと頬を赤くする光。
「…ちょっと…可愛くて」
「……。」
…こいつ、若干Sっ気あるんだよな…。
「わ…、」
光に覆いかぶさって押し倒し、衝動のままに抱きしめて、胸元に顔を埋める。柔らかくていいにおいがする光の胸…。こんなことができるのは俺だけ。
「…怒った?」
「…怒ったわけじゃないけど」
光のにおいを胸いっぱいに吸い込む。
「ちょっと…、…いや、かなり…ムカつく」
「……。」
でも…光に、ではない。他の男たちの誰かでもない。自分でもない。この状況…光を独占できない現状にムカついてる。
「…もう誰にも触らせるな。」
胸から顔を離し、じっと水色の瞳を見つめて言う。強請るように…でも、命じるように。
「じゃあ…離さないで。」
俺の頬を撫でて、俺を見つめ返す光。そうだよ…俺、光に遠慮しすぎてた。機嫌を窺って…嫌われないように、幻滅されないように、必死で…。もっと自信をもって、こいつの夫は俺なんだって…自分自身に思い知らさねえと…
顔を近づけ、キスを迫る。…と、俺の唇は光の手によって阻まれた。
「……。」
「風邪ひいてるでしょ。うつるからキスはダメ。」
…そうだった。
脱力してため息とともに布団に戻った俺を、光は優しい微笑みで見つめた。
「早く良くなってね。」
そう囁いて、俺の額にキスをして、冷たいタオルを載せて――枕もとのライトを消した。
目を丸くして俺を心配そうに覗きこむ光。その手には、体温計が握られている。
「…38度。ちょっと高いね。」
「…げほっ」
「ごはん、食べられそう?」
食欲はなかったけど、食べなきゃいけないことはわかっているから、小さく頷く。
「よかった。ちょっと待ってて、タオル濡らしてくる。その後ご飯作るね。」
「…ん」
光が立ち上がって部屋を出て行くと、急にさびしくなった。風邪なんて…何年ぶりだろう。オフで気が抜けてたなー…。いやでも、シーズン中じゃなくて本当によかった。
光はすぐに戻ってきて、洗面器をチェストの上に置いた。カラカラと涼しげな音がする。氷水が入っているらしい。光はそこでタオルを濡らして絞ると、俺の額に触れて前髪をどかした。冷たい、柔らかい手のひらがひんやりと顔の熱を癒す。
「…一也さん?」
思わずその手を掴んで引き留めた。
「タオル乗せるから、手離して。」
「…光の手がいい」
「無理に決まってるでしょ。」
わざとわがままを言って甘えてみたけど、ぴしゃりと撥ね退けられた。光は子供を甘やかさないタイプか…。
「ほら、手しまって。」
俺の手を布団に戻し、タオルを額にのせる。ひんやりと心地良い冷たさに睡魔が漂い始める。
すぐにうとうとし始めると、ピリリリリ、と冷たい電子音がそれを阻んだ。
「あ…ごめんね。」
光が慌てて枕元のスマホを取り、耳に当てながら部屋を出て行く。誰かから電話が来たのか…。
「司?うん私…」
…牧瀬か。何かの誘いかな。
「ごめん、今日はやめとく。…ん?ううん、違うよ。ちょっと一也さんが風邪みたいで…」
飲み会か何かかな…この時間だし。
「うん、じゃあね。」
すぐに電話を切って、光は部屋に戻ってくる。
「…ごめん」
渇いた声で言うと、光は微笑んで枕元に近づいた。
「いいよ、その代わり、今日は一日一緒に居られるから…」
「……。」
か…
「ふふふ。おかゆ作ってくるね。ちゃんと寝ててね。」
可愛すぎる…っ
頭がぼーっとしてしんどいのに…心臓がバクバクして。顔の熱さえ、風邪のせいじゃなく、光のせいのように思えてくる…。昔はこんな素直じゃなかったのになあ…。まあ、でも、昔もときどき見せるデレが可愛かったけど…。
…って、何考えてんだ俺。さっさと寝よ…。
***
コト、と静かな音がして、ぼんやりと目が覚めた。
「あ…起きた?」
光が優しく微笑んでいる。
「卵粥だよ。食べられる?」
「うん…」
しんどい体を起こすと、光は背中にクッションをあててくれる。
「あ…汗かいてるね。」
「…あつい。」
「ご飯食べたら着替えようか。体拭いてあげる。」
…なんだろう。なんか…すごく、光に甘えたい…。
「はい。熱いから気を付けてね。」
「……。」
膝の上に置かれる、美味しそうなお粥とお浸しとお茶が載ったトレー。光の手をとり、心地良い柔らかな肌を撫でる。
「…光、食べさせてよ。」
「……。」
きょとん、と珍しそうに俺を見る光。…何か今更恥ずかしくなってきた。
「一也さんも甘えるんだ?」
「…なんだよそれ。」
「うふふふ、可愛い」
…可愛いのはお前なんだけど。
「いいよ、はい…」
お粥を少し掬ってさまし、俺の口元に運ぶ光。
「あーん。」
…自分から頼んでおいてなんだけど、これ、すげえ恥ずかしい。でも…役得だ。
「…ん。」
「ふふ…」
光は楽しそうにまたお粥を掬う。光に食べさせてもらい、食事を終えると、光はトレーを提げて立ち上がった。
「着替え持ってくるね。」
…そうだった。着替えか。思い出すと、汗ではりつく服が鬱陶しく思えた。光はすぐに戻ってきて、シャツとズボンと下着をベッドの上に置くと、また部屋を出て行って、お湯とタオルを持って戻ってきた。てきぱきと動く光を眺める。タオルをお湯につけ、腕をまくって俺を振り返る光。
「服脱がすよ?」
「うん…」
体がだるくて、されるがままになる。Tシャツを捲られ、汗と熱で火照った肌がひやりとした空気に触れた。上を脱いだところで光はタオルを絞り、俺の背中を拭きはじめる。…気持ちいい。
首、腕、胸、腰…隅々まで丁寧に優しく拭くと、タオルをまたお湯の中につけ、新しいTシャツを広げる。
「はい。」
Tシャツを被せられ、もたもたと着ているうちに、光がタオルを濯ぐ音を聞く。
「こっちも脱がすよ。」
「え…下も?」
「うん。今日はお風呂入れないし、全部拭いてあげる。」
…それは…ありがたい、けど…。
「ほら、足あげて。」
「……。」
ズボンを脱がし、絞ったタオルで足を拭きはじめる光。…うーん、ムラムラしてくる…。
「はい、もういいよ。」
「…ありがと」
着替えを済ませ、すっきりした体を横たわらせると、光が布団をかけてくれる。片づけをしてトレーを持つと、俺の視線に気づいて振り向いた光が、優しく微笑んだ。
「これ片付けたら、林檎持ってくるね。」
こくり。胸が暖かくなりながら頷く。
「…光。」
ドアを閉めかけた光を、乾いた声で呼び止めた。
「…そこ、開けといて」
そう呟くと、光は柔らかく微笑んだ。
「はいはい。」
そう言って、光はリビングの方へ入っていった。
半開きのドアの向こうから、光がキッチンで建てる小さな物音が聞こえてくる。…風邪のせいだろうか、無性に光の存在が愛おしい。いや、いつも愛おしいけど、今日はなんだか…すごく、すごく、…苦しいくらい、抱きしめたい。傍に居てほしい。
…光、まだかな。林檎なんていいから、ここにいてほしい…。触れていてほしい。顔を見ていたい。
キィ、とドアが軋んで、俺は嬉しさがこみあげる。
「あ…、大丈夫?」
思わず起き上がった俺にちょっと目を丸くして、軽い早足でベッドに駆け寄る光。
「はい、林檎。」
「…うん」
すりおろした林檎。はちみつがかかっているらしい。口に含むと、鈍った味覚でもほのかに甘さを感じた。甘いのは好きじゃないけど…これは嫌いじゃない。
甘えたい衝動をくすぶらせて、光を見る。その柔らかな体を…めちゃくちゃに抱きしめたい。
「…?なに?」
その綺麗な瞳で…どれだけの男を見つめてきたんだ?どれだけの男が…お前に胸を焦がしたんだ…?
俺の知らない顔を、どれだけの男が、どれだけ知ってるんだ?
「…哲さんに告られたって本当?」
光はちょっと驚いたように小さく息を飲み、首を傾げた。
「…最近誰かとそういう噂でもしたの?」
「え?」
「東条にも、似たようなこと聞かれたから…」
東条…あいつもだ。まああいつは当時、自分から打ち明けてきたけど…。
「…いいから。教えて。」
「……。」
光は口を閉じ、小さく頷いた。
「…高校生の時に。」
「哲さんの弟にも?」
「え…、う、うん…」
「麻生と、東条と、楠先輩にも?」
「……。」
戸惑った瞳で俺を見つめる光。
「…みんな高校生の時だよ。どうしたの?急に。」
「…別に、驚いただけ。」
わかってる。光は悪くない。皆一方的に光を好きになって、告白しただけ。俺だって…その一人だった。
「…お前のこと、一番知っていたいんだ」
「……。」
「俺の知らないお前を、誰かが知ってるのは…嫌だ」
「……。」
光は目を瞬いて、神妙な顔をして俯いた。
「……それは…むずかしいと思う…。」
そう、あまりにも大真面目に呟くものだから、俺は少し笑ってしまった。
「な、なんで笑うの…?」
「はは、だって…そんな真面目に考えるとは思わなかったから…っげほ、ごほっ」
笑い出して、咳が出てきて、光は呆れながら俺の背中を撫でた。
「なあ、じゃあ、今までお前に告ってきた奴、教えてよ。」
「えぇ?そういうことは…」
「いいじゃん、昔のことだし。誰にも言わないし。」
「…覚えてない人もいるし…」
「覚えてる範囲でいいから。」
光はちょっと困りつつも、思い出しながら口を開いた。
「えっと…一也さんも知ってる人だと…」
「俺の知らないヤツも教えて。」
「えぇ?…うーん…、同級生は…斎藤君、山岡君、矢部君…」
「……。」
「あと…降谷君…は、あれは告白なのかな…。」
「え…降谷って、あの降谷?」
「野球部の降谷君だよ。」
「あいつが!?女に興味ねーような顔して…なんて言われたんだよ。」
「好きですって」
「思いっきり告白じゃねーか!」
「でも、付き合ってとか、言われなかったから…」
「は〜…他には?」
「あ、成宮さんとか…」
「それは知ってる」
「…薬師の真田先輩とか」
「…え!?アイツ?いつ!?」
「学校で会ったの。練習試合?で来たとか言ってて…連絡先きいてきて、そのあと電話で付き合ってくれって」
「…抜け目ねーなぁ」
「あとは〜…えっと…野球選手の…東さん?」
「…えっ…、ちょっと待って、それはいつ?」
「芸能界入ってわりとすぐ、始球式に出た時に知り合って…食事に誘われたの」
「…は〜〜〜」
「…知り合い?」
「めちゃくちゃ知り合いだよ…。…あとは?」
「えっとね…名前、なんだっけなぁ…野球部でリーゼントの…ちょっと怖い人」
「…梅宮か!?」
「うーん…多分、その人。一也さんが日本代表でアメリカのチームと親善試合したときの…」
「梅宮だわ…」
「あとは…よく覚えてない…のと、差出人不明の手紙とかもあったから…」
「…やっぱすげーモテるな、お前」
そうかな…、と照れたように俯く光。そうだよ。ここまでモテるやつ、そうそういないんじゃないか。
「その中に…付き合ってもいいかな、って思ったやつ…ほんとにいなかったのか?」
「え?」
「俺だけ…って言われんのは、嬉しいけどさ。普通は…とりあえず付き合ってみるとか、あるじゃん。ましてそんだけモテてたならさ…ひとりくらい、いいかもって思ったやつ、いたんじゃないの?」
「……。」
光はうつ向いて、ぽそりと呟く。
「一也さんの他に、好きになったのは…、…倉持さんだけだよ。」
……やっぱ、好きなんだ…倉持のこと。
あー、自分から聞いておいて…ダメージがデカい…。
「じゃあ…キスとか、セックスしたのも、俺の他は倉持だけ?」
「そ、…そんなこと…」
「教えてよ。…俺はお前としかしてない。でも、お前が誰とそういうことをしてても…ただ、それを知っておきたいだけだから」
その綺麗な瞳で見つめられる幸せを…その甘い唇で触れられる感触を、俺以外に誰が知っているのか。知りたいんだ。
「キスは…撮影で何度か…」
「……それはノーカンだから」
断固として認めない。仕事のはノーカン。
「それなら…倉持さんと、あと…東条」
「…え」
と…東条と、キスまでしてたのか…。
「そ…。それって、高校の時…?」
「ううん、えっと…先週」
「…は!?」
ちょっと待て。先週って…光臣のパーティーの時じゃん!
「…なんで!?」
「あ、諦める代わりに…キスしてほしいって言うから…」
あ…あいつ〜〜…!人畜無害な顔して…卑怯な真似を…!
「…あのな!そういうのは絶対諦めねー奴がいうもんなの!いう事聞いたらダメ!」
「え…。」
口元を押さえ、ちらりと目を泳がせる光。
「…まさか他にも同じことしたやつがいんの?」
「……。」
…こくり。観念したようにうなずく光。
「…倉持さん。」
「…どいつもこいつも…」
ため息を吐くと、思いのほか深かった。…嫉妬で狂いそう。
「…じゃあ、セックスは倉持と1回しただけ?」
「…最後までは…1回」
「さ、最後まではって何だよ…」
「倉持さんの看病してる時に…体を拭いてあげてたんだけど…、」
「……。」
「その…倉持さん、…勃っちゃって…。」
「……。」
「…手で、してあげたことが」
「…ほっとけよそんなの…」
「だって…両手使えないし、可哀そうでしょ」
「…ほんとにそれだけ?」
「……。」
ちょっと頬を赤くする光。
「…ちょっと…可愛くて」
「……。」
…こいつ、若干Sっ気あるんだよな…。
「わ…、」
光に覆いかぶさって押し倒し、衝動のままに抱きしめて、胸元に顔を埋める。柔らかくていいにおいがする光の胸…。こんなことができるのは俺だけ。
「…怒った?」
「…怒ったわけじゃないけど」
光のにおいを胸いっぱいに吸い込む。
「ちょっと…、…いや、かなり…ムカつく」
「……。」
でも…光に、ではない。他の男たちの誰かでもない。自分でもない。この状況…光を独占できない現状にムカついてる。
「…もう誰にも触らせるな。」
胸から顔を離し、じっと水色の瞳を見つめて言う。強請るように…でも、命じるように。
「じゃあ…離さないで。」
俺の頬を撫でて、俺を見つめ返す光。そうだよ…俺、光に遠慮しすぎてた。機嫌を窺って…嫌われないように、幻滅されないように、必死で…。もっと自信をもって、こいつの夫は俺なんだって…自分自身に思い知らさねえと…
顔を近づけ、キスを迫る。…と、俺の唇は光の手によって阻まれた。
「……。」
「風邪ひいてるでしょ。うつるからキスはダメ。」
…そうだった。
脱力してため息とともに布団に戻った俺を、光は優しい微笑みで見つめた。
「早く良くなってね。」
そう囁いて、俺の額にキスをして、冷たいタオルを載せて――枕もとのライトを消した。