「大丈夫…?」

目を丸くして俺を心配そうに覗きこむ光。その手には、体温計が握られている。

「…38度。ちょっと高いね。」
「…げほっ」
「ごはん、食べられそう?」

食欲はなかったけど、食べなきゃいけないことはわかっているから、小さく頷く。

「よかった。ちょっと待ってて、タオル濡らしてくる。その後ご飯作るね。」
「…ん」

光が立ち上がって部屋を出て行くと、急にさびしくなった。風邪なんて…何年ぶりだろう。オフで気が抜けてたなー…。いやでも、シーズン中じゃなくて本当によかった。
光はすぐに戻ってきて、洗面器をチェストの上に置いた。カラカラと涼しげな音がする。氷水が入っているらしい。光はそこでタオルを濡らして絞ると、俺の額に触れて前髪をどかした。冷たい、柔らかい手のひらがひんやりと顔の熱を癒す。

「…一也さん?」

思わずその手を掴んで引き留めた。

「タオル乗せるから、手離して。」
「…光の手がいい」
「無理に決まってるでしょ。」

わざとわがままを言って甘えてみたけど、ぴしゃりと撥ね退けられた。光は子供を甘やかさないタイプか…。

「ほら、手しまって。」

俺の手を布団に戻し、タオルを額にのせる。ひんやりと心地良い冷たさに睡魔が漂い始める。
すぐにうとうとし始めると、ピリリリリ、と冷たい電子音がそれを阻んだ。

「あ…ごめんね。」

光が慌てて枕元のスマホを取り、耳に当てながら部屋を出て行く。誰かから電話が来たのか…。

「司?うん私…」

…牧瀬か。何かの誘いかな。

「ごめん、今日はやめとく。…ん?ううん、違うよ。ちょっと一也さんが風邪みたいで…」

飲み会か何かかな…この時間だし。

「うん、じゃあね。」

すぐに電話を切って、光は部屋に戻ってくる。

「…ごめん」

渇いた声で言うと、光は微笑んで枕元に近づいた。

「いいよ、その代わり、今日は一日一緒に居られるから…」
「……。」

か…

「ふふふ。おかゆ作ってくるね。ちゃんと寝ててね。」

可愛すぎる…っ
頭がぼーっとしてしんどいのに…心臓がバクバクして。顔の熱さえ、風邪のせいじゃなく、光のせいのように思えてくる…。昔はこんな素直じゃなかったのになあ…。まあ、でも、昔もときどき見せるデレが可愛かったけど…。
…って、何考えてんだ俺。さっさと寝よ…。


***


コト、と静かな音がして、ぼんやりと目が覚めた。

「あ…起きた?」

光が優しく微笑んでいる。

「卵粥だよ。食べられる?」
「うん…」

しんどい体を起こすと、光は背中にクッションをあててくれる。

「あ…汗かいてるね。」
「…あつい。」
「ご飯食べたら着替えようか。体拭いてあげる。」

…なんだろう。なんか…すごく、光に甘えたい…。

「はい。熱いから気を付けてね。」
「……。」

膝の上に置かれる、美味しそうなお粥とお浸しとお茶が載ったトレー。光の手をとり、心地良い柔らかな肌を撫でる。

「…光、食べさせてよ。」
「……。」

きょとん、と珍しそうに俺を見る光。…何か今更恥ずかしくなってきた。

「一也さんも甘えるんだ?」
「…なんだよそれ。」
「うふふふ、可愛い」

…可愛いのはお前なんだけど。

「いいよ、はい…」

お粥を少し掬ってさまし、俺の口元に運ぶ光。

「あーん。」

…自分から頼んでおいてなんだけど、これ、すげえ恥ずかしい。でも…役得だ。

「…ん。」
「ふふ…」

光は楽しそうにまたお粥を掬う。光に食べさせてもらい、食事を終えると、光はトレーを提げて立ち上がった。

「着替え持ってくるね。」

…そうだった。着替えか。思い出すと、汗ではりつく服が鬱陶しく思えた。光はすぐに戻ってきて、シャツとズボンと下着をベッドの上に置くと、また部屋を出て行って、お湯とタオルを持って戻ってきた。てきぱきと動く光を眺める。タオルをお湯につけ、腕をまくって俺を振り返る光。

「服脱がすよ?」
「うん…」

体がだるくて、されるがままになる。Tシャツを捲られ、汗と熱で火照った肌がひやりとした空気に触れた。上を脱いだところで光はタオルを絞り、俺の背中を拭きはじめる。…気持ちいい。
首、腕、胸、腰…隅々まで丁寧に優しく拭くと、タオルをまたお湯の中につけ、新しいTシャツを広げる。

「はい。」

Tシャツを被せられ、もたもたと着ているうちに、光がタオルを濯ぐ音を聞く。

「こっちも脱がすよ。」
「え…下も?」
「うん。今日はお風呂入れないし、全部拭いてあげる。」

…それは…ありがたい、けど…。

「ほら、足あげて。」
「……。」

ズボンを脱がし、絞ったタオルで足を拭きはじめる光。…うーん、ムラムラしてくる…。

「はい、もういいよ。」
「…ありがと」

着替えを済ませ、すっきりした体を横たわらせると、光が布団をかけてくれる。片づけをしてトレーを持つと、俺の視線に気づいて振り向いた光が、優しく微笑んだ。

「これ片付けたら、林檎持ってくるね。」

こくり。胸が暖かくなりながら頷く。

「…光。」

ドアを閉めかけた光を、乾いた声で呼び止めた。

「…そこ、開けといて」

そう呟くと、光は柔らかく微笑んだ。

「はいはい。」

そう言って、光はリビングの方へ入っていった。
半開きのドアの向こうから、光がキッチンで建てる小さな物音が聞こえてくる。…風邪のせいだろうか、無性に光の存在が愛おしい。いや、いつも愛おしいけど、今日はなんだか…すごく、すごく、…苦しいくらい、抱きしめたい。傍に居てほしい。
…光、まだかな。林檎なんていいから、ここにいてほしい…。触れていてほしい。顔を見ていたい。

キィ、とドアが軋んで、俺は嬉しさがこみあげる。

「あ…、大丈夫?」

思わず起き上がった俺にちょっと目を丸くして、軽い早足でベッドに駆け寄る光。

「はい、林檎。」
「…うん」

すりおろした林檎。はちみつがかかっているらしい。口に含むと、鈍った味覚でもほのかに甘さを感じた。甘いのは好きじゃないけど…これは嫌いじゃない。
甘えたい衝動をくすぶらせて、光を見る。その柔らかな体を…めちゃくちゃに抱きしめたい。

「…?なに?」

その綺麗な瞳で…どれだけの男を見つめてきたんだ?どれだけの男が…お前に胸を焦がしたんだ…?
俺の知らない顔を、どれだけの男が、どれだけ知ってるんだ?

「…哲さんに告られたって本当?」

光はちょっと驚いたように小さく息を飲み、首を傾げた。

「…最近誰かとそういう噂でもしたの?」
「え?」
「東条にも、似たようなこと聞かれたから…」

東条…あいつもだ。まああいつは当時、自分から打ち明けてきたけど…。

「…いいから。教えて。」
「……。」

光は口を閉じ、小さく頷いた。

「…高校生の時に。」
「哲さんの弟にも?」
「え…、う、うん…」
「麻生と、東条と、楠先輩にも?」
「……。」

戸惑った瞳で俺を見つめる光。

「…みんな高校生の時だよ。どうしたの?急に。」
「…別に、驚いただけ。」

わかってる。光は悪くない。皆一方的に光を好きになって、告白しただけ。俺だって…その一人だった。

「…お前のこと、一番知っていたいんだ」
「……。」
「俺の知らないお前を、誰かが知ってるのは…嫌だ」
「……。」

光は目を瞬いて、神妙な顔をして俯いた。

「……それは…むずかしいと思う…。」

そう、あまりにも大真面目に呟くものだから、俺は少し笑ってしまった。

「な、なんで笑うの…?」
「はは、だって…そんな真面目に考えるとは思わなかったから…っげほ、ごほっ」

笑い出して、咳が出てきて、光は呆れながら俺の背中を撫でた。

「なあ、じゃあ、今までお前に告ってきた奴、教えてよ。」
「えぇ?そういうことは…」
「いいじゃん、昔のことだし。誰にも言わないし。」
「…覚えてない人もいるし…」
「覚えてる範囲でいいから。」

光はちょっと困りつつも、思い出しながら口を開いた。

「えっと…一也さんも知ってる人だと…」
「俺の知らないヤツも教えて。」
「えぇ?…うーん…、同級生は…斎藤君、山岡君、矢部君…」
「……。」
「あと…降谷君…は、あれは告白なのかな…。」
「え…降谷って、あの降谷?」
「野球部の降谷君だよ。」
「あいつが!?女に興味ねーような顔して…なんて言われたんだよ。」
「好きですって」
「思いっきり告白じゃねーか!」
「でも、付き合ってとか、言われなかったから…」
「は〜…他には?」
「あ、成宮さんとか…」
「それは知ってる」
「…薬師の真田先輩とか」
「…え!?アイツ?いつ!?」
「学校で会ったの。練習試合?で来たとか言ってて…連絡先きいてきて、そのあと電話で付き合ってくれって」
「…抜け目ねーなぁ」
「あとは〜…えっと…野球選手の…東さん?」
「…えっ…、ちょっと待って、それはいつ?」
「芸能界入ってわりとすぐ、始球式に出た時に知り合って…食事に誘われたの」
「…は〜〜〜」
「…知り合い?」
「めちゃくちゃ知り合いだよ…。…あとは?」
「えっとね…名前、なんだっけなぁ…野球部でリーゼントの…ちょっと怖い人」
「…梅宮か!?」
「うーん…多分、その人。一也さんが日本代表でアメリカのチームと親善試合したときの…」
「梅宮だわ…」
「あとは…よく覚えてない…のと、差出人不明の手紙とかもあったから…」
「…やっぱすげーモテるな、お前」

そうかな…、と照れたように俯く光。そうだよ。ここまでモテるやつ、そうそういないんじゃないか。

「その中に…付き合ってもいいかな、って思ったやつ…ほんとにいなかったのか?」
「え?」
「俺だけ…って言われんのは、嬉しいけどさ。普通は…とりあえず付き合ってみるとか、あるじゃん。ましてそんだけモテてたならさ…ひとりくらい、いいかもって思ったやつ、いたんじゃないの?」
「……。」

光はうつ向いて、ぽそりと呟く。

「一也さんの他に、好きになったのは…、…倉持さんだけだよ。」

……やっぱ、好きなんだ…倉持のこと。
あー、自分から聞いておいて…ダメージがデカい…。

「じゃあ…キスとか、セックスしたのも、俺の他は倉持だけ?」
「そ、…そんなこと…」
「教えてよ。…俺はお前としかしてない。でも、お前が誰とそういうことをしてても…ただ、それを知っておきたいだけだから」

その綺麗な瞳で見つめられる幸せを…その甘い唇で触れられる感触を、俺以外に誰が知っているのか。知りたいんだ。

「キスは…撮影で何度か…」
「……それはノーカンだから」

断固として認めない。仕事のはノーカン。

「それなら…倉持さんと、あと…東条」
「…え」

と…東条と、キスまでしてたのか…。

「そ…。それって、高校の時…?」
「ううん、えっと…先週」
「…は!?」

ちょっと待て。先週って…光臣のパーティーの時じゃん!

「…なんで!?」
「あ、諦める代わりに…キスしてほしいって言うから…」

あ…あいつ〜〜…!人畜無害な顔して…卑怯な真似を…!

「…あのな!そういうのは絶対諦めねー奴がいうもんなの!いう事聞いたらダメ!」
「え…。」

口元を押さえ、ちらりと目を泳がせる光。

「…まさか他にも同じことしたやつがいんの?」
「……。」

…こくり。観念したようにうなずく光。

「…倉持さん。」
「…どいつもこいつも…」

ため息を吐くと、思いのほか深かった。…嫉妬で狂いそう。

「…じゃあ、セックスは倉持と1回しただけ?」
「…最後までは…1回」
「さ、最後まではって何だよ…」
「倉持さんの看病してる時に…体を拭いてあげてたんだけど…、」
「……。」
「その…倉持さん、…勃っちゃって…。」
「……。」
「…手で、してあげたことが」
「…ほっとけよそんなの…」
「だって…両手使えないし、可哀そうでしょ」
「…ほんとにそれだけ?」
「……。」

ちょっと頬を赤くする光。

「…ちょっと…可愛くて」
「……。」

…こいつ、若干Sっ気あるんだよな…。

「わ…、」

光に覆いかぶさって押し倒し、衝動のままに抱きしめて、胸元に顔を埋める。柔らかくていいにおいがする光の胸…。こんなことができるのは俺だけ。

「…怒った?」
「…怒ったわけじゃないけど」

光のにおいを胸いっぱいに吸い込む。

「ちょっと…、…いや、かなり…ムカつく」
「……。」

でも…光に、ではない。他の男たちの誰かでもない。自分でもない。この状況…光を独占できない現状にムカついてる。

「…もう誰にも触らせるな。」

胸から顔を離し、じっと水色の瞳を見つめて言う。強請るように…でも、命じるように。

「じゃあ…離さないで。」

俺の頬を撫でて、俺を見つめ返す光。そうだよ…俺、光に遠慮しすぎてた。機嫌を窺って…嫌われないように、幻滅されないように、必死で…。もっと自信をもって、こいつの夫は俺なんだって…自分自身に思い知らさねえと…
顔を近づけ、キスを迫る。…と、俺の唇は光の手によって阻まれた。

「……。」
「風邪ひいてるでしょ。うつるからキスはダメ。」

…そうだった。
脱力してため息とともに布団に戻った俺を、光は優しい微笑みで見つめた。

「早く良くなってね。」

そう囁いて、俺の額にキスをして、冷たいタオルを載せて――枕もとのライトを消した。

 


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