218
「御幸〜、女子が呼んでる…」
ニヤニヤと教室に呼びかける声。
「御幸ならどっか行ったぜ。」
倉持の不愛想な声。
「はあ?また?…御幸いないってよ〜」
「え〜、じゃあ倉持君、御幸君に渡してくれない?」
「はあ!?なんで俺が…」
俺はこっそりと教室を離れる。不満げな声が遠ざかっていく。今日はバレンタインデー。面倒くさい日だ。
去年は堂々と「いらない」と言ったら、女子だけでなく男子からも反感を買ってさらに面倒な目に遭ったから、今年はこうして逃げ回っている。
使われていない準備室の、建付けが悪いドアを開ける。ここのはコツを掴めば一発だ。ここは時々、光とこっそり会う場所でもある。まあ今日は約束してないから、いないだろうけど…。
…今日がバレンタインであることについて、光からは何も言われてないけど…あいつ、忘れてんのかな?それともこういうイベントはやらない主義?甘いものは好きじゃないけど、俺は光からのチョコだったら…。
「…あ、いた。」
ドキリ、と心臓が跳ねる。段ボールの山の影から、光がこっちを覗き込んで、足元に散乱する物を避けながらやって来る。
「え…どうしたの?」
気取ってそんな風に返事をする。実は…1週間ほど前、喧嘩をしてから少し気まずい。罰ゲームでナンパさせられたことがバレてしまったのだ。それからあの手この手で機嫌を取っていたけど…まだ機嫌悪いのかな。くそ…表情が読めない…。
「今日、みんな一也先輩のこと探してますよ。」
「え、あー…」
「どこにもいないって聞いたから、ここにいるのかなって思って」
…じゃあ、光も俺を探して…?なんて、こっちから切り出すのは、催促してるみたいで恥ずかしい。
「どうして隠れてるんですか?」
「…今日、バレンタインじゃん」
その言葉で何か反応があるかと思ったけど、光は、はあ、と頷いただけだった。…反応うすっ
「だからだよ。」
「……。」
きょとんとして、考えるように視線を巡らせて、頬に人差し指を添えて、口をとがらせて…。何だこの生き物、可愛い。
「女の子から逃げてるんですか?」
「……。」
「チョコもらえるのに。」
「…いらねーよ」
お前以外からは…。
「…どうして?」
「甘いもん好きじゃねーし…貰っても迷惑。」
「……。」
光は口を噤んで、背中に手を回して壁に寄りかかった。
「…ふーん」
なんか、普通に話できてるな。もう機嫌なおったっぽい…?よかった。
「じゃ。」
「え?」
くるりと俺に背を向けて部屋を出て行こうとする光。
「え、もう行っちゃうの…?」
「次移動教室なので。」
急にそっけねえぇー…何なんだ?わけがわからない。
「まだ予鈴鳴ってないじゃん、平気だって。」
「準備があるので。」
「なぁ…、なんか怒ってる?」
「別に。」
うわ…怒ってるよ…。なんなんだよもう、機嫌治ったと思ったのに。まだ怒ってたのか?あのこと…。
「…おい、モックのこと、ホントに何もないからな?」
「はぁ?」
「…だから、モックの店員のこと!顔も覚えてねーし、あれから行ってないから」
「聞いてないですけど」
あー、もー、埒が明かない。
「じゃあさよなら。」
「は?さよならって…今日帰り一緒に」
ピシャン、とドアが閉まる。…今日帰り一緒に本屋行くって言ってたじゃん…キャンセルかよ。
チョコは…もらえなそうだな。あー、もう、ほんとバカなことした。あんな罰ゲーム…やるんじゃなかった。
***
「御幸、今日ご機嫌じゃん」
先輩に声をかけられ、思わず顔が緩んでいたことに気付く。
「え、いや〜、はっはっは…」
「アレだろ、今日バレンタインだから」
「あ〜、嫁さんから?食いすぎて太るなよ〜」
「大丈夫です!嫁にしっかり管理されてるんで!」
「ははは、うぜぇ〜」
時計を見上げて、筋トレを切り上げる。これ以上はオーバーワークだな。
「よー御幸。今年はチョコ貰えそうかよ?」
倉持がやってきて俺の肩を組み、からかってくる。
「? 御幸は毎年ファンから大量に送られてくるじゃん。」
それを聞いていた先輩がそう言うと、倉持はちょっと面食らったように言い返した。
「そんなのノーカンっすよ!顔に騙されてるんすよ!本命とは言えないっす!」
「なんだそれ。」
「こいつ、今の嫁さんから結婚するまで一度もチョコ貰ってないんすよ。」
こいつ…また余計なことをばらしやがって。
「え!?マジ?」
「今の嫁さんって…玉城光だろ?高2から付き合ってたんだよな?」
「…去年はもらったし」
「だからその去年が初チョコだったんだろ?」
「え!?初!?…出会って何年目だよ?」
「8年目だよな〜?」
くそムカつく…
「俺甘いもん苦手だし。気ぃ遣ってくれてたんだよ、どっかの元ヤンとちがって優しいから。」
「ヒャハハハ!必死かよ」
「…今年はもらえるし」
…多分。
「さーてどうかな〜?」
「うるせえよ、お前こそ貰うあてあんのかよ。『本命』。」
「……。」
ブチ、と倉持の逆切れの音を察知して、俺はシャワールームに逃げ込んだ。わ〜コエーコエー。元ヤンは嫌だね。
***
「一也さん、おかえりなさい。」
「ただいま。」
玄関まで出迎えてくれるエプロン姿の光を抱きしめる。はぁ可愛い。一日のストレスが吹っ飛ぶ…。
「はいこれ。」
「え?」
差し出されたのは綺麗なラッピング袋。こ…、これは…。
「今日バレンタインだから。」
「……っ」
ぎゅう、とまた華奢な柔らかい体を抱きしめる。こ、こんなに呆気なくもらえるとは…。驚きすぎて今更涙腺がチクチクする。
「え…、そ、そんなに喜ばれるなんて…」
びっくり…。と光はちょっと目を白黒させながら体を離した。リビングのソファに深く腰を下ろし、さっそく袋を開ける。光はコーヒーを淹れて持ってきてくれた。
「うわ、うまそ〜」
ハート形のブラウニー。なんか…いいな、こういう…王道な感じ。
「甘さもカロリーも控えめだよ。」
「さすが光…」
感涙しつつブラウニーを食べる。ほろ苦くて、口当たりは軽くて、美味しい。
「は〜…幸せ」
「……。」
光は微笑んだまま不思議そうに俺を眺めている。
「何?その目は…」
「だって…思ってた以上に喜んでるから…」
「当たり前だろ!」
思わず力んで言うと、光は驚いたように目を丸くした。
「…何が当たり前?」
「だって去年までずっともらったことなかったし…」
「……。」
「一生貰えないと思ってた…」
マジで。
「…え…。…欲しかったの?」
「欲しくない男がいると思う?」
「え…、だって…いらないって言ってたじゃん」
「…は!?俺が?いつ?」
きょとん。光は本当に、きょとん、としている。
「高校生の時だよ。」
「…え〜?何か勘違いしてないか?それ…」
「甘いもの苦手だし、貰っても迷惑、って言ってたでしょ。」
「……。」
ちょっと待て。…言った。確かに言った。だけどそれは…
「…それはお前以外の奴のことだから!」
「…え?」
きょとんとした顔が、少し赤くなった。
「あ〜…思い出したわ…あのときか」
「……。」
「俺はてっきり、まだ怒ってるから貰えなかったんだとばかり…」
「え…怒ってるって何に?」
「バレンタインの直前に喧嘩したじゃん」
「……?」
「え…覚えてねーの?」
俺、あの事で数か月は悩んだのに…。
「…まあいいや。誤解は解けたっつーことで」
スマホを取り出し、パシャ、とブラウニーを撮影する。
「…なんで撮るの?」
「倉持に自慢するから。」
「えぇ?」
光はちょっと笑って、コーヒーを飲んだ。
ニヤニヤと教室に呼びかける声。
「御幸ならどっか行ったぜ。」
倉持の不愛想な声。
「はあ?また?…御幸いないってよ〜」
「え〜、じゃあ倉持君、御幸君に渡してくれない?」
「はあ!?なんで俺が…」
俺はこっそりと教室を離れる。不満げな声が遠ざかっていく。今日はバレンタインデー。面倒くさい日だ。
去年は堂々と「いらない」と言ったら、女子だけでなく男子からも反感を買ってさらに面倒な目に遭ったから、今年はこうして逃げ回っている。
使われていない準備室の、建付けが悪いドアを開ける。ここのはコツを掴めば一発だ。ここは時々、光とこっそり会う場所でもある。まあ今日は約束してないから、いないだろうけど…。
…今日がバレンタインであることについて、光からは何も言われてないけど…あいつ、忘れてんのかな?それともこういうイベントはやらない主義?甘いものは好きじゃないけど、俺は光からのチョコだったら…。
「…あ、いた。」
ドキリ、と心臓が跳ねる。段ボールの山の影から、光がこっちを覗き込んで、足元に散乱する物を避けながらやって来る。
「え…どうしたの?」
気取ってそんな風に返事をする。実は…1週間ほど前、喧嘩をしてから少し気まずい。罰ゲームでナンパさせられたことがバレてしまったのだ。それからあの手この手で機嫌を取っていたけど…まだ機嫌悪いのかな。くそ…表情が読めない…。
「今日、みんな一也先輩のこと探してますよ。」
「え、あー…」
「どこにもいないって聞いたから、ここにいるのかなって思って」
…じゃあ、光も俺を探して…?なんて、こっちから切り出すのは、催促してるみたいで恥ずかしい。
「どうして隠れてるんですか?」
「…今日、バレンタインじゃん」
その言葉で何か反応があるかと思ったけど、光は、はあ、と頷いただけだった。…反応うすっ
「だからだよ。」
「……。」
きょとんとして、考えるように視線を巡らせて、頬に人差し指を添えて、口をとがらせて…。何だこの生き物、可愛い。
「女の子から逃げてるんですか?」
「……。」
「チョコもらえるのに。」
「…いらねーよ」
お前以外からは…。
「…どうして?」
「甘いもん好きじゃねーし…貰っても迷惑。」
「……。」
光は口を噤んで、背中に手を回して壁に寄りかかった。
「…ふーん」
なんか、普通に話できてるな。もう機嫌なおったっぽい…?よかった。
「じゃ。」
「え?」
くるりと俺に背を向けて部屋を出て行こうとする光。
「え、もう行っちゃうの…?」
「次移動教室なので。」
急にそっけねえぇー…何なんだ?わけがわからない。
「まだ予鈴鳴ってないじゃん、平気だって。」
「準備があるので。」
「なぁ…、なんか怒ってる?」
「別に。」
うわ…怒ってるよ…。なんなんだよもう、機嫌治ったと思ったのに。まだ怒ってたのか?あのこと…。
「…おい、モックのこと、ホントに何もないからな?」
「はぁ?」
「…だから、モックの店員のこと!顔も覚えてねーし、あれから行ってないから」
「聞いてないですけど」
あー、もー、埒が明かない。
「じゃあさよなら。」
「は?さよならって…今日帰り一緒に」
ピシャン、とドアが閉まる。…今日帰り一緒に本屋行くって言ってたじゃん…キャンセルかよ。
チョコは…もらえなそうだな。あー、もう、ほんとバカなことした。あんな罰ゲーム…やるんじゃなかった。
***
「御幸、今日ご機嫌じゃん」
先輩に声をかけられ、思わず顔が緩んでいたことに気付く。
「え、いや〜、はっはっは…」
「アレだろ、今日バレンタインだから」
「あ〜、嫁さんから?食いすぎて太るなよ〜」
「大丈夫です!嫁にしっかり管理されてるんで!」
「ははは、うぜぇ〜」
時計を見上げて、筋トレを切り上げる。これ以上はオーバーワークだな。
「よー御幸。今年はチョコ貰えそうかよ?」
倉持がやってきて俺の肩を組み、からかってくる。
「? 御幸は毎年ファンから大量に送られてくるじゃん。」
それを聞いていた先輩がそう言うと、倉持はちょっと面食らったように言い返した。
「そんなのノーカンっすよ!顔に騙されてるんすよ!本命とは言えないっす!」
「なんだそれ。」
「こいつ、今の嫁さんから結婚するまで一度もチョコ貰ってないんすよ。」
こいつ…また余計なことをばらしやがって。
「え!?マジ?」
「今の嫁さんって…玉城光だろ?高2から付き合ってたんだよな?」
「…去年はもらったし」
「だからその去年が初チョコだったんだろ?」
「え!?初!?…出会って何年目だよ?」
「8年目だよな〜?」
くそムカつく…
「俺甘いもん苦手だし。気ぃ遣ってくれてたんだよ、どっかの元ヤンとちがって優しいから。」
「ヒャハハハ!必死かよ」
「…今年はもらえるし」
…多分。
「さーてどうかな〜?」
「うるせえよ、お前こそ貰うあてあんのかよ。『本命』。」
「……。」
ブチ、と倉持の逆切れの音を察知して、俺はシャワールームに逃げ込んだ。わ〜コエーコエー。元ヤンは嫌だね。
***
「一也さん、おかえりなさい。」
「ただいま。」
玄関まで出迎えてくれるエプロン姿の光を抱きしめる。はぁ可愛い。一日のストレスが吹っ飛ぶ…。
「はいこれ。」
「え?」
差し出されたのは綺麗なラッピング袋。こ…、これは…。
「今日バレンタインだから。」
「……っ」
ぎゅう、とまた華奢な柔らかい体を抱きしめる。こ、こんなに呆気なくもらえるとは…。驚きすぎて今更涙腺がチクチクする。
「え…、そ、そんなに喜ばれるなんて…」
びっくり…。と光はちょっと目を白黒させながら体を離した。リビングのソファに深く腰を下ろし、さっそく袋を開ける。光はコーヒーを淹れて持ってきてくれた。
「うわ、うまそ〜」
ハート形のブラウニー。なんか…いいな、こういう…王道な感じ。
「甘さもカロリーも控えめだよ。」
「さすが光…」
感涙しつつブラウニーを食べる。ほろ苦くて、口当たりは軽くて、美味しい。
「は〜…幸せ」
「……。」
光は微笑んだまま不思議そうに俺を眺めている。
「何?その目は…」
「だって…思ってた以上に喜んでるから…」
「当たり前だろ!」
思わず力んで言うと、光は驚いたように目を丸くした。
「…何が当たり前?」
「だって去年までずっともらったことなかったし…」
「……。」
「一生貰えないと思ってた…」
マジで。
「…え…。…欲しかったの?」
「欲しくない男がいると思う?」
「え…、だって…いらないって言ってたじゃん」
「…は!?俺が?いつ?」
きょとん。光は本当に、きょとん、としている。
「高校生の時だよ。」
「…え〜?何か勘違いしてないか?それ…」
「甘いもの苦手だし、貰っても迷惑、って言ってたでしょ。」
「……。」
ちょっと待て。…言った。確かに言った。だけどそれは…
「…それはお前以外の奴のことだから!」
「…え?」
きょとんとした顔が、少し赤くなった。
「あ〜…思い出したわ…あのときか」
「……。」
「俺はてっきり、まだ怒ってるから貰えなかったんだとばかり…」
「え…怒ってるって何に?」
「バレンタインの直前に喧嘩したじゃん」
「……?」
「え…覚えてねーの?」
俺、あの事で数か月は悩んだのに…。
「…まあいいや。誤解は解けたっつーことで」
スマホを取り出し、パシャ、とブラウニーを撮影する。
「…なんで撮るの?」
「倉持に自慢するから。」
「えぇ?」
光はちょっと笑って、コーヒーを飲んだ。