「なあ、もうヤッてんのかな」

友人の一人が呟いた。他の友人たちも、ニヤニヤと廊下を眺めている。
廊下には、何か話をしている玉城と御幸先輩。隅っこの方で、人目を避けながら。時々照れた様に頭を掻く御幸先輩と、口元に手を当てたまま俯き加減の玉城。はた目から見ていても、初々しい、爽やかなカップル。学校中で1,2を争うモテっぷりの美男美女のカップルというだけあって、そんなふうにおしゃべりをしているだけでも、ものすごく注目を浴びている。

「いや〜…あれはまだヤッてねーだろ」
「手も繋いでなさそう」
「でもわかるわ、俺玉城さんにヤリたいなんて言えねーもん」
「バチあたりそうだよな…」

玉城が美人すぎてしり込みして声もかけられなかった男は大勢いる。だけど、話してみれば普通の…普通に楽しいことが好きで、悪戯が好きで、美味しいものやかわいいものが好きな、本当に普通の…女の子だ。努力家で、負けず嫌いで、意外と天然で…時々、脆い。

「…でもさ、玉城さんって意外に…デカいよな」
「……あ〜」

ちらり、と動く友人たちの目。不意に腕を組んだ玉城の、その腕に寄せられる丸い膨らみ…。セーターを着ていてもわかる、出るところがはっきりと出ている体のシルエット。

「俺体育の時見たけど相当デカいぜアレ」
「お前何見てんだよ〜…」
「いや皆見てるだろ?」

「……。」
「……。」

「…御幸先輩、もう揉んだのかな?」
「お前…、ははは!何妄想してんの?」
「いやでもいつかは揉めるんだよな…」
「……。」
「……。」

皆ため息交じりに天井を仰いだ。

「あ〜神様って不公平」
「結局イケメンが得をする世界なんだ…」

そのとき、御幸先輩が何か冗談を言ったのか、玉城が笑いだした。御幸先輩の手が伸びて、玉城の髪を触る。玉城も一緒になって、髪を触りながら何かを話している。…前は、髪触って怒られてたな、御幸先輩…。
俺が、ずっと触れたいと思っていた場所に、簡単に触れている御幸先輩。俺がずっと目指していた場所に、いつの間にか立っていた御幸先輩。どうして…。好きになったのは、俺の方が先なのに…。

「…やっぱ手くらいは繋いでるか?」
「キスもしてんじゃね?」
「え〜…嘘だろ…」

皆、二人に興味津々で、俺は、毎日のように二人の噂を耳にしていた。



***



「だから言っただろ。」

目の前で怖い顔をして腕を組んでいる信二。

「あの御幸先輩があそこまでキレるって相当ヤバいぞ…ベロベロに酔ってたとはいえ。」
「…わかってる。」

うん、相当ヤバイ。御幸先輩はあまり人に怒りをぶつけるタイプじゃないし。高校時代、怒っているところなんて見たことがない。…でも、なぜか今、焦りはなかった。

「…光さんが話したんじゃねーの?お前に言われてキスしたこと…」
「そうかもね。」
「そうかもねって…お前、ちょっとは焦れよ!」
「焦ったって…仕方ないよ。」

もう起きることが起きてしまった。光にフラれて、御幸先輩に幻滅されて。それはもう、巻き戻せない。

「卑怯なことしたって…わかってる。」
「……。」
「でも俺…、光以外の人を…こんなに好きになれないよ。」
「……。」
「誰と会ってても…光を思い浮かべる。…どうしても消えない。」

信二はじっと俺を見ていて、俺はその視線に射抜かれ続けるのを耐えるように、身じろぎひとつしなかった。すると信二が急に手を伸ばし、テーブルの上に伏せておいていた俺のスマホをひょいと取った。

「えっ…、な、何してんの?」
「……。」
「ちょっと信二、返せよ」
「いいから、ちょっと待ってろ」
「……。」

暫く操作して、コツン、とスマホをテーブルの上に戻し、俺の前に差し出す。

「…何したの?」

起動してみても、画面には変わったところはない。

「光さんの連絡先、全部消した。」

「……え?」

電話帳を開く。…光の名前がない。LIMEも、個人的なSNSも。全部…。

「こうでもしないとお前、いつまでも気になっちまうだろ。」
「……。」

それは…そうかもしれない、けど…。

「今後一切連絡とるの禁止。SNS見るのも禁止!いいな?見張ってるからな!」
「……。」

ばかだな…俺。信二にここまでしてもらって…。自分で自分の気持ちひとつ、整理付けられないなんて。

「…うん。」

俺がスマホを仕舞うと、信二は短くため息をついた。



***



「光〜〜。」
「……。」
「おーい光〜」
「……。」
「いいかげん機嫌直せよー。光さ〜ん」

「あのふたり、また喧嘩してんの?」

月に1,2回は見る光景を、クラスメイトたちは面白そうに見物している。学校の名物カップルのお馴染みの光景だ。大体は御幸先輩が何かドジを踏んで、玉城が機嫌を損ねて、御幸先輩が必死に機嫌取りをしに2年の教室まで来る。その繰り返し。今度はどれくらい長引くかな?と、皆他人事だと思って面白がっている。

「おいってば。ゴメンって言ってるだろ!」
「……。」
「無視は酷いぞ〜」
「……。」

「玉城さん、かなり怒ってるっぽいな」
「徹底無視とは…」
「今回は長引きそうだな〜」

隣のクラスのことなのに、廊下まで見に行っている野次馬の実況のおかげで状況がわかってしまう…。

「あっ、玉城さんが出てった。」

「待てよ〜光ー」

少々疲れた様子で、はーやれやれ、と御幸先輩がのんびりと玉城を追いかけて歩いて行く。

「ついてこないでください。」
「じゃあ無視しないでくださーい」

子供っぽいそんなやりとりをしながら廊下をつかつか歩いて行く玉城とのんびり歩いて行く御幸先輩。あれでよく付き合ってるよな、とクラスメイト達が笑っていた。

その日の昼休み、御幸先輩は玉城の教室に来なかった。いつもなら、許してもらえるまでしつこいくらい来るのに…。やはり気になっていると、どうやら、玉城も教室にはいないようだった。皆興味はあるものの、当人たちの姿が無いからか、それほど話題になっていなかった。
俺は昼飯を食べ終えて、課題の本を借りに行くために図書室へと向かった。普段あまり通らない廊下。ここからは中庭が見える。
その中庭の、誰も行かないような非常階段の入り口の辺りで、人が動いたような気がした。そこに目をやったのは偶然だった。反射的に、何も考えず。だけど、そこに御幸先輩と玉城の姿を見つけたら、俺の足は止まっていた。

壁に背を持たれていじけているような玉城。根気強く話している御幸先輩。2人がなぜケンカをしているのか、俺は知らないけど…どうやら、御幸先輩の方に非があるようだった。でも御幸先輩は、普段、誰かを怒らせても飄々と笑っているような…人の顔色なんて気にしないような人なのに、玉城にはあんなに気を遣うんだ、と驚いた。そりゃ、彼女を怒らせて放っておくような人だとも思ってはいないけど…。
御幸先輩は根気強くずっと謝っていたようだったけど、やがて、うんともすんともいわない玉城に辟易したのか、仕切り直そうとしたのか…躊躇いつつも踵を返した。これはまた明日出直すパターンだ。御幸先輩も気が長い。案外、面倒見良いもんな…。
そう思った時、それまで動かなかった玉城が急に手を伸ばして、御幸先輩のセーターの裾をちょっと引っ張った。御幸先輩は立ち止り、また玉城に向き直る。それから二人は距離を詰めて…おいおい、近いよ。さっきまで喧嘩してたくせに、そんなにくっついて…。
ひやひやと見ていたけど、御幸先輩が玉城の頬に手を添えたところで、俺の頭は真っ白になった。
御幸先輩の背中が少しかがむ。玉城はちょっと上を向いたまま、動かない。御幸先輩が少し、首を傾けて――え、今…キスした、のか?ここからじゃ、御幸先輩の背中で良く見えない。だけど…あの体勢。あの距離。…キスしてた。玉城と、御幸先輩が…。

俺は、廊下の壁に背をつけて、しばらくそこに立っていた。


***


信二には、もう光臣の家にも行くな、と言われた。
光に会ってしまうかもしれないからだ。

「ごめん東条君、こっちから呼んでおいて…。光臣、もうすぐ帰ってくると思うから。」
「いや、大丈夫だよ。」

だけど光臣から誘われて、俺は断ることができなかった。牧瀬はどこかへ出かけるところだったらしく、忙しそうにしながらも俺を客室に通して声をかけて行ってくれた。
ひとりでソファに座り、ぼーっと部屋の中を眺める。シンプルでモダンで、品のある家具や調度品。アンティーク調なのに、現代的で洗練されている。前に聞いたけど、光臣がこの屋敷を使うようになってから、内装を彼の好みに一新したらしい。だから趣のある屋敷でも、古めかしくない、若者らしさがあるんだろう。
キィ、と軽い音を立ててドアが開いた。光臣が来たのかと思って振り向いたけど、俺も――ドアを開けた光も、ぴたりと動きを止めた。

「……。」
「……ごめんなさい」

光は静かに言って、すぐにドアを閉めようとした。

「ま…待って!」

思わず呼び止めると、閉まりかけたドアが止まった。

「ごめん、俺…違うんだ、光に会いに来たわけじゃ、ないから…」
「わかってるよ、…光臣と約束があるんでしょ?」
「う…うん」

それにしたって、会う可能性のあるここへ来るなんて――そう思ってるだろうな。きっと、バレてる。

「じゃあ、私…行くね。」

光はまたドアを閉めようとして…俺は咄嗟に、そのドアを掴んでいた。
このドアが閉まったら、もう…次に会えたとしても、言い訳もできない。もう会えないってことだ。光に触れることも、笑いかけてもらえることも、もう二度と…。
戸惑ったように俺を見上げる二つの綺麗な目。きらきら揺れて、俺を映している。唇は赤く、小さくて、柔らかそうで…。白い頬は、ふんわりとバラ色が差し、すべすべしていて、やっぱり、柔らかそうで……。
綺麗な亜麻色の髪、華奢な鎖骨、細い腕、胸の膨らみ…。御幸先輩はあんなに、自然に…普通に触れていた。俺がためらっているうちに。
今手を伸ばして、そこに触れたら…光はどんな反応をするだろう。…怒る?それとも…御幸先輩にしていたのと同じように、少し呆れながら…受け入れてくれる?
だって…俺に、キスしたじゃないか。

手を伸ばした。頬に…柔らかな頬に指先が触れた。さらさらした髪が少し、手の甲をくすぐった。そして…身体を屈めて、顔を近づけ――

俺は、光に押し退けられた。

俺を力いっぱい押し返して、光は、手を振りあげた。ぱちん、と耳元で乾いた音がして、右頬がちくりと痛んだ。
…光に、頬を叩かれた。俺はそれを理解するのに時間が必要だった。それは…はっきりとした拒絶だった。

「やめて。…東条のこと、嫌いになりたくない。」

冷たい声で、光が言った。もう…幻滅されている声だ。それなのに、「嫌いになりたくない」と警告するような言い方をしたのは…光の優しさだ。

「こんな終わり方…、したくなかった。」

光は悲しそうに呟いて、躊躇いなくドアを閉めた。重たい音が響き、部屋は薄暗くなった。

こんな、終わり方…。…俺だって同じだよ。でも、だけど…御幸先輩のようにはなれなくて、倉持先輩ほど近くにも行けなかった。俺にはそんなチャンス、なかった。知らないうちに…俺が気付かないうちに、御幸先輩に…全て捧げていたくせに。終わりどころか…始まることも、できなかったじゃないか。

 


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