「こ…こんにちは。」
「…おう」

待ち合わせ場所に現れた木崎さんに、俺は早速戸惑いながら頬を掻いた。今日一日どうすごせばいいのやら。だけど…。
木崎さんは爽やかな空色のシャツワンピースで、明るい色の髪をポニーテールにしていて、いつもより明るい印象で。…やっぱ、結構可愛い。

「じゃあ…行くか」
「は、はい…。」

俯き気味の彼女と、美術館へと向かった。


美術館の前にはなかなか長い列ができていた。マジかよ。美術館ってこんなに人来るの?
だけど、御幸達からすでにチケットは貰っているから、俺たちはこの行列に並ぶ必要はない。

「チケットをお持ちの方はこちらからご入場くださ〜い」

プラカードを持っている係員の横を通り抜け、館内に入る。ひやりとした冷風に、汗ばんだ肌が一気に冷やされた。
中には、学生らしき人、いかにも芸術系の仕事をしていそうな人、家族連れ、カップル…。…俺らもカップルに見られてんのかな、と少し胸の奥がムズムズする。

「あ…あの…!」
「ん?」

微かに声がして、振り返ると、木崎さんがちょっと駆け足になって追いついてきた。

「す…、すみません。」
「いや、俺の方が…ごめん」

あ…歩くの早すぎたか?木崎さんの足元は…ヒールのサンダル。俺の方が、背も高いしな…。…そういえば、光とはこんなふうに…一緒に歩いたこともなかったっけ。俺、そう考えると…まともなデートって、これが初めてなのか。
……20半ばでまともにデートもしたことないって…俺、結構やばくねえか?

「あれっ」

…聞き覚えのある声。振り向くと、予想通り…

「なんだ、倉持達も今日来てたの?」
「こんにちは。」

御幸と光…。顔が知られてる同士だからか、2人とも黒いキャップを被って、ラフな格好をしている。

「マネすんなよ〜。」
「お前とオフの日被ってんだからしょうがねーだろ!」

「光先輩、こんにちは…。」
「ふふ、こんにちは。」

けど、助かった…。この二人がいれば、なんとか会話も…。

「一也さん、お邪魔しちゃうし…」
「そうだな。じゃあな〜」

「えっ…」
「……。」

手を振って、「海の絵画展」と書かれた入り口に入って行く二人。お…置いて行かれた…。

「……。」
「……。」
「…い、行くか。」
「は…はい…。」

こっくり、うなずく木崎さんと展覧室へ入った。中は静かで、皆真剣に絵を見ている。あんまり気取った場所は慣れないけど…よかった、これなら会話が無くても大丈夫そうだ…。

「……。」
「……。」

ふたり、着かず離れずの距離で歩きながら、絵を眺める。…正直、楽しくはない。皆どういう気持ちでこの絵を眺めてんだ?確かに綺麗ではあるけどよ…そんなに長時間見てて飽きねーのかな。あのおじさんなんて、さっきからずっとあの絵ばっか見てるし…。
ちらりと絵から視線を外し、部屋の中に人たちを眺める。ちょっと先に光が見えた。壁一面を覆うくらい大きな嵐の海が描かれた絵の前に、光が立っている。絵を見上げて、後ろで手を組んで。白っぽいロングカーディガンにジーンズ姿の光は、その絵の前に佇んでいると、ひどく小さく見えた。今にもその絵が動き出して、光を飲みこんでしまいそうな…。俺は息苦しささえ感じて、光から目が離せなかった。するとそこへ、御幸が追いついたようにやって来た。彼女の後ろから近付いて行って、そっと、後ろで組まれた手を取った。光はちょっと御幸を見上げて、御幸も光を見つめて、ふたりは指を絡ませて手を繋ぎ、ふたりで並んで絵を眺めはじめた。

なんか…いいな、と思うのは、あの二人の恋人としての姿に対してなのか…御幸のポジションに対してなのか。ただ、その羨望の中に、胸が痛む何かすっきりしない感情は確かにあった。



***



美術館を出て、時間を確認しようとスマホを取り出すと、御幸からメールが入っていた。

『美術館に併設されてるカフェ、いい感じだから木崎さんと行けよ。俺たちはこれで帰るから』

…また余計なお世話を。

「あの…。」

美術館を出て、初めて木崎さんが口を開いた。

「…このあと…どうしますか…?」
「……。」

どうしよう。

「あー…、えっと…。」
「……。」
「…か…カフェでも…寄ってく?」
「……。」

こくん。木崎さんは頷いた。マジか…。

「じゃあ…行くか。」
「…はい。」

また二人で歩きだし、美術館の隣にあるおしゃれなカフェに入る。…つーか…カップルだらけじゃねーか、ここ。
美術館併設店のせいか結構混んでいたが、席数が多いおかげで、ほどなくしてテラス席へ案内された。

「ご注文がお決まりの頃にまたお伺いいたします。」

白いシャツに黒いパンツ姿の店員が恭しくお辞儀をして去っていく。こういう感じ、昔は苦手だったけど…光の実家によく行ってたおかげで、前よりは慣れたな。

「何にする?」
「え…っと…。…お、オレンジティー…。」

頷いて、店員を呼び、飲みもんを注文した。

「あ…ありがとうございます…。」
「え?…ああ、別に…」

…注文したこと…だよな。特に気にしてなかった…。

「……。」
「……。」

うーん、やっぱ気まずい…。木崎さん…モデルって言ってたけど…モデルってもっと、堂々としてる人ばかりだと思ってた。なんか、見てて心配になる子だな。…またもじもじしてるし。

「…えっ!?ねえあそこにいるの、モデルのエミじゃない!?」
「うそ!?」

びくり、と木崎さんが肩を竦ませる。テラス席の横を通りかかった高校生らしき女の子二人組が駆け寄ってきたのだ。

「あの…モデルのエミさんですよね!?」
「あ…。え、えっと…。」

木崎さんは動揺しながら頷いた。

「…は…はい…」
「きゃーっ、やっぱり!!」
「本物だ!!やっぱ超可愛い!!」

女子高生特有の盛り上がりに木崎さんは顔を赤くして戸惑う。すると、女子高生たちは俺に視線を映した。

「えっ、彼氏さんですかー!?」
「結構かっこいい〜」

結構ってなんだよ。…悪い気はしないけど。

「いや俺は…」
「お…お友達です。」

木崎さんが若干焦った様子で否定した。だけど相手は女子高生。にやにやと俺たちを見て、木崎さんの言葉はあまり信じていなさそうだった。

「っていうか、一緒に写真とか撮ってもらえませんか?」
「い…いいですよ。」
「やった〜!あっ、カメラお願いしまーす!」

スマホ2台を押し付けられる。…俺が撮るのかよ!

「はいチーズ」

女子高生に挟まれて笑顔を浮かべる木崎さん。…こうしてみると、やっぱ美人…だな。笑顔も、画面越しの写りも、様になってるし…。

「ありがとうございまーす!!」

女子高生たちはお互いのスマホを嬉しそうに見ながらきゃっきゃと去って行った。…さ、騒がしかった。俺も数年前はあんな感じだったのか?まあ、男と女じゃまた違うよな。

「あの…。すみません…」
「え?いや全然。つーかすげえじゃん、有名なんだな、木崎さんって。ゴメン俺、モデルとか疎くて…」
「い…いえ、そんなこと…。光先輩に比べたら、私なんて…。」

そりゃ…知名度で言ったら光はトップレベルだけど…。そこ比べなくても。

「失礼いたします。こちら、オレンジディーとアイスレモンティーでございます。」

店員がさっそうと現れ、グラスと伝票を置く。

「ご注文は以上でお揃いでしょうか?」
「はい。」
「ごゆっくりどうぞ。」

礼儀正しくお辞儀をし、去っていく店員。目の前にはもじもじと顔を赤くして座る木崎さん。御幸も…光とこんなふうに、デートしたのかな。
オフの日は、ふらりといなくなって、いつの間にか帰ってきてたっけ。付き合ってることは、3年の夏には学校中に知れ渡ってたけど…実際にあのふたりがどんなふうに親密になっていったのか、どんなふうに二人で過ごしているのか…知っている奴はほとんどいない。というか、誰も知らないんじゃないか?御幸は光と出会うまでは「彼女なんかより野球」と宣言してた男だし、光だって毎日のように告白されては振り続ける、難攻不落の城だった。だから、いつの間にか恋人同士になっていたあの二人は、色々と謎に包まれている。あの牧瀬ですら、実際にいつからどうやって付き合うことになったのか、よく知らないと言っていたし…。

「ひゃあぁ!?」
「!?」

突然、木崎さんが悲鳴を上げて立ち上がった。

「ど、どした?」
「……っ!!」

震える手で指差す先はテーブルの上…の、小さな芋虫。

「ああ…虫?」

ひょいと摘み上げて、近くの花壇に落とす。すると木崎さんは深呼吸をして胸をなでおろし、今頃顔を真っ赤にして、すとん、と椅子に座った。

「……。」
「……。」
「……ぶっ…くく」
「く…倉持さん!」

顔を真っ赤にして俺に食って掛かる木崎さんは珍しい。

「ほ、本当にびっくりしたんですから…!本当に苦手なんです!」
「わ、悪い悪い…。」

謝りながら笑いを堪える。なんだ、この子、結構面白いとこあるじゃん。それに…慌てる姿はなんだか可愛い。

「はー…。…えっと。…モデルって、何年くらいやってんの?」
「え…。えっと…高校卒業して、2年間短大に通いながら、読者モデルをやってて…。卒業してから正式にモデル契約して…」
「へー、じゃあ結構長いんだな。つーか、高校の頃は全然違うって言ってたけど…どんな感じだったんだ?」
「……写真…見ますか?」
「なんか嫌そうだな。」
「本当に…男子みたいなので…」
「今はそんな女の子らしいのに?」
「…う、え、えっと…あの……。…しゃ、写真、これです…」

…何か俺恥ずかしい事言ったな。顔を真っ赤にしてスマホを差し出した木崎さんからそれを受け取り、画面を見る。ジャージ姿でピースサインをするショートカットの……少女。だよな?…た、たしかに男にも見える…。

「……。」
「……あー、うん」
「お…男っぽい…ですよね…」
「いや、でも…やっぱモデルになるだけあるわ、顔ちっせえし目はでかいし…美人だな」
「………。」

あ…また赤くなった。

「それに、今はそんな、色白で女の子っぽくて…相当努力したんだな。」
「………。」

いよいよトマトかリンゴかというほど赤くなってきた木崎さん。爆発しそうだ。なんか、面白い。

「…読者モデル…始めた頃は」
「ん?」
「まだ…すごく地味で…ファッションにも疎くて…」
「……。」
「それに…私、引っ込み思案だから…。…なかなか、事務所の人とか…モデル仲間とか…馴染めなくて…」
「あぁ…」

なんか…想像つく…。

「…で、でも…。ある雑誌の、撮影の時…。光先輩と、会うことがあって…」
「……。」
「ふ、普通は…私みたいな、無名の読者モデル…。光先輩みたいな、トップモデルの人と…話せる機会なんて、ないんですけど…」
「……。」
「光先輩が…一人ぼっちでいた私に、話しかけてくれて…。同じ高校だったって、わかったら…喜んでくれて…。」
「……。」
「ファッションとか、メイクのこととか…色々、教えてくれて…。可愛いって、褒めてくれて…。頑張ってねって、言ってくれたんです…。」
「…そーなんだ」

後輩だから、あんまイメージなかったけど…光って面倒見もいいんだな。

「だから、私…。…光先輩のこと、本当に憧れてて…尊敬してて…」
「……。」
「…だから…。…倉持さんが…まだ、光先輩のこと…好きなのも、仕方ないって思うし…」
「…え?いや…急に何の話…」
「……。」

黙り込む木崎さん。な…何なんだ。俺、そんなに光のこと引き摺ってるように見えるのか?

「……。」
「……。」
「……く、暗くなってきたし…そろそろ帰るか?」
「……そ…そう…ですね…。」

なんとなく沈んだ顔の木崎さんとカフェを後にする。車に乗り、木崎さんを助手席に乗せ、エンジンをかけた。

「森熊駅の方だったよな。」
「はい…」

薄暗くなる道に乗りだし、俺はヘッドライトをつけた。


***



白いマンションの前に、静かに停車する。

「ほい、着いたぞ」
「…ありがとうございました…。」

カチャ、とシートベルトを外し、バッグを持ち、木崎さんは…迷うように俯いた。

「……。」
「……。」

な…なんで降りないんだ?

「…倉持さん…。」
「な…、…何?」

真剣な声色で、脳裏に仄かな甘い妄想が過ぎる。い…いやいや!何考えてんだ俺…。

「…光先輩のこと…。…まだ、本気…なんですよね。」
「……な、何言ってんだよ…急に。」
「だって…。」

木崎さんはその弱気な声とは裏腹に、どこか静かに芯のある視線を俺に向けた。

「…今日…、…光先輩のことばかり、見てたから…。」
「……。」

そ…、そんな見てたか…?

「…忘れたいって、思ってますか?」

……どうだろう。光への想いは、今後成就することが無いということ以外は、幸せなことばかりで…。この気持ちごと、光を大切にしたい、とも思う。だけど…それが普通でないことはわかっている。

「……私……。」

木崎さんは、じっと俺を見つめた。うるんだ大きな瞳で…

「私の、こと…。…光先輩を、忘れる手段でも…いいです。」
「え…」
「私のこと…好きになろうと、してくれるなら…。」
「……。」
「…部屋に、来てくれませんか。」

俺…、今、誘われて…るんだよな。急に、木崎さんが…木崎さんの唇や、首筋や、指先が、妖艶に見えてきた。清楚で、細くて、色気は光の方があるな、なんて思っていたのに…なんだか今は、木崎さんが色っぽく見える。
今、頷いたら…この子を抱ける。この子と恋人になって、きっと、それなりに幸せになれる。皆が羨む可愛い彼女。自分を愛してくれる女の子。優しくて、おっとりしてて、虫が苦手で、慌てたところが可愛くて…。全部、昔…夢見ていたことじゃねーか。
木崎さんの頬に触れると、唇が一層近く感じた。赤い唇…。光とは違う、少し薄い、小さな唇。そっと顔を近づける。そして…唇が触れあった。

唇は柔らかくて、木崎さんは可愛くて。…だけど…。胸が苦しい。

「……。」
「……倉持さん…。」

愛おしげに俺を呼ぶ声。俺は…きっとそんな風に、木崎さんの名を呼べない。

「……ごめん…、今日は帰る。」
「……そう…ですか…。」
「……。」
「……。」

木崎さんは少し黙りこんで、静かに車を降りて行った。彼女の姿が見えなくなって、俺はハンドルの上に突っ伏す。何してんだ…俺。こんなの…木崎さんにも失礼だ。あそこまで、言わせておいて…キスまでして…。

「……。……光…。」

試しに呼んでみた名前は、想像していた以上に…覚悟していた以上に、俺の胸の奥を、甘く苦しく、ぎゅっと締め付けた。

 


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