――パシッ、パシッ!パシン!
木刀がぶつかる音が響く。それがリズムを刻む楽器のように、軽々と翻る彼女の舞いを彩る。

『よーしいいぞ!次、通してやってみろ!』
『はい!』

コーチの言葉に息つく間もなく頷いて、彼女は額の汗を拭い、木刀を構える。…日本ではアクションの経験が浅いのに、恐ろしいほど適応力が高い。もともとの運動神経もあるだろうが、それに伴う演技力も並はずれている。稽古の時点で動きに気持ちが入っている。今やっている振り付けは、主人公の少女がかつての恩師と死闘を繰り広げる重要なシーン。スポーツウエア姿で無造作に髪を纏め、傷だらけの武骨な木刀を構えた姿でも、彼女の表情や動作に強く目が惹かれた。

『――よし!今日はここまでにしよう。』
『ありがとうございました。』

コーチと稽古相手に深く一礼する彼女。そんな礼儀正しく凛と美しい彼女は、すぐに現場で愛された。

『光、今日こそ一緒にランチに行ってくれないか?隣のバーガー屋は絶品だぞ。』
『申し訳ありませんが』

そこへ割って入って、彼女にタオルを渡す。

『今日は先約があるので、これで失礼します。』

残念がる相手に彼女は、ごめんなさい、と微笑んで、受け取ったタオルで汗を拭った。

「シャワー浴びてくる。」
「はい。いつもの場所に車を回しておきます。」
「わかった。」

彼女をサポートできて幸せだ。自分の尊敬する相手を手伝えるなんて。
車を回して15分ほどすると、彼女が軽い駆け足でやって来た。この後のランチの為に、先ほどのスポーツウエアからキャメル色のワンピースに着替えている。

「おまたせ。」
「お疲れ様です。レストランへ向かいます。」
「うん。」

彼女は赤いリップを塗りはじめる。僕は静かにアクセルを踏んだ。



***



米国内での彼女への注目度は高い。まず世界の権威とも言える映画監督が惚れ込んで大作映画に主演として起用した事実だけでも多くの人の興味を惹いた。さらにその美貌。美しいだけでなくどこかあどけなく、見た者の記憶にはっきりと刻まれる美貌。そしてその期待を裏切らない、真面目でストイックな性格。キャスティングのニュースからまだひと月もたっていないのに、彼女のファンは国内ですでに増え続けている。
そんな彼女と一日のほとんどの時間を一緒に過ごしている僕だが、会話はほとんどない。事務的な会話以外、僕らは口を閉ざしている。彼女はあまり自分からお喋りをするタイプではないし、僕も軽々しく彼女に話しかけたくはない。どこかベールをかぶったままの気高い彼女でいてほしいのかもしれない。
そんな彼女が、ファッション誌の特集の為の撮影中、ふと頬を綻ばせた。カメラを向けられていない休憩中にだ。ついその視線の先に興味を惹かれて見てみると、そこはチョコレート専門店のショーウインドウだった。

「買いますか?」

静かな声で尋ねると、彼女は自分の微笑を見られていたことに照れるように少し頬を赤くした。

「あ…、…うん。じゃあ、ダークチョコレートのオランジェットをふたつ、買っておいてもらえる?」
「はい。」

ありがとう、とほほ笑んで、彼女は呼ばれて行った。僕は言われた通りの物を買って、撮影後の彼女に手渡した。

「ありがとう。」

彼女は嬉しそうに微笑んだ。自分が彼女の心をそんな風に動かせることに驚いた。それは少し、嬉しくもあった。

「一也さん、甘いものは苦手なんだけどね、」

彼女はその喜びが溢れたように話し出した。彼女がそんな風に自分の話をするのはとても珍しいことだった。

「時々、チョコレートは食べるの。」
「そうなんですか。」
「ブドウ糖は必要だから、って。あと、尊敬してる人の好物だから、なんだって。」
「……。」
「だから、時々、甘くないチョコレートを買うの。」

そんな風に微笑むのは、そのチョコレートではなく…御幸一也へ思いを馳せているからなのか。彼女にとって、本当に大きな存在なんだ。僕は、彼女が幸せであることを知って、心から安堵した。



***



『はい、御幸です』

その声は、いつも少し沈んで聴こえる。僕から彼への連絡は、大抵いつも、彼にとっていいことではないからだ。

「周防です。お忙しいところすみません。光さんですが、撮影が長引いてしまい…帰宅が大幅に遅れるかと思われます。申し訳ありません。」
『…そうですか。今…光は?』
「撮影中です。」
『わかりました。…連絡、ありがとうございます。』
「恐れ入ります。それでは失礼いたします。」

スマートフォンを胸ポケットに仕舞う。こっちにきてから、夫妻はすれ違いの連続だ。きっと、ほとんど顔も合わせていないのではないだろうか。夫の話をするときの、彼女の幸せそうな笑顔を想うと胸が痛む。…あのチョコレートは一緒に食べられたのだろうか。
ペタペタペタ、と裸足に道着という衣装の彼女が歩いて来て、僕はスポーツドリンクが入ったボトルを手渡した。

「旦那様に帰宅が遅くなることを連絡しました。」
「あ…。ありがとう。」

彼女は少しさびしげに微笑んで、ドリンクを少し飲み、僕を見上げた。

「…一也さん、何か…」
『光!ちょっと来てくれ。セリフを変えたいんだがいいか?』
『あ…はい!』

彼女ははぐらかすように微笑んで、僕にボトルを返して走っていった。…寂しそうだ。気丈に振る舞ってはいるけど、きっと、彼の前でしか弱さを曝け出せないんだろう。
彼女はそういう人だ。気高く、強く、時々脆い。



***



「ねえ、またあの子に無視されたんだけど。」
「調子乗ってるんだよ。また御幸先輩に色目使ってたもん。」

ひそひそと囁かれる棘。僕は興味のない顔をして単語帳を捲る。

「えっ、どこで?」
「さっき廊下で。セーター腰に巻いてアピールしてんの」
「うわ、サイアク」

くだらない、と思わず呟きそうになる。こいつらの思考回路はどうなっているんだろう。それのどこが、何をアピールしていることになると言うのか。
彼女たちがはっと声を潜めたので、僕はちょっと視線を動かした。すると、まさに今噂をしていた少女が、教室に戻ってきて自分の席に着いたのだった。彼女たちはニヤニヤとその背中を見つめ、三人で顔を見合わせると、興奮気味にニヤニヤと笑って身振り手振り馬鹿にするように笑った。

その日の体育の授業のあと。きゃっきゃと盛り上がりながら、三人の女子生徒が渡り廊下から走って校舎に飛び込んできたのを覚えている。渡り廊下を見ると、今まさに隣の校舎から、彼女が歩いてきたところだった。きょろきょろと辺りを見渡して何かを探しているように見える彼女は、上はブラウス一枚で、見るからに寒そうに腕を抱えるようにして渡り廊下に出てきた。そして、その半ばほどで途方に暮れたように立ち止まり、後ろを振り返って校舎に戻ろうとして、やはり思い留まったように立ち竦んだ。廊下は一本道なのに、まるでその彼女の姿は、道に迷って身動きが取れずに困り果てているようにも見えた。

「――玉城?」

僕の横を通り過ぎて、男子生徒が渡り廊下へ出て行った。同じクラスの東条秀明。彼女と仲のいい生徒だ。だけど、彼がいくつか言葉をかけても、彼女はぼそぼそと答えるだけで、振り向かなかった。
その時現れたのが――

「あれ〜?玉城はっけーん」

2年の御幸一也先輩。彼は少々強引に彼女にジャージを被せ、腕を引いてこちらの校舎に入ってきた。彼女はおそらく泣いていた。その理由も何となくわかった。…それをした犯人も。そして、今、彼女がどれほどこの先輩に救われたのかも。
御幸先輩は彼女を連れて廊下の端の階段下まで行って、姿を消した。僕は足音を潜めて後を追い、階段をのぼった。

「あーあ、ほらもう我慢すんなって。大丈夫だよ、誰もいねーから」
「…うっ…」
「お〜その調子その調子。泣け泣け。これで拭いていーよ」
「…う…ぅ」
「で、上着は?誰かに何かされたのか?」
「……。」
「まーいいたくないならいいけど…俺あと2枚しかジャージの予備ねーからな。あと2回しか貸してやれねーから。」
「え…」
「3回目からはどんなに泣きわめいててもそのまま連れてくからな。」
「なんですかそれ…っていうか、返すし…」
「今日は着て帰れよ、風邪引くぞ」
「自分のジャージ着ます…これ汗臭い」
「おい!人の親切を…」

2階分ほども階段をのぼれば、彼らの声は聞こえなくなった。

 


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