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「お疲れ様です。」
打ち合わせを終えた彼女の車いすをスタッフから引き継ぐ。
「車にランチを用意してあります。スタジオまでの移動の間に済ませてください。」
「わかった。」
ビルを出ると、一瞬で大勢の悲鳴…ではなく歓声に包まれる。野次馬が我先にと飛び出し、警備員の間をかいくぐって彼女に指先だけでも触れようと手を伸ばす。僕はいつも彼女を先に後部座席へのせ、急いで運転席へ乗り込む。
ドアを閉めてロックして、警備員が人の波をおさえている間に発進する。
「ボディーガードを雇うべきです。」
ずっと思っていたことを言った。彼女はサンドイッチを食べながら、大きな澄み切った目でルームミラー越しに僕を見た。
「…私が?」
「他に誰がいるんですか。有名人だという自覚を持ってください。」
「日本ではそんなの必要なかったけど…」
「ここでは規模が違います。ハリウッド女優がボディーガード無しに顔を出して街を歩くなんて…戦地を丸腰で歩くようなものです。」
「……。」
「たとえ話を真面目に考えないでください。」
ふふ、と笑う彼女は、やはり危機感が足りない。
「…何人か候補者を集めておきます。今週中に一人雇いましょう。」
「…絶対雇わなきゃダメ?」
「だめです。」
はぁい、と素直に返事して、彼女はまたサンドイッチを食べ始めた。本当に変わっていない…。自分がどれだけ人を惹きつけるのか、彼女は全くわからないのだ。まるで…暗闇に放り込まれたランプ。しかも、自分が輝いていることに気付かない。
車窓から外を眺める横顔は、あの頃のままだけど…。その物憂げな瞳はきっと、景色ではなく思い出を見つめている。
***
仕事が終わり、マンションに着いたのは夜の10時を少し過ぎた頃。きちんと彼女が玄関に入るまでを見届けるために、一緒にエレベーターに乗る。車いすを押して玄関に入ると、中からは楽しげな声が響いてきた。
「あ、ほんとだ。美味いなコレ。」
「うふふ。あんまり食べてしまうと、朝食の分がなくなってしまいますよ、旦那様。」
車いすに座る彼女の背中からは、その表情はうかがえない。けれど、小さな頭が少しうつ向いたのが分かった。
「あ…光、おかえり。」
彼女の夫はカウンターから顔を上げ、彼女に笑顔を向ける。
「奥様、おかえりなさいませ。」
メイドも無邪気に微笑んで出迎える。
「ただいま。」
そう答える彼女の声は、いつも通りだった。
「ありがとな。」
御幸一也が歩いて来て、僕の手から車いすの押し手を受け取ろうとした。
「周防君。…寝室まで、押してくれる?」
しかし彼女が静かにそう言って、僕は頷いた。
「わかりました。」
御幸一也に目礼し、車いすを押す。寝室に入り、彼女がベッドに腰を下ろすのを手伝った。彼女が脱いだ上着を受け取り、コートハンガーにかける。それから車いすを片付け、彼女の手荷物もいつもの場所に置いた。
「旦那様と仲直りなさってください。」
呟くと、彼女は驚いたように僕を見た。
「…喧嘩なんてしてない」
「そうですか?」
手帳を取り出し、明日の予定を確認する。
「撮影が停まっているので、明日は夜のミーティングまで予定はありません。どうなさいますか?」
「…スタジオに行く。他のシーンの撮影を見学したいの。」
「わかりました。では、8時に迎えに来ます。では、おやすみなさい。」
一礼し、部屋を出る。リビングに戻ると、御幸一也とメイドの女が今しがたまで話をしていたように向かい合って立っていて、僕の足音に気付いて振り向いた。
「失礼します。」
僕はそう声をかけ、帰宅した。
***
『光は今日も撮影を見に来てるのか。』
スタッフたちの会話が聞こえてくる。
『自分が登場しないシーンでも、自分に関係があるから、できるだけ見て世界観を理解したいんだってさ。』
『真面目だなぁ。』
『彼女、いいよな。』
現場での彼女の評価は高い。真面目さ、熱心さ、それに伴う実力。彼女はすぐに一流のこの場所で認められた。
彼女はいつだってそうだ。期待され、それを決して裏切らない。
***
撮影も打ち合わせも終わり、共演者が彼女の車いすを押して廊下に出てきた。僕を見つけると話を切り上げ、手を振って去っていく。
「お疲れ様です。マンションへ送ります。」
「うん、ありがとう」
『光、ちょっといいか?』
僕たちを呼び止めたのは演出家の男。言わずもがな、権威ある著名人だ。
『君は日本にいたんだろう?日本の文化について、教えてほしいことがあるんだ。演出に活かせそうなものでいくつか気になっていることがあってね。』
『もちろん。なんでしょう?』
『ここではなんだから、この後ディナーでも一緒にどうだい?』
現在の時刻は夜9時前。今からマンションに帰っても、すでに夕食の時間は過ぎている。
『いいですね。』
『よかった。それじゃ、行こうか。』
僕に目配せをして、彼女の車いすの押し手を持つ男。僕は彼女にこっそり声をかけた。
「旦那様に連絡をしますか?」
彼女のスマートフォンを差し出して尋ねると、彼女は一瞬スマホに手を伸ばしかけて、やめた。
「いいよ、大丈夫。」
「…承知しました」
スマホを胸ポケットにしまい、僕は彼らの少し後を歩いた。
打ち合わせを終えた彼女の車いすをスタッフから引き継ぐ。
「車にランチを用意してあります。スタジオまでの移動の間に済ませてください。」
「わかった。」
ビルを出ると、一瞬で大勢の悲鳴…ではなく歓声に包まれる。野次馬が我先にと飛び出し、警備員の間をかいくぐって彼女に指先だけでも触れようと手を伸ばす。僕はいつも彼女を先に後部座席へのせ、急いで運転席へ乗り込む。
ドアを閉めてロックして、警備員が人の波をおさえている間に発進する。
「ボディーガードを雇うべきです。」
ずっと思っていたことを言った。彼女はサンドイッチを食べながら、大きな澄み切った目でルームミラー越しに僕を見た。
「…私が?」
「他に誰がいるんですか。有名人だという自覚を持ってください。」
「日本ではそんなの必要なかったけど…」
「ここでは規模が違います。ハリウッド女優がボディーガード無しに顔を出して街を歩くなんて…戦地を丸腰で歩くようなものです。」
「……。」
「たとえ話を真面目に考えないでください。」
ふふ、と笑う彼女は、やはり危機感が足りない。
「…何人か候補者を集めておきます。今週中に一人雇いましょう。」
「…絶対雇わなきゃダメ?」
「だめです。」
はぁい、と素直に返事して、彼女はまたサンドイッチを食べ始めた。本当に変わっていない…。自分がどれだけ人を惹きつけるのか、彼女は全くわからないのだ。まるで…暗闇に放り込まれたランプ。しかも、自分が輝いていることに気付かない。
車窓から外を眺める横顔は、あの頃のままだけど…。その物憂げな瞳はきっと、景色ではなく思い出を見つめている。
***
仕事が終わり、マンションに着いたのは夜の10時を少し過ぎた頃。きちんと彼女が玄関に入るまでを見届けるために、一緒にエレベーターに乗る。車いすを押して玄関に入ると、中からは楽しげな声が響いてきた。
「あ、ほんとだ。美味いなコレ。」
「うふふ。あんまり食べてしまうと、朝食の分がなくなってしまいますよ、旦那様。」
車いすに座る彼女の背中からは、その表情はうかがえない。けれど、小さな頭が少しうつ向いたのが分かった。
「あ…光、おかえり。」
彼女の夫はカウンターから顔を上げ、彼女に笑顔を向ける。
「奥様、おかえりなさいませ。」
メイドも無邪気に微笑んで出迎える。
「ただいま。」
そう答える彼女の声は、いつも通りだった。
「ありがとな。」
御幸一也が歩いて来て、僕の手から車いすの押し手を受け取ろうとした。
「周防君。…寝室まで、押してくれる?」
しかし彼女が静かにそう言って、僕は頷いた。
「わかりました。」
御幸一也に目礼し、車いすを押す。寝室に入り、彼女がベッドに腰を下ろすのを手伝った。彼女が脱いだ上着を受け取り、コートハンガーにかける。それから車いすを片付け、彼女の手荷物もいつもの場所に置いた。
「旦那様と仲直りなさってください。」
呟くと、彼女は驚いたように僕を見た。
「…喧嘩なんてしてない」
「そうですか?」
手帳を取り出し、明日の予定を確認する。
「撮影が停まっているので、明日は夜のミーティングまで予定はありません。どうなさいますか?」
「…スタジオに行く。他のシーンの撮影を見学したいの。」
「わかりました。では、8時に迎えに来ます。では、おやすみなさい。」
一礼し、部屋を出る。リビングに戻ると、御幸一也とメイドの女が今しがたまで話をしていたように向かい合って立っていて、僕の足音に気付いて振り向いた。
「失礼します。」
僕はそう声をかけ、帰宅した。
***
『光は今日も撮影を見に来てるのか。』
スタッフたちの会話が聞こえてくる。
『自分が登場しないシーンでも、自分に関係があるから、できるだけ見て世界観を理解したいんだってさ。』
『真面目だなぁ。』
『彼女、いいよな。』
現場での彼女の評価は高い。真面目さ、熱心さ、それに伴う実力。彼女はすぐに一流のこの場所で認められた。
彼女はいつだってそうだ。期待され、それを決して裏切らない。
***
撮影も打ち合わせも終わり、共演者が彼女の車いすを押して廊下に出てきた。僕を見つけると話を切り上げ、手を振って去っていく。
「お疲れ様です。マンションへ送ります。」
「うん、ありがとう」
『光、ちょっといいか?』
僕たちを呼び止めたのは演出家の男。言わずもがな、権威ある著名人だ。
『君は日本にいたんだろう?日本の文化について、教えてほしいことがあるんだ。演出に活かせそうなものでいくつか気になっていることがあってね。』
『もちろん。なんでしょう?』
『ここではなんだから、この後ディナーでも一緒にどうだい?』
現在の時刻は夜9時前。今からマンションに帰っても、すでに夕食の時間は過ぎている。
『いいですね。』
『よかった。それじゃ、行こうか。』
僕に目配せをして、彼女の車いすの押し手を持つ男。僕は彼女にこっそり声をかけた。
「旦那様に連絡をしますか?」
彼女のスマートフォンを差し出して尋ねると、彼女は一瞬スマホに手を伸ばしかけて、やめた。
「いいよ、大丈夫。」
「…承知しました」
スマホを胸ポケットにしまい、僕は彼らの少し後を歩いた。