「やっぱさぁ、苗字は重要だよね!」

今日も牧瀬司のよく通る元気な声が廊下から響いてくる。クラス委員長で生徒会役員、皆を引っ張るリーダー的存在。男女問わず友人が多く、気さくで頼りになる存在だ。僕は読書から気がそれて廊下を見た。

「どうして?」

目を瞬いて首をかしげる玉城光。容姿端麗スタイル抜群、成績もよく運動神経も申し分ない。運動神経というと隣の牧瀬司が学年、いや学校中で抜きんでて秀でているが、それは特殊な例だ。とにかく玉城光は非の打ちどころがなく、特にその容姿は見る者が思わずため息をついてしまうほど。僕は彼女を初めて見た時、生まれて初めて人を美しいと思った。

「そりゃやっぱり格好いい苗字とか綺麗な名字の方が良いじゃん!」
「そう?」
「そうだよ!結婚して苗字が変わったらそれが一生のものになるしさぁ。名前と響きが合わないのもやだなぁ。」
「確かに、それは重要だな。」

笑って相槌を打っているのは東条秀明。野球部で寮生。玉城光と仲がいい唯一の男子のクラスメイトだ。彼が気さくに玉城光と談笑しているのを、他の男子たちが羨ましそうに窺っている。

「男子は婿養子にでもならない限り苗字変わらないもんね。でも、東条って苗字は格好いいからいいなぁ。」
「そうかな?」
「何言ってんの!東条はアタリだよアタリ!ねっ光!響きも良いし。」
「東条…。」

玉城光が考えるように呟いた。

「東条…、東条光、かぁ。ほんとだ、いいね。」
「え…そ、それは…よかった…。」

東条秀明は真っ赤になって口ごもる。

「あとさぁ、結城って苗字も格好いいよねー!それから…小湊も綺麗だし。野球部格好いい苗字の人多いね!」
「確かに…珍しい苗字の人多いかもな。」
「珍しいと言えばあの人もだよね、ほら、御幸先輩!」
「あぁ、確かに珍しいな。」
「ねっ、光。御幸って苗字もよくない?なんか縁起良さそうだし。」
「…そう?」
「そうだよー!御幸光。ほら!響きも合うし〜」
「ちょっと、やめてよ!」

今度は玉城光が顔を赤くした。

「も〜照れちゃって!顔赤くなってるぞ〜」
「や…やめてってば!なってない!」

東条秀明が不憫なほど暗い顔をして、盛り上がる女子二人を眺めている。そこへちょうど階段を下りてきた先輩二人組が見えた。

「それに苗字なら…」

「おっ、玉城…」

「御幸先輩より倉持先輩の方が格好いいよ!」

ピシっ、と音がしそうなほど一瞬で硬直した先輩二人…御幸一也と倉持洋一。一人は青い顔を、もう一人は赤い顔をして。

「お、おう…光、右、右…」

ちょいちょい、と牧瀬司が階段の方を指さし、玉城光が振り向いて、また赤面した。

「……。」
「……。」
「……。」

立ち竦む3者。玉城光は一歩後ずさりをした。その時、牧瀬司が彼女の腕を掴む。

「こら光。この状況を放置して逃げないの。」
「……。」

牧瀬は玉城を捕まえたまま、先輩たちを手招きした。

「せんぱ〜い、ただの照れ隠しなんで、そんなにショック受けないでください。」
「えっ、いや、俺は別に…」
「司、変なこと言わないでよ!」
「すみませ〜ん、私がちょっとからかっちゃって。光ってすぐムキになるから〜…」
「司!」
「あと今のは苗字のことですから。御幸先輩がフラれたわけじゃないですからね!」
「う、うるさい…!」
「……。」
「……。」

牧瀬の説明を聞いて少し気を取り直した御幸先輩と、複雑そうだがまだ少しうれしそうな倉持先輩。

「今、将来結婚したらどんな名字がいいかって話してたんですよ。やっぱ格好いい苗字がいいよね〜って言ってたんですけど…」
「ふーん。そういうもん?」
「そりゃそうですよお。私、今の苗字も結構気に入ってるから、今より綺麗な名字がいいな〜って」
「例えば?」
「うーんそうだな…東条も御幸も倉持も格好良いですけど〜…あっ!私玉城がいいなぁ〜!女同士だけど光となら結婚してもいい!」
「…私やだよ」
「ちょっとお光冷たすぎ!冗談じゃーん」

抱き着く牧瀬を鬱陶しそうに宥める玉城。

「玉城は?」

御幸先輩が尋ねると、玉城は少し微笑んで答えた。

「御幸以外です。」
「……。」

辛辣な彼女の言葉に苦笑する御幸先輩。

「お前はほんと毒舌だなー。今の傷ついたぞー」
「すみません。」
「はっはっは。心が籠ってねー」
「そんなこと言って、ほんとは御幸がいいくせに〜」
「はぁ!?ちょっと…司うるさい!ありえないから!」
「ありえないとはなんだ玉城、全国の御幸さんに謝れ〜」
「苗字じゃなくて御幸先輩が嫌なんです」
「ひでー牧瀬〜玉城が虐める〜」
「あーあー光、素直になりなよ〜」
「もう!やめてよ!」
「光が意地張るからじゃ〜ん。御幸が良いって素直に言っちゃえ言っちゃえ」
「わははは。そーだそーだ」
「…私…一生玉城でいるもん!」

玉城はそう宣言して先輩を睨み、まだ沈んでいる東条の袖を引っ張った。

「行こ、東条!」
「えっ、う、うん」

東条はにわかに嬉しそうに頬を赤くする。

「あ〜光、ごめん〜!すみません先輩、失礼します!」

牧瀬も慌てて後を追う。取り残された先輩たちは、やいやい言い合いながら階段を下りて行った。



***



「……あ」

後部座席でスマホをいじっていた彼女が小さく声を漏らした。ルームミラーで彼女を見たが、スマホの画面を真剣に見つめていて、僕は声をかけるのをやめた。
少しすると、彼女がまた口を開いた。

「ねぇ周防君。」
「何ですか?」
「EDNっていうお店知ってる?多分、カフェか何かだと思うんだけど」
「…多分、Eden(エデン)のことですね。市立病院の近くのマーケットタウンにある、若い女性に人気のあるドーナツ屋です。SNSではよく略してEDNと書かれます。」
「ふうん…。マーケットタウンっていうのは?」
「カフェや雑貨屋やアパレルショップなど、若い女性が好きな店が並ぶ通りのことです。市立病院の通りから一本西へ入ったところで、近くには大学の学生寮もあるので、いつも賑わってますよ。」
「…なるほど…。」

…なるほど?不思議な相槌に疑問符が浮かぶ。

「…もし行くつもりなら厳重に変装してください。本当に人が多い場所なので」
「大丈夫、行かないよ。」
「……?」

ますます訳が分からない。

「ちょっと気になっただけ。ありがとう。」
「いえ…」

そして彼女はなんだか満足げに微笑んで、座席の背もたれに寄りかかった。

 


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