269
「倉持、帰らなくていいの?」
飲み会のさなか。いつもならそろそろ3次会行くかと盛り上がるころ。亮さんの冷めた言葉に俺はギクリとした。
「え…!?なんで…」
「お前同棲始めたんだろ?えみちゃん待ってるんじゃないの?」
「いや…、…寝てると思いますけど」
ついさっき日付が変わった。えみは夜更かしする日もあるけど、大体日付が変わる前には寝る。
「飲み会のこと文句言われたりしない?」
「え?別に…何も言われませんけど」
「あー、まだ遠慮してんだなそりゃ」
「ええ??」
純さんまでそんな事を言い始めて困惑する。この二人、いつもなら帰りたがる後輩を引き留める筆頭なのに。
「何でそんなこと言うんすか〜。御幸の時はむしろ帰らせなかったくせに…」
「御幸はすぐ帰りたがるからね。」
「もともと付き合い悪かったけど、同棲はじめてからはますます飲み会来なくなったしな〜あいつ。」
…確かにそうだったかも
「むしろ早く帰りたくなるもんじゃないの?可愛い彼女が家で待ってんならさ。」
「……。」
そういうもんなのかな…。俺はむしろ…今日飲み会に来て、いい息抜きだ…くらいに思ってた。えみと暮らすことに息が詰まるわけじゃないけど、なんとなく…気を使って疲れると言うか…。慣れてないせいだ、うん。
「そろそろ3次会行こうぜえ〜」
「倉持以外全員な。」
「え!?」
じゃーなー、と俺を置いて行ってしまう面々。そんな…結婚したわけでもないのに、同棲してるだけで飲み会も早く帰らなきゃいけないのかよ!?
「早く帰ってやりなよ。」
ずしり、と俺の肩に重い手を置いて、亮さんは最後に部屋を出て行った。
***
マンションに帰り、そっと鍵を開ける。もう寝てるだろーし…うるさくないように…。
あーあ、なんとなく気が重い…。
玄関のドアを開けると、奥のリビングのドアの隙間から灯りが漏れていた。え…まだ起きてる?もう1時だぞ…。
そっとリビングのドアを開けた。ソファにはえみがいて、退屈そうにスマホを弄っていた。
「…た、ただいま…」
眠たげな目と視線がぶつかって、そう声をかけると、えみはちょっと脱力気味に息をついた。
「…おかえりなさい…。」
なんかちょっとうんざりしてる…?帰りが遅かったから?
でも今日は飲み会で遅くなると伝えていたし、起きて待っててくれなんて言ってないのに…。なんだよ、勝手だな…。
光なら、御幸の帰りが遅くなっても嫌な顔一つせず、嬉しそうに出迎えてた…。
…って、俺何考えてんだ。最低だろ、こんなこと思うなんて。
「何か飲みます…?」
「いや…、シャワー浴びて寝る…」
「そうですか…。」
ふああ、と小さな欠伸を漏らして、えみは寝室に行った。
帰り…待ってるのかー…。今度から飲み会行きづれえなー…。
***
【朗報】御幸夫婦、学生カップル並みにラブラブwww
001:米自然公園で御幸夫妻をパパラッチ「手繋ぎデート、夫・一也の帽子に妻・光が蝶々をつけるイタズラ」
002:やめろその術は俺に効く
003:いつまでもラブラブだな
004:これは倉持も逃げ帰るわ
005:光…なんでだよ…
006:世界が違い過ぎて嫉妬すらしない
008:美男美女だな
010:御幸光かわいいなあ
011:結婚3年目だけどまだ20代前半なのか…
016:御幸光ってモテるのに親友にイケメン従弟紹介したり後輩に憧れの先輩紹介したり控えめに言って女神じゃね?
017:憧れの先輩って誰?
018:木崎えみの憧れの先輩が倉持洋一
019:それはしつこい男を処分しただけでは…?
021:倉持に憧れてくれてる木崎えみが女神では?
022:二組のカップルのキューピッドという意味で本物の天使
023:光、そろそろ俺の所に来てもいいんだよ。
024:↑倉持は帰れ定期
028:御幸のチームメイトが御幸光のこと「俺の嫁」発言してて笑った
030:↑ワロタ 向こうでもそんな扱いなんだな
031:ええなあ
037:一也…俺とは遊びだったのかよ
038:なんでホモが湧いてんだよ
アメリカへ行ってもネットで連日話題に上がる御幸達。それこそこういうほのぼのパパラッチから、御幸の試合での活躍や光の主演作のことまでさまざま。
非の打ち所のない完璧なカップル。周りから見たらそんな感じだ。俺は、このふたりが乗り越えてきたものを知ってる…。結構壮絶で波乱万丈なんだ、こいつらは。だけど、何があっても結局今一緒にいる。
このふたりの記事を読むのはやめよう…。そう息をついてスマホを仕舞い、帰路についた。
「おかえりなさい。」
「…ただいま。」
えみはリビングでテレビを見ていた。
「すぐごはん用意するね。」
「あ、…ごめん」
えみに食事を用意してもらうのはなんだか慣れない。家事もいつの間にかほとんどやってもらってるし…。
食事はもうほとんど出来上がっていたらしく、すぐに食卓に料理が並んだ。…俺が帰ってくんの、待ってたのか…。
今日のメニューはごはんにコンソメスープ、ハンバーグ、にんじんのグラッセ、サラダ。俺の皿にだけ更にから揚げが4つ載っていて、ご飯も大盛り、ハンバーグも大きめだ。…やっぱなんか申し訳ねえんだよな〜…。
「…いただきます。」
「はい…。」
俺が口をつけるまで、えみはいつも俺の反応を窺うように待っている。
「…美味い。」
そして俺がそう言うと、やっと安堵したように微笑んで、自分の食事に箸をつけるのだ。
「…何見てんの?」
「あ、これ…。今日光先輩が出るんです。」
珍しくバラエティを見ていたから聞いてみたら、そんな答えが返ってきて、にわかに胸の奥が煙った。光…か。
「私、倉持さんのこと…嫌いなんです。」
あの夜の目が忘れられない。けれど、光がその時どんな表情をしていたのかは、どんなに考えてももう思い出せなかった。
「米バラエティ番組にて、メジャーリーガーの御幸一也選手とその妻でハリウッド女優の御幸光さんがとんでもないドッキリを仕掛けられ、その反応が大変話題になっています!」
あ、始まった、とえみが呟いて箸を止め、テレビに夢中になった。
VTRが始まり、アメリカのバラエティ番組がテロップ付きで流れ始めた。ちょっと画質が荒い。
場所はとあるレストラン。2人は当日限りの招待券をもらってやって来たらしい。この日は店員も客も全員が仕掛け人。約束の午後6時ほぼぴったりに、二人は店に現れた。
カジュアルなスーツ姿の御幸と、青いシンプルなワンピース姿の光。…やっぱ綺麗だな…。
「ようこそお越しくださいました、御幸様。」
店員に恭しく迎え入れられ、二人は窓際の席にとおされた。
すぐに店員が水を持ってやってきて、それを並べる。御幸の前、光の前、そして…誰も座っていない3つ目の席にも。
「あの、二人です。」
すぐに御幸が言うと、店員は冗談を受け取ったように笑った。
「うふふ。3名様じゃありませんか。お待ちください、すぐにメニューボードをお持ちいたします。」
そう言って店員は踵を返して行ってしまう。
二人は目を見合わせて、笑いながら首を傾げた。
「誰か呼んだの?」
「私じゃないよ。…一也さんが何かしたんでしょ。」
「何もしてないって。」
二人がそう話しているところへ店員が戻ってくる。
「どうぞ。」
そしてメニューボードを御幸の前、光の前、そしてもう一つの席の前に並べた。
「あの…、」
御幸がまた言いかけた時、店員は誰もいない席に置いたメニューに手を伸ばして話始めた。
「はい。こちらはピンクペッパーとクリームチーズのソースになっております。何かアレルギー等はございますか?…そうですか。ではそちらはトリュフに変更致しましょうか?」
「……。」
「……。」
「かしこまりました。…本日の赤は1898年物のイタリア産になっております。こちら有機栽培の厳選した赤ブドウのみを使用し、癖の少ないフルーティーな味わいとなっております。」
「……。」
「……。」
「かしこまりました。それではそちらでご用意させていただきます。」
まるでその席にいる誰かと会話をしているような言葉をつらつらと話す店員に、御幸と光はちらちらと目を合わせ、困ったように口を噤んだ。ホラードッキリか…。外国のはやっぱ手が込んでるな。
「ご注文がお決まりの頃にまたお伺いいたします。」
店員は二人と誰もいない席にそれぞれお辞儀し、踵を返して去って行った。
「…一也さん?」
「俺は何もしてない!」
本当に?と訝しむ光に、そっちこそテレビかなんかじゃないの?と言う御幸。
「本当に私知らないよ。一也さんでしょ?」
「いやいや俺も知らないって。」
「…本当に〜?」
「信用無いな〜(笑)」
「だって昨日も…」
「ちょっ、…外でその話はやめとこ?」
「ふふふ。」
…あいつら普段からこんなにイチャついてんのかよ。
「…とりあえず食うもん決めよ。」
「うん。」
「このメニューは本物だよね?」
「だから私は何も知らないってば。」
「はっはっは。じゃー俺…Bコース」
「私も。」
二人がメニューを閉じたところで、店員がサッと歩み寄る。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「はい。Bコースをふたつ。」
「かしこまりました。」
店員は頷くと、誰もいない席をしばらく見つめて――
「かしこまりました。」
とまた頷いた。
「失礼いたします。」
店員が去ると、御幸と光はまた顔を見合わせる。
「…何のテレビかなぁ…」
「やっぱそうだよな。絶対何かの仕掛け…」
ひそひそと話し合う二人の席の傍を、レストルームから歩いてきたスーツ姿の紳士が通りかかった。紳士はその誰も座っていない不可解な席の背もたれに少しぶつかり、おっと、と足を止めた。
「失礼。」
クールな表情でだれもいない空間に断り、紳士は席に戻って行った。
「……。」
「…今の人も仕掛け?」
困惑する二人のもとに、店員がワイングラスを持って歩み寄る。
「お待たせいたしました。98年ものの赤でございます。」
グラスを誰もいない席の前に置き、ワインボトルをその場で開封し、グラスに半分ほど注ぐ。
「芳醇な味わいと滑らかな喉越しが特徴でございます。どうぞご堪能下さいませ。」
「……。」
「……。」
店員が立ち去り、二人は誰のものでもない赤ワインを見つめた。
「飲んじゃえば?」
「え〜…いいよ、私は…」
光がちょっと不気味そうに遠慮すると、御幸は楽しそうに笑みを浮かべた。
「どーした、怖いのか?今日一緒に寝てやろうか?ん?」
「違うもん。一緒に寝るのはいつもじゃん。」
「はっはっはっは!」
隙あらばイチャつきやがって…。
「…えっ、ねぇ、一也さん…」
「ん?」
「これ…減ってない?」
光はワイングラスを指した。確かに中の赤ワインが明らかに減っている。
実はこれはジョークグッズで、中の液体がグラスの脚部分に仕込まれたスポンジに吸収されて勝手に減るんです、とアナウンサーが解説した。
「…まさか」
御幸は苦笑しながら呟いて、そっとグラスを持ち上げてみる。そして首を傾げてグラスを元に戻した。
「……。」
「…光、怖いのか〜?」
「怖くない。」
御幸にからかわれてちょっと顔を赤くする光を、芸人たちが可愛い可愛いと連呼する。
そのとき、ガタン、と誰もいない椅子が動いた。
ビクッ、と驚く光、その反応でちょっと笑いだす御幸。
「…やっぱり何かしてるんでしょ!」
「ほんとにしてないって(笑)何かいるんじゃない?ここ。」
「…何かって?」
「そりゃーゆうれ…」
御幸が言いかけたところで、店員がボトルを持って通りかかった。
「すみません。」
急に店員を呼び止める御幸を、光がきょとんと見上げる。
「他に空いている席があったら移動させてもらえませんか?」
店員はうっすらと笑みを浮かべた。
「申し訳ございませんが、3名様分のお席が他に空いていないんです。」
「いえ、2名です。」
「…いいえ、お客様…」
「俺と妻のふたりです。そうですよね?」
光のことをからかっていたくせに、急に毅然と店員にそう言う御幸を、光は静かに様子を窺うように見つめる。
「…少しお待ちください。席の確認をしてまいります。」
店員はそう言って奥へ向かった。さすがに無理があると思われましたが、他の席に移動すると仕掛けの意味がなくなってしまうため、ここから強引にラストスパートをかけます、とアナウンサーが解説した。
「大丈夫だよ。ただのイタズラだろ。」
「…うん」
光は不気味そうにしながらも、御幸の明るい調子に励まされるように微笑んだ。
そのあとは御幸がバゲット用の岩塩をその誰もいない席の前にそっと供えて光を笑わせたり、空っぽになったワイングラスに水を注いでまた光を笑わせたりして、番組のゲストたちがくちぐちに「優しい」と声を上げた。
「……。」
ふと、えみがどこか羨むような目で静かにテレビに見入っていることに気付いた。同時に、俺もたった今まで同じような顔をしていたような気がした。
テレビの中で御幸に向けている笑顔…。あんな子が、あの夜、あんなに冷たい目をしたことが、俺にはいまだに信じられない。だけど本当なんだ。あの目は、俺がそうさせた。あの子をあんな風に笑わせられるのは、世界でただ一人…御幸だけなんだ。俺はその笑顔に惚れた…。やっとわかった…。最初から報われるわけなんてなかったこと…。
だけど、じゃあ、えみは?えみのことは、こんなふうに笑わせられるんだろうか。幸せにしてやれるんだろうか。
御幸と光を羨むように見つめるえみを…。
飲み会のさなか。いつもならそろそろ3次会行くかと盛り上がるころ。亮さんの冷めた言葉に俺はギクリとした。
「え…!?なんで…」
「お前同棲始めたんだろ?えみちゃん待ってるんじゃないの?」
「いや…、…寝てると思いますけど」
ついさっき日付が変わった。えみは夜更かしする日もあるけど、大体日付が変わる前には寝る。
「飲み会のこと文句言われたりしない?」
「え?別に…何も言われませんけど」
「あー、まだ遠慮してんだなそりゃ」
「ええ??」
純さんまでそんな事を言い始めて困惑する。この二人、いつもなら帰りたがる後輩を引き留める筆頭なのに。
「何でそんなこと言うんすか〜。御幸の時はむしろ帰らせなかったくせに…」
「御幸はすぐ帰りたがるからね。」
「もともと付き合い悪かったけど、同棲はじめてからはますます飲み会来なくなったしな〜あいつ。」
…確かにそうだったかも
「むしろ早く帰りたくなるもんじゃないの?可愛い彼女が家で待ってんならさ。」
「……。」
そういうもんなのかな…。俺はむしろ…今日飲み会に来て、いい息抜きだ…くらいに思ってた。えみと暮らすことに息が詰まるわけじゃないけど、なんとなく…気を使って疲れると言うか…。慣れてないせいだ、うん。
「そろそろ3次会行こうぜえ〜」
「倉持以外全員な。」
「え!?」
じゃーなー、と俺を置いて行ってしまう面々。そんな…結婚したわけでもないのに、同棲してるだけで飲み会も早く帰らなきゃいけないのかよ!?
「早く帰ってやりなよ。」
ずしり、と俺の肩に重い手を置いて、亮さんは最後に部屋を出て行った。
***
マンションに帰り、そっと鍵を開ける。もう寝てるだろーし…うるさくないように…。
あーあ、なんとなく気が重い…。
玄関のドアを開けると、奥のリビングのドアの隙間から灯りが漏れていた。え…まだ起きてる?もう1時だぞ…。
そっとリビングのドアを開けた。ソファにはえみがいて、退屈そうにスマホを弄っていた。
「…た、ただいま…」
眠たげな目と視線がぶつかって、そう声をかけると、えみはちょっと脱力気味に息をついた。
「…おかえりなさい…。」
なんかちょっとうんざりしてる…?帰りが遅かったから?
でも今日は飲み会で遅くなると伝えていたし、起きて待っててくれなんて言ってないのに…。なんだよ、勝手だな…。
光なら、御幸の帰りが遅くなっても嫌な顔一つせず、嬉しそうに出迎えてた…。
…って、俺何考えてんだ。最低だろ、こんなこと思うなんて。
「何か飲みます…?」
「いや…、シャワー浴びて寝る…」
「そうですか…。」
ふああ、と小さな欠伸を漏らして、えみは寝室に行った。
帰り…待ってるのかー…。今度から飲み会行きづれえなー…。
***
【朗報】御幸夫婦、学生カップル並みにラブラブwww
001:米自然公園で御幸夫妻をパパラッチ「手繋ぎデート、夫・一也の帽子に妻・光が蝶々をつけるイタズラ」
002:やめろその術は俺に効く
003:いつまでもラブラブだな
004:これは倉持も逃げ帰るわ
005:光…なんでだよ…
006:世界が違い過ぎて嫉妬すらしない
008:美男美女だな
010:御幸光かわいいなあ
011:結婚3年目だけどまだ20代前半なのか…
016:御幸光ってモテるのに親友にイケメン従弟紹介したり後輩に憧れの先輩紹介したり控えめに言って女神じゃね?
017:憧れの先輩って誰?
018:木崎えみの憧れの先輩が倉持洋一
019:それはしつこい男を処分しただけでは…?
021:倉持に憧れてくれてる木崎えみが女神では?
022:二組のカップルのキューピッドという意味で本物の天使
023:光、そろそろ俺の所に来てもいいんだよ。
024:↑倉持は帰れ定期
028:御幸のチームメイトが御幸光のこと「俺の嫁」発言してて笑った
030:↑ワロタ 向こうでもそんな扱いなんだな
031:ええなあ
037:一也…俺とは遊びだったのかよ
038:なんでホモが湧いてんだよ
アメリカへ行ってもネットで連日話題に上がる御幸達。それこそこういうほのぼのパパラッチから、御幸の試合での活躍や光の主演作のことまでさまざま。
非の打ち所のない完璧なカップル。周りから見たらそんな感じだ。俺は、このふたりが乗り越えてきたものを知ってる…。結構壮絶で波乱万丈なんだ、こいつらは。だけど、何があっても結局今一緒にいる。
このふたりの記事を読むのはやめよう…。そう息をついてスマホを仕舞い、帰路についた。
「おかえりなさい。」
「…ただいま。」
えみはリビングでテレビを見ていた。
「すぐごはん用意するね。」
「あ、…ごめん」
えみに食事を用意してもらうのはなんだか慣れない。家事もいつの間にかほとんどやってもらってるし…。
食事はもうほとんど出来上がっていたらしく、すぐに食卓に料理が並んだ。…俺が帰ってくんの、待ってたのか…。
今日のメニューはごはんにコンソメスープ、ハンバーグ、にんじんのグラッセ、サラダ。俺の皿にだけ更にから揚げが4つ載っていて、ご飯も大盛り、ハンバーグも大きめだ。…やっぱなんか申し訳ねえんだよな〜…。
「…いただきます。」
「はい…。」
俺が口をつけるまで、えみはいつも俺の反応を窺うように待っている。
「…美味い。」
そして俺がそう言うと、やっと安堵したように微笑んで、自分の食事に箸をつけるのだ。
「…何見てんの?」
「あ、これ…。今日光先輩が出るんです。」
珍しくバラエティを見ていたから聞いてみたら、そんな答えが返ってきて、にわかに胸の奥が煙った。光…か。
「私、倉持さんのこと…嫌いなんです。」
あの夜の目が忘れられない。けれど、光がその時どんな表情をしていたのかは、どんなに考えてももう思い出せなかった。
「米バラエティ番組にて、メジャーリーガーの御幸一也選手とその妻でハリウッド女優の御幸光さんがとんでもないドッキリを仕掛けられ、その反応が大変話題になっています!」
あ、始まった、とえみが呟いて箸を止め、テレビに夢中になった。
VTRが始まり、アメリカのバラエティ番組がテロップ付きで流れ始めた。ちょっと画質が荒い。
場所はとあるレストラン。2人は当日限りの招待券をもらってやって来たらしい。この日は店員も客も全員が仕掛け人。約束の午後6時ほぼぴったりに、二人は店に現れた。
カジュアルなスーツ姿の御幸と、青いシンプルなワンピース姿の光。…やっぱ綺麗だな…。
「ようこそお越しくださいました、御幸様。」
店員に恭しく迎え入れられ、二人は窓際の席にとおされた。
すぐに店員が水を持ってやってきて、それを並べる。御幸の前、光の前、そして…誰も座っていない3つ目の席にも。
「あの、二人です。」
すぐに御幸が言うと、店員は冗談を受け取ったように笑った。
「うふふ。3名様じゃありませんか。お待ちください、すぐにメニューボードをお持ちいたします。」
そう言って店員は踵を返して行ってしまう。
二人は目を見合わせて、笑いながら首を傾げた。
「誰か呼んだの?」
「私じゃないよ。…一也さんが何かしたんでしょ。」
「何もしてないって。」
二人がそう話しているところへ店員が戻ってくる。
「どうぞ。」
そしてメニューボードを御幸の前、光の前、そしてもう一つの席の前に並べた。
「あの…、」
御幸がまた言いかけた時、店員は誰もいない席に置いたメニューに手を伸ばして話始めた。
「はい。こちらはピンクペッパーとクリームチーズのソースになっております。何かアレルギー等はございますか?…そうですか。ではそちらはトリュフに変更致しましょうか?」
「……。」
「……。」
「かしこまりました。…本日の赤は1898年物のイタリア産になっております。こちら有機栽培の厳選した赤ブドウのみを使用し、癖の少ないフルーティーな味わいとなっております。」
「……。」
「……。」
「かしこまりました。それではそちらでご用意させていただきます。」
まるでその席にいる誰かと会話をしているような言葉をつらつらと話す店員に、御幸と光はちらちらと目を合わせ、困ったように口を噤んだ。ホラードッキリか…。外国のはやっぱ手が込んでるな。
「ご注文がお決まりの頃にまたお伺いいたします。」
店員は二人と誰もいない席にそれぞれお辞儀し、踵を返して去って行った。
「…一也さん?」
「俺は何もしてない!」
本当に?と訝しむ光に、そっちこそテレビかなんかじゃないの?と言う御幸。
「本当に私知らないよ。一也さんでしょ?」
「いやいや俺も知らないって。」
「…本当に〜?」
「信用無いな〜(笑)」
「だって昨日も…」
「ちょっ、…外でその話はやめとこ?」
「ふふふ。」
…あいつら普段からこんなにイチャついてんのかよ。
「…とりあえず食うもん決めよ。」
「うん。」
「このメニューは本物だよね?」
「だから私は何も知らないってば。」
「はっはっは。じゃー俺…Bコース」
「私も。」
二人がメニューを閉じたところで、店員がサッと歩み寄る。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「はい。Bコースをふたつ。」
「かしこまりました。」
店員は頷くと、誰もいない席をしばらく見つめて――
「かしこまりました。」
とまた頷いた。
「失礼いたします。」
店員が去ると、御幸と光はまた顔を見合わせる。
「…何のテレビかなぁ…」
「やっぱそうだよな。絶対何かの仕掛け…」
ひそひそと話し合う二人の席の傍を、レストルームから歩いてきたスーツ姿の紳士が通りかかった。紳士はその誰も座っていない不可解な席の背もたれに少しぶつかり、おっと、と足を止めた。
「失礼。」
クールな表情でだれもいない空間に断り、紳士は席に戻って行った。
「……。」
「…今の人も仕掛け?」
困惑する二人のもとに、店員がワイングラスを持って歩み寄る。
「お待たせいたしました。98年ものの赤でございます。」
グラスを誰もいない席の前に置き、ワインボトルをその場で開封し、グラスに半分ほど注ぐ。
「芳醇な味わいと滑らかな喉越しが特徴でございます。どうぞご堪能下さいませ。」
「……。」
「……。」
店員が立ち去り、二人は誰のものでもない赤ワインを見つめた。
「飲んじゃえば?」
「え〜…いいよ、私は…」
光がちょっと不気味そうに遠慮すると、御幸は楽しそうに笑みを浮かべた。
「どーした、怖いのか?今日一緒に寝てやろうか?ん?」
「違うもん。一緒に寝るのはいつもじゃん。」
「はっはっはっは!」
隙あらばイチャつきやがって…。
「…えっ、ねぇ、一也さん…」
「ん?」
「これ…減ってない?」
光はワイングラスを指した。確かに中の赤ワインが明らかに減っている。
実はこれはジョークグッズで、中の液体がグラスの脚部分に仕込まれたスポンジに吸収されて勝手に減るんです、とアナウンサーが解説した。
「…まさか」
御幸は苦笑しながら呟いて、そっとグラスを持ち上げてみる。そして首を傾げてグラスを元に戻した。
「……。」
「…光、怖いのか〜?」
「怖くない。」
御幸にからかわれてちょっと顔を赤くする光を、芸人たちが可愛い可愛いと連呼する。
そのとき、ガタン、と誰もいない椅子が動いた。
ビクッ、と驚く光、その反応でちょっと笑いだす御幸。
「…やっぱり何かしてるんでしょ!」
「ほんとにしてないって(笑)何かいるんじゃない?ここ。」
「…何かって?」
「そりゃーゆうれ…」
御幸が言いかけたところで、店員がボトルを持って通りかかった。
「すみません。」
急に店員を呼び止める御幸を、光がきょとんと見上げる。
「他に空いている席があったら移動させてもらえませんか?」
店員はうっすらと笑みを浮かべた。
「申し訳ございませんが、3名様分のお席が他に空いていないんです。」
「いえ、2名です。」
「…いいえ、お客様…」
「俺と妻のふたりです。そうですよね?」
光のことをからかっていたくせに、急に毅然と店員にそう言う御幸を、光は静かに様子を窺うように見つめる。
「…少しお待ちください。席の確認をしてまいります。」
店員はそう言って奥へ向かった。さすがに無理があると思われましたが、他の席に移動すると仕掛けの意味がなくなってしまうため、ここから強引にラストスパートをかけます、とアナウンサーが解説した。
「大丈夫だよ。ただのイタズラだろ。」
「…うん」
光は不気味そうにしながらも、御幸の明るい調子に励まされるように微笑んだ。
そのあとは御幸がバゲット用の岩塩をその誰もいない席の前にそっと供えて光を笑わせたり、空っぽになったワイングラスに水を注いでまた光を笑わせたりして、番組のゲストたちがくちぐちに「優しい」と声を上げた。
「……。」
ふと、えみがどこか羨むような目で静かにテレビに見入っていることに気付いた。同時に、俺もたった今まで同じような顔をしていたような気がした。
テレビの中で御幸に向けている笑顔…。あんな子が、あの夜、あんなに冷たい目をしたことが、俺にはいまだに信じられない。だけど本当なんだ。あの目は、俺がそうさせた。あの子をあんな風に笑わせられるのは、世界でただ一人…御幸だけなんだ。俺はその笑顔に惚れた…。やっとわかった…。最初から報われるわけなんてなかったこと…。
だけど、じゃあ、えみは?えみのことは、こんなふうに笑わせられるんだろうか。幸せにしてやれるんだろうか。
御幸と光を羨むように見つめるえみを…。